都市街下奇譚

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よく耳に入るんですよ

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いやいや、こういう仕事を長くしてますとね?色々な話が耳にはいるんですよ。

喫茶店『茶樹』の中は何時も同じく、炒った珈琲館豆と芳しい紅茶の匂いに満ちていた。『茶樹』と書いて『ちゃのき』珍しい店名だが、この街では知る人ぞ知る名店だ。暫く前に何処かの雑誌のエッセイの中で紹介されたことがあるが、それ以降取材は断っているらしい。それでなくとも普段は甘味目当ての女性客が多く、客足は途切れることがない。とは言えこの店でも、時にその人波がフッと途切れる事があるのだ。

何せ私もここで、もう20年以上も喫茶店をやってますしね。

そんな時に偶然居合わせてカウンターに座っていると、マスターの久保田惣一が暇潰しに話しかける事がある。
久保田惣一はグレーに変わり始めた髪をキチンと撫で付け、鼻の下に同じ色をした髭を蓄えた中年の男性だ。若い頃はさぞかしモテただろう、よく言うロマンスグレーの彼は1日の殆どをこの喫茶店で過ごしている。とは言え、聞くところによるとこの店以外にも幾つかビルを所有していて資金援助など手広くしているらしい。こう見えてただの喫茶店のマスターではなく、実業家な訳だ。その交遊関係は広く、後ろ暗い仕事をしているような友人も実は多いと聞く。

ここは不思議な街でね、時々説明のできないような不思議なことが起こるんですよ。

グラスを音をたてて磨きながら、久保田は無表情に見える顔で言う。その姿だけ見てしまうと、まるで夜のカウンターバーのようだ。
グラスを片付け久保田が、カウンターの端から店内に見えない戸棚を眺めている。実は店内に流れる穏やかな曲は有線ではなく、久保田がかけているレコードの曲なのだと知る人はあまり多くない。今時レコードを多数所有しているのも、レコードプレーヤーが現役で活動しているのも珍しい。久保田がカウンターから出て、次にかけようとしているのだろうレコードを片手にしている。

今時レコードなんて珍しいですよね。

そう話しかけると久保田はレコードに針を乗せながら、古いからといって何でも新しくすればいいものでもないんですよと珍しく笑う。確かにレコードの奏でる柔らかい音は、この木目の多く落ち着いた店の雰囲気にはよく似合っている。オフィス街も近く出版社もあるらしいから、穏やかな曲の中に何か書き物をしているような姿も時折見えることがある。

『茶樹』なんて洒落た名前ですよね。

そうですかね?と久保田が呟くように言う。紅茶を提供するからかと思って問いかける。でも、実際にはここ喫茶店『茶樹』は珈琲やフレーバーティだけでなく果実系の飲み物まで幅広く提供している。しかも、奥に普段は姿を隠しているが、調理担当の鈴徳良二は若くしてフランス料理のコンクールに入賞した経歴もあると言う。料理は勿論甘味まで調理は本格派なのも、この店の隠れた売りだ。

私はただここに根付いて店をしたかったんです。後は茶の花言葉に因んだんです。茶の花言葉を知っていますか?『追憶』と『純愛』なんです。

確かに茶も植物だが、花言葉があるなんて知らなかった。しかも『追憶』に『純愛』だなんてロマンチックな花言葉だ。随分奥ゆかしい花言葉だと思うが、意味に差がある気がする。それが顔に出たのだろう、久保田は少し楽しげに見える光を瞳に浮かべた。

茶を飲みながら『追憶』に耽るのと、愛飲されていることから『純愛』を花言葉にしたそうですよ。ま、諸説ありますし他の花言葉もあるようですがね。

へぇと感心したように頷くと、だから物思いに耽るから不思議な話が思い出されるのかもしれませんねと久保田が囁く。そう言えば、と久保田が思い足したように呟き、「この間、こんな話を聞いたんです」と前置きして語り始める。
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