かのじょの物語

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20代の話 Prodromal

25.いい男の定義

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どれだけ気分が浮つこうと職場の中ではアキコは、ある意味真面目な職員だ。特に彼女は普通の正看護師だが、今はあんなに拒否した結果なのか小児科に配属されてNICUで働いている。
NICUとは新生児の救急室のようなもので、正常に分娩されて産まれた新生児だけでなく、調子が悪くなってしまったリ、帝王切開で産まれた新生児や出産後まだ期間の短い赤ちゃんを看る場所だ。そこは清潔や不潔の区分は勿論、ちょっとしたミスが命取りになり兼ねない気の張る職場でもある。
 アキコは仕事を手際よくこなし周囲も見ながら自分の仕事を進め、必要であればヘルプに入る。そういう風に動くべきだと最初に別の科の病棟で厳しく教え込まれていた。そう考えているから自然とそうなるのだが、自分に厳しいとやはり他人にもつい厳しくなるものらしい。ふと保育器に入る新生児の処置をしていた私の横で、昨夜正常分娩といわれる普通の分娩室での出産で産まれたばかりの新生児に最初の水分として哺乳瓶で糖水をごく少量含ませていた同僚が、私に思い出すように声をかけた。

「最近、丸くなったわよね。」

そう言われて、私は思わす「はい?」と声を上げてしまう。少し年上の現役の母親でもある同僚は飲み終わった新生児の背中をゆるくさすりながらその新生児の顔を見つめ、私には言葉だけを投げる。

「最近物腰が優しくなったわ。前は尖ってたもの。」
「そ、そうですか?」

少し動揺しつつも私の手も止まらない。こんな風に話しながら処置をするのは良くないことだが、その言葉は微かな驚きになる。
 世の中はだいぶ変わったが、それでも看護師の比率はまだ女性の方が勝る。精神科や脳外科などには患者を押さえるなどの緊急時のパワーの必要性もあり男性の看護師も配属されやすい。しかし、逆に産婦人科や新生児に伴って母親である産婦に関わるこの病棟では、男性看護師の配属はほぼみられない。その常識に合わせるように職場の同僚看護師は皆女性だった。やはり、そういう勘の鋭さは女性特有なのかもしれない。
尖っている・・・確かにいわれてみれば仕事に厳しい自分は、他の人に比べても融通も効かないしそうかもしれないと私は苦い思いで感じた。
次に並んだ新生児に同じように糖水を含ませながら同僚があっけらかんと笑う。

「この間の休みだって、デートだったんでしょ?」
「イや・・・まぁ。」

何とも答えにくい状況だ。デートであると言えばそうかもしれないがそうでもないとも言える。
曖昧な私の返答だが同僚は勝手に納得したように、同じように飲み終わった新生児の背中を緩くさすりながら新生児が大きなげっぷをするのを見つめ、カラカラと母親の笑いをこぼす。

「いいんじゃないの~?いい男ならさぁ。」

そういわれても、と内心思いながら曖昧な苦笑を浮かべ私は保育器の新生児の体を拭き終えてもとの保育器を整えると、保温機に任せていた新生児を戻し扉を閉じる。
室内には4台の保育器がいつでも使用できるように準備されているが今日動いているのは2台だけ。手早く次の保育器の新生児の処置の準備をしながら、何とはなしに同僚の言った言葉を考える。

いい男なら・・・・いい男ってなんだろう・・・・?

そんな事を考えながらも手は休むことなく仕事をこなしていく。
保育器から保温機の下に新生児を移し体を拭き、保育器を整え戻す。点滴の為に薬剤を準備したり、保育器の中の新生児の為に母親が搾って保存して置いてくれる母乳を加温気で温め準備する。必要であれば、お産の準備の手伝いもするし、お産があれば産まれた直後からの新生児の世話は、アキコ達新生児室の看護師の仕事でもある。
何かを考えていて勤まるわけではない。
そうは分かっていたが、思わず時々考えてしまうのも事実だ。
 
私は乞われるままに、また来月行くことにしていた。
そのために準夜勤明けに連休も希望している。
真夜中過ぎに仕事を終えて、その後また東京までの長い道のりを行くのだ。
勿論、前よりは少し時間は短くなったけれどチャットも電話も前と変わらない。彼と彼の彼女関係がどうなったのかは分からないまま、二人の関係は変わらずに続いている。


病院によっては違うのだが、私の勤めている病院では屋上にあがれるのは職員の特権だ。以前事故があったらしく患者もその家族も出入りを禁止されている。かといってドラマの様に看護助手が屋上で洗濯物を干すとかいうこともなく、ただ職員が気晴らしに来る程度の場所だ。何しろ、地方の県立病院とはいえ病床数が500を超えるような総合病院なので各階に洗濯機と乾燥機が設置されているのだから。
私は手の中の携帯電話を眺めながら、ぼんやりと青空の下でそのメールに目を通した。

『来週何時頃に来るの?』

噂のいい男?からのメール。
素直に何時もと同じ位に着くからと返事をして、紙パックのジュースを味気なく啜った。
先ほどの同僚の言葉が何だか耳に残る。

いい男ならいいんじゃない?

でも、≪いい男の定義≫ってなんだろう。
若い同僚や同期看護師の中には医者を狙う人も多い。
医者といえばイメージは高学歴・高収入。
顔はおいておいても、医師といえば将来は安定している、それをいい男という人も世の中に多いのは事実だ。実際は、それほど高収入になる医師は稀だということは、看護師でも知らない人の方が多いというのもおかしなものだ。医師の仕事も看護師と同じく厳しいし、個人医院で上手くいってもお金持ちといえるのは少ないもので、大体の若い医師は当直などのアルバイトでお金を稼いでいる。(しかし、これも過去のことで、現在はこのアルバイトはインターン制で禁止されている。)
実際シュンイチに会うまで、私自身モーションをかけられていた医師がいたのも事実だ。その医師は県内の医大から派遣され各地を研修して歩いている状況で、ここ二年は私の病院に勤め、看護師寮の隣の医師寮に住んでいる。しかし、その両親伴に医師でお坊ちゃまという恵まれた境遇でもあるお金持ちという話の医師は、『現地妻』が県内各地に居るという噂だったので私は素知らぬ顔で流していた。
それをもったいないという同僚の真意は測りかねる。その後その意志の『現地妻』に納まった同僚を私は呆れた目で見てきたのだが、今の自分は結局似たようなもののような気がする。何しろ相手にはちゃんと傍に彼女が居るのだから。

「ん―――・・・・・・。」

何とも表現しがたい気持ちになって私は思わず呻く。
これはただのゲームと思うようにしていてもやはり恋は恋なのだ。どうしても、独り占めしたいし、本当はもっとずっと傍にいて一緒に居たいと思う。恋しいのに、彼がすることが憎らしくも思えるのは私が本当は本気だからだろうとも考えた。

恋しいからこそ彼が彼女が居る事に嫉妬し、
恋しいいからこそ彼女とも寝ているだろうし甘い言葉をかけているだろうにもかかわらず、
自分と寝て自分をかわいいと言う言葉が酷く憎らしい。

それは彼女にとって初めての経験だからかもしれないが、相反す二つの感情をどう考えたらいいのかは分からない。そんなことを思いながら夏の盛りを過ぎて高くなりはじめた青空を見上げ、私は思い切り考えを吹っ切るように背筋を伸ばした。
まだ、一日は半分。
午後の仕事も忙しいのだから、こんな感情にかまけている暇はないのだ。そう思った瞬間手の中で、淡いホワイトの携帯がメール着信の振動を伝えた。

『今晩、話があるんだ。都合がいい時間を教えてくれる?』

奇妙な硬い感じをさせる彼からのメール。
その存在に直前までの彼女の仕事への真摯な決心は無残に打ち砕かれてしまっていたのだった。
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