かのじょの物語

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20代の話 Prodromal

30.もう、いいよ

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締め出したはずの意識が鋭く重い痛みで引きずり戻された。まるで捻り上げられるかのような胃から走る鳩尾の痛みに私は一瞬何が起こったか解らずに、見慣れぬそれでいて何度か見上げた天井を見つめる。
激しい痛みが自分の体内から起こっていることに気がついて思わず顔をしかめた。一昨日からの疲労が、ここに来て酷く体に辛い。

小さな声で痛いと声に出していうと更に痛みは明確な形をとったような気がして私は青ざめた。今日の正午には帰途につかないといけないのに、この痛みは酷く深刻な問題だ。しかし、全ての対処をこの見知らぬ土地でするのは、如何に医療従事者でも難しい。
酷く青ざめた私の顔を見ながらも彼は、昨夜の事もあってか酷く冷淡な様子で、私を無理やり引きずるようにしてホテルから駅までの道のりを歩かせた。

―――これは・・・・真剣にやばい・・・。

池袋の大手デパートの地下街の傍まで来た時点で、私は朦朧とする意識でそう感じる。
痛みは更に激しく歩くこともままならない。
そう必死で私が伝えるのに、忌々しそうに自分に手を貸すでもなく見下ろすその姿を私はどう思えば良いのか解らなかった。

愛情が少しでもあるのなら労わって欲しい。
憎しみしかないのならもうほおっておいて。
愛情がほんの少しでもあるなら、こんな対応はないのでは?でも、私が悪いことをしているから、これが罰なの?なら私のした悪いことを教えて。

思わずそう言葉をかけたくなる自分は、数ヶ月前彼が合鍵を作るために待たされた巨大液晶画面の前に思わずしゃがみこんだ。

「こんなトコでしゃがんだって仕方ないだろ?」

投げつけられる言葉に、私は一瞬自分の中で怒りが爆ぜるのを感じた。

理不尽だ、悪いことをして罰を与えられてるとしても、痛みは本物なのに。

その直後から一時の記憶は酷く曖昧だが、完全に私はその理不尽な言葉を吐いた男の存在を自分の頭の中から抹消して、そこで私が出来うる最良の手段を取ったのだ。
私は彼の存在を完全に無視して最後の力を振り絞って無理やり体を動かすとデパートのインフォメーションに立つ人に助けを求めた。(彼氏)に頼れないのなら見知らぬ場所ではそうするしかもう方法がなかったのだ。


断片的な記憶の中で、私は車椅子に乗せられデパートのエレベーターに乗った。普段は触れ合う機会のないデパートの裏側の医務室での診察を受ける。しかし、簡素なそこでは到底処置が不可能で救急車に乗せられたことを感じる。その中で救急隊員が血圧を告げる数値で、朧気に自分がショック状態に陥って、危なく死に掛けている事も耳にしながら私は意識を失っていた。


ふっと意識を取り戻した時、最初に目にしたのは白い天井と自分につながる点滴の細い管のルートだった。

―――ここは……何処……?

一瞬、自分のおかれた状況が把握できないままに周囲を見わたす。穏やかな日の光の差し込む室内は音もなく時間の感覚もなく、自分が意識を失ったことも暫く理解できなかった。やがて次第にハッキリしつつある頭で、白い壁の向こう側の周囲の放送や人の声などの喧騒からそこが病院であることを悟った。
処置室らしいベットの上で点滴をされている自分の姿に私は、微かな胃の痛みと同時に喉に残る違和感を覚えながら、処置室ということはどうやら入院はしなくて良いのか等とぼんやりと感じていたのだった。

「気がつきました?」

さわやかな看護師の声に私は、ふと視線を向ける。
カーテンを捲り姿を見せた自分より少し年は上だろうが生き生きとしたその表情が、何だか眩しい気がして私は微かに目を細めた。看護師は穏やかに自分が運ばれてきた状況を簡潔に伝えてくれ、今が昼を当に過ぎた時間である事を教えてくれる。喉の違和感は胃カメラをしたせいだということに気がついて、私はつくづく意識を失っていてよかったと思いながら話に耳を傾けた。以前胃カメラをのんだ時は嚥下反射が強すぎて酷い苦痛を味わったのだが、知らないうちに終わってくれたならそれで良いのかもしれない。
 気を失っていたのは賞味五時間にも及ぶことに彼女は微かに驚きながら、産まれて初めて完全な意識消失だと半分冷静な感覚で考えた。その話の後申し訳なさそうに看護師が、携帯の電源を切ったことを告げる。

「何度も鳴って、申し訳ないと思ったんだけど・・・・。」

病院内で携帯が鳴り響く様子を思うと気持ちが暗澹たる思いにとらわれたが、相手がどう思ってかけてきたかは分からないでもない。五時間も連絡せずにいたのだから、それもしょうがないかも知れないと私はぼんやり思う。しかし、冷静な感情がどこかで警告を鳴らすのを感じながらも彼女は看護師に支えられながら救急室の入り口の公衆電話から彼の携帯に電話をかけた。 
 開口一番に怒鳴りつけられ、看護師が私の表情を見て横から掠めるよう受話器を取る。私の変わりに酷く冷静な口調でたしなめるのを横に聞きながらも、私は胃カメラの時にかけたらしい麻酔でまだぼんやりする世界の中に居た。

―――今日は帰れないか……明日日勤なのに……。

そんな冷静な思考が囁くのを苦笑する自分がいる。
支えられて戻った診察室のベットの上でうつらうつらと再び微睡む。そして次に気がつくと横に座る少し不安げな表情の彼の姿に気がついた。怒っている様な、それでいて不安でもある様な表情を眺めながら私は、しみじみと自分の中で渦巻く不可解な気持ちを見つめる。

子供のような人、誰もきっとそれを彼に教えなかったんだ……。

それはそれで哀しい事だと思う。
誰かが全てをやってくれると信じたままでは、何時か一人で生きていけなくなる。それを私は知っているが目の前の彼はどうなのだろう。多くの出来事が全て自分の思う通りになると信じて生きているが、世界の殆どは思い通りにならない事は、どうしたら知るのだろう。
沢山の友人が居ると言ったが、その友人すらも信じきれないのはもっと寂しいことだ。自分のすべき事を周囲が肩代わりしてくれていたのも知らず、嫉妬し怒り狂った彼。今までの彼女が長続きしなかったのも、コバヤカワ君やコイズミ君にひかれて別れてしまったのも理由がわかる気がする。
それは、どうしたら彼が知るのだろう。

「・・・大丈夫か?」

ぶっきら棒にも聞こえる言葉に微かに頷く。その声を聞きつけたかのように先ほどの看護師が、彼に退室を申しでる。看護師の言葉に不満そうな彼の仕草が何かを言いたげに私を見下ろす。だが、私は何も言うこともしないまま、彼が言われるままに出て行き変わりに入ってきた医師の言葉を自分一人で聴いた。
それは私が看護師であったからでもあり、彼に聞かせた所で現状は変わらないと判断したからでもある。が、それすらもさっきの様子では彼には理解は出来ないだろう。

過労による急性胃腸炎
案外安易な病名だと思いつつ、自分の腕に刺された点滴の針が抜かれるのを見つめる。結局原因も分からず症状も落ち着いたので帰宅することが許可されて、不機嫌な彼の後ろをまだ少しふわふわする心持ちで歩きながら、私は胃カメラのせいでかすれる声を絞り出した。

「私・・・かえるね。」
「はぁ?何言ってんだよ。」

不機嫌な怒声に微かに私の体が反応する。
何故だろう、この声を聞くと体が微かにすくむような気がするのだ。
それに彼は気がつかないままに、その青年の無造作な手が腕をつかみ私は微かに痛みに顔をしかめた。乱暴な行為がどれだけ私を怯えさせるのかを危惧しない怒声が、至近距離で彼女に投げられる。

「今帰るんなら、もう二度と会わないからな!」

その言葉の強さに怯えながら、私はどこかで微かに自分が安堵したのを感じた。実際、もう一度同じように痛みの発作に襲われたとして彼が何をしてくれるのだろう。それであれば少なくとも自宅までは戻れなくとも、途中にある実家に居れば救急時の対応はベテラン看護師である彼女の母に任せることができる。それにこの二日間彼がどれだけ彼女を労わってくれたと言うのだろう。でも、それをどこまで彼は説明で理解してくれるのか?
愛情はある、だけど同時に冷静な自分が告げている。
その事を考えれば、もう十分だ、と。
もう充分。
自分は尽くしたけどそれは報われなかっただけだ。
だから、私はその腕を振り切って明朝には間に合わないと分かりつつ帰途を選択したのだった。
飛び乗った最終の新幹線の座席に深く身を沈めながらアキコは深い息をついた。
もうこれで何もかもが終わり、また日常に戻る。
一時の夢が終わったことを感じるとふと僅かな寂しさと安著の入り混じった不思議な感情が心を過ぎる。
残念だが今からではどうしても最終バスには乗れない。明日の日勤は休むしかないが一先ずなんとか実家までは戻れる。結局実家に電話をして事情を話すのに自分が何のために東京まで出ていたのかを話す羽目にはなったが、もう話してしまった後では今は安著しかなかった。
母親の呆れながらも心配する声が耳に残る。

『一先ず駅までは迎えにいくから、帰ってきなさい。』

自分と同じく看護師を生業にしている母の判断も彼女と同じだった。しかし、結局彼には理解できなかった。これで終わった……私はもう一度そう心の中で囁くように呟いて、椅子に深く体を沈めウトウトと疲労に溢れた体で微睡んだ。

駅に着いて母親に連れられてクリスマスの喧騒を終え、まるで残り火だけを僅かに抱くような12月末の街を眺めながら、雪の中を実家に帰る車の中でも疲労困憊の体はウトウトと眠ってばかりだった。
私は結局翌日の仕事は休みその次の日からまた今までの日常に戻る事に決めていたし、今は疲れを取ることが先決だ。それを察したかのように母親もあえて何も聞こうとはしない。私自身話す気もないのだが、放任主義の家庭では私の行動は私の意思ですべてが決まる。それだけのことで、それは昔から変わりようが無いのだ。


真夜中にふと私は何時もの癖の様に目を覚まし、枕元の携帯を見やる。そこに着信のランプが点滅しているのに気がついて彼女は微かに眉をひそめた。着信音を消していたので気がつかなかったが暗闇の中で何色かに光る携帯電話の電飾は電話とメールの着信があることを囁いている。まるで怖いものに手を伸ばすかのように恐る恐るそっと携帯を開き、液晶を覗き込んだ。

≪着信;12件  メール;5件≫

その表示に彼女は微かに驚きながら中身を確かめる。
帰途について今までの4時間強の間に送り続けられたシュンイチからのメールと着信の数に一瞬戸惑う。もう会わないと言ったのは向こうなのだ、これ以上何をいう気なのだろう。
私は首をかしげながら中身を確かめる。

『アキ、ごめん。短気起こしたりして。でも、アキがいない間ずっと池袋中探して歩いたんだ。』
『病院で、心配してたのにあの看護師に追い出されて医者の話も聞かせないし凄くムカついたし、しかもこんなに心配してあげてるのに帰るなんて無謀な事言うから』
『ごめん、大事にしてあげなくて。そういうの分からなくて、ごめん』
『ごめんね、もう一度声が聞きたいんだ。うちに着いたらで良いから連絡して。』
『アキ、本当にごめん。』


文字という言葉の囁きに酷く戸惑う。
何を信じれば良いのだろう・あの怒声なのかこの何時も聞くような優しい言葉なのか、と思いながら私は、今度は残された留守電に耳を傾ける。
先ほどまで脳裏に残った怒声を打ち消すような謝罪の柔らかい声と、困惑に満ちた哀しげな声。
自分があさはかだったと謝罪し、自分が彼女を労わってやらなかった事を悔いる言葉。私が帰途を選択したのが正しいと肯定する言葉と何も出来ない自分を詫びる言葉。今更な筈の言葉なのにその弱く囁きかけるような声音が、私の中の何かを揺さぶりかけていく。

暗闇の中でそれを聞きながら自分の中で理性が激しく自分を戒めるように止める言葉を感じる。

それなのに何故か私は、ふと気がつくとメールを打ち始めていた。
冷え切った心の中にある残り火のような感情をどこかに感じながら、自分の心の中に潜む相反する二つの感情の存在を感じながら、私は躊躇いがちに短いメールを打っている。


『もう、いいよ。』


自分でも何が良いのか分からないままに、そうメールを打ちながら私は、まだゲームの様なこの状況が続くことをどこかで感じて、目の前に広がる夜の闇が更に深く暗く広がり自分を飲み込んでいくような気がした。
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