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20代の話 Deterioration
48.歪
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大分前にした約束どおり遊びに来た二人の友人にいつもどおりの愛想を振りまく夫の姿に私は乾いた瞳を向けていた。私の顔の痣が殆ど分からないくらいに消えていて良かったのか悪かったのか私には分からない。分からないが外に向ける表情は今までと一つも変わらないのに、どうして自分に向ける顔や行動は昔に戻ってしまったのだろう。そんなことを思いながらその様子を冷え冷えとした瞳で見つめる。思い悩んでも、結局それが彼の本質なのかもしれない。
自分は好きなように生きるが、私にはそれをけして許しはしない。
たった一つの対になった指輪・たった一つの書類が、全てに雁字搦めの鎖のように絡み付いて私を縛りつけ逃げ出す事すら許しもしない呪縛のようだ。でも、もしそれがなかったとしても、私には帰る場所がもうない。親の思いを踏みにじった悪い娘には帰る場所がないのだ。
「アキ?」
無表情で動かない私にかけられた言葉は訝しげに響き、早く動く事を強要しているかのようにすら感じる。もう今ではその声の影にある妻らしい動くを早くしろと言う彼の命令が透かして見える。言われなくとも、そういいつけられている気すらする。そして、概ねそれは間違いではないのだ。
「ねぇさん、お茶なら俺が入れてもいい?」
「コバ、いいからアキが……。」
「俺コーヒー薄めがいいから自分で好きな濃さに入れさせて貰うよ。ねぇさん、座ってなよ。」
手伝おうとするコバヤカワを無理やり言葉で引きとめようとした彼は、そうできないことに更に苛立ちを感じたような表情を微かに浮かべる。その表情に私はこの後彼らが帰った後にお仕置きされるのだと思うと気が滅入った。痛いことも嫌だが、またこの間のように得たいの知れない薬を使われるかもしれない。あの後彼が満足して寝た後に何時までもひかない痛痒感に苦悩させられた。何時までたっても良くならずどう対応したらいいのか分からず、一人何度もシャワーを浴びるはめになったのだ。後でこっそり彼のパソコンの履歴からそれが《ずいき》と呼ばれるものを加工したのだと知ったが、随分な仕打ちじゃないか。山芋のようなものを直接洗えない場所の奥底にたっぷり塗られたのだ。もし、爛れてなおらなかったらどうする気なのかと思うが、きっとどうする気もないのだ。偽善者のように心配するふりをして、可哀想にと取り繕うに違いない。
もう、すっかり彼がどういう行動に出るのかすら目に見えるような気がする。
私の暗澹たる思いに気がついたかのようにコバヤカワは彼を振り返ると、何も気がつかなかったかのように明るい声をかけた。
「ヤネちゃん、この後さぁカラオケでも行かない?」
「そうだ、久々に一緒に行こうよ、ヤネちゃん。」
二人の言葉に満更でもない表情にその男の表情が変わったのを見て、私は内心ホッとすらした。
幾ばくかの時間でも私を忘れて、いなくなってくれる時間ができれば、私自身にも心に余裕ができる。例えそれがほんの僅かな時間の出来事であってもだ。
「ねぇさん、大丈夫?」
自分の表情がそこまで分かりやすかったのだろうか、一緒に来訪していたコイズミまで心配げに声をかけられて私は隠しきれずに弱く小さな微笑を浮かべて、大丈夫とだけ呟いた。
※※※
私に一緒に来る事を一度強要した彼を二人ががりで連れ出すように連れて行ってくれた二人に心の中で感謝しながら、私は家に独りになった。
だが何をすることができるわけではない。
私にできるのはただ自分のストレスを何かに転嫁することだけだった。
今の私に出来たのは、過食嘔吐。
それがどれだけ自分の体を痛めつけると分かっていても、そうすることしか私には痛みをぶつける場所すら分からなくなり始めていたのだった。
無造作にデリバリーのピザのチラシを広げ、電話を掛けて注文を始める。
「…の、Lサイズ1枚。サイドのチキンボックスとパスタの…、ラザニア一つ。あと紅茶1リットルを二本。あ、後デザートの…」
一人が食べる量とは思えない大量の注文に、相手は愛想よく受け付けていく。家族で食べるとでも思ってかオススメ商品を紹介され、迷うことなく「じゃ、それも一つ」と返す。それが来るまで、冷蔵庫を漁り丸のままのレタスを片手にぼんやりとソファーに腰かけた。バリバリと片手でレタスをむしりとり、口に押し込み噛み砕き飲み込む。
美味しくてするわけでもない。
なにも考えずに手と口を動かしているだけ。
美味しいと思うなら吐く必要なんかない。
勿体ないし止めれば良いと思うけど、こうしていないと自分がドンドン崩れて行く気がする。
いや、もうとっくに崩れているのかもしれないが。
チャイムがなって取り繕った笑顔で大量の品物を受け取りソファーに戻る。
無造作にピザの箱を開けて、紅茶の紙パックに長いストローをさしこみ音をたてて飲む。細かく噛みながらピザを一切れ飲み込みながら、次々と商品の蓋を開けていく。美味しいかどうか、食べたいかどうかなんて関係ない。ただ詰め込まないと気がすまないだけなのだ。
吐きやすいように考えながらと、食べる意味はあるのだろうか。
でも、食べないではいられないし、それを体内にとどめておくこともできない。つまりは、吐かないではいられない。吐き出さないといられないのだ。
こんなことに無駄な費用をかける自分は彼と同じ愚か者だ。
そんなことを心のどこかで考えながら、異常な量の食べ物を口に押し込み続ける。
確かに私一人で家計を支えることは不可能ではない。
だが、このままいくと、私になにかあった途端に全てが破綻する。余裕がない今の状況で、生活を続ける事ができなくなる不安が常に心にあるのが嫌だった。
だからこそ、彼の有り余っていた有給を消化して正式に退職扱いになった直後に、私は彼に職安に行く事をすすめた。しかし、それすらも彼は進んでしようとしない。終いには私が一緒でなければ職安に行かないというその言動に私は唖然とした。子供のような筋のとおらない言動に戸惑い、男の心の中の構造すら図りかねていた。
ぐずぐずと文句をいい続ける彼にやっとのことで失業保険の手当ての手続きは自分でないとできないし、しないともらえないと宥め透かした時も、失業保険の存在すらも知らない風の彼に先のことなど何一つ考えていないことを思い知らされた。
その上、ハローワーク職員から手当てを受けとるまでに期間がかかることを聞いた瞬間に彼はキレたのだ。訳の分からない理論武装で、結局は自分は今すぐ金をもらうのが正しいと喚き散らした姿は、まさに頭のおかしい道化でしかなかった。止めるようにとめなかったのは、止めた後のお仕置きが嫌だったからで、心底他人のふりしてでも逃げて帰りたかった。そして、結局は彼の言い分がとおるはずもなく、帰ってから無駄足を運ばせたとお仕置きをされたのだが、手続きをしなければ貰えないことは棚におかれるのだ。
無職で収入もない状況なのに歪な性衝動を満たす道具を次から次へと買い漁り、私を責めることに使う。しかも、私が働いている間はゲームをするかネットでチャットをしているのはわかっていた。新しく女に会わないのは、彼に資金がないからだということも承知している。これ以上とめる気がないのは、止めるだけ自分が暴力で強いたげられるからだ。
そんな悪循環のなか私がそれでも逃げ出せなかったのは、心の中に無意識にかけられた鍵のかかった錠の着いた重い鎖のせいだったのかも知れない。
私はもう帰る場所がない、という重い呪詛の言葉。
本当なら逃げたかった。ここから逃げ出して、家に帰りたかった。もう、このマンションを自分の家と認識していない自分に私自身とっくに気がついていた。
※※※
そんな最中に彼の両親に実家に呼ばれた時、私は心から安堵した。やっと私は彼の両親が彼を説得するものだと信じて疑う事もしなかった。私は一般的な常識として物事をとらえ、彼の両親が道理を解いてくれるとばかり思っていた。彼の性格を作ったのがその人達に他ならない事を忘れていたのだ。
彼の実家で居心地悪く座りながら、湯気の立つ湯飲みを見つめる。彼から何故仕事を辞めたのかを聞いた朗らかに彼の母親が笑顔を浮かべたのに気づいた瞬間、嫌な予感が脳裏を走った。
「体を壊す前に止めれてよかったじゃない。」
私は予想だにしないその言葉にそのまま揺らめく茶を眺め凍りついた。
義理の母親が口にした言葉は私には到底信じられないもので、自分が聞き間違ったかとすら思ったのだ。しかし、それは惑う事なくにこやかに微笑む彼女の口から放たれた言葉で私の常識という基盤を細い砂のように脆くも砕いていった。
「この子は一度言ったら頑固で聞かないから。ねぇ。」
そう言って朗らかに笑い一片の説得すらしようとしない義理の両親の姿に、私は硬くこわばった表情のままこの現状が嘘であってほしいと心から願った。私の強ばった険しい表情を、あえて見ないように視線をそらす彼の母親にわかっていて視線を向けないのが分かった。しかも、父親の方ですらそうだそうだと彼の話を肯定する。誰も彼に仕事をしなさいとも探せとも言わない。
現実はもっと残酷でもあった。
その男の両親は私に彼の名義の幾ばくかの貯金通帳を渡し、生活費に使ってとだけ言ったのだ。
自分の子供が目の前でひもになろうとしているのに…説得するどころかお金を渡すの?
そう問いかけたかった。
だけど彼らがそう思っていなくとも、その気なのは目に見えているのが分かっている。その上、自分の息子を嬉々として嫁に押し付けようとしているのが分かる。
彼の面倒を見るのは全て私の責任。
あんたの旦那はあんたが全て責任もって養いなさい。
育て方の歪さが表に出たことは責任を持たない事に決めた彼の両親。普通なら就職活動をして、なんとか収入を得る方法を模索する。それをしないのを、頑固だからねの一言で笑いに変えようとしている。そして、その後始末は嫁のすること。
私らの責任じゃない、俺の責任じゃない、お前が後始末して責任をとれ、それは、彼の性格を形成してきたモノの全てのような気がした。
私はその虚しい状態の中で、男を哀れだと思った。
愛情をきちんと貰えないままに育ってきたからこそ、歪な愛情の形しか知らないのかもしれない。
叱られることもなく過保護に育てられ、世間の常識から逸脱しているのに気がつかない。私自身もそれほど常識的と思ってきたわけではないが、遥かに両親から愛情を注がれたと理解できる。少なくとも一般的な常識の中で生きていくには困らないように、育ててもらえたから。
ただ、私の自分の中に在る彼への愛情も何処か歪で、この人に正しく愛情は伝えられなかったのだろう。
私の呪われた身から伝える愛情は、そのまま純粋な愛とはならずに何処か憎しみにすり替わる様な気配すら感じる。そうぼんやりと思いながら私は逃げ場のない淀んだ水中に落ちていく自分を感じていた。
自分は好きなように生きるが、私にはそれをけして許しはしない。
たった一つの対になった指輪・たった一つの書類が、全てに雁字搦めの鎖のように絡み付いて私を縛りつけ逃げ出す事すら許しもしない呪縛のようだ。でも、もしそれがなかったとしても、私には帰る場所がもうない。親の思いを踏みにじった悪い娘には帰る場所がないのだ。
「アキ?」
無表情で動かない私にかけられた言葉は訝しげに響き、早く動く事を強要しているかのようにすら感じる。もう今ではその声の影にある妻らしい動くを早くしろと言う彼の命令が透かして見える。言われなくとも、そういいつけられている気すらする。そして、概ねそれは間違いではないのだ。
「ねぇさん、お茶なら俺が入れてもいい?」
「コバ、いいからアキが……。」
「俺コーヒー薄めがいいから自分で好きな濃さに入れさせて貰うよ。ねぇさん、座ってなよ。」
手伝おうとするコバヤカワを無理やり言葉で引きとめようとした彼は、そうできないことに更に苛立ちを感じたような表情を微かに浮かべる。その表情に私はこの後彼らが帰った後にお仕置きされるのだと思うと気が滅入った。痛いことも嫌だが、またこの間のように得たいの知れない薬を使われるかもしれない。あの後彼が満足して寝た後に何時までもひかない痛痒感に苦悩させられた。何時までたっても良くならずどう対応したらいいのか分からず、一人何度もシャワーを浴びるはめになったのだ。後でこっそり彼のパソコンの履歴からそれが《ずいき》と呼ばれるものを加工したのだと知ったが、随分な仕打ちじゃないか。山芋のようなものを直接洗えない場所の奥底にたっぷり塗られたのだ。もし、爛れてなおらなかったらどうする気なのかと思うが、きっとどうする気もないのだ。偽善者のように心配するふりをして、可哀想にと取り繕うに違いない。
もう、すっかり彼がどういう行動に出るのかすら目に見えるような気がする。
私の暗澹たる思いに気がついたかのようにコバヤカワは彼を振り返ると、何も気がつかなかったかのように明るい声をかけた。
「ヤネちゃん、この後さぁカラオケでも行かない?」
「そうだ、久々に一緒に行こうよ、ヤネちゃん。」
二人の言葉に満更でもない表情にその男の表情が変わったのを見て、私は内心ホッとすらした。
幾ばくかの時間でも私を忘れて、いなくなってくれる時間ができれば、私自身にも心に余裕ができる。例えそれがほんの僅かな時間の出来事であってもだ。
「ねぇさん、大丈夫?」
自分の表情がそこまで分かりやすかったのだろうか、一緒に来訪していたコイズミまで心配げに声をかけられて私は隠しきれずに弱く小さな微笑を浮かべて、大丈夫とだけ呟いた。
※※※
私に一緒に来る事を一度強要した彼を二人ががりで連れ出すように連れて行ってくれた二人に心の中で感謝しながら、私は家に独りになった。
だが何をすることができるわけではない。
私にできるのはただ自分のストレスを何かに転嫁することだけだった。
今の私に出来たのは、過食嘔吐。
それがどれだけ自分の体を痛めつけると分かっていても、そうすることしか私には痛みをぶつける場所すら分からなくなり始めていたのだった。
無造作にデリバリーのピザのチラシを広げ、電話を掛けて注文を始める。
「…の、Lサイズ1枚。サイドのチキンボックスとパスタの…、ラザニア一つ。あと紅茶1リットルを二本。あ、後デザートの…」
一人が食べる量とは思えない大量の注文に、相手は愛想よく受け付けていく。家族で食べるとでも思ってかオススメ商品を紹介され、迷うことなく「じゃ、それも一つ」と返す。それが来るまで、冷蔵庫を漁り丸のままのレタスを片手にぼんやりとソファーに腰かけた。バリバリと片手でレタスをむしりとり、口に押し込み噛み砕き飲み込む。
美味しくてするわけでもない。
なにも考えずに手と口を動かしているだけ。
美味しいと思うなら吐く必要なんかない。
勿体ないし止めれば良いと思うけど、こうしていないと自分がドンドン崩れて行く気がする。
いや、もうとっくに崩れているのかもしれないが。
チャイムがなって取り繕った笑顔で大量の品物を受け取りソファーに戻る。
無造作にピザの箱を開けて、紅茶の紙パックに長いストローをさしこみ音をたてて飲む。細かく噛みながらピザを一切れ飲み込みながら、次々と商品の蓋を開けていく。美味しいかどうか、食べたいかどうかなんて関係ない。ただ詰め込まないと気がすまないだけなのだ。
吐きやすいように考えながらと、食べる意味はあるのだろうか。
でも、食べないではいられないし、それを体内にとどめておくこともできない。つまりは、吐かないではいられない。吐き出さないといられないのだ。
こんなことに無駄な費用をかける自分は彼と同じ愚か者だ。
そんなことを心のどこかで考えながら、異常な量の食べ物を口に押し込み続ける。
確かに私一人で家計を支えることは不可能ではない。
だが、このままいくと、私になにかあった途端に全てが破綻する。余裕がない今の状況で、生活を続ける事ができなくなる不安が常に心にあるのが嫌だった。
だからこそ、彼の有り余っていた有給を消化して正式に退職扱いになった直後に、私は彼に職安に行く事をすすめた。しかし、それすらも彼は進んでしようとしない。終いには私が一緒でなければ職安に行かないというその言動に私は唖然とした。子供のような筋のとおらない言動に戸惑い、男の心の中の構造すら図りかねていた。
ぐずぐずと文句をいい続ける彼にやっとのことで失業保険の手当ての手続きは自分でないとできないし、しないともらえないと宥め透かした時も、失業保険の存在すらも知らない風の彼に先のことなど何一つ考えていないことを思い知らされた。
その上、ハローワーク職員から手当てを受けとるまでに期間がかかることを聞いた瞬間に彼はキレたのだ。訳の分からない理論武装で、結局は自分は今すぐ金をもらうのが正しいと喚き散らした姿は、まさに頭のおかしい道化でしかなかった。止めるようにとめなかったのは、止めた後のお仕置きが嫌だったからで、心底他人のふりしてでも逃げて帰りたかった。そして、結局は彼の言い分がとおるはずもなく、帰ってから無駄足を運ばせたとお仕置きをされたのだが、手続きをしなければ貰えないことは棚におかれるのだ。
無職で収入もない状況なのに歪な性衝動を満たす道具を次から次へと買い漁り、私を責めることに使う。しかも、私が働いている間はゲームをするかネットでチャットをしているのはわかっていた。新しく女に会わないのは、彼に資金がないからだということも承知している。これ以上とめる気がないのは、止めるだけ自分が暴力で強いたげられるからだ。
そんな悪循環のなか私がそれでも逃げ出せなかったのは、心の中に無意識にかけられた鍵のかかった錠の着いた重い鎖のせいだったのかも知れない。
私はもう帰る場所がない、という重い呪詛の言葉。
本当なら逃げたかった。ここから逃げ出して、家に帰りたかった。もう、このマンションを自分の家と認識していない自分に私自身とっくに気がついていた。
※※※
そんな最中に彼の両親に実家に呼ばれた時、私は心から安堵した。やっと私は彼の両親が彼を説得するものだと信じて疑う事もしなかった。私は一般的な常識として物事をとらえ、彼の両親が道理を解いてくれるとばかり思っていた。彼の性格を作ったのがその人達に他ならない事を忘れていたのだ。
彼の実家で居心地悪く座りながら、湯気の立つ湯飲みを見つめる。彼から何故仕事を辞めたのかを聞いた朗らかに彼の母親が笑顔を浮かべたのに気づいた瞬間、嫌な予感が脳裏を走った。
「体を壊す前に止めれてよかったじゃない。」
私は予想だにしないその言葉にそのまま揺らめく茶を眺め凍りついた。
義理の母親が口にした言葉は私には到底信じられないもので、自分が聞き間違ったかとすら思ったのだ。しかし、それは惑う事なくにこやかに微笑む彼女の口から放たれた言葉で私の常識という基盤を細い砂のように脆くも砕いていった。
「この子は一度言ったら頑固で聞かないから。ねぇ。」
そう言って朗らかに笑い一片の説得すらしようとしない義理の両親の姿に、私は硬くこわばった表情のままこの現状が嘘であってほしいと心から願った。私の強ばった険しい表情を、あえて見ないように視線をそらす彼の母親にわかっていて視線を向けないのが分かった。しかも、父親の方ですらそうだそうだと彼の話を肯定する。誰も彼に仕事をしなさいとも探せとも言わない。
現実はもっと残酷でもあった。
その男の両親は私に彼の名義の幾ばくかの貯金通帳を渡し、生活費に使ってとだけ言ったのだ。
自分の子供が目の前でひもになろうとしているのに…説得するどころかお金を渡すの?
そう問いかけたかった。
だけど彼らがそう思っていなくとも、その気なのは目に見えているのが分かっている。その上、自分の息子を嬉々として嫁に押し付けようとしているのが分かる。
彼の面倒を見るのは全て私の責任。
あんたの旦那はあんたが全て責任もって養いなさい。
育て方の歪さが表に出たことは責任を持たない事に決めた彼の両親。普通なら就職活動をして、なんとか収入を得る方法を模索する。それをしないのを、頑固だからねの一言で笑いに変えようとしている。そして、その後始末は嫁のすること。
私らの責任じゃない、俺の責任じゃない、お前が後始末して責任をとれ、それは、彼の性格を形成してきたモノの全てのような気がした。
私はその虚しい状態の中で、男を哀れだと思った。
愛情をきちんと貰えないままに育ってきたからこそ、歪な愛情の形しか知らないのかもしれない。
叱られることもなく過保護に育てられ、世間の常識から逸脱しているのに気がつかない。私自身もそれほど常識的と思ってきたわけではないが、遥かに両親から愛情を注がれたと理解できる。少なくとも一般的な常識の中で生きていくには困らないように、育ててもらえたから。
ただ、私の自分の中に在る彼への愛情も何処か歪で、この人に正しく愛情は伝えられなかったのだろう。
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