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発病
72.
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《こっちは相変わらずだ。で、最近はどうなんだ?ちゃんとしてんのか?ん?》
それは久々の交流。自分には特に変化はないと相手は言いながら、当然のようにアキコを気遣う様子をうかがわせて言う。独特の言い回しだけど時折こうして相談事に乗ってくれるこの相手は、表立っては立派なサディストというわりにアキコとの会話では凄く優しい人間だ。
《ちゃんとしてるって、何を?》
《そりゃ、婚約したんなら毎日するだろ?ん?》
《下ネタ?》
《上のネタはねぇなぁ?兎も角よ、うまくやれてるか?辛くねぇか?ん?》
声も聞いたことはないし会ったわけでもないし、ただの文字列にそう感じるのは経験を考えても早計。それはもう分かっているが既に年単位で、この相手とこうして性的な訳でもない交流を続けている。アキコの身の回りのことも相手のことも、実際には互いに殆ど何一つ知らない。それでも彼はリエと名乗る一人の人物が体内に奇妙な感覚を持っているのを知っていて、同時にアキコがフィと名乗ってきた男と交際を続けているのを知っている。そして感情が一部欠落していると自分を評していう彼は、客観的にアキコの疑問に答えてもくれる相手だ。お陰で他の人間と話すのとは違って、時には客観的な判断に気が楽になることもあるのだ。
《よく分からないけど、まあまあ落ち着いてしうまくやれてる。》
《まだ蠢くか?蛇。》
《最近はそうでもないけど。》
《そりゃ何より、やっぱあれだな?欲求の現れなんじゃねぇか?蛇。》
《かもしれない……と思うこともあるよ。》
話している内に互いに敬語ではなくなったが、相手はその方が面倒がなくて楽でいいという。それが本来の話し方ならその方がアキコも気楽だろといい、いつの間にか二人はこんな風にチャットをするようになった。それもSMのサイトのオープンチャットではなく、個室でまるで性的な臭いのしないある意味では親友とするような開けっ広げな会話だ。
《最近の映画は見たのか?ほら、あの魔法使いがなんとかって有名なんだろ?》
《大分前だよ?それって。トノは観に行ったの?》
《はは、絶対に行かねぇなぁ、ファンタジーはどうもな。ホラーの方が楽しめる。》
まるで友人か、下手をすると兄妹のような会話。そして相手はアキコの話を妄想だと決めつけもせず、アキコの話をただ聞いてもくれる。実はシュンイチにすら話さないことも、彼にはつい話してしまうことがあるのだ。
《………………私のせいなのかなぁ。》
《馬鹿言うな。相手の勝手な感情までお前の責任じゃねぇよ。》
いつも冷静な相手が即答でこう答えてくれるのに、少し安堵してしまう。
暗がりで襲われかけて守っても貰えず、必死でやって来た筈の仕事を辞めさせられる。勿論シュンイチにもアキコが悪いのではないといわれたが、トノが言うのが違うのは客観性が高いからかもしれない。彼は全ての話を聞いて、相手のした行動は相手が勝手に思考し行ったことで相手に全て責任があって、アキコの責任ではないがアキコは自己防衛はしないとなと言った。勿論上司である人間にお茶を出すことも血圧を測ることも、特別とは言いきれないし何も悪いことではない。だが看護助手が一人で先にその場を避けたのは確実に理由があったからだろと、他の誰もが指摘しなかった点をあげてこう言うのだ。
《理由?》
《休憩時間削ってでも、そこから自分が逃げ出さないとならない理由さ。》
そう言われてアキコも初めて、あの時の看護助手がナースコールも鳴ってもいなかったのに休憩時間を削っていたという違和感に気がつく。二交代の当直の時間は、正直かなり長い。夕方十七時から朝の九時までの十六時間で、仮眠をなんとか取れれたとしても一時間。ちゃんと休憩はとっていないと朝まではかなりキツいのに、看護助手はその休憩を削ってまで休憩出来る部屋から出ていった。
《最初から分かってた?》
《じゃなきゃ経験があるか、だな。》
経験していた。相手の看護助手はアキコより長い期間あの病院で勤めていて、同じようなことが繰り返されていたのは看護師長の様子らかも明かだ。
《リエのことそいつが狙ってるの知ってたんだろ、でも止められないから自分は見ないでいられるようにした。》
一緒の夜勤の看護助手は何年も勤めていたベテラン。ベテランだからこそ休憩はきっちりしているのに、あえて逃げたのは罪悪感を感じたくないから見ないで済むようにしたということか。
《…………見たら罪悪感があるってことだろ?今までに何回か似た状況にあたってんだな。多分。》
《納得。》
そして看護助手がこれについて何も言わないのは、今後もそこで働き続けるため自分自身の身を守る方法でもあるに違いない。それを今更どうこうするつもりはないが、自分がその立場になったらどうするだろうとは考えてしまう。見ないふりで知らぬ顔をして勤められるだろうか?
《まぁどちらにせよ、そんなとこ辞めとけ。》
《もう辞めさせられたよ、慰謝料って百八十万貰ってさ。》
少ねぇなと書き込まれた文字に思わず笑いたくなるのは、数ヵ月分に値する慰謝料の金額にシュンイチも同じ反応をしたからだ。アキが傷つけられた気持ちがそんなに安く済むなんて!そういって怒ったシュンイチに、こうしてネット越しの友人も冗談めかして怒ってもくれる。
《俺かクボに言えば、倍はとってやったぞ?ん?》
《お金がほしい訳じゃないから。》
《金じゃねぇよ、可愛いリエを苛めた対価だろ。ま、そんなとこ辞めて正解だ。》
こうして相手の言い種に、笑いたくなるようになれたのはいい傾向。彼のいう通り、もしそのまま勤めたとして結婚したアキコに相手がなにもしないとは言えないし、そのストレスに我慢しながら仕事はできない。結果としたら最初からもうあの場所では働けないのは、明らかだったのだ。それを戻れるかもと考えたのはアキコが、浅はかだっただけ。
《で?嫁になるんだろ?フィの。》
その通り、結納もすませて今のアキコは、完全にシュンイチの婚約者なのだ。
《結婚ってどう?》
《俺に聞くなよ、今は居ねぇんだから。》
《でも、経験者でしょ?》
実はトノは既婚者で、妻が既に亡くなったのは以前聞いていた。アキコとそれほど年のかわりないというトノは、自分の妻の死はあまり人には話せるようなものではなかったとだけ話す。
多分事故とか……事件とか?
でもアキコにそれを話す理由はないし、それ以上はアキコの方も深くは追求はしていない。トノは感情が欠落してると前から自分で言っていたが、そんな彼の結婚生活はどうだったのだろうと疑問に思う。
《どうかね……、俺にはわかんねえな。俺は…………それでいいと考えてたけど、相手はそうは思ってなかった訳だからな。》
文字の向こうに苦い笑いを感じながら、アキコはその文字を読む。
《お前は一緒にいたいと思うか?フィと。》
《うん……一緒にいたいと思う。》
《なら、そうすればいい。そう思わなくなったら、俺んとこにくるか?存分に可愛がってやるぞ?ん?》
冗談めかしてそんなことを言うトノに、アキコは思わず笑う。もし最初に選んだのかフィではなくトノだったとしたら、アキコは今どうなっていただろうと考えることはある。
最初にあのサイトで出会った時は少し怖い印象で得体の知れない現実でもSMの調教師だというトノは、何時も人をくったような話し方をしていて言葉をはぐらかしているように感じていたのだ。だから率直に話してくれるフィを選んでいたけれど、こうして長く付き合って話しているとトノは本当はとても優しい。自分がどんな人間か自分で分かっているから直ぐには人を近づけないようにしているのだけれど、慣れてしまうと話題も豊富だしアキコと同じで言葉の裏側までを察するのが異様に早いのだ。
《そうだね。最悪駄目になったら、飼ってもらおうかなぁ。》
《はは、最悪って来る気がねぇっていってるのと同じだぞ?ん?》
この会話だって分かっていて彼は言っている。アキコがシュンイチを諦めて自分のところに来る筈がないと知っていて、冗談めかして彼は言っているのだ。
《まあ、何かあったらよ?何時でも相談しろ。男のことは男に聞いた方が早いこともあるんだからな?一人で悩むなよ。リエ。》
《うん、ありがとう。また、連絡するね。》
《おう、蛇が出たら満足するまで相手してやってもいいからな。》
トノだったらどうだったんだろう。また同じ考えが苦く微笑みと一緒に浮かんだのに、アキコは微かに溜め息を溢していた。そんなことを考えるのは無意味だと理解していて、それでも考えてしまうのは蛇のことも影のこともシュンイチには言えていないからだ。
トノには言えるのに、シュンイチさんには言えない
これが言えたからいいというわけではないけれど、隠し事はなるべくなら無い方がいい。それが分かっていても言えないのは、もし全てを話してしまった後に過去のように『きちがい』と罵られるのが怖いのだ。
結局は仕事を直ぐ探す気持ちにはなれなかった。あんなに確かめて就職して上手く働いていたのに、前は患者で次は医者。食欲もなくて暫くは家から出るのも嫌になってしまう。そんなアキコをシュンイチは思っていたよりも、ずっと献身的に支えてくれていた。
「アキ、出掛けないか?」
「……ん。」
そしてそれにシュンイチの方も何度も根気よく誘って、一緒に映画に行ったり気晴らしにドライブに行ったりしてくれた。本当ならシュンイチは苦手なホラー映画にも一緒に行こうと誘ってくれて、近郊のシネコンになるべく人の少ない時間を選んで連れていってくれる。
「ホラー…………苦手でしょ?」
「に、苦手。だから、アキが手を繋いでて?」
思わずその言葉に笑うアキコにシュンイチは少し嬉しそうに微笑んで、映画中本気で手を握ったまま過ごしたりもした。一緒にいたいし、こうして傍にいるのが幸せだと思える。それだけで本当は十分なのだし、同時に自分の中の蛇も身の回りにまとわりつく影もシュンイチとは均衡を保っている気がした。
「アキ、あのお店行かないか?」
「うん。」
二人で並んで手を繋いで歩いていることが少しずつ普通になっていくのと、対になるようにセックスの時は酷く淫らで普通ではないことをする。それで互いが均衡を保っているのだと思えば、上手くいきそうだと思う。手を引かれてセクシーランジェリーの店に連れ込まれるのに苦笑いしながらアキコが見上げると、手を繋いだシュンイチの方はだってアキに似合うのがあるんだよと不貞腐れてみせる。
※※※
折角また天使のように笑うアキコを取り戻した途端、アキコは心ない医者のせいでまた一人でひっそりと泣くようになってしまった。過食嘔吐も困るが今度はまるで本当に食べなくなってしまって、シュンイチの分だけ食事を作って自分は食べないでいたりする。
「アキ、一緒に食べよう?」
「うん、……でも今食欲ないの、あとで食べるから。」
そう言うがあとで何かを食べる気配はないし、大体にしてアキコが一人分しか作らなかったのを知っている。それにしても自分が料理ができないのはかなり痛くて、アキコが食べそうなものを知らない自分にもガッカリしてしまう。アキコは基本的には和食の方が好きだと薄々分かってはいたが、自分に作れるとしたらパスタくらいなもので大して種類もない。それでも少しでも食べるかとスイーツを買ってきてみたり、一緒に外に出て軽くでも食事をしたり。
それでも大分痩せてしまった体を抱き締めてみると、もう少し肉付きがいいほうがなんて感じてしまう。これ以上は痩せなくていいし、前みたいに可愛く笑ってほしい。そう伝えるには、何がいいのか分からないでいる。
「ヤハタさん、何か相手が喜ぶことってありますか?」
「そりゃお前、結納したんだろ?その先の事進めるのが一番だよ。」
「その先ですか?」
職場の上司ヤハタに問いかけると、コバヤカワやコイズミも何やかにやと案を出してくれる。以前ならアキコに絡むなと考えもしたけれど、アキコは自分と結婚すると結納もして完全にシュンイチのものだと感じるから今ではそう不安もない。
「ねぇさん、大丈夫?ヤネちゃん。」
「少しずつ元気にはなってるけどな。まだ、あんまり笑わない。」
「そっか……お見舞い何か持ってこっか?何が好きなの?」
いや、逆に気を使うからいいよと答えると、コバヤカワは至極簡単にそうかと納得する。余りにも簡単に納得するのに、なるほどアキコはそ言う風に皆にみられるほど、周囲に気を使ってくれていたんだとも思うのだつ。だから、一念発起して、自分なりに必死に考えた。
それは久々の交流。自分には特に変化はないと相手は言いながら、当然のようにアキコを気遣う様子をうかがわせて言う。独特の言い回しだけど時折こうして相談事に乗ってくれるこの相手は、表立っては立派なサディストというわりにアキコとの会話では凄く優しい人間だ。
《ちゃんとしてるって、何を?》
《そりゃ、婚約したんなら毎日するだろ?ん?》
《下ネタ?》
《上のネタはねぇなぁ?兎も角よ、うまくやれてるか?辛くねぇか?ん?》
声も聞いたことはないし会ったわけでもないし、ただの文字列にそう感じるのは経験を考えても早計。それはもう分かっているが既に年単位で、この相手とこうして性的な訳でもない交流を続けている。アキコの身の回りのことも相手のことも、実際には互いに殆ど何一つ知らない。それでも彼はリエと名乗る一人の人物が体内に奇妙な感覚を持っているのを知っていて、同時にアキコがフィと名乗ってきた男と交際を続けているのを知っている。そして感情が一部欠落していると自分を評していう彼は、客観的にアキコの疑問に答えてもくれる相手だ。お陰で他の人間と話すのとは違って、時には客観的な判断に気が楽になることもあるのだ。
《よく分からないけど、まあまあ落ち着いてしうまくやれてる。》
《まだ蠢くか?蛇。》
《最近はそうでもないけど。》
《そりゃ何より、やっぱあれだな?欲求の現れなんじゃねぇか?蛇。》
《かもしれない……と思うこともあるよ。》
話している内に互いに敬語ではなくなったが、相手はその方が面倒がなくて楽でいいという。それが本来の話し方ならその方がアキコも気楽だろといい、いつの間にか二人はこんな風にチャットをするようになった。それもSMのサイトのオープンチャットではなく、個室でまるで性的な臭いのしないある意味では親友とするような開けっ広げな会話だ。
《最近の映画は見たのか?ほら、あの魔法使いがなんとかって有名なんだろ?》
《大分前だよ?それって。トノは観に行ったの?》
《はは、絶対に行かねぇなぁ、ファンタジーはどうもな。ホラーの方が楽しめる。》
まるで友人か、下手をすると兄妹のような会話。そして相手はアキコの話を妄想だと決めつけもせず、アキコの話をただ聞いてもくれる。実はシュンイチにすら話さないことも、彼にはつい話してしまうことがあるのだ。
《………………私のせいなのかなぁ。》
《馬鹿言うな。相手の勝手な感情までお前の責任じゃねぇよ。》
いつも冷静な相手が即答でこう答えてくれるのに、少し安堵してしまう。
暗がりで襲われかけて守っても貰えず、必死でやって来た筈の仕事を辞めさせられる。勿論シュンイチにもアキコが悪いのではないといわれたが、トノが言うのが違うのは客観性が高いからかもしれない。彼は全ての話を聞いて、相手のした行動は相手が勝手に思考し行ったことで相手に全て責任があって、アキコの責任ではないがアキコは自己防衛はしないとなと言った。勿論上司である人間にお茶を出すことも血圧を測ることも、特別とは言いきれないし何も悪いことではない。だが看護助手が一人で先にその場を避けたのは確実に理由があったからだろと、他の誰もが指摘しなかった点をあげてこう言うのだ。
《理由?》
《休憩時間削ってでも、そこから自分が逃げ出さないとならない理由さ。》
そう言われてアキコも初めて、あの時の看護助手がナースコールも鳴ってもいなかったのに休憩時間を削っていたという違和感に気がつく。二交代の当直の時間は、正直かなり長い。夕方十七時から朝の九時までの十六時間で、仮眠をなんとか取れれたとしても一時間。ちゃんと休憩はとっていないと朝まではかなりキツいのに、看護助手はその休憩を削ってまで休憩出来る部屋から出ていった。
《最初から分かってた?》
《じゃなきゃ経験があるか、だな。》
経験していた。相手の看護助手はアキコより長い期間あの病院で勤めていて、同じようなことが繰り返されていたのは看護師長の様子らかも明かだ。
《リエのことそいつが狙ってるの知ってたんだろ、でも止められないから自分は見ないでいられるようにした。》
一緒の夜勤の看護助手は何年も勤めていたベテラン。ベテランだからこそ休憩はきっちりしているのに、あえて逃げたのは罪悪感を感じたくないから見ないで済むようにしたということか。
《…………見たら罪悪感があるってことだろ?今までに何回か似た状況にあたってんだな。多分。》
《納得。》
そして看護助手がこれについて何も言わないのは、今後もそこで働き続けるため自分自身の身を守る方法でもあるに違いない。それを今更どうこうするつもりはないが、自分がその立場になったらどうするだろうとは考えてしまう。見ないふりで知らぬ顔をして勤められるだろうか?
《まぁどちらにせよ、そんなとこ辞めとけ。》
《もう辞めさせられたよ、慰謝料って百八十万貰ってさ。》
少ねぇなと書き込まれた文字に思わず笑いたくなるのは、数ヵ月分に値する慰謝料の金額にシュンイチも同じ反応をしたからだ。アキが傷つけられた気持ちがそんなに安く済むなんて!そういって怒ったシュンイチに、こうしてネット越しの友人も冗談めかして怒ってもくれる。
《俺かクボに言えば、倍はとってやったぞ?ん?》
《お金がほしい訳じゃないから。》
《金じゃねぇよ、可愛いリエを苛めた対価だろ。ま、そんなとこ辞めて正解だ。》
こうして相手の言い種に、笑いたくなるようになれたのはいい傾向。彼のいう通り、もしそのまま勤めたとして結婚したアキコに相手がなにもしないとは言えないし、そのストレスに我慢しながら仕事はできない。結果としたら最初からもうあの場所では働けないのは、明らかだったのだ。それを戻れるかもと考えたのはアキコが、浅はかだっただけ。
《で?嫁になるんだろ?フィの。》
その通り、結納もすませて今のアキコは、完全にシュンイチの婚約者なのだ。
《結婚ってどう?》
《俺に聞くなよ、今は居ねぇんだから。》
《でも、経験者でしょ?》
実はトノは既婚者で、妻が既に亡くなったのは以前聞いていた。アキコとそれほど年のかわりないというトノは、自分の妻の死はあまり人には話せるようなものではなかったとだけ話す。
多分事故とか……事件とか?
でもアキコにそれを話す理由はないし、それ以上はアキコの方も深くは追求はしていない。トノは感情が欠落してると前から自分で言っていたが、そんな彼の結婚生活はどうだったのだろうと疑問に思う。
《どうかね……、俺にはわかんねえな。俺は…………それでいいと考えてたけど、相手はそうは思ってなかった訳だからな。》
文字の向こうに苦い笑いを感じながら、アキコはその文字を読む。
《お前は一緒にいたいと思うか?フィと。》
《うん……一緒にいたいと思う。》
《なら、そうすればいい。そう思わなくなったら、俺んとこにくるか?存分に可愛がってやるぞ?ん?》
冗談めかしてそんなことを言うトノに、アキコは思わず笑う。もし最初に選んだのかフィではなくトノだったとしたら、アキコは今どうなっていただろうと考えることはある。
最初にあのサイトで出会った時は少し怖い印象で得体の知れない現実でもSMの調教師だというトノは、何時も人をくったような話し方をしていて言葉をはぐらかしているように感じていたのだ。だから率直に話してくれるフィを選んでいたけれど、こうして長く付き合って話しているとトノは本当はとても優しい。自分がどんな人間か自分で分かっているから直ぐには人を近づけないようにしているのだけれど、慣れてしまうと話題も豊富だしアキコと同じで言葉の裏側までを察するのが異様に早いのだ。
《そうだね。最悪駄目になったら、飼ってもらおうかなぁ。》
《はは、最悪って来る気がねぇっていってるのと同じだぞ?ん?》
この会話だって分かっていて彼は言っている。アキコがシュンイチを諦めて自分のところに来る筈がないと知っていて、冗談めかして彼は言っているのだ。
《まあ、何かあったらよ?何時でも相談しろ。男のことは男に聞いた方が早いこともあるんだからな?一人で悩むなよ。リエ。》
《うん、ありがとう。また、連絡するね。》
《おう、蛇が出たら満足するまで相手してやってもいいからな。》
トノだったらどうだったんだろう。また同じ考えが苦く微笑みと一緒に浮かんだのに、アキコは微かに溜め息を溢していた。そんなことを考えるのは無意味だと理解していて、それでも考えてしまうのは蛇のことも影のこともシュンイチには言えていないからだ。
トノには言えるのに、シュンイチさんには言えない
これが言えたからいいというわけではないけれど、隠し事はなるべくなら無い方がいい。それが分かっていても言えないのは、もし全てを話してしまった後に過去のように『きちがい』と罵られるのが怖いのだ。
結局は仕事を直ぐ探す気持ちにはなれなかった。あんなに確かめて就職して上手く働いていたのに、前は患者で次は医者。食欲もなくて暫くは家から出るのも嫌になってしまう。そんなアキコをシュンイチは思っていたよりも、ずっと献身的に支えてくれていた。
「アキ、出掛けないか?」
「……ん。」
そしてそれにシュンイチの方も何度も根気よく誘って、一緒に映画に行ったり気晴らしにドライブに行ったりしてくれた。本当ならシュンイチは苦手なホラー映画にも一緒に行こうと誘ってくれて、近郊のシネコンになるべく人の少ない時間を選んで連れていってくれる。
「ホラー…………苦手でしょ?」
「に、苦手。だから、アキが手を繋いでて?」
思わずその言葉に笑うアキコにシュンイチは少し嬉しそうに微笑んで、映画中本気で手を握ったまま過ごしたりもした。一緒にいたいし、こうして傍にいるのが幸せだと思える。それだけで本当は十分なのだし、同時に自分の中の蛇も身の回りにまとわりつく影もシュンイチとは均衡を保っている気がした。
「アキ、あのお店行かないか?」
「うん。」
二人で並んで手を繋いで歩いていることが少しずつ普通になっていくのと、対になるようにセックスの時は酷く淫らで普通ではないことをする。それで互いが均衡を保っているのだと思えば、上手くいきそうだと思う。手を引かれてセクシーランジェリーの店に連れ込まれるのに苦笑いしながらアキコが見上げると、手を繋いだシュンイチの方はだってアキに似合うのがあるんだよと不貞腐れてみせる。
※※※
折角また天使のように笑うアキコを取り戻した途端、アキコは心ない医者のせいでまた一人でひっそりと泣くようになってしまった。過食嘔吐も困るが今度はまるで本当に食べなくなってしまって、シュンイチの分だけ食事を作って自分は食べないでいたりする。
「アキ、一緒に食べよう?」
「うん、……でも今食欲ないの、あとで食べるから。」
そう言うがあとで何かを食べる気配はないし、大体にしてアキコが一人分しか作らなかったのを知っている。それにしても自分が料理ができないのはかなり痛くて、アキコが食べそうなものを知らない自分にもガッカリしてしまう。アキコは基本的には和食の方が好きだと薄々分かってはいたが、自分に作れるとしたらパスタくらいなもので大して種類もない。それでも少しでも食べるかとスイーツを買ってきてみたり、一緒に外に出て軽くでも食事をしたり。
それでも大分痩せてしまった体を抱き締めてみると、もう少し肉付きがいいほうがなんて感じてしまう。これ以上は痩せなくていいし、前みたいに可愛く笑ってほしい。そう伝えるには、何がいいのか分からないでいる。
「ヤハタさん、何か相手が喜ぶことってありますか?」
「そりゃお前、結納したんだろ?その先の事進めるのが一番だよ。」
「その先ですか?」
職場の上司ヤハタに問いかけると、コバヤカワやコイズミも何やかにやと案を出してくれる。以前ならアキコに絡むなと考えもしたけれど、アキコは自分と結婚すると結納もして完全にシュンイチのものだと感じるから今ではそう不安もない。
「ねぇさん、大丈夫?ヤネちゃん。」
「少しずつ元気にはなってるけどな。まだ、あんまり笑わない。」
「そっか……お見舞い何か持ってこっか?何が好きなの?」
いや、逆に気を使うからいいよと答えると、コバヤカワは至極簡単にそうかと納得する。余りにも簡単に納得するのに、なるほどアキコはそ言う風に皆にみられるほど、周囲に気を使ってくれていたんだとも思うのだつ。だから、一念発起して、自分なりに必死に考えた。
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