鵺の哭く刻

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予後

161.

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「ねぇ、アキコ。ちゃんとゴハン食べてる?」

唐突に背後から歩み寄ってきたミウラカズキが、アキコの顔を肩越しに覗きこみ心配そうに問いかけてくる。殺人鬼と二人きりだという指摘は終われなくとも分かっているが、一度もカズキが誰かを傷つける姿を見たことがないアキコとしては、こうして常に人懐っこくちょっかいを出してくる甘えたがりのカズキしか知らない。そう言う意味ではただの年相応の甘えたがりの青年にしか見えないから、本当に人の言うような凶悪な殺人犯とは思えないでいる。ただただ整った顔をした人懐っこい子としか思えないのに、世のニュースを密かに調べてみるとカズキは既に都市伝説級の化け物扱いだ。女に化けるとか、手足を引きちぎるとか、眉唾物の話しとしか思えないのはヤンキー位には見えなくもないけど、どう見ても男の子なのに女に化けるは信憑性が低い。それに手足を引きちぎるなんて簡単に出来る話じゃないのだから、笑ってしまう。以前殺してしまった相手の話しを聞いたら、

えっと、殴ったら倒れて、カウンターに頭打った奴いたよ

と記憶に残っている話をしてくれた。まぁ、現場を見たわけでもないしカズキがしたという殺人現場に忍び込んだことがないわけでもないが、以前はリュウヘイの部下が手助けしていたこともあるから尾ひれはひれがつきまくっている気がしなくもない。何しろ手伝うって言って持ち上げた買い物袋を足に落として悶絶しているようなドジなんか、カズキはしょっちゅうなのだ。それにしてもネットニュースの尾ひれはひれには人の事は言えないが、妖怪か魑魅魍魎とかホラー映画のような化け物扱いの情報にはあきれてしまう。何度も言うが目の前にいる当のカズキはただの記憶のないだけの甘えたがりの普通の青年にしか見えないし、それを言ったらよっぽど自分の方がその存在に近い。

「一緒に食べてるでしょ?」
「だって痩せたよ?ほら。」

ほらと言いながら背後から抱き締められたのにホントにこの親子は予期させないわけわかんない行動するわねと、ペチンと頭を叩いてこういうことは好きな子にしなさいと説教めいた口調で言う。そうそう、こんな風にアキコに叩かれても別に怒ることもなくて、甘えたなカズキはそのまま背後から抱き締めた手を離しもしない。リュウヘイといいカズキといい、交際相手とかの女性なら兎も角、この態度は母親や祖母に対する態度としては間違っている。それなのに頭を叩かれたのにカズキはまだ甘えたいのか背を丸めて、背後から腰の辺りを抱き締めたまま肩に顎をのせて不貞腐れた顔をする。

「ちゃんと好きだからやってるよ、俺アキコのこと好きだもん。」

全くもって理解に苦しむのは、ほぼ同じ年のリュウヘイに言われるなら兎も角、アキコは既に四十路でカズキは二回り迄は行かないがかなり年が離れている・所謂おばさんなのだ。しかもミウラカズキは元々病院から逃げ出した一番の理由は、マナカオルという女性を探すことだった。マナカオルという女性は、カズキをこんな風に変えた張本人で密かにまだ探し続けてもいて、こんな風に人におばさんに好きとか言っている場合じゃない。

「あんたが好きなのはかおるちゃんでしょ?」
「かおるも好きだけど、違う意味でアキコも好きだよ。好き。」

カズキを殺人鬼に変えてしまったという女性・マナカオル。その話は以前にリュウヘイから全て聞いていたから、大体のことははアキコも実は知っていた。ただ現状ではマナカオルの本当の狙いがなんだったかはリュウヘイにも分からなかったし、マナカオルとは偽名で当人はまるで別人のように結婚して既に子供ができ旦那と仲良く暮らしているのだ。しかもリュウヘイがマナカオル当人に密かに探りをいれても、マナカオルのこと自体を当人が覚えていないらしかった。リュウヘイはもしかしたら多重人格かもなんて苦笑いしていたが、リュウヘイが探りをいれても全く反応しないならその可能性は高いとアキコも思う。何しろリュウヘイと来たら、自分は嘘を完璧について見抜かれないだけあって人の嘘を見抜くのだけは抜群に賢しい。

記憶障害ってのは便利な言葉だよな。

リュウヘイとアキコは各々自分の能力に記憶力便りの面が強いから記憶障害なんてとんでもないと思うのだが、嫌なことをキレイサッパリ忘れるということは普通の人間には割合多くあることだ。忘れるということは、人間に与えられた恩恵の一つでもある。忘れられなければ堪えられないこともあって中学生のアキコ自身も虐めの後に記憶障害を起こしたこともあるのだ。そして現実としてどんなに探しても、現在はマナカオルと言う人物が既にこの世界に存在しないのは事実だった。

もしかしたらカズキの仲間に酷い目にあわされた女だったのかもな。

その復讐のためにカズキを手駒にして他の男達に仕返しさせたのかもとリュウヘイは言うが、真実はもう全て闇の中だしカズキが顔も覚えていないのにマナカオルをいつまでも探し続けているのも確かだ。彼女に何か酷いことをしたと言う意識かあるからなのか、カズキは彼女を探して彼女に自分を殺して欲しいと願っているとアキコにはなしていた。そうして彼女を探すことを生きる支えにしているカズキが、もしマナカオルがこの世にはいないと知ったら死んでしまいそうだから、リュウヘイもアキコもそれはあえて言わないことにしたのだ。

「ハイハイ、カズキはおばあちゃんが大好きだもんね。」
「アキコのことおばあちゃんだなんて、俺考えてないってば。おかしいでしょ、こんなピチピチの可愛いお婆ちゃん。」

カズキの力が強いのは若いからと言うよりも色々と脳の機能的な障害で少し力加減が分からないからで、苦しいよと言ってもほんの少しだけしか抱き締める力を緩めてくれない。甘えたくて離したくないと言いたげな行動は若い恋人同士なら兎も角、十八も離れた若い男の子にされてもねぇとアキコが溜め息混じり言うとカズキは尚更不満顔になった。

「アキコは俺じゃ駄目?顔も身体も先ず先ずでしょ?」
「身体って表現は止めなさい。」
「え?お風呂にも一緒にはいったもん、身体見たでしょ?」

確かに病院から逃げ出して直ぐは、カズキは一人で風呂にも入れなくて何もかもアキコにやって貰っていた。それにしても記憶障害の癖になんでそう言うところは忘れないのか呆れてしまうけれど、それにしたって日常生活の動作を教えるために手本を見せるしかなかっただけだ。

「カズキがシャンプーで遊んでびしょ濡れにしたからでしょ、あれは。」
「もー、アキコは俺のことどう思ってるのー!俺、結構いけてるでしょ?!嫌いなのー?!」
「はいはい、好きよ?可愛い孫というか、可愛い我が子だもの。」
「そうじゃなくてさぁ?もぉアキコってばぁ。」

カズキは抱き締めたまま、今は何でも出来るしエッチだって出来るなんて訳の分からない事で尚更不貞腐れる。人懐っこい甘えたがりの殺人鬼・警察に逮捕させれば事は簡単だろうが、実は二年前に警察に逮捕された後から病院を逃げ出す迄被害者の親族という警察官を含めた多人数から性的暴行を受け続けているのも知っている。それを聞くとこの可哀相な殺人鬼は性的暴行をした相手しか殺していないのだと聞いてもいて、ネットニュースの尾ひれはひれは何処まで信じていいか分からないがなおのこと困ってしまう。

どうしたら……いいのかしら。

ずっと逃がし続けて、新たに人を殺すとしたらと考えると悩みはする。それでもこうして甘えたがりの姿を見ていると、アキコは本当にカズキが人を殺せるのかと疑問に感じてしまうのだ。どれが本当なのか考えてしまうし可愛いという言葉には嘘がなくて、もしカズキが自分の前で死んだりしたら自分の胸は完全に張り裂けてしまうに違いない。

「ねぇ、アキコ?聞いてるー?」
「聞いてるけど、離してちょうだい。おばあちゃん、ご飯がつくれないのよ。」
「だーかーらー!おばあちゃんじゃないでしょ?!」

チリと何故かあの時感じたのと同じ気配を肌に感じて、不意にアキコは肩越しに振り返りカズキのことを真正面に見る。振り返ってくれたのが嬉しいのかニッコリ微笑みかけるカズキには、靄どころか滓の気配もなくて純真無垢そのもの。

…………その気なら、構わねえぞ?

不意に皮肉めいた声が体内に響くのに、アキコは眉を潜めてしまう。傷一つつけずに体内に納めたロクデナシの息子の魂は、まだ体内で少しだけアキコに向かってこうして語りかけてくることがあって。

「馬鹿なこといわないの。」
「え?」

あんたに言ったんじゃないわと微笑んでしまうが、リュウヘイの魂が言うのはそのつもりならカズキと寝てもいいなんて馬鹿なことなのだ。
リュウヘイの魂を体内に納めてからアキコは、一度も誰とも肌を合わせることもなければ滓を取り込むこともしていない。以前も土蔵に閉じ込めていたヤネオシュンイチの魂から滓を取り込めなくなった時は、二年ちょっとは空腹で窶れはしたけれど生きていられた。それでも堪えきれずにこの街に戻って直ぐ出逢ったリュウヘイから滓を与えらて、思わず本性を出してしまったのがリュウヘイとの付き合いの発端だったりする。でも今回のアキコはリュウヘイが死んで、何日もあり得ない程に哭き続けてもいて、既に空腹ではあるのだ。それでもアキコは滓を集めようと哭く訳にはいかないし、リュウヘイのために嘆いたあの哭き声が何を引き起こすか心配もしている。

だったら、こいつとでも

だから、そうじゃない。誰とでもしたい訳じゃないしリュウヘイがいないならカズキでいいなんて簡単なことでもないのだとアキコが心の中で文句をつけてやると、何故か体内のリュウヘイの魂は少し嬉しそうに笑うのが聞こえる。

「アキコ?どしたの?」
「何でもないわ、痩せたと思うんなら、食事つくらせて?ほら、離して。」

全くもって困った親子だと思うけれど、何でかカズキに妙に懐かれてもいるのも分かっているし、カズキにはもう誰も頼れるような人間がいないのだ。カズキの育ての親は既に片親が病死していて、残った父親は田舎に引っ込んで殆んどこちらには帰ってこない。カズキのニュースが出るとマスコミに追いかけ回され仕事も何もかもを失っているのだし、後からカズキが自分の血が繋がっていないという真実も知ってしまったという。

血縁でなければ…………捨てて言い訳じゃないけどね…………

でも、血の繋がらない子供が稀代の殺人鬼だとしたら、逃げ出してしまいたくなるのも分かるだろと、皮肉めいた口調で魂が少しだけ声を落として呟く。体内に納めて吸収されつつある筈なのに随分と以前に比べて饒舌になった気がするのは、逆に肉体なんていう壁が取り払われたからなのかもしれない。

滓を食べたら…………この状態を維持できるんなら考えてもいいけどね…………

そんな訳の分からないことを考えてしまう自分に、アキコは少しだけ目を丸くして手を止めていた。

「どうしたの?何か手伝う?」
「あ、ええ、そうね、お皿だしてくれる?カズキ。」

手を止めたアキコに、カズキは素直にうんと頷いて食器棚にスルリと歩み寄る。足音のない特徴的な動き方はリュウヘイと同じで、リュウヘイが身に付けたものは全てカズキは受け継いでいた。それでもカズキはリュウヘイではないし、そのリュウヘイの魂は確かに自分の体内にあって次第に自分に吸収されていく。鵺が望んで魂としてリュウヘイを喰ってしまったのだから何時かは吸収しつくして消え去ってしまう筈なのに、それを引き延ばそうなんて馬鹿げたことだ。そう分かっている筈なのに、喪失感から立ち直れもせず、滓を食べることも止めて、次第に身が細り窶れかけている理由。

それを知ったら…………



※※※



次第にその身体から放たれる悪臭が強くなっているのを、密かにモギコウタは感じ取ってもいた。奇妙な事だけどその長い付き合いの友人でもある男はここ数ヵ月で別人のように見えていて、モギは遠目に見かけたその男に友人として声をかけるのを止めてしまう。

ヤネオシュンイチ

以前は週に何回もつるんで一緒に飲み歩いたり女を紹介されて皆で乱交としけ込んだりもした筈の男は、別人のように萎れて年老いて見える。しかも、まるで体内から腐り続けていくみたいに、その身体から放つ悪臭が強くなっているのだ。既にすれ違う人間が異臭の出本を探して振り返るほどになりつつあるヤネオは、常にあの奥歯を噛んで歯を剥き出す顔を浮かべていて異様さを増している。

声かけて友達だと思われるのもやだしな……

もう一人の友人のサダトモハルイチが一緒にいたら、迷わずサダトモはヤネオに話しかけるのは分かっているが、モギ一人の時には余り関わりたくないと感じ始めている。何しろヤネオが去年自分の雌奴隷だからと紹介した女子高生が、密かに妊娠して流産した事件からというもののヤネオの話を何処まで信用して良いか分からなくなり始めているからだ。そんなわけで少しずつ距離を置きつつあるモギはサダトモもヤネオと距離を置くべきだと実は考え始めていて、そんなことを考えながら帰り道途中の自動販売機に何気なく歩み寄っていたのだった。
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