フォークロア・ゲート

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地の崖の妖精の村

17.リリア・フラウ

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目を開いた時真っ先に目に入ったのは、古ぼけた木の壁と射し込む目映い日の光だった。

あら、私いつの間に眠っていたの。

ボンヤリとそう心の中で呟き、草臥れた体を起こす。リリアが再び寝ていたのは、あの古ぼけた家の中の古いカウチの上だった。

どうして私カウチで寝ているの?

暫くしてくすんだ窓ガラスの外に見える見覚えのある建物が、カウフマンの店なのに気がつく。昨日と同じ目覚め方に、リリアは自分は井戸に落ちた筈と呆然とする。あれは午後の事だった筈だけど、今は朝日が差し込んでいた。またもや、半日も奇妙な世界に迷いこむ夢をみたらしい。いや、あれは本当に夢なのだろうか、夢にしては余りにも鮮明ではないか。そう考えながら、リリアは再び無いと分かっていながらポケットを探る。ポケットの中には、古ぼけた銀の鍵が赤いリボンを着けて一つ。

やっぱり時計も林檎もない。でも、本当に夢でないと言いきれるの?

リリアは立ち上がり戸惑いながら扉を開く。朝日に包まれた島の集落はひっそりと人気もなく、それなのに奇妙に人が住んでいるかのように整えられている。微かに今日はジェネラルストアから、音楽が聞こえてくるのに耳を澄ます。音楽は一昨日聞いたのと変わりがないような気がするが、音が反響してしまい確かだとは言えない。

次にあの世界に行ったら何か証明を考えなくちゃ。

自分がおかしくなったのだとは考えたくないが、余りにも続くならその可能性も検証しないとならない。心の中でそう呟きながら、リリアは集落の中を歩き始めた。集落の中程に昨日見つけた井戸が、確かに藪の中にあるのを確認してリリアは辺りを見渡す。井戸の回りには三件の家がある。道を挟んだ一件は除外出来るとして、一番近い家はどっちのことを言うのだろう。井戸を挟んで左右の家の壁はどちらも同じ距離くらいだ。試しに集落の入り口に近い左側の家のポーチに向かったリリアは、恐る恐るノッカーを握る。ドアを叩く硬い音の後に、息を潜めてリリアは耳を澄ます。暫く人の気配を伺ってみたが、返事もないのにリリアは踵を返しかけた。途端微かな乾いた蝶番の音をたてて、背後の扉が僅かに開く。

「誰かいるの?」

恐る恐る声をかけてドアを開くと、リリアはそっと戸口を跨ぐ。そこには埃に光の帯を浮かばせながら、物の少ない生活の気配がする。テーブルの上にはアルバムが開かれていて、その前に椅子に座った一人の女性らしき姿があった。女性らしきというのは顔をトークハットを被り黒い濃いチュールで覆っているからで、体つきや服を見れば女性なのだが人相は分からない。しかも、葬儀の後のように室内なのにチュールをかけているだけでなく、服も黒一色のドレスを着ている。

「どなた?」

嗄れた年老いた女性の声が呟くように問い掛けるのに、リリアはハッとしたように我に帰って彼女を正面から見つめた。

「勝手に入ってごめんなさい、私リリア・フラウといいます。ミスターカウフマンから、マダムがこちらにお住まいだと聞いて。」
「まあ、カウフマンが?珍しいこと。」

老女らしき女性は掠れた声で笑い、黒いレースの手袋をした手をソロリと持ち上げたかと思うと横のソファーを手で指した。

「お座りなさい、ミス・フラウ。私は足が悪いし、耳も遠くなってしまったの、そこからでは聞き取りにくくて。」

ノックが聞こえなかった理由が分かって、リリアは素直に言葉に従ってマダムの横になる場所に腰を下ろした。

「勝手にごめんなさい、ミスター・カウフマンからはマダムとしか伺っていないんです。お名前をお聞きしても?」
「私?私はリューグナーと呼ばれているわ。」

微かにその口ぶりに違和感を感じながらも、リリアは躊躇いがちにマダム・リューグナーに向かって口を開く。

「マダムはずっとこの島に?」
「ええ、夫に嫁いでからずっとここに住んでいるわ。ミス・フラウ。」

肘掛けに乗せられた細い腕が、微かに咳き込む口元に添えられるのを見つめる。どうも体の調子が良さそうには見えない彼女に、リリアは何から聞けばいいのかと思い悩む。

「あの、この島に以前住んでいたロアッソという人をご存じですか?マダム。」

リリアの言葉に濃いチュールが微かに持ち上がったのが分かった。チュールの向こうから痛いほどの視線がリリアの顔を見つめて、彼女は掠れる声で呟いた。

「ごめんなさい、ミス・フラウ。お茶をいれていただける?貴方も良ければ。」

言われるままにリリアはキッチンに立ち、湯を沸かすとポットに紅茶の葉を掬い入れお茶を準備する。その間もずっと見つめるマダムの痛いほど鋭い視線を、背中に感じ続けた。ティーカップを前に差し出すと、マダムはユックリとそれを口に運び微かな吐息をついた。

「随分久々にその名前を聞くわ、ミス・フラウ。」
「ご存じなんですね?マダム。」
「ええ、彼女のせいでこの島は恐怖に包まれたのだから、忘れるはずがないわ。」

予想だにしない言葉にリリアは息を飲んだ。マダムの言う彼女は、自分のことなのか母親の事なのかリリアには想像もつかない。でも、どちらにしても穏やかな話ではないのが、マダムの様子からは感じ取れる。

「恐怖とは?マダム。ロアッソという人は何をしたのですか?」
「ロアッソと言う名の女はハッグという魔女だったのよ、ミス・フラウ。」
「ハッグ?」

聞き覚えのない名前にリリアが問い返すと、老女は若い人は知らないわねと掠れた声で呟きながら紅茶を一口含んだ。

「ハッグは夜な夜な子供を浚って、頭から煮て食べてしまう恐ろしい魔女よ。フェーリ・ロアッソは、ハッグで島の子供を二人拐って一人を食べてしまったの。」

初めて聞いた母の名を、リリアは愕然としながら耳にした。黒いチュールの向こうで油断なく見つめる瞳は、微かに視線をテーブルの上のアルバムに落とす。緊張しながらリリアは躊躇いがちに、マダムに問いかける。

「もう一人の子供はどうなったのですか?」
「戻ってきたわ、怪我もなくね。」
「何故です?」
「知らないわ、ハッグに聞いてみないとね。」

そこにはセピア色に変わりつつある沢山の写真が、時間の一部を切り取って残されていた。それはまるで自分に送られた写真と、同じもののようにも見える。

「そのフェーリ・ロアッソという人は今は?」

何気なくそう問いかけて、自分がおかしなことを聞いているとリリアは内心考えた。孤児になった自分は母が死んだと記憶しているのに、何故マダムにこう聞く必要があるのか分からない。しかし、その質問はマダムには予想外だった様子で、マダムは唐突にリリアの方に顔を向けマジマジと見つめたかと思うと今までより声高な声で告げた。

「まだ島の何処かにいるでしょう、崖から海にでも飛び込みでもしない限りね。」

その言葉は雷のように、リリアの心に突き刺さった。死んだと思った母親がこの島の何処かに生きているかもしれないのだ。しかし、この島はそんなに大きくはないのに、そんな状態で隠れすむことが可能なのだろうか。

「ハッグ……が、隠れて島で住むことは可能なんですか?マダム。」
「魔女ですからね、何処に隠れるのやら。」

唖然とするしかない話だが、目の前のマダムは確信をもって話しているようにも見える。その確信がどこから来るのか、リリアは緊張しながら彼女の事を見つめた。先程より老女の視線が弛んだように感じるのは、リリアの気のせいだろうか。

「誰を食べてしまったのか、分かっているのですか?」
「ええ、フリンの子供、ロニ・フリンよ、あの子はまだ幼かったのに。ミス・フラウ。」

マダムの口からフリンと聞いた瞬間、リリアの頭の中には直ぐ様Fの文字が浮かんだ。リリアに島に来て探し物をしてと告げたのは、ロニ・フリンの身内の人間ではないのかと考えたのだ。そうするとあの奇妙な世界で見た幻覚染みた菜の花畑の子供は、リリア・ロアッソとロニ・フリンなのだろうか。

「顔色が悪いわ、ミス・フラウ。」
「ああ、いえ、何でもありません。マダム、フリン家の人は何処に住んでいらっしゃいますか?」

その言葉も彼女には予想外だったように、マダムは再びリリアの顔をマジマジとチュールの奥から見つめる。

「フリン一家は皆死んだわ、ミス・フラウ。」

その言葉にリリアは絶句して、彼女の顔をただじっと見つめるだけしかできなくなっていた。呆然としたリリアに、マダムは微かに咳き込みながら掠れ声で告げる。

「申し訳ないけど今は私も体調が優れないの、ミス・フラウ。」
「すみません、長居してしまって、マダム。」

腰を浮かしたリリアに向けて、マダムの細い指が伸ばされて腕を掴む。その指は見た目の細さとは違って、ペグ・オネルの指のように力強く腕を掴んだ。そして、嗄れた声が切れ切れに呟く。

「もう一度、夕方に訪ねてくれないかしら、ミス・フラウ。私、あなたと話したいことがあるわ。」

その言葉にリリアは躊躇いがちに頷いて、夕方に再訪すると約束させられていた。


※※※


集落の中を散策して歩いているうち、足元に広がる畦道に見覚えがあると気がついた。細く長い畦道の先は教会にも繋がっているようで、つたい歩きする内に一面の緑に目を丸くする。まだ、花の付いていない菜の花畑がそこには、風に緑の葉を揺らしていた。

本当にあったわ、菜の花畑が。

目を細めると黄色の花が見えてきそうな気がするのに、リリアは溜め息をついた。少なくともあの世界の中で見た幻覚は、ただの幻覚ではなく実際にあった可能性がある。しかも、ここには子供がいて、その子供が魔女に拐われたとも言う。

その魔女が自分の母親だなんて、何てことなの?

マダムはリリアを見て何か話したいことがあると告げた。もしかしたら、母親の顔とリリアの顔に見覚えがあるのかもしれない。だとしたら、彼女は何を話そうとしているのだろうと、リリアは不安に胸を締め付けられるのを感じながら花畑を眺めた。次第に日が西に傾こうとしているのに、リリアは戸惑いに眉を潜ませてユックリと集落に足を向ける。
人気のない集落に、マダムの家の窓に微かな蝋燭の光が硝子越しに浮かんで揺れていた。リリアは緊張しながら再びポーチに佇むと、マダムの家の扉をノッカーで叩く。そして、マダムがノッカーの音が聞き取れないことを思いだし、恐る恐る扉を押し開いた。

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