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8月
閑話24.宇野智雪
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ゴンッ
唐突に振りだした激しい雨に駆け出したまでは良かったが、1分もしない内にバケツを引っくり返したようなゲリラ豪雨になっていた。駆け込んだ玄関ポーチですら殴り付けるような雨の中で、どうしようか思案した途端思わぬタイミングでドアか開き頭に当たる。チカチカ視界が星で光るのを感じながら思わず呻く。
「ヴーッ!」
「ごめん!雪ちゃん!ごめんなさい!」
バシャバシャと音をたてる雨の中頭を押さえてしゃがみこんでしまった自分に、聞きなれた麻希子の平謝りする声がする。結局雪が立ち直るほんの少しの間に、麻希子まで夕立でずぶ濡れになってしまっていた。
「雪ちゃん、頭大丈夫?血でてない?」
あの音の割には怪我してなくて、ホッとしたような麻希子の顔が微笑む。何とか玄関にに滑り込んだはいいが、ホッとした途端ずぶ濡れの自分達に気がついて、慌ててタオルを取りに行くべきか服を脱ぐべきか悩んでいる麻希子に気がつく。
あ、駄目だ。これ。
思わずマジマジと麻希子の濡れた姿を見てしまう。薄手の服は中にどんな下着をつけてるか、すっかり透けて見えてしまっているのに麻希子は気がつきもしない。透けた体を気にするでもなくタオルを取りに走りながら、麻希子がお風呂場に行くよう叫ぶ。
「雪ちゃん、洗面所で服脱いで!床は後で拭くから!」
戸惑いながら分かったと返事をするのが精一杯で、大人しく洗面所にはいると濡れた衣類を剥ぎ取りにかかる。麻希子は無自覚なんだから、自制するのは自分だと言い聞かせながら膨らんだ欲望を押さえ込む。
自制心、自制、自制
何度も心の中で繰り返しているのに、タオルを頭にかけただけでバスタオルを片手にした麻希子が無造作に扉の中に滑り込んで後ろ手に扉を閉めた。
薄いブラウスの下に可愛いピンクの下着を透けさせて、あのクリクリと可愛い瞳がまんまるく見開かれ凍りつく。柔らかそうな唇は淡いピンク色で、ふっくら膨らんでいる。ポタポタと滴の落ちる髪の毛を掻きあげて後ろに撫で付けた自分の視線が、扉を開けた麻希子の存在に吸い寄せられた。
大人びた麻希子は綺麗で可愛い。化粧なんかしなくても、魅力的で可愛い。
目の前で頬がうっすらと紅をさしたように赤くなっていくのが、雪にはたまらなく可愛らしかった。扉に背を押し付けても腕の中にしたらスッポリ入ってしまいそうな麻希子の肩。
自制。
もう一度心の中で呟いてみるけど、目の前の可愛い姿は怯えたようにも見えて掴まえたくなる。トンッと麻希子の頭の斜め上に自分の腕が置かれて、麻希子はクリクリの瞳で真っ直ぐに雪の事を見上げた。
裸の男を前にそんなに無防備でいいの?
見つめたままの視線を感じながら、雪は少し顔を傾げるようにして唇を重ねた。柔らかくてふっくらした麻希子の唇は、微かに震えて自分よりひんやりしている。慣れないキスに麻希子が息が出来ずに思わず押し当てられた唇を開けると、唐突にスルリと腰に雪の手が回って抱き寄せられた。細くて柔らかい腰の感触に、自制の魔法が弾けて飛んでいきそうだ。
「雪ちゃ……。」
もがいてやっとキスから逃げた掠れた麻希子の声に、空かさずもう一度雪は唇に襲いかかる。堪えきれずに押しあてるだけじゃなく、柔らかく唇を挟むと腕の中の麻希子の体から力が抜けていく。素直に自分に身を任せる麻希子に、雪は自制心なんて何処かに投げ捨ててしまうかと思案する。
「ただいまーっ!あれぇ、雪の靴ーっ!」
「ただいま。やぁね、廊下ビショビショ!」
バッとその声に我に帰った2人が体を離し、麻希子が踵を返して扉から出ていく。我に帰った雪は思わず呆然と自分がしたことを考えて、その場にしゃがみこみ頭を抱えていた。
※※※
あれから麻希子の顔もまともに見れない。
まさか今になって自制心が保てなくなるなんて、麻希子が高校生になって大人びていくのを見ているだけで満足な筈だったのに。雪は思わず唸りながら頭を抱えると、隣の菊池直人が驚いたように雪を眺める。
「宇野さん、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、ごめん。大丈夫。」
ならいいですけどと菊池は笑う。既に良妻賢母の基本みたいな可愛い奥さんを持っている菊池は、雪と同じで一児の父だがどうやら二人目が出来そうな気配らしい。年も1つしか違わない彼は難物扱いの信哉とも上手くやっていて、今年移動になった自分の相談役でもある。
「菊池君、奥さんが濡れて下着透け透けの格好で上目遣いしてきたらどうする?」
「はぁ?宇野さん、何言ってんですか?欲求不満?」
ベットに押し倒すに決まってるでしょと健全な夫婦生活をしている菊池が、当然のように爽やかに笑うのが恨めしい。そんな考えを巡らせている最中に、見知った名前の着信に気がついた。相手は夏休み中とはいえ先日の騒動も考えると、悌順から直接電話が来るのは珍しいが何かあった証拠かもしれない。
「何事?ヤス。」
廊下に抜け出して声をかけると、相手も雪が仕事中と見越して電話を掛けてきたのが分かる。悌順を知っている雪には直ぐに分かるが、何か問題事があったのだと滲ませる声に眉を潜めた。
『雪。この間の件なんだがな。』
「この間ってカラオケボックスがらみ?」
『と言うか、その後の街中の件の時にもう一人女子高生がいただろう?』
麻希子と友達の女の子に、男2人が乱暴しているのに出くわしたのはついこの間のことだ。女の子に蹴りを入れる馬鹿と麻希子の細い腕をネジあげたクズが脳裏に浮かぶ。そう言えば、そう言われると確かに麻希子達と同年代位の女が1人いた気がする。男が形勢不利になった途端、脱兎のごとく駆け出した女だ。
ああ、さっさと逃げ出したねと雪が気を使わない表現で言うと、校内の情報を漏らしたいわけではない様子があからさまに分かる重い口を悌順が開いた。
『悪いがな、お姫に色々擦り付けて家出したらしい。』
「ああ?」
姫と擦り付けてという言葉に、敏感に雪が反応する。ああいう手合いの女は、下手に甘やかすと付け上がって何をしても許されると考えるから質が悪い。
『親バカなようだから、宮井家に押し掛けないようこっちでも何とかするつもりだが。お前の情報網はまだ有効か?』
頭に外崎が浮かぶが男どもならともかく、未成年の女子高生の情報まで入手しているものだろうかと考える。もし入手できているのなら、麻希子の情報が漏れてないか締め上げる必要ができてしまう。
「家出にまで効くかな?」
『手紙をみつけたのはさっきのようだし、元々交遊範囲が広そうでもない。この間のチンピラとつるんでる可能性もありそうなんだが。』
「ああ、それなら。」
男の身元は分かっていると外崎は話していた。あの後に面倒だから店の出禁にしとくかと呟いていたのも聞いたから、その後の動向も知っているに違いない。その心の声が聞こえたように、悌順が声を落とす。
『お前、本当に危ない道に進んでないだろうな?』
「進んでたとしてもお前にはバレないようにするよ。」
バレなければ何をしてもいい訳ではないだろうが、悌順は後が面倒なのでバレないに越したことはない。
『雪、頼むから、うちの生徒や家族に報復しないでくれよ?』
「そうだな、やるときはバレないようにやるよ。」
微かに電話の向こうに人の気配が増えて、悌順の言葉が少しだけ慎重に変わる。
『お前…、まあいい。』
「片っ方が確かもう出歩いてるらしいしな、知り合いに聞いてみるよ。」
『ああ、何かわかったら教えてくれ。すまんな。』
悌順の電話を切って、暫くは仕事に没頭してその話は記憶のかなたになっていた。夕方過ぎに少し興奮気味の宮井の叔母有希子から、訳の分からない同級生の両親が怒鳴り込みに来たと聞くまでは。同級生の両親は麻希子が自分の娘を唆したと怒鳴り付け、自分達に謝れと詰め寄ったというのだ。今はもう帰ったが既に悌順にも連絡して、麻希子は部屋にこもってしまったと聞いて雪は目を細めた。
「もしもし、外崎さん?」
『おう?雪、どうした?』
「この間のカラオケボックスの男の仲間2人も情報ありますよね?確か。」
電話口で相手が微かに驚いたように息を潜める。情報は仕入れているが、雪がかけてくるとは思わなかった口ぶりだ。雪は努めて冷静に聞こえるように声を落とす。
「出禁にしたとか?」
『子猫ちゃん同伴限定でな?』
その外崎の口ぶりにネオンサインを窓の向こうに眺めながら、雪は声を落として冷ややかに眼鏡を光らせた。
「子猫の情報もあるんですか?」
『子猫飼いたいか?』
「いいえ、退治したいんです。」
おやまあと電話の向こうの外崎か声をあげると、可笑しそうにクツクツと嗤う。雪はその声に構うこともなく、辺りの気配に気を配りながら先を続ける。
「家を出てるみたいですけど、子猫何処です?エコーも出禁ですよね?」
『エコーは出禁なんかしねぇよ?聞いてやろうか?』
「助かります。」
何で出禁にならないんだと内心思うが、そこは店同士の関係もあるのだろう。ゴソゴソと電話の向こうで何かしている音がするのを、目を閉じて耳を澄ましながら待つ。もう1つ電話を持っているのか、微かに誰かと話す声がして乾いた笑いが聞こえる。
『雪、残念だな、一足遅いってよ。』
「でも、そこいらにいそうですね。また、エコーに行ったら連絡して貰えますか?」
『おお、いいぞ、連絡してやるよ。ついでだが、親猫の話しも教えてやろうか?中々エグいぞ?』
内心苛立ちながら雪は外崎の話に耳を傾ける。やがて電話を切ると、窓の外を眺めながら固い表情を浮かべた。夜が明けてたまった仕事を何とか終わらせ宮井家にいくと、普段の陽気さが完全に息を潜めているのに雪は愕然とする。預けられていた衛が、怯えた顔をしてリビングのソファーの影から顔を出し雪に飛び付く。
「衛、平気?」
「マーはいいよ、雪、まーちゃんが可哀想だよ。怖いおばさんから助けてよ、雪。」
叔母も不安そうな顔をしているのに、雪は分かったよと衛の頭を撫でる。叔父は今晩出張から帰るという叔母も慣れない怒号に、未だに不安そうに落ち着かない。
「麻希ちゃん?」
ノックの音にビクリと震えた麻希子の痛々しい姿に、一気に怒りが沸き上がり理性が飛びそうになるのを感じて雪は戸口に立ち尽くした。窓辺で不安に怯えている麻希子に近寄ったら、思わず手を伸ばしてしまいそうな自分に雪は困惑する。
「麻希ちゃん、大丈夫?」
抱き締めたいと考えてしまう自分に、躊躇うように視線を落とす。浮かない顔をしている雪を眺めて不思議そうに首を傾げる麻希子の弱々しい表情に、雪は自分の中のどす黒い欲望を感じて唇を噛んだ。
何か言おうとした瞬間、玄関チャイムが鳴って麻希子がは思わず震え上がった。叔母が玄関に出た途端、再び怒鳴り声が響いて階段をかけ上ってくる。目の前の麻希子が泣き出しそうになって座り込んだ。
「出しなさいよ!」
「いい加減になさい!大人でしょう?!」
「うるさい!クソババア!」
怯えて座り込んだ麻希子の顔色を見た瞬間、怒りが一瞬に凍りつくのが分かる。そのまま言葉もなくクルリと踵を返して戸口から姿を消すと、トントンと軽やかに聞こえる音を立てて階段を降りる。
「早くだせよ!ガキを!」
醜い来訪者の怒号に、普段は穏やかな叔母が困惑しながら制止する声をあげた。掴み掛かろうとする魔女の爪のような鋭い動きを、無表情で雪の手が勢いごと掴む。
「なっ!」
「雪ちゃん?」
ホッとしたような叔母の声を背に雪は冷ややかな視線で女と背後で左の薬指を包帯で巻いてスマホを弄る男の姿を見据えた。そして、腕を掴んだ女の耳元にだけ、何とか聴こえるような低い小さな声で囁く。
「木内梢さん、これ以上ここで騒ぐと、あんたの出禁の件旦那にばらすよ。」
ギクリと女の目が見開かれ一気に青ざめながら、マジマジとお化けでも見るように女は雪の事を見つめた。
「何言って…。」
「これ以上口開いてみろ?結城屋の店員と何処で何してたか証拠写真付きでばらしてやる。」
妻の様子が変わったのに気がついた男がやっとスマホから視線をあげ、雪が妻の腕を掴んでいるのに気がついて駆け寄る。
「何人の女の腕握ってんだ!」
「木内新太さん、スマホの彼女とお話しする前に、奥さんを止めてもらえませんか?」
その声に木内の母親の目が、これ以上開きようがないほどに見開かれた。駆け寄ってきた男の顔が強ばったのを見据えながら、母親が朱に染まった顔で雪を上目遣いに睨む。
「梓さんは一応探し出します。でも、言いがかりでこれ以上こんな風に家に押し掛けるようでしたら、俺は容赦しませんから。」
反論しようとした女を必死で男が止めて、引き摺るようにして去っていくのを冷ややかな視線で雪が見送る。叔母は何が起きたのか分からないようにポカーンとしていたが、衛か喜んで出てきたのに我に帰った。
「雪カッコイー!!」
「雪ちゃん、何が起きたの?」
「叔母さん少し出てきますね、衛の事もう少しおねがいできますか?」
雪の表情に叔母は戸惑いながらも頷く。衛に麻希子の事を守ってるんだよと頼むと、元気よく頷いてきて雪は微笑みを一瞬浮かべる。
家を離れると鮮やかな陽射しを受けながら、悌順を電話で呼び出す。雪からの電話を予期していたのだろう悌順は、すまんと謝罪したがそれ以前に娘の方の動向は掴めていないようだ。待ち合わせ場所を指定しながら、外崎に連絡を入れる。
「外崎さん?」
『おう?子猫の話か?』
相手が面白がっているのは理解しているが、これ以上雪の大切なものを傷つけさせる気はなかった。
「今すぐ取っ捕まえたいんですけど、何処まで絞り込めますか?」
『おー?なんだ、ものものしいな?ん?』
「冗談じゃなくです。外崎さん。」
雪の声が普段と違うのに外崎が気がついたように、低くクツクツと嗤うのが分かる。恐らく居場所も半ば検討がついていたのに外崎は、雪が問いかけるまで情報を隠していたと言うところだろう。
「男の自宅とかですか?」
『うんにゃ、ちょっと待ってろよ?』
ゴソゴソと何時もの音がする。外崎の家の中の状態は知らないが、少しの身動きでゴソゴソ音がする辺り視力がなくても荷物が山になっていそうな気がした。外崎の言う僅かな時間の間に、遠くに立つ悌順を見つけ手を上げると電話片手の雪に悌順が眉を潜める。
『おう、待たせたな。』
「で?何処なんです?」
『駅の西側にな、キャロルってラブホテルがあるんだよな。分かるか?』
「知りませんよ、使う必要ないですから。」
外崎の言葉にキャロルというホテルにも外崎の耳があるのを確信して、何があっても使うまいと雪は内心決心する。出禁にするなら飲食店だけでなくカラオケボックスやラブホテルも禁止にすればよかったのにと、再び内心で愚痴るとそれが聞こえたように外崎が笑った。
『全部出禁にしたら儲けられないだろ?』
「面倒起こす手合いなんだから儲けにならないでしょ?」
『そこを儲けるのが経営だろ。因みに踏み込むか?』
「取っ捕まえたいんです。」
ははと外崎が嗤う。その声の先に外崎が連絡しといてやるよと言うのに、雪は思わず頭を抱えたくなりながらこの説明をどうするか思案する。
「雪、木内梓の行き先分かったのか?」
「ヤス、詳しい話は後で君の好きなだけ腹をわってしよう。兎に角、娘を取っ捕まえるのに場所は分かったけど、どうする?」
結果あの金切り声を上げる耳障りな女とスマホに釘付けの男を駅前に呼び出し、西口側の高架傍のキャロルというけばけばしいホテルに向かう。向かい始めると同時に次第に女の顔色が青ざめるのを横目に、ソワソワと落ち着かない男を眺める。ラブホテルの入り口まで辿り着いた時に甲高い聞き覚えのある声が響く。
「やぁだー、そんなの買ってぇ!茂木君ってば!エッチぃ!貞友さんもなんか言って~!」
「梓が使うから買ったんだろ?好きなくせに。」
「今すぐ入れるか?梓。」
男2人の腕を取りしなだれかかる姿は、娼婦じみて高校生とは思えない慣れた仕草だ。怯えて母親の背中に隠れた麻希子と、どちらがふしだらな事を積極的にしているのか比べる必要もない。
「アズちゃん!!」
甲高いよく似た母親の声に振り返った木内梓が凍りついたように立ち尽くし、その腕からバックが滑り落ち路面に中身が溢れ落ちる。その中身は恥ずかしくて口にも出せないような物ばかりで、当人の実の父親が路面に散らばった大人の玩具やコンドームを唖然と見下ろした。
「な、何でここにいんの!?」
梓の金切り声にヒステリーを起こしたような母親が掴みかかる。母子の騒動に唖然とする茂木と貞友に、父親が血相を変えたように殴りかかっていく。ホテルの出入り口で取っ組み合いの大騒ぎを始めた5人に、呆然とした雪と悌順が眺めていると遠くから警察官の姿が駆けつけてくるのが見えた。
ホテルの中からスタッフらしき女が顔を出して、5人の眺めているとアラと言いたげに目を丸くした。
「あの、お客様。」
スタッフの声に揉み合っていた5人が、誰の事かと一瞬固まる。
「先日お忘れの指輪の……。」
そこまで言った女スタッフの目が奥で密かに笑っていたのを、横にいた雪と悌順は見逃さなかった。恐らく外崎が指示して、この状況でそれを言うようにしていたのだろう。その言葉に凍りついたのは貞友に掴みかかっていた木内の夫で、しかも言葉にあったの?と間抜けにも答える。その瞬間金切り声は梓から夫に方向を変えた。
「奥さん!落ち着いて!!」
「何で浮気しやがった!このロクデナシ!」
「いでぇ!やめろ!!」
警察官に押さえ込まれているのに、飛びかかる母親を路面に転がり出た物の異様さに好奇の視線にさらされた梓が堪えきれずに泣き出す。子供が泣き出して落ち着くかと思った母親は泣き声に逆上し、梓を怒鳴り付け殴りかかる始末だ。悌順が押さえに加勢しても女の怒りは収まる気配すらない。ホテルのスタッフが女性でなく、男に変わって顔を出し警察官の問いかけに答える。
「ええ、そうです、困るんですよ、入口でこんなことされたら。」
その男性スタッフの視線は、真っ直ぐに木内の母親を見据え完全に指をさしながら告げた。
「何時もご贔屓にしていただいてありがたかったですけど、こんな騒ぎを起こされちゃ出入りご遠慮さしてもらいます。」
「あ、あたしはっ」
「言い訳は結構です、あ、あんたも関係者?あんたももう入れないからね!」
唖然とした木内の夫と茂木と貞友にもそう告げて、スタッフはわざとらしくやれやれと言いたげに警察官に頭を下げる。その言葉に我に帰ったように、今度は夫が妻に逆上し掴みかかった。
※※※
騒動がやっと沈静化したのはそれから2時間後で、狐につままれたような雪と悌順は溜め息混じりに警察署の玄関をくぐった。
貞友に茂木は未成年者との淫行で、未だに出られる予定はない。木内一家は厳重注意で帰宅を許される事になりそうだ。ただし、商店街からの被害届が妻に出ていることが分かった上に、両親の浮気は発覚するわ、娘は淫行条例で保護観察予定になるわ。この先を考える悌順の溜め息に、雪は同情したくなった。ともあれ、木内一家は自分達の問題で手一杯で、宮井家に怒鳴りこむ暇はないだろう。
「もしもし。」
『よお?随分かかったな。』
警察署を出た途端の電話に、雪は思わず眉を潜める。本当に視力がない男なのか時々疑問に感じるが、直に会うと確かに彼の両目は義眼ではあるのだ。
「何処から見てるんです?」
『はは、見えるなんて冗談だろ?後ろにいるだけだよ。』
その声が珍しくぶれて聞こえて、思わず振り返ると背後には今電話口で話していた筈の男が義眼の両目を向けて杖をついていた。
「外崎さん。」
「よお、雪。」
外崎が出歩くのは珍しく、雪は驚いて目を丸くする。雪の様子に横にいた悌順が、不思議そうに肩越しにその姿を眺めた。僅かに足を引き摺るように見えるのは、足が悪い訳ではなく股関節が突っ張っているような動きのせいのようだ。目は真横に醜い傷が走り、その奥には生気のない義眼が鈍く光っている。
「直にははじめまして、あんたが学校のセンセだね?」
男の声は酷く掠れて聞き取りにくいが、よく見ると時期外れのハイネックの首にも深い傷がある。見たこともない男に悌順が目を丸くしてどうもと呟くと、外崎は警戒しなくてもいいと嗤う。
「外崎さん、どうしたんです?警察に用事ですか?」
「おう、ちょっと野暮用でなぁ。呼び出されたんだわ。」
それじゃあなと嗤いながら歩いていく外崎の背中を胡散臭そうに見送る悌順を伴いながら、雪は外崎は警察に呼び出されるような何かがあるのかと考える。色々と胡散臭い事はしていそうだが、直接関わりあいのあるような事件を起こすタイプには見えない。
戻った時には疲労困憊していたが、叔母に木内梓が見つかったことと恐らくもう怒鳴り込みには来ないだろうと告げた。もし、また来るようなら警察を呼ぶことにして麻希子の様子を見に部屋に入る。ベットの上で丸くなっている麻希子を、ベットに腰掛け見下ろす。怖くて泣いていたのか、涙の跡の残る頬に胸が痛むのを感じながら頭を撫でる。撫でられたのに麻希子が夢うつつで瞬きするのに微かに微笑んだ。
「麻希ちゃん、もう心配いらないよ?」
その言葉に反応したように唐突に麻希子の瞳から大粒の涙が溢れる。よっぽど怖かったのだろうと再度頭を撫でると、麻希子が唐突に起き上がって抱きついた。小さな体が押し付けられ思わず動悸が早くなるが、震える麻希子の体に気がついてそっと抱き締める。麻希子は子供がするみたいに、胸にグリグリと頭を擦り付けてきて雪は戸惑う。
「ま、麻希ちゃん、本当に心配いらないんだよ?」
「麻希子。」
何でか分からないけどそう言えと、麻希子が可愛くねだるように呟く。暫く躊躇いながらも、雪は麻希子を抱き締めたまま耳元でそっと囁く。
「麻希子。」
くっついたままなのに緊張しながら囁くとホッとしたような息を溢して、麻希子の体から力が抜けるのが分かる。やがてスヤスヤと寝息をたて始めた麻希子を、雪は戸惑いながら長い間見つめていた。
唐突に振りだした激しい雨に駆け出したまでは良かったが、1分もしない内にバケツを引っくり返したようなゲリラ豪雨になっていた。駆け込んだ玄関ポーチですら殴り付けるような雨の中で、どうしようか思案した途端思わぬタイミングでドアか開き頭に当たる。チカチカ視界が星で光るのを感じながら思わず呻く。
「ヴーッ!」
「ごめん!雪ちゃん!ごめんなさい!」
バシャバシャと音をたてる雨の中頭を押さえてしゃがみこんでしまった自分に、聞きなれた麻希子の平謝りする声がする。結局雪が立ち直るほんの少しの間に、麻希子まで夕立でずぶ濡れになってしまっていた。
「雪ちゃん、頭大丈夫?血でてない?」
あの音の割には怪我してなくて、ホッとしたような麻希子の顔が微笑む。何とか玄関にに滑り込んだはいいが、ホッとした途端ずぶ濡れの自分達に気がついて、慌ててタオルを取りに行くべきか服を脱ぐべきか悩んでいる麻希子に気がつく。
あ、駄目だ。これ。
思わずマジマジと麻希子の濡れた姿を見てしまう。薄手の服は中にどんな下着をつけてるか、すっかり透けて見えてしまっているのに麻希子は気がつきもしない。透けた体を気にするでもなくタオルを取りに走りながら、麻希子がお風呂場に行くよう叫ぶ。
「雪ちゃん、洗面所で服脱いで!床は後で拭くから!」
戸惑いながら分かったと返事をするのが精一杯で、大人しく洗面所にはいると濡れた衣類を剥ぎ取りにかかる。麻希子は無自覚なんだから、自制するのは自分だと言い聞かせながら膨らんだ欲望を押さえ込む。
自制心、自制、自制
何度も心の中で繰り返しているのに、タオルを頭にかけただけでバスタオルを片手にした麻希子が無造作に扉の中に滑り込んで後ろ手に扉を閉めた。
薄いブラウスの下に可愛いピンクの下着を透けさせて、あのクリクリと可愛い瞳がまんまるく見開かれ凍りつく。柔らかそうな唇は淡いピンク色で、ふっくら膨らんでいる。ポタポタと滴の落ちる髪の毛を掻きあげて後ろに撫で付けた自分の視線が、扉を開けた麻希子の存在に吸い寄せられた。
大人びた麻希子は綺麗で可愛い。化粧なんかしなくても、魅力的で可愛い。
目の前で頬がうっすらと紅をさしたように赤くなっていくのが、雪にはたまらなく可愛らしかった。扉に背を押し付けても腕の中にしたらスッポリ入ってしまいそうな麻希子の肩。
自制。
もう一度心の中で呟いてみるけど、目の前の可愛い姿は怯えたようにも見えて掴まえたくなる。トンッと麻希子の頭の斜め上に自分の腕が置かれて、麻希子はクリクリの瞳で真っ直ぐに雪の事を見上げた。
裸の男を前にそんなに無防備でいいの?
見つめたままの視線を感じながら、雪は少し顔を傾げるようにして唇を重ねた。柔らかくてふっくらした麻希子の唇は、微かに震えて自分よりひんやりしている。慣れないキスに麻希子が息が出来ずに思わず押し当てられた唇を開けると、唐突にスルリと腰に雪の手が回って抱き寄せられた。細くて柔らかい腰の感触に、自制の魔法が弾けて飛んでいきそうだ。
「雪ちゃ……。」
もがいてやっとキスから逃げた掠れた麻希子の声に、空かさずもう一度雪は唇に襲いかかる。堪えきれずに押しあてるだけじゃなく、柔らかく唇を挟むと腕の中の麻希子の体から力が抜けていく。素直に自分に身を任せる麻希子に、雪は自制心なんて何処かに投げ捨ててしまうかと思案する。
「ただいまーっ!あれぇ、雪の靴ーっ!」
「ただいま。やぁね、廊下ビショビショ!」
バッとその声に我に帰った2人が体を離し、麻希子が踵を返して扉から出ていく。我に帰った雪は思わず呆然と自分がしたことを考えて、その場にしゃがみこみ頭を抱えていた。
※※※
あれから麻希子の顔もまともに見れない。
まさか今になって自制心が保てなくなるなんて、麻希子が高校生になって大人びていくのを見ているだけで満足な筈だったのに。雪は思わず唸りながら頭を抱えると、隣の菊池直人が驚いたように雪を眺める。
「宇野さん、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、ごめん。大丈夫。」
ならいいですけどと菊池は笑う。既に良妻賢母の基本みたいな可愛い奥さんを持っている菊池は、雪と同じで一児の父だがどうやら二人目が出来そうな気配らしい。年も1つしか違わない彼は難物扱いの信哉とも上手くやっていて、今年移動になった自分の相談役でもある。
「菊池君、奥さんが濡れて下着透け透けの格好で上目遣いしてきたらどうする?」
「はぁ?宇野さん、何言ってんですか?欲求不満?」
ベットに押し倒すに決まってるでしょと健全な夫婦生活をしている菊池が、当然のように爽やかに笑うのが恨めしい。そんな考えを巡らせている最中に、見知った名前の着信に気がついた。相手は夏休み中とはいえ先日の騒動も考えると、悌順から直接電話が来るのは珍しいが何かあった証拠かもしれない。
「何事?ヤス。」
廊下に抜け出して声をかけると、相手も雪が仕事中と見越して電話を掛けてきたのが分かる。悌順を知っている雪には直ぐに分かるが、何か問題事があったのだと滲ませる声に眉を潜めた。
『雪。この間の件なんだがな。』
「この間ってカラオケボックスがらみ?」
『と言うか、その後の街中の件の時にもう一人女子高生がいただろう?』
麻希子と友達の女の子に、男2人が乱暴しているのに出くわしたのはついこの間のことだ。女の子に蹴りを入れる馬鹿と麻希子の細い腕をネジあげたクズが脳裏に浮かぶ。そう言えば、そう言われると確かに麻希子達と同年代位の女が1人いた気がする。男が形勢不利になった途端、脱兎のごとく駆け出した女だ。
ああ、さっさと逃げ出したねと雪が気を使わない表現で言うと、校内の情報を漏らしたいわけではない様子があからさまに分かる重い口を悌順が開いた。
『悪いがな、お姫に色々擦り付けて家出したらしい。』
「ああ?」
姫と擦り付けてという言葉に、敏感に雪が反応する。ああいう手合いの女は、下手に甘やかすと付け上がって何をしても許されると考えるから質が悪い。
『親バカなようだから、宮井家に押し掛けないようこっちでも何とかするつもりだが。お前の情報網はまだ有効か?』
頭に外崎が浮かぶが男どもならともかく、未成年の女子高生の情報まで入手しているものだろうかと考える。もし入手できているのなら、麻希子の情報が漏れてないか締め上げる必要ができてしまう。
「家出にまで効くかな?」
『手紙をみつけたのはさっきのようだし、元々交遊範囲が広そうでもない。この間のチンピラとつるんでる可能性もありそうなんだが。』
「ああ、それなら。」
男の身元は分かっていると外崎は話していた。あの後に面倒だから店の出禁にしとくかと呟いていたのも聞いたから、その後の動向も知っているに違いない。その心の声が聞こえたように、悌順が声を落とす。
『お前、本当に危ない道に進んでないだろうな?』
「進んでたとしてもお前にはバレないようにするよ。」
バレなければ何をしてもいい訳ではないだろうが、悌順は後が面倒なのでバレないに越したことはない。
『雪、頼むから、うちの生徒や家族に報復しないでくれよ?』
「そうだな、やるときはバレないようにやるよ。」
微かに電話の向こうに人の気配が増えて、悌順の言葉が少しだけ慎重に変わる。
『お前…、まあいい。』
「片っ方が確かもう出歩いてるらしいしな、知り合いに聞いてみるよ。」
『ああ、何かわかったら教えてくれ。すまんな。』
悌順の電話を切って、暫くは仕事に没頭してその話は記憶のかなたになっていた。夕方過ぎに少し興奮気味の宮井の叔母有希子から、訳の分からない同級生の両親が怒鳴り込みに来たと聞くまでは。同級生の両親は麻希子が自分の娘を唆したと怒鳴り付け、自分達に謝れと詰め寄ったというのだ。今はもう帰ったが既に悌順にも連絡して、麻希子は部屋にこもってしまったと聞いて雪は目を細めた。
「もしもし、外崎さん?」
『おう?雪、どうした?』
「この間のカラオケボックスの男の仲間2人も情報ありますよね?確か。」
電話口で相手が微かに驚いたように息を潜める。情報は仕入れているが、雪がかけてくるとは思わなかった口ぶりだ。雪は努めて冷静に聞こえるように声を落とす。
「出禁にしたとか?」
『子猫ちゃん同伴限定でな?』
その外崎の口ぶりにネオンサインを窓の向こうに眺めながら、雪は声を落として冷ややかに眼鏡を光らせた。
「子猫の情報もあるんですか?」
『子猫飼いたいか?』
「いいえ、退治したいんです。」
おやまあと電話の向こうの外崎か声をあげると、可笑しそうにクツクツと嗤う。雪はその声に構うこともなく、辺りの気配に気を配りながら先を続ける。
「家を出てるみたいですけど、子猫何処です?エコーも出禁ですよね?」
『エコーは出禁なんかしねぇよ?聞いてやろうか?』
「助かります。」
何で出禁にならないんだと内心思うが、そこは店同士の関係もあるのだろう。ゴソゴソと電話の向こうで何かしている音がするのを、目を閉じて耳を澄ましながら待つ。もう1つ電話を持っているのか、微かに誰かと話す声がして乾いた笑いが聞こえる。
『雪、残念だな、一足遅いってよ。』
「でも、そこいらにいそうですね。また、エコーに行ったら連絡して貰えますか?」
『おお、いいぞ、連絡してやるよ。ついでだが、親猫の話しも教えてやろうか?中々エグいぞ?』
内心苛立ちながら雪は外崎の話に耳を傾ける。やがて電話を切ると、窓の外を眺めながら固い表情を浮かべた。夜が明けてたまった仕事を何とか終わらせ宮井家にいくと、普段の陽気さが完全に息を潜めているのに雪は愕然とする。預けられていた衛が、怯えた顔をしてリビングのソファーの影から顔を出し雪に飛び付く。
「衛、平気?」
「マーはいいよ、雪、まーちゃんが可哀想だよ。怖いおばさんから助けてよ、雪。」
叔母も不安そうな顔をしているのに、雪は分かったよと衛の頭を撫でる。叔父は今晩出張から帰るという叔母も慣れない怒号に、未だに不安そうに落ち着かない。
「麻希ちゃん?」
ノックの音にビクリと震えた麻希子の痛々しい姿に、一気に怒りが沸き上がり理性が飛びそうになるのを感じて雪は戸口に立ち尽くした。窓辺で不安に怯えている麻希子に近寄ったら、思わず手を伸ばしてしまいそうな自分に雪は困惑する。
「麻希ちゃん、大丈夫?」
抱き締めたいと考えてしまう自分に、躊躇うように視線を落とす。浮かない顔をしている雪を眺めて不思議そうに首を傾げる麻希子の弱々しい表情に、雪は自分の中のどす黒い欲望を感じて唇を噛んだ。
何か言おうとした瞬間、玄関チャイムが鳴って麻希子がは思わず震え上がった。叔母が玄関に出た途端、再び怒鳴り声が響いて階段をかけ上ってくる。目の前の麻希子が泣き出しそうになって座り込んだ。
「出しなさいよ!」
「いい加減になさい!大人でしょう?!」
「うるさい!クソババア!」
怯えて座り込んだ麻希子の顔色を見た瞬間、怒りが一瞬に凍りつくのが分かる。そのまま言葉もなくクルリと踵を返して戸口から姿を消すと、トントンと軽やかに聞こえる音を立てて階段を降りる。
「早くだせよ!ガキを!」
醜い来訪者の怒号に、普段は穏やかな叔母が困惑しながら制止する声をあげた。掴み掛かろうとする魔女の爪のような鋭い動きを、無表情で雪の手が勢いごと掴む。
「なっ!」
「雪ちゃん?」
ホッとしたような叔母の声を背に雪は冷ややかな視線で女と背後で左の薬指を包帯で巻いてスマホを弄る男の姿を見据えた。そして、腕を掴んだ女の耳元にだけ、何とか聴こえるような低い小さな声で囁く。
「木内梢さん、これ以上ここで騒ぐと、あんたの出禁の件旦那にばらすよ。」
ギクリと女の目が見開かれ一気に青ざめながら、マジマジとお化けでも見るように女は雪の事を見つめた。
「何言って…。」
「これ以上口開いてみろ?結城屋の店員と何処で何してたか証拠写真付きでばらしてやる。」
妻の様子が変わったのに気がついた男がやっとスマホから視線をあげ、雪が妻の腕を掴んでいるのに気がついて駆け寄る。
「何人の女の腕握ってんだ!」
「木内新太さん、スマホの彼女とお話しする前に、奥さんを止めてもらえませんか?」
その声に木内の母親の目が、これ以上開きようがないほどに見開かれた。駆け寄ってきた男の顔が強ばったのを見据えながら、母親が朱に染まった顔で雪を上目遣いに睨む。
「梓さんは一応探し出します。でも、言いがかりでこれ以上こんな風に家に押し掛けるようでしたら、俺は容赦しませんから。」
反論しようとした女を必死で男が止めて、引き摺るようにして去っていくのを冷ややかな視線で雪が見送る。叔母は何が起きたのか分からないようにポカーンとしていたが、衛か喜んで出てきたのに我に帰った。
「雪カッコイー!!」
「雪ちゃん、何が起きたの?」
「叔母さん少し出てきますね、衛の事もう少しおねがいできますか?」
雪の表情に叔母は戸惑いながらも頷く。衛に麻希子の事を守ってるんだよと頼むと、元気よく頷いてきて雪は微笑みを一瞬浮かべる。
家を離れると鮮やかな陽射しを受けながら、悌順を電話で呼び出す。雪からの電話を予期していたのだろう悌順は、すまんと謝罪したがそれ以前に娘の方の動向は掴めていないようだ。待ち合わせ場所を指定しながら、外崎に連絡を入れる。
「外崎さん?」
『おう?子猫の話か?』
相手が面白がっているのは理解しているが、これ以上雪の大切なものを傷つけさせる気はなかった。
「今すぐ取っ捕まえたいんですけど、何処まで絞り込めますか?」
『おー?なんだ、ものものしいな?ん?』
「冗談じゃなくです。外崎さん。」
雪の声が普段と違うのに外崎が気がついたように、低くクツクツと嗤うのが分かる。恐らく居場所も半ば検討がついていたのに外崎は、雪が問いかけるまで情報を隠していたと言うところだろう。
「男の自宅とかですか?」
『うんにゃ、ちょっと待ってろよ?』
ゴソゴソと何時もの音がする。外崎の家の中の状態は知らないが、少しの身動きでゴソゴソ音がする辺り視力がなくても荷物が山になっていそうな気がした。外崎の言う僅かな時間の間に、遠くに立つ悌順を見つけ手を上げると電話片手の雪に悌順が眉を潜める。
『おう、待たせたな。』
「で?何処なんです?」
『駅の西側にな、キャロルってラブホテルがあるんだよな。分かるか?』
「知りませんよ、使う必要ないですから。」
外崎の言葉にキャロルというホテルにも外崎の耳があるのを確信して、何があっても使うまいと雪は内心決心する。出禁にするなら飲食店だけでなくカラオケボックスやラブホテルも禁止にすればよかったのにと、再び内心で愚痴るとそれが聞こえたように外崎が笑った。
『全部出禁にしたら儲けられないだろ?』
「面倒起こす手合いなんだから儲けにならないでしょ?」
『そこを儲けるのが経営だろ。因みに踏み込むか?』
「取っ捕まえたいんです。」
ははと外崎が嗤う。その声の先に外崎が連絡しといてやるよと言うのに、雪は思わず頭を抱えたくなりながらこの説明をどうするか思案する。
「雪、木内梓の行き先分かったのか?」
「ヤス、詳しい話は後で君の好きなだけ腹をわってしよう。兎に角、娘を取っ捕まえるのに場所は分かったけど、どうする?」
結果あの金切り声を上げる耳障りな女とスマホに釘付けの男を駅前に呼び出し、西口側の高架傍のキャロルというけばけばしいホテルに向かう。向かい始めると同時に次第に女の顔色が青ざめるのを横目に、ソワソワと落ち着かない男を眺める。ラブホテルの入り口まで辿り着いた時に甲高い聞き覚えのある声が響く。
「やぁだー、そんなの買ってぇ!茂木君ってば!エッチぃ!貞友さんもなんか言って~!」
「梓が使うから買ったんだろ?好きなくせに。」
「今すぐ入れるか?梓。」
男2人の腕を取りしなだれかかる姿は、娼婦じみて高校生とは思えない慣れた仕草だ。怯えて母親の背中に隠れた麻希子と、どちらがふしだらな事を積極的にしているのか比べる必要もない。
「アズちゃん!!」
甲高いよく似た母親の声に振り返った木内梓が凍りついたように立ち尽くし、その腕からバックが滑り落ち路面に中身が溢れ落ちる。その中身は恥ずかしくて口にも出せないような物ばかりで、当人の実の父親が路面に散らばった大人の玩具やコンドームを唖然と見下ろした。
「な、何でここにいんの!?」
梓の金切り声にヒステリーを起こしたような母親が掴みかかる。母子の騒動に唖然とする茂木と貞友に、父親が血相を変えたように殴りかかっていく。ホテルの出入り口で取っ組み合いの大騒ぎを始めた5人に、呆然とした雪と悌順が眺めていると遠くから警察官の姿が駆けつけてくるのが見えた。
ホテルの中からスタッフらしき女が顔を出して、5人の眺めているとアラと言いたげに目を丸くした。
「あの、お客様。」
スタッフの声に揉み合っていた5人が、誰の事かと一瞬固まる。
「先日お忘れの指輪の……。」
そこまで言った女スタッフの目が奥で密かに笑っていたのを、横にいた雪と悌順は見逃さなかった。恐らく外崎が指示して、この状況でそれを言うようにしていたのだろう。その言葉に凍りついたのは貞友に掴みかかっていた木内の夫で、しかも言葉にあったの?と間抜けにも答える。その瞬間金切り声は梓から夫に方向を変えた。
「奥さん!落ち着いて!!」
「何で浮気しやがった!このロクデナシ!」
「いでぇ!やめろ!!」
警察官に押さえ込まれているのに、飛びかかる母親を路面に転がり出た物の異様さに好奇の視線にさらされた梓が堪えきれずに泣き出す。子供が泣き出して落ち着くかと思った母親は泣き声に逆上し、梓を怒鳴り付け殴りかかる始末だ。悌順が押さえに加勢しても女の怒りは収まる気配すらない。ホテルのスタッフが女性でなく、男に変わって顔を出し警察官の問いかけに答える。
「ええ、そうです、困るんですよ、入口でこんなことされたら。」
その男性スタッフの視線は、真っ直ぐに木内の母親を見据え完全に指をさしながら告げた。
「何時もご贔屓にしていただいてありがたかったですけど、こんな騒ぎを起こされちゃ出入りご遠慮さしてもらいます。」
「あ、あたしはっ」
「言い訳は結構です、あ、あんたも関係者?あんたももう入れないからね!」
唖然とした木内の夫と茂木と貞友にもそう告げて、スタッフはわざとらしくやれやれと言いたげに警察官に頭を下げる。その言葉に我に帰ったように、今度は夫が妻に逆上し掴みかかった。
※※※
騒動がやっと沈静化したのはそれから2時間後で、狐につままれたような雪と悌順は溜め息混じりに警察署の玄関をくぐった。
貞友に茂木は未成年者との淫行で、未だに出られる予定はない。木内一家は厳重注意で帰宅を許される事になりそうだ。ただし、商店街からの被害届が妻に出ていることが分かった上に、両親の浮気は発覚するわ、娘は淫行条例で保護観察予定になるわ。この先を考える悌順の溜め息に、雪は同情したくなった。ともあれ、木内一家は自分達の問題で手一杯で、宮井家に怒鳴りこむ暇はないだろう。
「もしもし。」
『よお?随分かかったな。』
警察署を出た途端の電話に、雪は思わず眉を潜める。本当に視力がない男なのか時々疑問に感じるが、直に会うと確かに彼の両目は義眼ではあるのだ。
「何処から見てるんです?」
『はは、見えるなんて冗談だろ?後ろにいるだけだよ。』
その声が珍しくぶれて聞こえて、思わず振り返ると背後には今電話口で話していた筈の男が義眼の両目を向けて杖をついていた。
「外崎さん。」
「よお、雪。」
外崎が出歩くのは珍しく、雪は驚いて目を丸くする。雪の様子に横にいた悌順が、不思議そうに肩越しにその姿を眺めた。僅かに足を引き摺るように見えるのは、足が悪い訳ではなく股関節が突っ張っているような動きのせいのようだ。目は真横に醜い傷が走り、その奥には生気のない義眼が鈍く光っている。
「直にははじめまして、あんたが学校のセンセだね?」
男の声は酷く掠れて聞き取りにくいが、よく見ると時期外れのハイネックの首にも深い傷がある。見たこともない男に悌順が目を丸くしてどうもと呟くと、外崎は警戒しなくてもいいと嗤う。
「外崎さん、どうしたんです?警察に用事ですか?」
「おう、ちょっと野暮用でなぁ。呼び出されたんだわ。」
それじゃあなと嗤いながら歩いていく外崎の背中を胡散臭そうに見送る悌順を伴いながら、雪は外崎は警察に呼び出されるような何かがあるのかと考える。色々と胡散臭い事はしていそうだが、直接関わりあいのあるような事件を起こすタイプには見えない。
戻った時には疲労困憊していたが、叔母に木内梓が見つかったことと恐らくもう怒鳴り込みには来ないだろうと告げた。もし、また来るようなら警察を呼ぶことにして麻希子の様子を見に部屋に入る。ベットの上で丸くなっている麻希子を、ベットに腰掛け見下ろす。怖くて泣いていたのか、涙の跡の残る頬に胸が痛むのを感じながら頭を撫でる。撫でられたのに麻希子が夢うつつで瞬きするのに微かに微笑んだ。
「麻希ちゃん、もう心配いらないよ?」
その言葉に反応したように唐突に麻希子の瞳から大粒の涙が溢れる。よっぽど怖かったのだろうと再度頭を撫でると、麻希子が唐突に起き上がって抱きついた。小さな体が押し付けられ思わず動悸が早くなるが、震える麻希子の体に気がついてそっと抱き締める。麻希子は子供がするみたいに、胸にグリグリと頭を擦り付けてきて雪は戸惑う。
「ま、麻希ちゃん、本当に心配いらないんだよ?」
「麻希子。」
何でか分からないけどそう言えと、麻希子が可愛くねだるように呟く。暫く躊躇いながらも、雪は麻希子を抱き締めたまま耳元でそっと囁く。
「麻希子。」
くっついたままなのに緊張しながら囁くとホッとしたような息を溢して、麻希子の体から力が抜けるのが分かる。やがてスヤスヤと寝息をたて始めた麻希子を、雪は戸惑いながら長い間見つめていた。
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