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11月

閑話44.志賀早紀

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腹立たしい。その言葉が1番今の孝の気持ちに当てはまっているのだと早紀は思う。孝とて信哉と歳が11も離れているのは事実なので、これ以上親しく近い関係になるのは難しいのは理解している筈だ。ところが信哉が澤江仁と言う高校生を預かることにしたのは、孝にとっては想定外の衝撃だった。
居候は別に鳥飼邸でなくともいいのではないだろうか。例えば土志田邸でもいいし、大体にして高校生なのだから、アパートで一人で暮らすことだって可能な筈だ。一体どういう流れであいつを預かることになったのか、当の信哉に幾ら問いかけても曖昧な微笑みで流すばかり。そう愚痴っているところをみると、孝は本気で信哉にそう言ったに違いない。

「おかしいと思わないか?親戚でもないのに!」
「そうねぇ。」

幼馴染みの恋人同士がお互いの部屋から窓越しにする会話にしては、兄弟の話とは随分と色気のない会話だ。まあ、これは今に始まったことではないし、早紀としてはこんな話でも孝から話しかけてくるのはよい傾向ととらえている。それにしても確かにあの鳥飼信哉が、見ず知らずの人間を自分の家に住まわせるとは驚きだ。

「しかも!あいつ、兄さんの制服着てるんだ!」
「タカちゃん、良く分かるわねぇ。」

都立第三高校は男女ともに制服には、ブレザー以外にベストがあるのだ。夏場には暑苦しいことこの上ないが正装を毎日必ずと言うわけではないので、ベストを着るとすれば入学式や卒業式だけと言う生徒もいる。ベストは先輩から貰って着ても問題ないから、お下がりを着る生徒もいるくらいだ。そう言う意味では、信哉のベストやネクタイは争奪戦になりそうな。

あ、予備があったのかしらねぇ。

土志田先生や他の人のベストの可能性もあると気がついた早紀を他所に、孝は深い溜め息をつく。どこで信哉の制服を着てると見分けたのかは兎も角、早紀にも昨日の松理の話は少し気になっていた。信哉が合気道の天才だとは孝から聞いていたし、以前は真見塚道場に通っていたのも知っている。だが、鳥飼家も道場を開いていたとは初耳だった。

「ねぇタカちゃん、信哉さんのお家も元は道場をやっていたの?」
「ん?なんだ、早紀、知らないのか?」
「うん、聞いたことないもの。」

元気良く鳥飼家について語り出すかと思ったのに、孝は少し考え込んで西に見える高層マンションを眺める。予想と違う反応に早紀は不思議そうに孝の顔を頬杖をついて見つめた。

「3年の宮内先輩居るだろ?」
「うん、合気道部の部長さんね。」

孝は窓に肩肘をつくと早紀と同じように頬杖をついて、最近では珍しい能面みたいな感情の浮かばない顔をする。どうも昔から孝はあまり3年の宮内先輩のことが、好きではない様子なのだ。お互いに同じように幼い時から合気道を学んでいるのに、生徒会で一緒になっても殆ど話もしないらしい。合気道部に孝が入らなかったのも、流派云々よりそこが本当の理由なのだと早紀は薄々感じている。

「あそこと家は、昔は同じ1つの流派だったんだ。」
「へえ、知らなかったわ。」
「まあ、今は全然別の流派だしな。鳥飼家はその2つの家の元の流派なんだ。つまり、家の師匠ってことだ。」

早紀は予想外の言葉に目を丸くした。勿論流派ができると言うことは、そこに師範がいて門下生がいるわけではある。それでも真見塚みたいな大きな道場でも、更に上には先生がいたわけだ。その元の先生の家系が鳥飼家と言う話らしい。

「道場は何で止めちゃったの?」
「兄さんの母の代で、閉めたとしか僕も聞いてないんだ。」

鳥飼家の血筋はもう鳥飼信哉だけだと言う孝の言葉で、孝がひたすらに兄と呼んでも信哉に真見塚姓になるのを勧めようとはしない理由がわかる。孝なりにそこはわきまえて、その上で兄と慕っているのだろう。しかし、とは言え宮内先輩を嫌う理由が分からない。

「ねぇタカちゃん、何で宮内先輩のこと嫌いなの?」
「嫌いじゃない。」
「うそ、嫌いでしょ?」
「嫌なだけだ。」

それを普通は嫌いと言うと思うのよねと早紀は苦笑いする。早紀の苦笑いに気がついて、孝は少し口を尖らせ視線を背けた。

「だって、あいつ、兄さんが天才なのを認めないんだ。向こうの榊の方が上だって。」

理由を話してくれるとは思わなかったが、やっぱりそこなんだと思わずカクッと力が抜けそうになってしまう。大概孝の信哉さん至上主義は分かっているが、実際に信哉が人前で演武をして見せたことがないのだから他人にしてみれば説得力にかけるのだ。それにしても先輩をあいつ呼ばわりはいけない。それに榊と言う人のことは早紀は知らないが、この話でいけば宮内道場の人間なのだろう。

「僕も一度榊の演武は見た。確かに人並み以上だったけど、兄さんに叶う筈がない。」

孝なりに演武を贔屓目で見ることはないから、恐らく榊と言う人もかなりの腕前なのだ。相手は信哉の演武を見ていないのだろうから、話が堂々巡りするのは当然なのだろう。

「タカちゃん、そう言えば行方不明の人見つかった?」

話を急に変えたが、孝の顔が見る間に曇ったのが分かる。門下生が数人行方不明になったと話していたが、松理の話からするとそれはもう1つの道場でも起きているのてはないだろうか。

「宮内さんでも行方不明の人いるの?」

その言葉に孝の顔が色を変えたのに気がつく。松理がこの間話していたのは、満更出任せではないようだ。誰から聞いたと問われて、素直に松理からだと話す。

「松理ちゃんが、タカちゃんのこと心配してたわ。」
「ん、そうか。」

都市下に幾つの合気道の道場があるかは知らないが、すくなくとも大会に出てくる数の一部は都市下だろう。この間の演武大会では異常は感じなかったけれど、密やかに異変が忍び寄っているのかもしれない。

「他の合気道の道場でも、同じようなこと起きてるの?」
「詳しくは知らないけど、そうらしい。」

お陰で道場に通うのを辞めてしまった人もいると孝が呟く。
この間の停電といい何だか不穏な感じが、自分達の身の回りに漂っているようで早紀は小さく溜め息をつく。その溜め息に気がついた孝が、少し迷うように視線を向けてきた。
こうして2人が話をするようになったのはここ最近の話ではあるが、実際に窓越しで話している2つの部屋の間隔はそう離れていない。その気になれば相手の部屋に簡単に入れるほど、向かい合った窓は近いのだ。

「何も起きないといいけど。ね、タカちゃん。」

そう言った早紀の視線が孝の視線とかち合って、そのまま空気が止まる。麻希子のお陰で告白してから2人の間は以前とは少しだけ変わって、お互いの認識も少し変わった。それを意識すると、時々少しだけ奇妙な無言が生まれたりするようになっている。それが今みたいな時だ。こういう時に何をどうするべきか、お互いにまだ上手く判断できないのだが、窓越しでほんの指先ほどしか離れていない2人の距離は互いに少しだけ乗り出せば直ぐ触れられる位なのだ。それが意味しているのに気がついて、思わず緊張感が滲む。
ほんの少し体を乗り出すだけ、それだけで触れられる距離。思わず少し顎を上向け目を閉じる早紀の顔に、少し窓から孝の体が乗り出す。
ほんの数ミリそう思った瞬間、下の縁側で盛大な陶器の割れる音が響き渡った。ギョッとして思わず互いに飛び退いた2人の視線が、下に落ちるとそこには慌てて落とした陶器の破片を広い集める真見塚杜幾子の姿がある。

「母さんっ!何やってんの!!」
「あ、あらぁ、タカちゃんも早紀ちゃんもおばさんの事は気にしなくていいのよぉ。」 
 
どうやったら気にしないでいられるのさと孝が苛立たし気に声をあげるのを聞きながら、早紀は早くなる動機に頬を染めていた。
そうして、孝に聞くのを忘れていた事を思い出したのは暫く後の事。信哉さんて作家なの?麻希子達の会話で薄々分かってはいるけど、本当にそうなのか聞き忘れてしまったのだった。



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