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11月

閑話48.松尾さつき

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『茶樹』でのアルバイトは既に数年、正直なところここでの仕事は天職かなと松尾さつきは思っている。元々は専門学校の合間のアルバイトだったのだが、専門学校を卒業して早三年ほぼフルタイムで入るようになりつつあるのだ。国家資格があるのにそれを放っているのは、確かに心苦しいところだが『茶樹』での仕事は楽しい。しかも気心の知れたマスターに、毎回美味しい鈴徳の賄い付き。常連でマスターの彼女の志賀松理との会話も楽しい。

「松理さん、どうしてそんなに食べてて太んないなんですか?」
「えー?最近太ってきたわよぉ、良二君の賄い美味しいから。」

カウンターで何故か今日のランチではなく、賄いを食べている松理は実際には料理も中々の腕らしい。ただ、仕事の最中は余り自分では作らないそうだし、彼氏のマスターは朝から晩まで『茶樹』にいるから手料理を振る舞う隙もなさそうだ。そんな松理は賄いとは言え、普通の盛りの倍量に見える良二特製のタコライスを大さじで掬う。テレビで見るよく見る可愛い顔した大食いクイーン張りの食べっぷりだが、松理のスタイルは初めて出会ってからひとつも変わりない気がする。

「松理は仕事が始まると殆ど食べないからねぇ。」

のんびりとマスターが言うのに、松理がばらさないでよと苦笑いして言う。歳も離れた二人の付き合いはもう十年以上になると言うが、のんびりしたマスターがきっとベタ惚れで松理に尽くしているに違いない。それにしても作家の松理は短期集中型なのか、編集者の若い男の人がちょくちょく探し回っているのは既にさつきの中でのプチイベント状態だ。何しろ松理の担当に数年前からなった菊池直人は、かなりのイケメンで爽やかな微笑みがさつきのもろタイプ。松理の動向を聞かれ答えた時の「ありがとう、さつきちゃん」が聞きたくて、あえて情報をリークしているのはここだけの話。まあ、それに関してはマスターも知っているから、秘密にもなっていなさそうだが。

「ねぇ、惣一君、フィ様生きてるかしら?」

時折二人で話題にしているフィ様という男が、店でイケイケ女子高生を侍らせた上に常連のハムちゃんに絡んだのは夏前の事。ちなみにフィ様は矢根尾と言う男の渾名で、マスターと松理はその渾名の理由を知っているが説明が難しいからと教えてもらっていない。ついでに言えばさつきが命名したハムちゃんとは、常連客の女子高生でバックヤードではハムちゃんと言えば鈴徳良二も分かる。注文したものをなんでも幸せそうにクリクリした瞳で見つめて、嬉しそうに飲んだり食べてくれる彼女は良二の一番のお気に入りのお客さんだ。松理さんのそっくりさんの姪っ子ちゃんとも可愛い小学生のミニハムちゃんとも来てくれるし、一人でもよく店に来てくれる。見ているだけでほのぼのする愛らしさなものだから、いつの間にかマスターだけでなく他の常連の客とも何人か仲良くしている様子。

流石ハムちゃん、愛くるしい仕草とお顔で大人気よね!

そう納得しつつ良二にハムちゃんが季節のパフェオーダーと伝えれば、確実にフルーツの盛りが飾り切りや良二の海外で店を任されたことのある手腕満載の絶品で提供される。勿論客商売なので良二も量を変えるわけではないが、よく見れば繊細な盛り付けが微妙に蝶の形をしていたり花になっていたり。偶然を装ってやっているふりだが、彼女は写メをとってるので確実にばれると思う。

「矢根尾なら、うちの傍のボロアパートに住んでますよ?」

そえそう話を戻すが、数ヵ月前に矢根尾俊一が近くのオンボロアパートに引っ越してきたのを妹と二人で歩きながら見てしまっていた。思わず男の顔を見て、うげっと声をあげたくなるのを二人で我慢する。しかし、矢根尾も嫌だがそのオンボロアパートは、住人がいつかないので有名な幽霊アパートなのだ。老婆の幽霊が出るとか黒髪の女の幽霊が出るとか、ひっきりなしに入居者が入れ替わるし噂が絶えたことのない。そろそろ入居者がいなくなって取り壊しかと思っていたのに、そんなアパートによく住む気になるものだ。まあ、関係ないけどどれくらいもつかね?と、さつきは妹のむつきと顔を見合わせていた。

「へー。幽霊アパートかぁ、面白そうねぇ。」
「松理、面白がって遊びに行くんじゃないよ?彼には関わるなよ?」
「やぁねぇ、惣一君。嫉妬だなんて若々しいこと。」

安心して、やさぐれチンピラは好みじゃないのよと松理がコロコロと笑う。矢根尾云々より幽霊アパートに興味を持つ辺りが、松理らしいところだ。ただ、本気で興味を持つと忍び込みかねないのも松理なのだが。
昔はもう少しマトモだったんだけどねぇと松理はタコライスを綺麗に平らげて、つやつやのスプーン片手に口を開く。

「マトモってどう言うことですか?」
「少なくともやさぐれでもなきゃチンピラでもなかったわよねぇ?惣一君。」

松理は何処か懐かしむような口調で、アイスコーヒーを啜ると何か適切な表現を探すように宙を眺める。やさぐれでもなくチンピラでもない…今の姿しか見たことのないさつきには、それを引き算した姿は全く思い浮かばない。

「リエちゃんとラブラブの頃は、世間知らずで、金にルーズなだらしない良いとこのボンボンだっただけよね。」
「まあねぇ、彼も大人になりきれなかったんだろうねぇ。」

リエと言うのが誰の事かは知らないが、その女性は矢根尾だけでなくこの二人とも関係があったのだろう。しかし、松理の表現では、今でも前でも付き合いたい男性には思えない。それにしてもあの男が特定の女性とラブラブの頃があったなんて、正直信じられない。女子高生の彼女は何とかあの男とは縁を切って、今は元気に学校に通っているらしいが近所にいるからには妹にも気を付けさせないとならないのだ。

「女の敵なんだから、どっか行ってくれたらいいんですよ。」

吐き捨てる様にさつきが言うと、マスターがおやおやと苦笑混じりに呟く。やさぐれる前はちょっとイケメンだったんだけどねぇと、松理も気にした風でもなく呑気な口調だ。ちょっとイケメンでも金銭にルーズでだらしない世間知らずとは付き合いたくないし、その後がやさぐれたチンピラ崩れになるのなら真っ平ごめん。大体にして好きになってくれた女の人を大事に出来ない様な男なんて屑!そうさつきは心の中で呟く。



※※※



その日仕事から家に帰ると母と妹のむつきが、大騒ぎで玄関でさつきを出迎え今日の一大ニュースを口々に捲し立て始める。

「ちょっと、落ち着いてよ!二人とも!なに?!」
「だから、お姉!あの男!あの変態男!!」
「さつきちゃん!凄かったのよ!!ギャーッ!!って!」

もう大興奮の二人の会話をまとめるのが面倒だか、結論としては夕方あの幽霊アパートから男の大絶叫が夕闇の中で始まったのだと言う。アパートから我が家までは、道路を挟んで家が二件あって更に道路を挟んでいる。直線で言えば二十メートル程。そこからの絶叫が聞こえるとは、いったいどんな叫び声なのかと思う。兎も角余りの絶叫に近隣の人間は、その声の出所を探して顔を出した。そうしてアパートの二階から響く絶叫を下から眺めつつ、警察官と大家らしい中年の男性と恐る恐る赤錆の浮いた階段を上がり始める。未だに絶叫は続いていてよくまあ声が枯れないものだと思うが、ドアを開けた瞬間その絶叫は更に音量を跳ね上げたのだ。

「あの幽霊アパートってさ、ちゃんと防音されてんだね!ドア開けたらあの男の絶叫が遮音されてたんだぁってママと感心しちゃったよ。」

まあ、最低限の遮音くらいはしてもらわないと、賃貸物件なんだし。兎も角扉を開けた警察官も大家もその場で立ち尽くし、何を見ているのか分からないとポカーンとしていたらしい。そして、仄かな異臭に辺りが包まれ眺めていた人間が眉を潜め始めると、ドアの前の警察官達も口元をそれぞれに覆いながら部屋の中に姿を消していった。絶叫しているくらいだから恐らく住人は生きてるんだろうなと、むつきとママは考えたようだ。

「てっきり直ぐ出てくると思ったのに、警察が無線で人を呼んでて、大屋さんらしき人は気持ち悪そうにしてて通路で外の空気を吸ってるんだよ?」

何か事件が起きてて死体とかがあるのかとも思うが、一向にそれらしき動きはないし。悲鳴は止まったけど男の人の啜り泣きみたいな声で、早く拘束を外してくれ、椅子から解放してくれよという懇願の声が漏れ聞こえる。異臭は腐敗臭と何か汚水みたいな臭いで、敷地を遠巻きに眺めているさつき達にまで臭うということは室内はこの臭いで充満してるってこと?うへぇ!気持ちわるぅ!やがてもう二人警察官が来て、暫くして汚物まみれでヨロヨロと歩いて部屋から出てきた男の姿でハッキリした。

やだー!あの男じゃん!!変態男!しかもなに?!椅子に拘束されて汚物まみれにされて、叫んでたの?!マジで?!超ヤバくない?!きっつ!ドブみたいなの被ってるし!

そう叫びたくなったのをグッと我慢したのは、その男の視線が辺りを見渡し誰かを探しているように見えたからだ。下手や声を出してあいつに付きまとわれたら、お姉に怒られるだけじゃ済まない。

「はぁー?椅子に拘束って映画じゃあるまいし。」 
「でもさあ、お姉。出てきた時、あいつ手足に手錠着けてたんだよ?」

はあ?と聞き返すと本物かどうかは知らないが、手足には手錠がかけられていたらしい。本来なら二つの環を繋いでいる間の鎖が切断されて、手足にそれぞれ銀の環を嵌めてよろめきながら歩く。その体は黒と黄色いような物で斑に汚染されていて、なにか体を縛り付けていた紐の様な物の跡がまるで白く染め残しのように見える。着替えれなかったのかなと思うが、着替えると分からなくなる物もあるのかもしれない。アパートの鉄錆びの浮いた階段にぐったりと座り込んだ矢根尾は、あんなに叫んでいたのに声高に警察官に何が起きたのかを訴え始めていた。

「安斉だよ!安斉千奈美がやったんだ!ってずーっとキンキン声で叫んでんの。もーね、壊れたテープレコーダーみたいなの!」
「はぁ?女にされたの?自業自得じゃないの?」

さつきの言葉にむつきはだからおかしかったんじゃんと笑う。夏休み前に付き合っていた女子高生は、さつきの同級生でハムちゃんのお友だちだと聞いて、さつきに忠告してあげなよと教えておいた。何しろマスターからあの男はここのところ女性関係は札付きだよ?最近は来なかったのに店に来るとはなぁと呟いて、また来たら自分が対応するからと言われていたのだ。
それにしても手錠や紐で椅子に拘束されていたとは、どれだけ怨みを買うようなことをしたのだろう。紐は兎も角、手錠なんてどこで売っているかさつきには考えもつかない。しかも女にかけられたんだろうけど、汚物臭にまみれで叫び続けるなんて頭がおかしいとしか思えない。まあ、手足も拘束されてたらそうするしかなかったんだろうけど。
さつきは母と妹に半径十メートル以上離れておくんだよと、きつく言い渡していた。

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