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1月

閑話61.須藤香苗

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珍しく土曜の午後にグッタリした土志田悌順がリビングで延びているのに、家庭教師日に訪問した香苗は目を丸くした。普段なら学校で仕事をしてることが多くてこの時間は家にいないことが多いのに、今日は全く気力が無いと言いたげにソファーに延びている。

あ、そっか坂本先輩の件………かなぁ…

香苗や麻希子達は正月の初詣の時に、当の坂本真希先輩の口から妊娠も結婚も聞いていた。しかし、学校にその報告があったのは今週頭のことで、今の学校は噂で持ちきりだ。何でそんなに間があいたのか麻希子達は不思議がっていたが、香苗には理由がなんとなく分かる気がした。坂本先輩は恐らく妊娠が発覚してから、産むつもりだとしてもかなり悩んだに違いない。何か報告しなければならない理由がなければ、可能なら隠したまま卒業しただろうと香苗は思う。何しろ後たった2ヶ月で卒業なのだから、妊娠3ヶ月か4ヶ月ちょっとならお腹はまだ目立たないし体調不良で押しきれなくもない。でも、妊娠が表に出てしまえば話は別だ。悌順は生徒指導の教師として、目下対応に四苦八苦しているのだろう。同じ妊娠と言えば夏には香苗自身のこともあったし、その苦労はわからなくもない。あの時だって妊娠に気がついて半月以上も言い出せなかったし、結果として夏休み中に香苗は流産してしまったから表に出なかっただけだ。知っているのは悌順と麻希子のほんの数人しかいない。
義人が気にしないで始めようと穏やかに促したが、ソファーでビクともしない悌順が香苗の気にならない訳がない。

「ヤスさん、魂が抜けてますよ。」
「あー悪い、勉強中か……。」

苦笑いでお茶を入れに立った義人の言葉で気がついたのか、ムクリと起き上がった悌順は溜め息混じりに頬杖をついて香苗の参考書を覗きこむ。

「大分進んだなぁ、須藤。」
「うん、義人さんが分かりやすく教えてくれるから、結構分かってきた。」
「そうかぁ、偉いもんだな……俺にゃ分からんことが多すぎる。乙女心なんてちっともわからん。」

呻きながらそう言う悌順が項垂れるのに、流石に又もや仕事とは言え自分が関わってもいないことで散々に振り回される悌順が可哀想になる。でも、当の坂本先輩の方は全く悪びれる感じでもないし、自分の時とは違って相手の人も誠実でまともな人のようだった。しかも、あの坂本先輩の話し振りからすると、計画的に坂本先輩が相手を捕獲したようにも見えなくもないのだ。恐らく坂本先輩は相手の人の事を真剣に好きだったのだろうし、相手の人も真剣に思ってくれたに違いない。とは言え、流石にこの時期でなくともとは少しは思う。

「あぁ!何で今だよ!あとちょっとで卒業なんだぞ?!」

あ、やっぱりそこだよね。
香苗がそう思うと同時に頭を抱えて悌順が天井を仰ぐ。せめて後2ヶ月後だったら、高校生を妊娠とは騒ぎで言われなかっただけでも大きな違いだっただろう。でも、やっぱり坂本先輩の気持ちも分からなくもないのだ。もし、自分の相手が悌順だったら、香苗は必死にあの時産もうとしたと思う。だが、目の前の香苗の姿に、夏の事を思い出したらしい悌順は少し声を落とした。

「悪い……須藤の前で言うことじゃなかった……。」
「別にいいよ、気持ちは分かるから。」
「良くないですよ!」

突然のように義人が、憤慨の声をあげる。義人は香苗の妊娠に一番最初に気がついた人間でもあるし、その後また会った時には香苗が妊娠していないのにも直ぐ気がついた。看護師だからなのかそう言う機微に敏感な義人は、悌順の言動に立腹している様子だ。

「香苗ちゃん、そう言うのセクハラって怒ったほうがいいんです。ヤスさんのはただの八つ当たり、福上先生に説教されたからなんですからね。」
「説教は兎も角よぉ、相手を教えられないってなんなんだよ。親まで口をつぐんでんだぞ?」
「だから、デリカシー!守秘義務!!」

いや、たぶん火曜日に暢気に雑談していた坂本先輩と香苗達の姿から、悌順は大部分の事情を香苗達が知っていることを察しているに違いない。

流石に相手に会ったとは言えないし、まあ顔と名前しか知らないしね。

坂本先輩はもう少しで結納って話していたから、もう少しすればきっと悌順が聞き出そうとしていることも話せるようになるに違いない。大体にしてきっと坂本先輩はかなりの覚悟をして学校に報告した筈だから、ちょっとやそっとじゃ揺るがないに決まっている。

「あ、ねぇ、悌さん本貸して。」
「お前なぁ一応先生って言えよ。本って俺の?興味ある本なんかあるか?」

見たいというと好きにしていいと答えてくれる。休憩にかこつけてパタパタと悌順の部屋に向かう香苗の背後では、義人が珍しくデリカシーがないと悌順に説教をしているのが聞こえていた。お邪魔しますといいながら入り込んだ室内には悌順の香りがホンノリ残っていて、こんな風に入らせてもらえるようになったのが本当は少し嬉しい。そう思いながら書架を見上げると、本当に多種多様な本がキチンと並んでいて思わず仰ぎ見てしまった。冬里が言った通り体育の教師にしては、悌順は稀に見る読書家なのだと改めて本の背表紙を眺めて考える。麻希子の本棚も小説ばかりで凄いなと思うけど、悌順の書籍は哲学やら小説やら本当に幅広い上にスライド式の書架には何処にも漫画なんて見えない。
大量の本を見上げスライドの奥の上の棚に同じ作家の名前の書籍が幾つも並んでいるのに気がついた香苗は、天井近いその本を目を丸くして眺める。

あの本、麻希子に借りた人の本?

『鳥飼澪』なんて、そうそう聞かない名前だし、何より借りたのと同じ書籍があるのが見える。と言うことは悌順も前から好きで、読んでいるのかもしれない。手にとってみようと思うけど天井に近い棚の本は、香苗がどんなに手を伸ばしても流石に届かない。身長の高い悌順なら容易い位置だろうけど、香苗は彼より20センチは小さいのだ。

ほんっと背高いなぁ、悌さん

そんなところに小さな感動なんか覚えながら、何か台になるものがないかななんて辺りを見渡す。唯一踏み台になりそうな椅子を運んで乗っても安定が悪くて、今一つ本に手がかからない。

「おい、すど……バカ!危ない!香苗!!」

自室の扉を開ける音に一瞬気をとられた瞬間、キャスターの椅子が軽く滑るのが分かった。ダメだ・落ちるなって素直に香苗が諦めたのを余所に、気がつくと見えるのは天井と覗きこむ悌順の顔だった。

「何やってんだ、危ないだろ!とれなかったら言え!」

一瞬ポカーンとしたけれど、今確かに香苗って呼んだと頭が感動している。しかも、今床に座り込んでる悌順の膝の上に抱きかかえられて、怒られているけど心配して覗きこまれてて。香苗は呆然とその顔を見上げているが、今の状況にまだついていけていない。
簡単に言えばキャスター付きの椅子を台にして本棚の本をとろうとして、間抜けなことにキャスターが動いてバランスを崩した。そのタイミングで入ってきた悌順が、咄嗟に滑り込んで抱きとめてくれたのだ。

「ヤスさん?!今の音なに?!」
「香苗が椅子から落っこった!頭打ってないか?!」

あ、また名前で呼ばれている。頭は打ってない筈だけど、それよりあのタイミングで抱きとめるって、どんだけ格好いいのか分かってるかな。しかも、ダサいジャージでもなければピンクのウサギでもない。家の中で楽な服装とは言え、Vネックのワイン色のニットと藍色より濃いスキニージーンズ。首元から覗く鎖骨は滑らかで、抱きとめた腕の筋肉の力強い感触とか男らしいこと半端ない。

「おい!香苗?!」

3回も名前で呼ばれてるけど、これってもしかして夢かもしれない。そんな事を暢気に考え瞬きを何度かすると、心配して覗きこむ義人が香苗の頭を撫でて確認しているのが分かる。ハッと我に返って体を起こそうとすると、床ではなく悌順の膝に手があたった。抱っこされてるし!しかも完全に膝の上!?マジで!?

「ご、ごめんなさい!何ともない!」
「ほんと?どこも痛くないの?ぶつけてない?」 
「ほんとか?!ボーッとしてたぞ?」
「ほんと大丈夫!驚いてポカーンとしてただけ!」

慌てて立とうとしたが何でかヘナヘナと座り込んで、また悌順の膝の上に戻ってしまう。今更腰が抜けてるとかどうなのって真っ赤になった香苗に、ホッとしたように2人が息をつく。

「全くなんだって椅子に乗るかな、子供かお前は。」
「あ、あはは、届くかなぁって。」
「どれが読みたかったんだよ?持ってきてやるから。」

呆れたように腰の抜けた香苗を軽々と抱きかかえて、廊下を歩いている悌順に正直香苗は悶絶してしまいそうだ。姫抱っこ!軽々と姫抱っこされてるし!しかも、今はなんたって男前な悌順なのだ。これって超幸運?!

「あ、あの、麻希子に他の本借りた事あって、鳥飼澪って人の本。」

その言葉に、ん?と悌順が少し驚いたように目を細める。そう言えば冬里も言っていたけど、少しチョイスが渋いっていう話だったから、高校生が喜んで手にするタイプの本ではないのかもしれない。確かに借りた本は面白かったけど、麻希子が教えてくれなければ書店で手に取ることはなかった筈だ。

「へぇ、宮井も持ってるのか?」
「う、うん、面白いって。」
「そうか、面白いか。ふふ。」

何故かその言葉に少し嬉しそうに笑う格好いい悌順の顔をボーッと見つめながら、あっという間に香苗はリビングのソファーまで運ばれてそっと下ろされる。ちょっと待ってろと言われて、ボーッとしていると本棚から自分はこれが一番好みだなと持ってきた本を差し出される。『思い出』と表題された本を手渡されて大切そうに受け取りながら、鳥飼澪を教えてくれた麻希子に今度お礼しておこうと香苗は心に誓っていた。
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