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5月
17.ローズマリー
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昨日の違和感はそのまま心の隅に棘のように刺さったままだ。それが何でなのか私には良く分からないけど、それでも香苗とは居たくなくて志賀さんの傍にいる。その姿に香苗にうんざりしていた子達も、オズオズと志賀さんや私にも話しかけるようになった。志賀さんにとってはいい兆候なんだろうけど、私としてはちょっと複雑な気分でもある。
それはさておき、志賀さんと今日は念願の喫茶店に向かっている。そう、行きたかった作家さんがエッセイにした喫茶店である。志賀さんのお家の近くというので、道案内を志賀さんがかって出てくれた。
その道すがら、それはとっても小さな偶然。
街中で名前を呼ばれた気がして私は、思わず振り返った。聞き覚えのない声だと思ったら、案の定私の知らない女性も同じように振り返っていた。
それは何だか表情の暗い女性だった。
綺麗に化粧もして綺麗に着飾っているのに、酷く霞んだように印象の薄い人というのが私の感想だ。窶れているように見え病気なのかそこに立っているのも辛そうで、切なそうで今にも倒れてしまいそうに見える。
思わず見つめていた私にふと気がついたように、相手も私を見つめ返してきた。一瞬その瞳の奥にある悲しげな表情に気がついた。人が寂しそうで悲しく見えるなんてよく分からなかった。
でも本当にそう感じる事があることを始めて知った。
その人はまるで私の姿に何か追憶にふけるかのように眼を細め、やがて名前を呼んだ人に向かってフワフワとした足取りで歩き出す。
「…宮井さん、どうしたの?」
私の視線の先を不思議そうに見た隣にいた志賀さんにはその人の眼は見えなかったみたいだ。
もうその人はスッとはなれて人混みのあいだを、フワフワと歩み去っていく。体重も軽いのかまるで世界が違うようなフワフワと揺らめく足取りはすごく頼りなくて、今の私よりもずっと弱いような気がした。離れていくのにその人だけ、まるで黒い煙でもあげているように暗く浮き上がって何時までも目で追えてしまう。どうしてそう見えるのか私にはわからないけど、何だか不安になる。
大人になるって、もっと夢に溢れてるんじゃないのかな?
辛そうに見えるあの人の姿と何故かこの間の香苗の年上彼氏の姿が重なる。中学の頃高校生はキラキラして見えたし、大人は皆活気に満ちて日々を過ごしているんだと思っていた。正直者そうであって欲しいけど、成長する度にそうでもないなって感じる。
高校生になったときも同じことを感じたんだ。
それってこの先も同じってことなのかな?世界はただ延長線の上に続くだけで、何も新しい希望に溢れた眩い出来事なんてないの?
「宮井さん?」
「あ、ごめん。」
振り返った先にある志賀さんの少し心配げな表情に、私の中ではホッと少し温かみが戻って私は息をつく。
その小さな様子が与えてくれるほんの少しの癒し。
貴方は私を蘇らせるみたい。
私は思わず苦笑しながら、彼女に駆け寄る。私の笑顔にほっとしたのか志賀さんもニッコリと微笑んでくれて、思わず肩をすくめた。こんな風に気持ちが落ち込むのってやっぱり5月病なのかもしれないけど、志賀さんのおかげで気持ちは凄く楽なような気がする。
「宮井さん、あそこの角を曲がってね、少し先なの。」
「えー、ちょっと知らないとこの路地入らないね~、連れてきて貰わなかったら迷ってた!」
私の言葉に志賀さんは少し嬉しそうに笑いながら、ウキウキしている私を案内する。
大通りの半分しかない路地に入らないとドアが見えないなんて知らなかったら絶対素通りしてしまうに違いない。エッセイの最後に乗っていた地図では最寄り駅前だとは分かったけど、確かに駅が見えるほど近いから駅前なんだろうけど私は曲がり損ねる自信がある。
少しだけ人気の減る路地で落ち着いた深い碧の木の扉にopenの札と『茶樹』と控えめな看板。ホントにエッセイにあった通り茶樹と書いて『ちゃのき』と読むなんてお洒落だななんて私が考えていると、志賀さんが迷うことなく扉を開く。
「いらっしゃいませー。」
ウエイトレスさんらしい柔らかく暢気に聞こえる声に誘われた店内には、ホワンと紅茶と珈琲のよい香りが静けさの中に漂う。綺麗な落ち着いた木目の店内は、穏やかで明るい陽射しが音もなく高い天窓のような窓から射し込んでいる。
志賀さんが少し頭を下げるとマスターらしい男の人が微笑みを返してくれたのに気がつきながら、奥の席に促され足の下に木材の柔らかさを感じながら歩く。店内は穏やかな音楽が流れて、女性客も多いけど喧騒というほどではない。心地よい音楽に楽しげな会話の声が、音楽みたいに紛れる程度だ。一瞬志賀さんの視線が店内を見渡したのに気がついて、私は不思議に思いながら彼女の様子を眺める。
「志賀さん、誰か探してるの?」
私の言葉に彼女はハッとしたように我にかえり、その後で少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。
「ごめんなさい、あのね、ここのマスターさんの奥さん……私の叔母なの。」
「ああ、だからよく通ってるの?」
志賀さんは恥ずかしそうに笑いながら首を横にふって、ちょっとだけ声を落とした。あまり大きな声で話したくない事なんだと気がついて、私も顔を寄せ息を潜める。
「全然知らないでずっと通ってたの。ここのケーキ美味しいから、あの、全部食べたくて。」
おお!予想の斜め上をいく答えが!ホントに私の予想外の答えだった。志賀さんがそういう制覇目的でここに通ってたなんて、ちょっと志賀さんがやりそうにない狙いだったのか。
「この間叔母さんから声をかけてきて、叔母さんと会うの久しぶりで驚いちゃったの。その時ここのマスターさんが旦那さんだって聞いて。ただ居たら叔母さんってちょっと変わってるから、また脅かされそうで。」
これまた予想外な。なんだ、それでちょっと緊張してたのかと私は少し可笑しくなってしまう。親戚に脅かされるから親戚がいないか確認しちゃうなんて、志賀さんって本当に可愛いとこあるんだなぁ。
「叔母さんに脅かされるの心配してたんだぁ?志賀さん。」
「だって、本当にちょっと不思議な人なのよ?突然横から私の食べてたケーキを突然食べる人がいたら、宮井さんだって驚くでしょ?」
その時の志賀さんを想像した私は思わず吹き出した。確かにそれはかなり驚くというか、知らない人だったら悲鳴ものの驚きだろう。私があんまり笑うから、志賀さんは頬を染めて可愛く頬を膨らませ拗ねている。
ああ、香苗の不貞腐れ顔との差の凄さ!
「もー、あんまり笑わないでよ。」
「ごめん、志賀さん可愛いんだもん。ねぇ、志賀さんはどれがオススメなの?」
「えーとね、ガトーフレーズもいいけどガトーショコラもいいのよ、後は季節のパンケーキもパフェも美味しいの!」
おお、再び予想外の志賀さんが登場。これは今度は是非ともドタキャンされて涙を飲んでいるスイーツバイキングに志賀さんを誘ってみよう。私は楽しそうな志賀さんを見ながらそう誓っていた。
それはさておき、志賀さんと今日は念願の喫茶店に向かっている。そう、行きたかった作家さんがエッセイにした喫茶店である。志賀さんのお家の近くというので、道案内を志賀さんがかって出てくれた。
その道すがら、それはとっても小さな偶然。
街中で名前を呼ばれた気がして私は、思わず振り返った。聞き覚えのない声だと思ったら、案の定私の知らない女性も同じように振り返っていた。
それは何だか表情の暗い女性だった。
綺麗に化粧もして綺麗に着飾っているのに、酷く霞んだように印象の薄い人というのが私の感想だ。窶れているように見え病気なのかそこに立っているのも辛そうで、切なそうで今にも倒れてしまいそうに見える。
思わず見つめていた私にふと気がついたように、相手も私を見つめ返してきた。一瞬その瞳の奥にある悲しげな表情に気がついた。人が寂しそうで悲しく見えるなんてよく分からなかった。
でも本当にそう感じる事があることを始めて知った。
その人はまるで私の姿に何か追憶にふけるかのように眼を細め、やがて名前を呼んだ人に向かってフワフワとした足取りで歩き出す。
「…宮井さん、どうしたの?」
私の視線の先を不思議そうに見た隣にいた志賀さんにはその人の眼は見えなかったみたいだ。
もうその人はスッとはなれて人混みのあいだを、フワフワと歩み去っていく。体重も軽いのかまるで世界が違うようなフワフワと揺らめく足取りはすごく頼りなくて、今の私よりもずっと弱いような気がした。離れていくのにその人だけ、まるで黒い煙でもあげているように暗く浮き上がって何時までも目で追えてしまう。どうしてそう見えるのか私にはわからないけど、何だか不安になる。
大人になるって、もっと夢に溢れてるんじゃないのかな?
辛そうに見えるあの人の姿と何故かこの間の香苗の年上彼氏の姿が重なる。中学の頃高校生はキラキラして見えたし、大人は皆活気に満ちて日々を過ごしているんだと思っていた。正直者そうであって欲しいけど、成長する度にそうでもないなって感じる。
高校生になったときも同じことを感じたんだ。
それってこの先も同じってことなのかな?世界はただ延長線の上に続くだけで、何も新しい希望に溢れた眩い出来事なんてないの?
「宮井さん?」
「あ、ごめん。」
振り返った先にある志賀さんの少し心配げな表情に、私の中ではホッと少し温かみが戻って私は息をつく。
その小さな様子が与えてくれるほんの少しの癒し。
貴方は私を蘇らせるみたい。
私は思わず苦笑しながら、彼女に駆け寄る。私の笑顔にほっとしたのか志賀さんもニッコリと微笑んでくれて、思わず肩をすくめた。こんな風に気持ちが落ち込むのってやっぱり5月病なのかもしれないけど、志賀さんのおかげで気持ちは凄く楽なような気がする。
「宮井さん、あそこの角を曲がってね、少し先なの。」
「えー、ちょっと知らないとこの路地入らないね~、連れてきて貰わなかったら迷ってた!」
私の言葉に志賀さんは少し嬉しそうに笑いながら、ウキウキしている私を案内する。
大通りの半分しかない路地に入らないとドアが見えないなんて知らなかったら絶対素通りしてしまうに違いない。エッセイの最後に乗っていた地図では最寄り駅前だとは分かったけど、確かに駅が見えるほど近いから駅前なんだろうけど私は曲がり損ねる自信がある。
少しだけ人気の減る路地で落ち着いた深い碧の木の扉にopenの札と『茶樹』と控えめな看板。ホントにエッセイにあった通り茶樹と書いて『ちゃのき』と読むなんてお洒落だななんて私が考えていると、志賀さんが迷うことなく扉を開く。
「いらっしゃいませー。」
ウエイトレスさんらしい柔らかく暢気に聞こえる声に誘われた店内には、ホワンと紅茶と珈琲のよい香りが静けさの中に漂う。綺麗な落ち着いた木目の店内は、穏やかで明るい陽射しが音もなく高い天窓のような窓から射し込んでいる。
志賀さんが少し頭を下げるとマスターらしい男の人が微笑みを返してくれたのに気がつきながら、奥の席に促され足の下に木材の柔らかさを感じながら歩く。店内は穏やかな音楽が流れて、女性客も多いけど喧騒というほどではない。心地よい音楽に楽しげな会話の声が、音楽みたいに紛れる程度だ。一瞬志賀さんの視線が店内を見渡したのに気がついて、私は不思議に思いながら彼女の様子を眺める。
「志賀さん、誰か探してるの?」
私の言葉に彼女はハッとしたように我にかえり、その後で少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。
「ごめんなさい、あのね、ここのマスターさんの奥さん……私の叔母なの。」
「ああ、だからよく通ってるの?」
志賀さんは恥ずかしそうに笑いながら首を横にふって、ちょっとだけ声を落とした。あまり大きな声で話したくない事なんだと気がついて、私も顔を寄せ息を潜める。
「全然知らないでずっと通ってたの。ここのケーキ美味しいから、あの、全部食べたくて。」
おお!予想の斜め上をいく答えが!ホントに私の予想外の答えだった。志賀さんがそういう制覇目的でここに通ってたなんて、ちょっと志賀さんがやりそうにない狙いだったのか。
「この間叔母さんから声をかけてきて、叔母さんと会うの久しぶりで驚いちゃったの。その時ここのマスターさんが旦那さんだって聞いて。ただ居たら叔母さんってちょっと変わってるから、また脅かされそうで。」
これまた予想外な。なんだ、それでちょっと緊張してたのかと私は少し可笑しくなってしまう。親戚に脅かされるから親戚がいないか確認しちゃうなんて、志賀さんって本当に可愛いとこあるんだなぁ。
「叔母さんに脅かされるの心配してたんだぁ?志賀さん。」
「だって、本当にちょっと不思議な人なのよ?突然横から私の食べてたケーキを突然食べる人がいたら、宮井さんだって驚くでしょ?」
その時の志賀さんを想像した私は思わず吹き出した。確かにそれはかなり驚くというか、知らない人だったら悲鳴ものの驚きだろう。私があんまり笑うから、志賀さんは頬を染めて可愛く頬を膨らませ拗ねている。
ああ、香苗の不貞腐れ顔との差の凄さ!
「もー、あんまり笑わないでよ。」
「ごめん、志賀さん可愛いんだもん。ねぇ、志賀さんはどれがオススメなの?」
「えーとね、ガトーフレーズもいいけどガトーショコラもいいのよ、後は季節のパンケーキもパフェも美味しいの!」
おお、再び予想外の志賀さんが登場。これは今度は是非ともドタキャンされて涙を飲んでいるスイーツバイキングに志賀さんを誘ってみよう。私は楽しそうな志賀さんを見ながらそう誓っていた。
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