破滅を避けた悪役令嬢、余生は未亡人になりまして

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2話

第11話 供給ルート、確保完了

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ルシアン邸の応接室に響き渡っていたのは――私の罵倒と、ルシアンの喘ぎ声。

「ほんっっっと、あんたの書く物は廃棄物ね。こんな紙切れのために伐られた木々に土下座して謝りなさいよ」

「嗚呼! 酷いよオフィーリア! 僕はこれでも作家として成功して――」

「いいから謝れって言ってんの」

「っ……! その眼差し、なんて美しいんだ……! 木材さん、ごめんなさい!!」

……床に転がって叫ぶルシアン。
私は原稿を片手に立ち上がり、冷ややかに睨みつける。
その横でジルは、ただ黙って事態を見守るしかなかった。

「しかも、この三十五ページ目は何? 同じ言葉を三回も繰り返して……これは強調じゃなくて冗長なのよ!」

「ぐっ……! そ、そこは……僕も直そうと思ってたところだよ、オフィーリア!」

「あと全体的に比喩が大仰すぎて笑えるのよ。天使のラッパ? その前に文章の調律でもしてきなさい」

……困ったことに、元来のオタク気質のせいでつい真面目に原稿を読んでしまう。
ただ罵倒するだけじゃルシアンは満足しないらしい。
彼が悦ぶのは――“心の奥をさらけ出した部分”を的確に突かれること。

だから私は渡された原稿からルシアンの心を探し出して、的確にえぐる。
正直、ルシアンの愉悦なんてどうでもいい。
けれど「どうせやるなら刺さる罵倒を」と考えてしまうあたり、オタクの業だ。

いつの間にかこれは、SMプレイでも痴話喧嘩でもなく――編集者と作家のやり取りに近くなっていた。

パラパラと原稿をめくり、次のツッコミどころを探していると、床に転がったルシアンが息を荒げながら私を見上げてきた。

「嗚呼、オフィーリア……罵倒しながらも構成をちゃんと見てくれるなんて! この飴と鞭のバランス、最高だ! 愛してるよ、オフィーリア!」

……その瞬間、ジルの顔が一瞬だけ引きつったように見えた。気のせいじゃないと思う。
まあ、それはさておき。

それにしても――。
ルシアンの原稿、学生時代よりは確かに上達している。
……悔しいけど、罵倒のしがいが無い分、少しだけ面白い。

読み手を意識した構成、娯楽性を重視したストーリー、そしてルシアンの観察眼が裏付けているかのような緻密な人物描写。
――正直、作家として成功しているのも頷ける。

……ただし。
学生時代からルシアンが書くものは、どれもこれも判で押したような男女の恋愛ものばかり。
お約束の展開、似たり寄ったりのヒロイン像。正直、もう飽き飽きしていた。

ふと私は思いつき、床に転がるルシアンを見下ろした。

「ルシアン。あんた、BLを書きなさい」

「びーえる? それは何だい、オフィーリア?」

――そういえば、この世界にはBLという概念すら存在しなかった。
まあ、全年齢向け健全乙女ゲームが基盤なんだから当然か。

ならば、ここで布教するしかない。
この世界にボーイズラブを広める旗手となるのは……他でもない、この私。

異世界転生もののお約束――現代知識で異世界無双。
……よりによって私がやるのは「BL布教」だけど。

床に転がるルシアンを見下ろしながら、私は目を輝かせて語り始めた。

「BLっていうのはね、男と男の恋愛を題材にした作品のこと。
 友情が愛情に変わる尊さ、禁断だからこそ光る絆、男同士だからこそ描ける奥深い恋愛の形。
 ……それはもう素晴らしく、エモい世界なのよ」

そこからはもう止まらない。
BL特有の苦悩の描き方、ジャンルの幅広さ、何よりも「尊い」の積み重ねがいかに人の心を救うか。
オタク特有の早口で、私は一気に語り尽くした。

――久々に、全力でオタクトークできた。
舌が滑る滑る、みるみる心が軽くなる。

気付けばルシアンは床から起き上がり、ソファに腰掛け、腕を組んで考え込んでいた。

「それが……BLなんだね。分かったよ、オフィーリア。ただ、僕に書けるかどうか……」

「何言ってるの、ルシアン。私が“お願い”してると思う?」

私は胸倉を掴み、ぐっと締め上げた。
ルシアンは頬を赤くし、甘い吐息と共に「あっ」と声を漏らす。

「これは命令。今すぐ書きなさい」

「っ……分かったよ、オフィーリア! でも……僕が悲惨なBLを書いたら、その時は思う存分罵倒してくれるんだろう?」

「ええ、いくらでも罵倒してあげるわ。
 でも――私の大好きなBLを穢すような駄作を書いたら、許さないからね」

私の言葉に目を輝かせて「ありがとう!」と叫んだルシアンは、床に散らばった原稿を慌ててかき集めると、そのままいそいそと部屋を飛び出していった。
――BL小説を書くために。

罵倒し疲れた私は、冷めきった紅茶に口を付ける。
正直、疲労感の方が勝って甘さすら感じない。

でもまあ、ルシアンは心を罵倒されたい変態だけあって、雑なものは書かない。
私に罵倒されて気持ちよくなるには、本気で作品を書かないと意味がないって分かってるからだ。
人間性はどうしようもない屑だけど――作家としての腕は確か。
……もしかすると、これは久々に良質なBLが読めるかもしれない。

そんな期待に胸を躍らせながら、私はお茶請けのクッキーをぽりぽり頬張った。

――その時だった。
背中に突き刺さるような、強烈な視線。

ぞわりと肩が震えて、恐る恐る振り返る。
そこには眼鏡をゆっくり押し上げながら、無言で私を見据えるジルの姿。
滅茶苦茶、何か言いたそうな顔をしている。

……そりゃそうよね。
私たちの関係を脅してきた相手が、よりにもよって罵倒されたいだけの変態だったなんて。
しかも、その茶番に巻き込まれたあげく、私が延々と罵倒してる姿をただ黙って見せつけられたんだから。
ジルが何か言いたくなるのも分かる。

クッキーを飲み込み、私は小さく息を吐いてから口を開いた。

「ジル……その……何か、巻き込んでごめん」

「いいえ、オフィーリア様が謝罪されることではございません」

低い声が落ちてきた。
丁寧な口調の中に、煮えたぎるような怒気が混ざっている。
表情は相変わらず鉄面皮なのに、オーラが完全に“怒ってます”って主張してる。

……いや、口では「大丈夫」とか言ってるけど、本当は全然大丈夫じゃないパターンでしょ、これ。

ここまで怒ってるジルを、私は初めて見た。
というか、ジルが怒る生き物だなんて知らなかった。
だって、私が何週間も無視した時でさえ怒るどころか「オフィーリア様のお気が済むまで」とか言って喜んでたくせに。
怒るっていうイメージが全く無かった。

――一体、どうすればいいのよ、これ。

気まずい沈黙が落ちたその瞬間、ジルが小さく溜息を吐いた。

「……オフィーリア様。顔色を曇らせる必要はございません。
 私の内心など、気に病む事ではありませんので」

言葉を短く区切り、ほんのわずかに視線を落として続ける。

「私はただ、執事として主人を見守り、支えるのみ。
 私の下らぬ感情に、オフィーリア様を巻き込むつもりはありません。
 ……ですから、どうかいつも通りでいてくだされば、それでよろしいのです」

そう言うと、ジルは何事もなかったように遠くへ視線を向けた。
立ち姿は完璧。……でも背後からメラメラと怒気が漏れているのを、私は見逃さない。

め……面倒くさい……。

私は大きく溜息をつき、呆れながら頭をかいた。

「いや、それ……絶対怒ってるでしょ。いいから、思ってること言いなさいよ」

ジルはふっと小さく息を吐いた。
一瞬だけ、口元がわずかに笑ったように見えた。

「……恐れ入ります。オフィーリア様の観察眼には敵いませんね」

いつもの落ち着いた声で淡々と。
けれどその声は、なぜか耳に絡みついて離れない。

「私が腹立たしく思ったのは――オフィーリア様の心が、あの男に向けられていたこと。
 必要なことだったと分かっていても……その声も、その眼差しも、あの愚物に向けられるのは……どうしても不愉快でした」

――“あの愚物”
まあ確かにそうなんだけど……ジルの口から、あんな直球の悪口を聞くのはちょっと新鮮。

ジルは一拍置いて、視線を逸らさずにさらに言った。

「……あなたに言葉を求めるのは、私ひとりであってほしい。
 ――その我儘を怒りと呼ぶのなら、確かに私は怒っていたのでしょう」

心臓が跳ねた。
無表情のまま告げられたはずなのに、その言葉が胸を刺す。

つまり、ジルは――嫉妬している。
あの変態クソ野郎ルシアンに。

いつもは冷静で飄々としているくせに、こんなふうに独占欲丸出しで怒って、嫉妬するなんて。

……それって、ほとんど告白じゃない!

一気に顔が熱くなっていく。
べ、別に嫉妬されて嬉しいなんて思ってない!
思ってないけど……顔が勝手ににやけちゃうのよ!

ジルに顔を見られないよう背を向け、必死に口元を押さえていたところで――タイミング悪く、ルシアンが戻ってきた。
その手には、数枚の紙。

……え、もう書いたの? このたった数十分で?
やっぱり手だけは早いのよね、この男。

「オフィーリア。一応、書いてはみたけど……」

言いかけて、私とジルの様子を見たルシアンがピタリと動きを止めた。
ふむふむと観察するように交互に視線を動かした後――にやり、といやらしい笑み。

「オフィーリア。執事君といちゃつくのは構わないけど、やるなら僕の目の前で頼むよ。
 その時は是非、僕を罵倒しながら」

「いちゃついてないわよ!!」

……恐ろしい観察眼ね。
あの一瞬で場の空気を察知するなんて。
しかも、ジルの前で罵倒したせいで、妙な性癖にまで目覚めてしまったようだし。

私は咳払い一つして、ルシアンから原稿をひったくるように奪った。
目の前に座った彼は、落ち着かない様子で私をじっと見ている。
完全に「編集者に返事を待たされる駆け出し作家」そのもの。

「どうかな、オフィーリア。ちゃんと君好みのBLになってるかな?」

原稿には――男性同士の恋愛シーン。
舞台は、公爵邸の寝室。
無表情で堅物な執事と、性に奔放な御曹司の禁断の恋。
恋心を隠しながら仕える執事と、それを弄ぶように心を揺さぶる御曹司。
捕らえる様に執事の腕を掴む御曹司。

「お前の視線に、私が気付いていないと思っていたのか?」

「いけません、若様。それ以上は……」

絡み合う二人の視線、そして明かされる御曹司の本心――。

……っというところで原稿は途切れていた。
続き……続きはどこよ???!!!

思わず手が震える。
これだ! 私の求めていたもの!
これこそBL! 尊さの結晶!

「ルシアン……あんた、天才だったのね」

「え?」

予想外の言葉に、ルシアンの顔が固まる。
そりゃそうよ。罵倒を求めて書いたものが、まさか褒められるなんて思ってなかったはず。
私だって、気持ち悪いルシアンを褒めるなんて屈辱的なことはしたくない。
でも……この傑作を頭ごなしに罵倒するなんて、それこそ愚行。

「良いわ! この無表情執事と御曹司の恋愛、最高じゃない! このカップリング、尊すぎる!
 よくこの短時間でここまで思いついたわね!」

「ああ……それは君の執事君を使わせてもらったからさ。目の前に題材がいたから、すぐ書けたんだ」

「そういえば、この執事はジルそっくりね。じゃあ、この御曹司はルシアンってわけ?」

「そうさ。言うなればこれは、僕と執事君の愛の営み。――こうなったかもしれない未来の話さ」

そう言って、ルシアンはジルにウインクを飛ばした。

無表情を貫くジル。……けれど、目元がピクピク震えているのを私は見逃さない。
嫌悪感が滲み出す鉄面皮。

笑い出しそうになるのを、私は必死に堪えた。

「それにしても……よく出来てる。あんたの書いた廃棄物の中で、一番マシかもしれないわね」

「オフィーリア……それは……」

ルシアンはゆっくりと俯いた。
当然だ。彼が欲しがっていたのは罵倒。褒め言葉なんて、想定外だったはず。

でも私は気にしない。
良いものを良いと言えないなら、オタクなんてやっていられない。

肩を震わせたルシアンが、顔を上げた。
その表情は、いつものいやらしい高揚ではなく……本気で照れたような、苦悩じみたものだった。

「すごく……すごく嬉しいよ、オフィーリア。
 君に認められるのが、こんなに嬉しいなんて……知らなかった」

耳まで真っ赤に染めて、瞳にはうっすら涙。
……よほど嬉しかったのだろう。
散々気持ち悪い顔は見てきたけれど、こんなルシアンは初めて見た。

彼は両手で顔を覆い、震える声で続けた。

「嗚呼……どうしよう、オフィーリア。こんな気持ち、生まれて初めてだ。
 僕は、もっと書きたい。君に認めてもらえるように……君に、微笑んでもらえるように」

顔を上げたルシアンの微笑みは、いつもの甘ったるい作り物ではなかった。
心の底からの、本物の笑み。

「罵倒されるのも気持ち良いけど……褒められると、こんなに暖かい気持ちになるんだね。
 僕、この話をもっと書くよ。そして世間に――BLを広めるんだ」

その言葉に、隣のジルの眉間に皺が深く刻まれる。
執事という立場ゆえ、何も言わずに堪えているけれど……空気がはっきり語っていた。
――『やめてくれ』と。

でも、私は止めない。
だって、この世界にBLが広まれば、私には得しかないのだから。

私はルシアンの手を取り、優しく微笑んだ。

「頑張りなさい、ルシアン。世間が何と言おうと……あんたのBLを一番心待ちにしているのは、この私なんだから」

「嗚呼……ありがとう、オフィーリア。僕の創作の女神……」

床に膝をつき、崇めるように私を仰ぎ見るルシアン。
……これで、私のBL供給ルートが完成した。

ルシアンには女神のように微笑みつつ――
内心では、いやらしいオタク心でほくそ笑んでいたのだった。
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