破滅を避けた悪役令嬢、余生は未亡人になりまして

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2話

第12話 笑いと絶望の馬車

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ルシアン邸を後にする頃には、空は夕暮れを抜けて夜の気配へと変わっていた。
橙から群青へ――美しい空のはずなのに、帰りの馬車の中は重苦しい空気でいっぱいだった。

ジルは背筋をぴんと伸ばしたまま、眉間に皺を刻んでいる。
視線の先は、私の膝の上。

……そう、あの後ルシアンに散々書かせたBL原稿。
封筒いっぱいに詰まったその束を、私は嬉々として撫でていた。

ふふ……良いものが手に入ったわ。
この世界には存在しない、出来立てほやほやのBL生原稿。
しばらくはこれで生き延びられる。毎晩寝る前に読みふけろう。

私がほくほく顔になっていると、ジルが重々しく口を開いた。

「……オフィーリア様。
 それを、まるで宝物のように扱われるのは……どうかご勘弁いただきたい」

吐き出す声は苦々しく、普段の無表情がかえって痛々しいほど。
まあ、無理もない。
題材はジル本人、相手役はルシアン、そして書いたのもルシアン。
ジルにとってこの原稿は、嫌なものを凝縮した煮凝りみたいなものだろう。
見ているだけで嫌悪感に襲われるのも当然。

……私だって、ルシアンに自分のセクハラ小説なんて書かれたら嫌だわ。
一度だけあったのよ。私をヒロインにしたルシアンとの恋愛小説を持ってきたこと。
あの時は無言で暖炉に投げ込んでやった。

だからジルの気持ちは分かる。
でも――! 私だって娯楽に飢えているんだ!
何年BLの供給から遠ざかっていると思ってるのよ!?

極論を言えば、私が無理やり命じればジルとルシアンを目の前でいちゃつかせることだって出来るのよ!?
(二次元オタクなので、三次元では萌えないからやらないけど!)
二次元で満足しているだけでありがたいと思って欲しいくらいよ!

……と、心の中で叫びながら、私はぐっと堪えて原稿を脇に置いた。
ルシアン邸でさんざんストレスを与えられたジルを、これ以上虐めるのはあまりに気の毒だ。

「ごめんね。ジルにとっては悪夢の煮凝りみたいな物なのよね。
 でも、私にとっては久々の栄養剤なの。……分かって、とは言わないけど、少しだけ目を瞑ってもらえると嬉しいわ」

ジルは鉄面皮を崩さずに「……オフィーリア様がそうおっしゃるのなら」と答えた。
けれど、その声には疲労がにじんでいて、顔にもほんのり影が差している。
その珍しい様子につい笑みが漏れた。

「ルシアン。強烈だったでしょ?」

「そうですね。強烈というなら……強烈に“不快”でございました」

少しは歯に絹着せなさいよ。
完璧執事から飛び出したあまりにもストレートな悪口に、思わず吹き出してしまう。
無表情のまま悪態をつかれると、それはそれで面白い。

「ふふっ……ちなみに、何が一番不快だった?」

「“何が”と問われれば、“全て”とお答えしますが。強いて挙げるなら――」

ジルは眼鏡を押し上げ、その奥の瞳を細めた。
怒りを抑え込む炎がそこに見えた。

「最も不快だったのは……オフィーリア様が真剣に向き合われたお言葉を、あの男が下劣な悦びに変えたことです。
 オフィーリア様のお言葉は人を正し、律するもの。
 罵倒の鋭さに震えるのは理解できます。ですが、それを“愉悦”に変えるなど――浅ましいにも程があります」

愉悦。
どこかで聞いた響きだな……と思った瞬間、思い出した。

ああ、そうだ。ジルが言ったんだ。
確か、私がジルと一緒にいると色々思い出して恥ずかしくなって、何日も避けていた時のこと。
追い詰められた私に、ジルが静かに告げた言葉。

『一週間でも、一ヶ月でも。どうか、お好きなだけ私を遠ざけてくださいませ。
 そのたびに、私の愉悦は高まるのですから』

思い出した瞬間、私はブフーーッ!と盛大に吹き出してしまった。
腹を抱えて、笑いが止まらない。

駄目だ、面白い! 面白すぎる!
ルシアンもジルも、結局は似たような変態じゃない!

私はキョトンとしているジルに、笑い転げながら説明してやった。

「あはは! あ……あんただって、同じようなこと言ってたじゃない!」

「……確かに私は“愉悦”と申しました。
 けれどそれは、オフィーリア様が私を遠ざけ、試し、そして最後に選んでくださる――その過程のことです。
 一方で、あの男が味わっているのは、オフィーリア様のお言葉を欲望にねじ曲げただけの下品な快楽。同列に語れるものではありません」

……と、冷静ぶって言い訳するジルが、余計に面白い。
小難しい理屈を並べてるけど、結局どっちも“私で愉悦を感じてる”って点では同じじゃないの。

私が笑い続けると、ジルの目が不満げに細められる。
その反応すら可笑しくて、私は堪えきれず、ここまで隠していた真実を明かすことにした。
どうせそのうちバレるなら、私から教えてやった方がショックも効率的でいい。

「じゃあ……ルシアンより“高尚な変態さん”に、いいこと教えてあげる」

ジルは表情を変えず、私の言葉を待っている。
駄目だ、この後の反応を想像するだけで、また笑いがこみ上げる。

「……あんたが愛読してる本、あるでしょ。
 あれ――書いてるの、ルシアンよ」

そう、赤い表紙に金の箔押しがされた本。
タイトルの下に刻まれた作者名は「アストレア」。

ジルはあの本を手にして得意げに言っていたのだ。
「描写が緻密で実に興味深い。特に観察眼は私の指標と言っても過言ではありません」――と。

キョトンとするジルの顔に、私は噴き出しそうになるのを必死に堪えた。

「ルシアンはあれでも宰相の息子。表立って作家活動なんて出来ないのよ。
 だから“アストレア”ってペンネームを使って身分を隠して活動してるの」

「……ですが、あの本は恋愛小説ではございません。礼儀作法書です」

「私が無理やり書かせたのよ! あいつの恋愛小説なんて毎回読んでたら脳が腐るわ!」

その瞬間、ジルはとうとう頭を抱えて突っ伏した。
完璧執事の仮面が、盛大に音を立てて崩れていく。
その姿を見た瞬間、私はもう耐えきれず噴き出してしまった。

……いや、だって仕方ないじゃない。
いくら鉄面皮でも、自分の愛読書があのクソ野郎の著作だったなんて知ったら、そりゃ立ち直れないでしょ。
ジルには悪いけど、彼がショックで沈むほど、私の笑いは加速する。
ああ、なんて哀れなジル! でも……それが笑える!!

涙が出るほど笑った。腹を抱えて、声を張り上げて。
――こんなに笑ったのは、本当に久しぶり。
もしかしたら、この転生人生で初めてかもしれない。

ジルの絶望と、私の笑い声を積んで――カオスな馬車は、夜のあぜ道を駆け抜けていった。
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