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第十五章 惨劇の舞台は獣人の国
療養
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獣人の国。酒食の国のすぐ隣にある、山を中心とした小さな国だ。
国と言っていいほどの大きさかも分からない、町か村とでも名乗った方がいいのではないか、なんて思える規模の集落だ。
そんな国に僕は来ていた。とりあえずの療養のためだ。
兄を探すと言っても手がかりはない、行き当たりばったりで歩いて見つかってくれるとは思えない。この国で情報収集が出来るとも思えないが、清涼な景色を見ているだけで怪我の治りは早まりそうだ。
『……宿はここか?』
「地図はそうだよ、アシュが連絡してくれてるんだよね?」
『ヘル、地図は逆さを向いていないか? 適当に回して分からなくなってはいないか?』
「僕ちゃんと地図読めるよ!」
全く失礼な。確かに地図は回していたが、上下は間違えていない。
山の低いところが今は右斜め下で、高いところはその反対、集落の左方面に宿があるから……ここはどこだ。
『なぁヘル、ここは宿屋ではなく民家だそうだ』
「んー……? こっちが上、進行方向……宿……は、あれ、いや……ん?」
『すまない、少し道を教えて貰いたい、宿は………ああ、彼処か? ありがとう』
アルは僕の道案内を信用せず、家の住人に道を聞いた。認めたくはないが良い判断だ。
『ここだな』
「地図によると酒屋だよ」
『そうか。葡萄酒でも飲みたいところだ』
アルは僕の言葉に適当な答えを返すようになっていた。道案内も満足に出来ない僕に呆れてしまったのだろう。
アルは取手に前足を引っかけ、ドアを器用に開ける。
「いらっしゃいませ、アシュメダイ様より連絡を頂いております」
優しげな声だ、店主だろうか。僕は無礼にも地図に視線を落としたまま、適当な相槌を打った。
『ああ、しばらく厄介になる』
階段を上り、二階の角部屋へ。アルは僕をベッドに移すとさっそく風呂に向かった。
「………あれ、さっきの人尻尾生えてたような……気のせいかな」
地図を見ていたせいで顔も見ていないのだ。そんな勘違いもするだろう。
ぼうっと素朴な天井を眺めながら、浅い眠りに落ちていく。
朝……本当に朝、なんと珍しい。名前の通りに朝に朝食をとるのはいつぶりだろうか。窓から射し込む陽光は鬱陶しいが、それでも爽やかな空気は感じ取れる、久しぶりに居心地が良い。
『ヘル、食べ終わったら用がないからと言って部屋に帰るなよ』
「アルが運んでくれなきゃ帰れないだろ。一人で階段とか絶対無理」
朝食は宿屋一階の広間で食べている。僕の他に客は見当たらない。
「どこか行くの? 僕は二度寝したいな」
『公園にでも行こう。ヘルを住民と交流させる』
「え……嫌だ、何で?」
アルは僕の否定を無視し、僕を再び背中に乗せる。
『ヘルが好かれるのは魔物ばかりだからな。たまには普通に人間と話した方がいい』
「………人と話す、かぁ。あんまり気乗りしないな。二度寝したいし」
僕のさり気ない要望は無視され、アルは僕を公演のベンチに座らせた。
『ヘル、私は少し用事がある』
「……どこ行くの? いつ帰ってくるの? 用事って何?」
『すぐに戻る』
僕の質問に答える気はない、という訳か。去っていくアルの後ろ姿を恨めしく睨んだ。
おそらくはさっき言っていた「交流」のためだろう、きっと大した用事じゃない。いや、用事なんて本当はないのかもしれない。
見知らぬ土地で、動かない足で、独りで……気が滅入る。
軽く足を振るってみる。
右足は滞りなく揺れたが、左足は微かに跳ねただけだ。動きだけでなく感覚も鈍い、傷はもう痕が残るだけになっているのに。
治癒の魔術をかけてもらい、一日かかって僕の傷は全て治った。「淫魔はヒーリングが苦手」その言葉通り後遺症は残った。
それにどうにも片目だけの視界に慣れない。
右眼は前から髪で隠していたとはいえ、見えにくいのと見えないのでは全く違う。
自分の右隣にある物は分からないし、距離感も掴めない。不便が過ぎる。魔眼再生の目処が立つまで、仮ということで移植してもらえば良かったか。
そんなことを考えていると、右から人が近づく気配がした。首を回しても良かったが、目を合わせたくない一心で無視した。
「……あの、隣」
話しかけてきた。全く不運だ。
やって来た人は声から判別するに女性らしい。
「どうぞ」
顔を伏せたまま少し左に寄った。無愛想かもしれないが、社交的な笑顔とやらは苦手だ。
「えっと、アシュ様のお知り合いの方でいいにゃ?」
「あ……はい、そうです。」
まさかこのまま会話を続ける気か? 話すことは何もない、やめて欲しい。
ん? にゃ……? 噛んだだけか?
「見にゃれない人だから……ちょっと、気ににゃって」
「………そうですか」
滑舌の悪い人だな。愛想の悪い僕に思われたくはないだろうけど。
「えーっと、おにゃまえは?」
「……名前? ヘルです、ヘルシャフト・ルーラー」
「私はミーアっていうにゃ、よろしくにゃ」
滑舌が悪い……じゃないな、ただのイタい人だ。
「あ、はい。よろしく……お願いします」
僕は俯いたまま軽く頭を下げた。
「にゃー………ヘルさん、角も尻尾もないにゃ」
「そんなのないですよ、人間なんだから」
「羽とかもないにゃ?」
「ないです」
何の質問だ。
尻尾や角、羽だって? 酒食の国から来たから悪魔の類と勘違いされているのか。
「ふーん……あ、そろそろお顔見せて欲しいにゃ」
「え……ああ、すみません。下向いたままで」
わざとだったのだが、言われてしまっては仕方ない。観念して顔を上げる。無い右眼を隠した髪が崩れないように手で抑えながら。
「………え?」
目の前に居たのは幼さの残る可愛らしい少女だ。言っておくが、僕が驚いたのは可愛さではない。
僕が驚いたのは彼女の頭の上にある耳だ。猫のような三角の耳。時折ピクピクと動いており、髪ではないとはっきり分かる。動いていることからカチューシャなどの飾りではないとも分かる。
「色白さんだにゃー、それにクマが酷いにゃ、ちゃんと寝てるにゃ?」
にゃーにゃー言っていたのは……妙な趣味という訳ではなかったのか。
「前髪長いと目が悪くなるにゃ、ちゃんと切るにゃ。それにちょっと痩せすぎにゃ、ご飯はバランス良くたくさん食べるにゃ」
見た目の割に口うるさいなこの人。いや、別に見た目は関係ないな。どうも僕は少し混乱しているらしい。
ふと視線を落とせば、ミーアの太ももの上に猫の尻尾が見えた。後ろから回しているようで、猫らしくゆらゆらと揺れていた。
「にゃー、聞いてるにゃ?」
「………あ、すみません」
「にゃ、謝らなくてもいいにゃ。初対面で色々言って悪かったにゃ」
全くだ、僕も好きで不健康な見た目をしている訳じゃない。
それにしても……猫か、獣人の国の名の通りだ。
少し前に行った植物の国では亜種人類と呼ばれる人々が居たが、また違った種族なのだろうか。
妖鬼の国の……あっちは魔物の類か。
ふと周りを見れば、人通りが増えてきていた。その人々もまた僕から見れば異形の者達だった。
国と言っていいほどの大きさかも分からない、町か村とでも名乗った方がいいのではないか、なんて思える規模の集落だ。
そんな国に僕は来ていた。とりあえずの療養のためだ。
兄を探すと言っても手がかりはない、行き当たりばったりで歩いて見つかってくれるとは思えない。この国で情報収集が出来るとも思えないが、清涼な景色を見ているだけで怪我の治りは早まりそうだ。
『……宿はここか?』
「地図はそうだよ、アシュが連絡してくれてるんだよね?」
『ヘル、地図は逆さを向いていないか? 適当に回して分からなくなってはいないか?』
「僕ちゃんと地図読めるよ!」
全く失礼な。確かに地図は回していたが、上下は間違えていない。
山の低いところが今は右斜め下で、高いところはその反対、集落の左方面に宿があるから……ここはどこだ。
『なぁヘル、ここは宿屋ではなく民家だそうだ』
「んー……? こっちが上、進行方向……宿……は、あれ、いや……ん?」
『すまない、少し道を教えて貰いたい、宿は………ああ、彼処か? ありがとう』
アルは僕の道案内を信用せず、家の住人に道を聞いた。認めたくはないが良い判断だ。
『ここだな』
「地図によると酒屋だよ」
『そうか。葡萄酒でも飲みたいところだ』
アルは僕の言葉に適当な答えを返すようになっていた。道案内も満足に出来ない僕に呆れてしまったのだろう。
アルは取手に前足を引っかけ、ドアを器用に開ける。
「いらっしゃいませ、アシュメダイ様より連絡を頂いております」
優しげな声だ、店主だろうか。僕は無礼にも地図に視線を落としたまま、適当な相槌を打った。
『ああ、しばらく厄介になる』
階段を上り、二階の角部屋へ。アルは僕をベッドに移すとさっそく風呂に向かった。
「………あれ、さっきの人尻尾生えてたような……気のせいかな」
地図を見ていたせいで顔も見ていないのだ。そんな勘違いもするだろう。
ぼうっと素朴な天井を眺めながら、浅い眠りに落ちていく。
朝……本当に朝、なんと珍しい。名前の通りに朝に朝食をとるのはいつぶりだろうか。窓から射し込む陽光は鬱陶しいが、それでも爽やかな空気は感じ取れる、久しぶりに居心地が良い。
『ヘル、食べ終わったら用がないからと言って部屋に帰るなよ』
「アルが運んでくれなきゃ帰れないだろ。一人で階段とか絶対無理」
朝食は宿屋一階の広間で食べている。僕の他に客は見当たらない。
「どこか行くの? 僕は二度寝したいな」
『公園にでも行こう。ヘルを住民と交流させる』
「え……嫌だ、何で?」
アルは僕の否定を無視し、僕を再び背中に乗せる。
『ヘルが好かれるのは魔物ばかりだからな。たまには普通に人間と話した方がいい』
「………人と話す、かぁ。あんまり気乗りしないな。二度寝したいし」
僕のさり気ない要望は無視され、アルは僕を公演のベンチに座らせた。
『ヘル、私は少し用事がある』
「……どこ行くの? いつ帰ってくるの? 用事って何?」
『すぐに戻る』
僕の質問に答える気はない、という訳か。去っていくアルの後ろ姿を恨めしく睨んだ。
おそらくはさっき言っていた「交流」のためだろう、きっと大した用事じゃない。いや、用事なんて本当はないのかもしれない。
見知らぬ土地で、動かない足で、独りで……気が滅入る。
軽く足を振るってみる。
右足は滞りなく揺れたが、左足は微かに跳ねただけだ。動きだけでなく感覚も鈍い、傷はもう痕が残るだけになっているのに。
治癒の魔術をかけてもらい、一日かかって僕の傷は全て治った。「淫魔はヒーリングが苦手」その言葉通り後遺症は残った。
それにどうにも片目だけの視界に慣れない。
右眼は前から髪で隠していたとはいえ、見えにくいのと見えないのでは全く違う。
自分の右隣にある物は分からないし、距離感も掴めない。不便が過ぎる。魔眼再生の目処が立つまで、仮ということで移植してもらえば良かったか。
そんなことを考えていると、右から人が近づく気配がした。首を回しても良かったが、目を合わせたくない一心で無視した。
「……あの、隣」
話しかけてきた。全く不運だ。
やって来た人は声から判別するに女性らしい。
「どうぞ」
顔を伏せたまま少し左に寄った。無愛想かもしれないが、社交的な笑顔とやらは苦手だ。
「えっと、アシュ様のお知り合いの方でいいにゃ?」
「あ……はい、そうです。」
まさかこのまま会話を続ける気か? 話すことは何もない、やめて欲しい。
ん? にゃ……? 噛んだだけか?
「見にゃれない人だから……ちょっと、気ににゃって」
「………そうですか」
滑舌の悪い人だな。愛想の悪い僕に思われたくはないだろうけど。
「えーっと、おにゃまえは?」
「……名前? ヘルです、ヘルシャフト・ルーラー」
「私はミーアっていうにゃ、よろしくにゃ」
滑舌が悪い……じゃないな、ただのイタい人だ。
「あ、はい。よろしく……お願いします」
僕は俯いたまま軽く頭を下げた。
「にゃー………ヘルさん、角も尻尾もないにゃ」
「そんなのないですよ、人間なんだから」
「羽とかもないにゃ?」
「ないです」
何の質問だ。
尻尾や角、羽だって? 酒食の国から来たから悪魔の類と勘違いされているのか。
「ふーん……あ、そろそろお顔見せて欲しいにゃ」
「え……ああ、すみません。下向いたままで」
わざとだったのだが、言われてしまっては仕方ない。観念して顔を上げる。無い右眼を隠した髪が崩れないように手で抑えながら。
「………え?」
目の前に居たのは幼さの残る可愛らしい少女だ。言っておくが、僕が驚いたのは可愛さではない。
僕が驚いたのは彼女の頭の上にある耳だ。猫のような三角の耳。時折ピクピクと動いており、髪ではないとはっきり分かる。動いていることからカチューシャなどの飾りではないとも分かる。
「色白さんだにゃー、それにクマが酷いにゃ、ちゃんと寝てるにゃ?」
にゃーにゃー言っていたのは……妙な趣味という訳ではなかったのか。
「前髪長いと目が悪くなるにゃ、ちゃんと切るにゃ。それにちょっと痩せすぎにゃ、ご飯はバランス良くたくさん食べるにゃ」
見た目の割に口うるさいなこの人。いや、別に見た目は関係ないな。どうも僕は少し混乱しているらしい。
ふと視線を落とせば、ミーアの太ももの上に猫の尻尾が見えた。後ろから回しているようで、猫らしくゆらゆらと揺れていた。
「にゃー、聞いてるにゃ?」
「………あ、すみません」
「にゃ、謝らなくてもいいにゃ。初対面で色々言って悪かったにゃ」
全くだ、僕も好きで不健康な見た目をしている訳じゃない。
それにしても……猫か、獣人の国の名の通りだ。
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