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第三十六章 怠惰の悪魔と鬼喰らいの神虫

唯一無二の救い主様

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目を抉り出したって耳を潰したって感触でクラールの死を実感させ続けられる。激痛で集中が途切れて再生することも出来ず、ただただクラールの死を味わう。

『…………そこから助けてあげようか?』

優しい声が頭の中で響いた。

『君の愛しい我が子が死なない世界に連れて行ってあげようか?』

その声の提案は僕が求めていたもので、断る理由はなかった。

『助けて欲しい?』

『……助けてください』

声の主が誰かも考えられず、どこかに向かって腕を伸ばした。途端、視覚と聴覚が戻り、仲間達が揃ったツリーハウスに覚醒した。

『頭領? 大丈夫かいな急にすっ転んで』

『酒呑っ……!』

酒呑は何度もクラールを食った、潰した、殺した。いや、酒呑だけではない。茨木も同じだ。他の──今寝ている僕の仲間全て、クラールを殺していた。

『……っ!』

気付けば鬼達は他の者と同じように床に伏せていた。僕が意識を奪ったのだろう。僕は眠る仲間達を踏まないように爪先で歩んで、アルの翼の中で眠っていたクラールを抱き上げた。

『クラール……! クラールっ、クラール……あぁ、よかった……』

ぴくぴくと跳ねる足、震える耳、鼻を舐めて口内に戻る舌、そして体温。クラールの全てがクラールの生を証明していた。

『ね~、君の我が子が死なない世界に連れて来てあげたの、誰だっけ?』

夢の中で聞いた声だ。クラールを死の運命から救ってくれた者の声だ。僕の救い主様の声だ。

『クトゥルフ様っ……! ありがとうございます! クラール……クラールが生きてる、僕のクラールっ……』

『うん、でもね~、まだ危機は去っていないかもよ? 君が今までいた世界みたいに不自然に死に向かうことはなくても、この中の誰かが殺したり、偶発的な事象によって死ぬことも──』

僕はそもそもどうしてあんな世界に居たのだろう。僕が元居た世界はここだ。どうして皆眠っているのだろう。何があったっけ。クラールが死に続けた世界にどうして迷い込んで──いや、元々があの世界で救われた後の世界がこちらで? ダメだ、分からない。思い出せない。

『──だから、そいつらは信用せず僕だけを信じて僕だけに従って僕の言う通りに生きるべきだと思うよ?』

『…………そうなんですか?』

『うんうん、ほら、僕を崇めて。ちょっと移動したい……あぁ、もう、足……人間の中で動くならやっぱり人間がいいなあ』

クラールを抱いて魚の下半身をビチビチと動かす彼の元へと歩む。

『そうだ、君、運んでよ』

『……はい、僕の神様……仰せのままに』

僕の神様の胴に腕を回し、光輪と翼を現して屋根を破り、外に出る。

『新支配者ってのは伊達じゃないって訳だ。まぁ……ふふ、僕の手足になってくれたみたいだけど。さ~て、この体のテレパシーは大したことないし、まずは僕を待ってる子達のとこに行かなきゃね~。どこか分かるならそこ行って?』

『妖鬼の国……とか、ですかね』

一瞬の思考もなく僕はそう答えた。「僕を待つ」の言葉の意味すら分からないのに正確だと確信が持てる答えを出した。

『行って』

行けと言われても方向が分からない。とりあえず島から離れて海の向こうの大陸を見て、思い出すまで迷ってみよう。妖鬼の国だと言った時のように勘が当たるかもしれない。

『…………おっそいなぁ……着いたら起こしてね』

最寄りの大陸上空、そんな呟きが聞こえたかと思えば重みが増す。片方は子供とはいえ二人も抱えているのだから遅くなっても仕方ないし、僕の翼は速度を求めたものではないのだ。
あまり下を飛んで人に見られても困ると雲に視界が遮られないギリギリまで高度を上げる、それでも見られそうな気はしたが、巨大な鳥か何かと思ってくれるだろう。
飛び回っているから太陽の動きも分かりにくく、何時間飛んだか分からない。細長い島らしきものが見えて急降下すれば特徴的な平屋が見えた。妖鬼の国に到着したのだ。




植物の国、シュピネ族の集落、集会用のツリーハウスにて。ヘルに意識を奪われた者達がぱらぱらと起き始める。

「……んー、頭が重いな」

『来い、診てやろう。他にも体調が優れない者が居れば──』

気絶していたから、硬い床に横たわったから、気分が優れない理由はいくらでもあった。特に不調ではなくともカルコスの元に向かう者も居た。だが、アルだけは違った。翼を激しく羽ばたかせ、走り回り、吠えていた。

『やかましいぞ駄犬!』

気絶どころか一時的とはいえ完全な支配下に置かれていたクリューソスは倦怠感もあって不機嫌だ。

『クラールっ……クラールが居ない。私の翼の中に居たのに……ヘルに頼まれたのに! ヘル……? ヘルも居ない!』

『……狼はん、上見てみ』

茨木の言葉に皆の視線が天井に向く。人が二、三人通れそうな歪な円形の穴が空いていた。ツリーハウスの上の枝葉も折れていて、穴からは陽光が降り注いでいる。

『人魚君も居ないね……何があったんだろ』

『誰か起きていた者は居ないのか?』

皆、ツヅラの身体を使っているクトゥルフのテレパシーの影響を受けないように、夢すら見ない深い眠りに落とされた。影響が軽微だからと鬼達も起きていたけれど、夢を見せられ恐慌状態に陥ったヘルに眠らされた。

『よう分からんけど……あの魚が頭領はんに何かしたか、一緒に居るか、その辺は確実ちゃう? なぁ酒呑様』

セネカは空を飛んで天井の穴を調べ、縁に付着した鱗と羽根を見つけ、皆に見せた。

『どうして仔狼ちゃんが居ないか……は?』

『ガキが連れて行った、と思いたいな』

『でなければ死んでいるだろう』

『虎さん! そんな言い方は……よくないよ。と、とりあえず外に出て探してみよ』

島に居るとは思えない。誰もがそう思っていたが、風に揺れるツリーハウスに居ても気が滅入るだけだと外に出た。しかし探し方が思い付く訳でもなく、空気は更に悪くなる。

「何か、居場所を特定する方法はないのか?」

『ガキは通信用の蝿を持っていたか?』

『いや、確か……一度壊して、そのままだ』

時折に意見が上がるものの、一言二言で否定される。

『んー……あれ、しょーねんはー?』

珍しくも自力でベルフェゴールが目を覚まし、ウェナトリアの肩に顎を乗せる。

「行方が分からなくてね、今どう探すかを相談しているんだ。悪魔様は何か思い付かないか?」

『んー、関係ないんだけどさー』

『関係ないなら言うな』

『しょーねんが居ないとさぁー、あの虫、襲ってくるんじゃないかなー?』

ベルフェゴールがそう呟いた途端、地鳴りが始まり、漂っていた木霊が木や土の中に沈んでいく。

『倒したのボクだよ!?』

『魔力は少年由来ジャーン。地面潜るような奴光はそんな捉えてないだろうし、ぶん殴ってきた魔力属性や濃度や量で判断してるんじゃない? 的なー』

ピシッ、と地面にヒビが入る。酒呑は茨木の胴に腕を回して跳び、ベルフェゴールはウェナトリアの肩に飛び乗った。

『でっ、出たーっ! どうしよ、どうしよ……魔物使い君が居なきゃ血が足りないよ!』

セネカはパニック状態に陥り翼を無意味に揺らす。現れた巨大な八本足の虫──神虫はそんなセネカに狙いを定めた。

『ひっ…………あ、あれ?』

口を大きく開いた神虫はセネカではなくその寸前、光り輝く球体の結界に牙を立てる。

『この愚図が! さっさと飛べ!』

『あ、ありがとっ、えとっ、えと、飛ぶ……飛ぶ……』

『……乗れ!』

焦って翼を上手く動かせないセネカを背に掬い、横に跳んでから木を蹴って登り翼を広げた。

『あっ、ぁ、ありがと……虎さん……』

『黙れ約立たず、お前などに感謝されては男が下がるわ』

『ひっ、酷いぃ……』

木の頂点に乗り、下を覗けばギョロっとした目が睨み返す。だが、神虫は木の上の獣達や悪魔は狙わず、地上に居た鬼達に狙いを定める。

『……ふふ』

茨木は少し屈んだ酒呑の肩に義手を変形させた銃身を置き、真っ直ぐに向かってくる神虫に対して笑みを浮かべる。口が開くのを待ち、牙が迫るのを待ち、喉の奥に光線を撃ち込む。直視すれば瞳が焼けるような輝きを放ち、光線は神虫を吹き飛ばした。

『…………やった……よぅやった茨木! 鬼が、神虫を、倒したで!』

鬼にとっては歴史的快挙。酒呑はまだ銃身のままの茨木の腕を掴んだ。

『あっづぅぅうっ! 熱っ……いったぁ……』

『……撃ってすぐの銃掴むとか……酒呑様アホちゃう』

『はーっ……手の皮剥がれるわこれ……』

どこか抜けた主人に笑みを零し、嫌味を続けようとした茨木はひっくり返っていた神虫の足が動くのを見た。
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