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番外編 触れたもの全て消して(シャルside)

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ある朝、とある森の奥、甲高い悲鳴を上げるスライムが居た。そのスライムは苦手な火を、松明を押し付けられ、逃げ回っていた。しかしスライムの逃げ足は遅く、松明を押し付けられた場所から急速に蒸発し、スライムは地面のシミとなった。

「な……ぁ、あっ……あぁっ……」

その光景を見て震える男が居た。スライムを放った業者の男だ。元来知能の低いスライムはたまに顔を見せなければすぐに自らの仕事を忘れてしまう、だから業者は自らが放ったスライムを呼び寄せる鈴を鳴らしていて、スライムは逃げながらもその音を目指していた。

「なんてことをしてくれたんだ! そのスライムを作るのにどれだけ時間がかかったと思ってる!」

怒りに震える男の怒鳴り声が静かな森に響く。男は背負っていた猟銃を構えた。

「インキュバス如きがっ……! お前らよりよっぽど高いんだそのスライムは!」

銃声が森に響く。銃弾は紫髪のインキュバスの頭部を狙い、命中したはずだった。しかし彼は頭を後ろに少し傾けただけで倒れなかった。

「え……? ぁ、お、お前っ……紫……?」

紫髪のインキュバスは溜め込む魔力に上限がない。まぁ、まず強力な魔物になるほど溜め込むインキュバスは居ない。寝込みを襲うだけのインキュバスがそう強くなる意味は無いし、快楽に弱い彼らは魔力を溜めるのが苦手なのだ。
しかし彼は違った。

「ひぃっ……!? ぅわあぁああっ!」

ゆっくりと頭の傾きを戻した彼に傷はなかった、その口には銃弾が噛まれていた。それを見た業者の男はすぐに逃げ出したが、簡単に追いつかれた。

「……ゃ、やめてくれ……殺さないで……い、いくらでも搾っていいから、命だけは……」

「自惚れないでください。僕が触れていいのは、僕に触れていいのは、この世でただ一人……兄さんだけです」

尾の先端のハート型の尖った部分を首に突き刺し、引き抜き、その傷口を咥えた。噴水のように溢れる鮮血を噎せることなく飲み干し、口の周りの血を拭い、彼は森の中に見つけた轍の元へ戻った。

「兄さん……兄さん、兄さん、待っててくださいね……」

紫髪のインキュバスは──シャルは、この数時間前にサクに初めて夢を送った。シャルが送った夢を自分が勝手に見ている夢だと思い込んだサクに甘えられ、嫌われていないことを知ったシャルは愛しい兄を助け出すため痕跡を追っていた。



夢の中で兄は言った。スライムに襲われ、その後二人の人間に拾われて抱かれたと。

「兄さんに触れたモノ、全部……全部、全部っ……消さなきゃ」

兄の初めては全て僕の物だったのに。初めてキスをするのも、初めて脱がすのも、初めて肌に触れるのも、初めて射精させるのも、初めて挿入するのも、初めて絶頂を迎えさせるのも、僕だったはずなのに。

「…………大丈夫。好きって、言ってくれた……大丈夫、兄さんは僕を嫌ってない……大丈夫……」

ぶつぶつと呟きながら轍を辿る。不意に垂れていた頭の羽が持ち上がる。

「……兄さんの匂い」

ここで兄を攫った人間達の馬車は止まり、人間達は食事をしていたようだ、その匂いがある。兄の精液の匂いもする……抱かれて、射精させられたんだ。

「どうして感じちゃうんですか兄さん……兄さんは僕が好きなんでしょう。ならどうして…………あぁ、そっか……酷い奴らなんですね? 兄さんが魔力を溜めたら困るからって無理矢理出させられたんですね? 兄さん……兄さん大丈夫、すぐにそんな奴ら殺してあげます……」

またしばらく歩くとゴブリンの死体が大量に転がっていた。何体かは虫の息だったので楽にしてあげた、こういうふうに良いことを重ねていたら良いことが起こるはずだ。兄も「優しいな」と褒めてくれるはずだ。

「……ふふふっ」

歩いているうちに夜になってしまった。轍はまだまだ続いている、兄まではまだ遠い。
歩かなければ、兄の元へ行かなければ、酷い目に遭っている愛しい兄を助けなければ──そう思ってはいるのに足は動かず、その場に倒れ、そのまま眠ってしまった。

無意識に兄に夢を送っていたようで、兄を抱く夢を見た。兄は「好き」と言って甘えてくれた。「逃げない」「捕まる」と言ってくれた。
早く行かなければ。

日暮れ頃に街に着いた。そろそろ食事をしなければ兄を助け出すには力が足りない。適当な家に忍び込み、家人の喉を掻っ切って血を飲んだ。
五人ほど食い終わり、血が嫌いな兄のために身を清め、外へ出れば暗くなっていた。

街中には馬車が多く、どれが兄を連れ去った人間の物なのかは分からない。片っ端から潰してもいいが──屋根の上を伝っていたら兄の匂いが濃い建物を見つけた。

「兄さんっ、兄さん、兄さん! 兄さん……?」

窓を割って二階から侵入した。兄の匂いが濃い、ここに居る、いや、ここに居た。ここで何度も射精させられていた。少し遅かった? 食事なんてしてる場合じゃなかった。
兄の匂いは一階にも続いている。一階には大勢の人間が倒れていた。後で食べようと思いつつ兄の匂いを追うと金を数える男を見つけた。

「クソっ、クソっ……何が勇者だ、ちくしょう……」

兄の匂いがする。こいつだ。こいつが兄を犯した。

「……あの、すいません」

「ん? うわぁっ! イ、インキュバス? クソ、またか、なんなんだ一体……!」

「聞きたいことがあります。答えてくれたら何もせず出ていきます」

「…………何だ?」

「兄さんを抱いた気分はどうでしたか?」

「兄……? お前、まさかあの黒髪のインキュバスの弟か? ははっ……なんだよ兄弟揃って俺に売られにきやがったか? 抱いた気分、抱いた気分か……そりゃ最高だったさ、たまんねぇ、口もケツもさいこっ……ぉ、ごっ……」

油断した男のみぞおちに膝蹴りを入れ、嘔吐く男の頭を床に叩きつけた。

「……てっ、てめぇっ、この、舐めやがって……インキュバス如きがっ! 何もせず出ていくんじゃなかったのか!」

「嘘に決まってるじゃないですか……人間のくせに魔物の言葉を信じるなんて……」

腰を抜かしたまま後ずさった男は猟銃を取り、僕に向けて発砲した。

「え……? あ、れ? 今、撃った……よな、俺」

尻尾で弾いたのが見えなかったらしい、人間は案外目が悪いようだ。他にも思い込みと違う事実があるかもしれないし、それは人間を餌にする上で大切かもしれない。この男を使って勉強しなければ。

「ゃ、やめてくれ、やめっ……」

みっともない叫び声を無視してインキュバスとは全く違う内臓の数や配置、その機能を覚える頃には教材は活動を停止していた。

「……兄さんどこに行ったんでしょう」

もう夜だし、兄も眠っているかもしれない。下手に動くより夢の中で聞いた方がいい、幸いここには食料がたくさんある。兄が眠るタイミングが分からなくて夢を送るのに失敗しても、何度でもやり直せる。

「兄さん……ごめんなさい、兄さん……今度こそ見つけますからね……」

それから僕は何度も失敗してしまった。兄に夢が上手く送れず、時を無駄にした──いや、無駄とは言えない。その分魔力を溜められた。長距離を素早く飛ぶには大量の魔力が必要だ、これだけあればこの島の端に居たってすぐに会いに行ける。

ようやく夢を送るのに成功した。兄は王都に居るようだ、王都はかなり広い、飛び回って匂いを探っても見つけ出すのは難しいだろう。

「……兄さん……大丈夫、見つけます。絶対に見つけます……!」

警備の厳しい王都に忍び込むには大量の魔力が必要だ、やはり無駄な時間ではなかった。

王都に忍び込んでも派手には動けない。屋根を伝ったり空を飛んだりすれば街は兵士で溢れかえる。
慎重に慎重に、羽と尻尾と髪を隠して人間のフリをして兄を探した。
ある日、食事のために忍び込んだ家で兄を見た。本物ではない、映像だ。眼球型の魔道具によって白い壁に兄とオーク三匹が映し出されていた。

『やだっ、やだ、待って……無理っ、無理無理むりむりぃいぃっ! ぃいぁああっ! いだぃいっ! 痛いっ、ぁあっ! はぁっ……』

「…………にぃ、さ……ん?」

認識が甘かった。夢で会う兄は無傷だから、落ち込んでいるように見えるだけだから、正しく認識できていなかった。
多少の酷い目になら遭ってくれた方が僕に頼ってくれるかな……なんてバカなことを考えていた。

「嫌……嫌っ、兄さんっ、そんな……あぁ、嘘……嘘だっ、嫌だ……」

兄がこんな目に遭うと分かっていたら泣いて嫌がったって閉じ込めたのに。
後悔に意味は無いし、これを見ていた男を殺したって意味は無い。この映像がどこの物なのか聞く前に殺すなんて、僕は本当にバカだ。

『──シャルぅうっ! 助けてぇっ!』

血の海の真ん中で座り込んだ僕の耳に兄の声が届く。

『ぁ、あっ、やだっ、せめて一つずつ……』

「今のところもう一回見せてください!」

宙に浮かんだ眼球に向かって叫ぶと赤い壁に映し出された映像の中の時間が戻る。

『──っ、カタラぁっ、シャルぅうっ! 助けてぇっ!』

「あ……兄さんっ、兄さん……ごめんなさい兄さんっ、すぐに行くって、助けるって、僕っ……僕、ダメな弟で……ごめんなさい兄さん……すぐ行きます、すぐに見つけます!」

兄が僕を頼りにしている。僕に助けを求めている。
奮起した僕は他の家を幾つも襲い、兄の映像を買った者を見つけ、売った者と撮影場所を聞き出した。

早速向かい、映像で見たオークを殺し、撮影者である老人に兄の居場所を聞いた。頑固だったが爪を剥がすと大人しくなって話してくれた。兄は数日前にオーガと共に王都から逃げ出したらしい、僕は老人の手足をもぎり取ってから森に向かった。

「兄さんの匂いがする……兄さん、兄さーん? 返事してくださーい!」

兄の匂いが濃くなってきた。この辺りに居るはずだ、大声を上げれば返事をしてくれるだろう。

「あなたは……オーガですか? 兄さんの匂いがします、あなたが兄さんを助けてくれたオーガですか?」

木のウロで眠っていたオーガを起こす。兄があのまま人間の元に居たならより酷い目に遭っていただろうし、兄と共に逃げ出したオーガは兄を抱かなかったらしい、彼には感謝する必要がある。

「んー? 兄さん……?」

「はい、黒髪の……痛っ!」

立ち上がったオーガの手が肩に置かれた直後、激痛を覚えた。脱臼、違う、肩の骨が砕かれた。

「……あなた、兄さんを助けてくれたオーガじゃないんですか?」

「あー……違うな、それはアルマだ。黒髪のってアルマが連れてきた奴だよな、これだろ?」

オーガは懐からインキュバスの頭羽を取り出し、僕の顔の前に持ってきた。その羽からは兄の匂いがする、兄の羽だ。

「あいつはよかった……めちゃくちゃ気持ちよかったぞ? お前あいつの弟か、じゃあ……お前も相当具合いいんだよな?」

「…………はい、自信あります」

ニヤリと笑ったオーガが警戒を解いたのでベルトを外す。

「へぇ、弟の方は素直じゃねぇか。兄貴の方はめちゃくちゃ抵抗しやがって面倒臭かったんだよな」

兄が抵抗してくれていたことに安堵し、その分嬲られただろうことに不甲斐なさを覚える。股間に顔を近付けるため屈んだオーガの髪を掴み、尻尾を使って首を切り落とした。

「……僕の体は兄さんの物です。兄さん以外が傷付けるのも、兄さん以外が汚すのも許しません」

兄は殺されてしまったのだろうか。諦めるのはまだ早い、もう少し匂いを辿ってみよう。
兄の羽を拾って兄の痕跡を探し始めて数分後、首がないというのにオーガが地面に転がった首の元へ走り、その道中で僕を突き飛ばした。

「わっ……! ぁ、折れた。やだな、もう……脆過ぎる……」

木に叩きつけられて折れた背骨の再生を待つうちにオーガは首を拾って体に乗せ、繋げてしまった。

「……首切ったのに動くんですね」

「たりめぇだろ、ちょっと失神しちまったが……オーガが首取れたくらいで死ぬかよ」

「へぇ……知ってます? ゴキブリって頭取れても動くんですよ」

「なんだよ急に…………このクソインキュバス! てめぇ今オーガと虫一緒にしやがったな!? 手足もぎ取って死ぬまで犯してやる!」

「肉体の性能だけはいい種族ですよね……インキュバスとは正反対。魔力消費が多いので術は使いたくなかったんですけど……仕方ありません、眠ってください」

誘眠の術をかけ、僕に辿り着く前に倒れたオーガの首に穴を開け、そこから噴き出す血を飲んで魔力を全て吸い取った。

「…………もう動きませんよね?」

魔力が空っぽになったのを確認するため何度か頭を蹴ったが、今度は動かなかった。

「兄さん……生きてますよね……もし死んでしまっていたら、僕は……」

兄の匂いは魔樹の辺りからもする。きっとあのオーガに酷い傷を負わされて療養していたのだろう、しかし、もう魔樹からも離れたようだ。

「アルマとか言うのは……もしかして、これ……?」

血と精液の匂いの方へ言ってみれば人間の死体数個と首なしオーガ一個。流石に蝿が飛ぶ血溜まりやそこに浮いた精液を吸収する気にはなれない。

「兄さんの匂いもある……この人間達は王都でも見た」

正確には同じ鎧を着た者を見た、だが、兄以外の生き物は種族くらいしか見分けられない。

「…………逃げたけど連れ戻されたって感じですか? 兄さんは可愛いので連れて帰って、あなたは可愛くないので置いていったと……じゃあ、兄さんは王都ですね、推理材料くれてありがとうございます、アルマっぽいオーガさん」

見回せば草や枝が折られ道が出来ている、獣道とは違う、人間が剣を振り回して道を作った跡だ。

『首を持ってこい』

男とも女ともつかない声に振り向けば、首なしオーガの傍に白い子供が立っていた。その足も髪先も血溜まりに触れているのに白いまま、気配なく佇んでいた。

『……出血が酷い、魔力消費が大きい、これじゃ片割れも死んじゃう。早く首持ってこい』

「…………分かり、ました。努力はします」

指先を動かすどころか瞬きも出来ない圧迫感のある魔力に曝され、命令を受け入れる以外の選択肢が消されてしまった。
じっと見つめていたはずなのに子供はいつの間にか消えていて、その子供が居た証拠はなく、記憶と冷や汗だけが僕に先程の出来事が現実だと実感させた。

「……変なのに絡まれました。兄さん……怖かったです……慰めてくださいね。もちろん僕も兄さんを慰めますから……」

兄の羽にそっとキスをして、王都へ飛んだ。
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