ポチは今日から社長秘書です

ムーン

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使用人体験

おしごとたいけん、いち

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まだ空が薄暗い、鳥も起きていない早朝に雪風は会社へ向かう。眠たい目を擦って玄関まで見送りに出て雪風の嬉しそうな顔を眺め、眠気を押して動いた甲斐があったと心の中で頷く。

「じゃあな、真尋。またしばらく泊まるけど、帰ってきたら一番にお前のとこ行くから」

「……俺を会社に呼んでくれてもいいんだぞ」

「いやいや、マジで忙しいから来させても構えねぇし」

使用人達が見守る中話していると、運転手が一歩前に出る。

「当主様、そろそろ」

「おう、悪いな。じゃ、ばいばい真尋」

「うん……またな」

使用人が開けた後部座席のドアから乗り込み、雪風は閉じたドアの窓から俺に手を振る。俺は微笑みを返しながら運転手の服の裾を掴んだ。

「…………お願いしますよ」

「……ええ、お任せください」

俺の両親は車の事故で死んだ。だからだろうか、大切な人が車に乗るのを見ると心臓が騒ぐ。胸を軽く引っ掻きながらもう片方の手で手を振り返し、車が見えなくなるまで玄関に立っていた。

「寒……」

そろそろ六月とはいえ早朝の外気はバスローブ一枚の俺には冷たい。部屋に戻り、もう一度眠った。



数時間後に目を覚まし、朝食と身支度を終えて別棟へ向かう。暇で寂しいだろうからと雪風に雪成の元で使用人の手伝いをするよう取り計らってもらったのだ。

「お話は聞いております。どうぞ」

別棟の門番のような使用人の横を抜け、別棟に入る。本邸と何も変わらない、上品な高級感のある内装だ。

「いや、しかしまさか坊ちゃんが私共の仕事を手伝っていただけるとは……ぁ、いえ、犬なんでしたっけ? 犬に仕事が出来ますかね」

別棟の案内をしてくれる使用人は性格が悪いらしい。

「俺の仕事何ですか?」

「先代様の身の回りの世話ですよ。あ、先代様は潔癖症ですので……部屋に入る前に着替えと消毒をお願いします」

「わっ……急に顔にかけないでくださいよ」

無遠慮なスプレーでの消毒を受ける。せっかくスーツを着てきたのに白の上下スウェットに着替えさせられた。白い靴下と白いスリッパも、それに白いマスクも装着した。

「はぁ……病院臭ぇ。すいませーん、おじい様ー、ポチでーす真尋でーす雪也でーす」

案内担当の使用人は部屋に入ることは許されていないようで、数歩離れて俺を見ている。室内から「入れ」と声がかかったので、案内担当に会釈してから中に入った。

「……犬か」

扉を閉じて頭を下げ、上げろと言われてから顔を上げる。

「お久しぶりです、おじい様」

雪風の父親、雪兎の祖父、俺の義理の祖父──雪成。彼の見た目は雪兎よりも幼い十二~三歳の少年。雪風はショタジジイなんて呼んでいたな。

「人手が足りないからって犬を雇うことになるとはな。犬より先に猫を雇うのが筋だと思わないか?」

「猫の手も借りたい、と? そんな猫は所詮バイト、俺は忠犬ですからどんな命令も聞けますよ」

キィ、と車椅子の音が鳴る。祖父は半身不随で車椅子生活をしているのだ。

「それで、おじい様。俺の仕事とはどんなものでしょう」

「……風呂の世話、食事の世話、仕事の手伝い、主にその三つだ」

「風呂……いいんですか?」

「そういえばお前は変態だったな。だが、介助を任せられる使用人が全員抜けている……復帰するまででいい。流石のお前もこんな老人に手を出さないだろ?」

信用は嬉しいが、自分の認識については改めて欲しいと思う。実年齢では老人でも見た目は雪兎より幼い子供なのだから。

「……出すのか?」

言葉に迷っていたら誤解されてしまった。

「いえ、俺は雪兎と雪風以外には欲情しません」

「死ね」

なんで。

「…………信用が裏切られるなんて二度と嫌だ、俺に手を出せるなら言え。こっちも対処法を考える」

「何もしません」

「即答だな、信用する」

即決だな。

「……そうやって信用して、誰かに裏切られたことがあるんですよね?」

「息子に寝込み襲われるなんて想像するか? 俺が馬鹿だったわけじゃないと俺は思ってるが、お前違うのか?」

雪風かよ。

「いえ、俺は……」

「無駄口を叩くな、仕事をしろ。そこのファイル、番号順に並べておけ」

机の上に乱雑に置かれた十数冊のファイル、その背表紙には番号が振られている。俺は快く返事をし、祖父の微かな笑顔を獲得した。
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