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雪の降らない日々
たんじょーびぱーてぃー、いち
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車に揺られて若神子邸に戻ってきた。國行の部屋よりも遥かに広い玄関にへたり込み、震える手をじっと見つめる。
「ポチさん、大丈夫すか?」
「は、い……すいません、部屋戻ります」
壁に手をついてゆっくりと歩く。一歩進むごとに肺に泥が詰まっていくような、そんな錯覚がある。もう車からは降りているのに、酔ってしまったのか身体の感覚がおかしい。
「ただいま帰りました……」
言いながら入った部屋は暗い。雪兎は居ない。
「…………っ!?」
急ブレーキ音が聞こえて耳を塞ぎ、蹲る。この部屋に居て急ブレーキ音なんて聞こえる訳がない、ありえない、けれど聞こえる、雨音と急ブレーキ音が聞こえる、車のヘッドライトも見える。目を閉じても耳を塞いでも遮れない。
「いや……ゃ、だ……ユキ様」
とうとう車同士が正面衝突をする音まで聞こえて、俺は気付けば叫んでいた。首を引っ掻きながら立ち上がり、部屋を見回すと赤い首輪を見つけた。
「あっ……」
首輪をはめてリードも取り付ける。リードをベッドの足に結び、床に膝立ちになってベッドに背を向け、身体を前に倒す。
「……っ!」
当然首が絞まり、酷く咳き込む。けれど絞まっている間は嫌なことを考えなくて済むから、ずっとずっと絞め続けていたくなる。
「ぁ、はっ……ぁ…………俺はっ、ポチだ……犬、だっ、犬、俺は犬ぅっ……!」
頭がボーッとする。喉から額にかけて、皮膚の下の何かが膨らむような謎の圧迫感が起こる。ゆっくりと意識が暗闇に──
「……っ!?」
──顔を思い切り床に打った。どうやらリードの結び方が甘く、ほどけてしまったようだ。金具を使えば外れなかっただろうけど、金具を使うような冷静な頭をさっきの俺は持っていなかった。
「げほっ、けほっ……はぁ、はぁっ………………痛っ」
咳き込みが落ち着いてからもなかなか呼吸が整わなかった。不意に耳に痛みを覚え、耳たぶに触れてみると何か硬いものが耳にくっついていた。
「何これ……………………あ、國行……國行の、ピアス」
ピアスだということを、耳たぶを針で貫いているのだということを、思い出すのに時間がかかった。それまでにぐいぐい乱雑に引っ張ったせいか耳たぶが裂けて血が垂れている。
「…………俺は、國行のにーにー……國行、國行っ……どうしよう、置いてきちゃった……國行死んじゃったらどぉしよぉ……」
俺はピアスをピアスだと認識した後も無意識にピアスを乱暴に引っ張り続け、そのうちフラフラと部屋の外へ出た。
「ユキ様……雪風ぇ……どこ、なんで……置いてかないで…………俺を置いて逝かないで……」
首輪のリードを引きずりながら、ピアスを引っ張りながら、もう片方の手で涙が溢れる目を擦りながら歩く。きっと雪兎か雪風を探していた、けれどこの邸宅に居ない彼らが見つかる訳もなく、俺は階段を転げ落ちて気を失った。
目が覚めるとベッドに寝かされていて、起き上がると白髪赤目の美少年が隣に座って本を読んでいた。
「ユキ様っ!」
「俺だバカ!」
「はーい雪也くん、こっち見てねー、僕の目見て……ん、治ったね、いいよ」
美少年を抱き締めようとして本の背表紙で顔を殴られ、鼻が折れたのではないかという痛みは別の赤い瞳と目を合わせた瞬間に消えた。
「…………おじい様、ひいおじい様」
「お前、階段から落ちたんだぞ。覚えてるか?」
「……俺、部屋に帰ったはずですけど」
「覚えていないみたいだねぇ。あ、この……首輪? と、耳飾り、君のだよね?」
曽祖父はベッド脇の棚に置いてあった赤い首輪とイミテーションだろう宝石がついたピアスを俺に渡した。
「あ、はい、俺のです。ありがとうございます」
「お前耳たぶ片っぽちぎれてたぞ」
「え」
「治したけどね」
耳に触れてみると安全ピンで雑に空けたピアスホールが消えていた。曽祖父が治してくれたのだろう。
「……お前ピアス向いてないと思うぞ」
「でも、國行がくれて……」
「耳飾りを飾るやつ、今度贈らせてもらうよ。誕生日もうすぐだったよね、ぁ、プレゼントの内容言わない方がよかったかな……雪也くん、今言ったこと忘れて」
「あ、はい……忘れます」
階段から落ちただけで耳たぶがちぎれるだろうか? 俺が無意識に引っ張ったんじゃないか? 無意識に首を引っ掻いたり首輪を引っ張ったりする俺ならやりかねない。祖父の言う通り俺にピアスは向いていない。曽祖父が贈ってくれるピアススタンドを心待ちにしておこう……おっと、忘れないとな。
「ポチさん、大丈夫すか?」
「は、い……すいません、部屋戻ります」
壁に手をついてゆっくりと歩く。一歩進むごとに肺に泥が詰まっていくような、そんな錯覚がある。もう車からは降りているのに、酔ってしまったのか身体の感覚がおかしい。
「ただいま帰りました……」
言いながら入った部屋は暗い。雪兎は居ない。
「…………っ!?」
急ブレーキ音が聞こえて耳を塞ぎ、蹲る。この部屋に居て急ブレーキ音なんて聞こえる訳がない、ありえない、けれど聞こえる、雨音と急ブレーキ音が聞こえる、車のヘッドライトも見える。目を閉じても耳を塞いでも遮れない。
「いや……ゃ、だ……ユキ様」
とうとう車同士が正面衝突をする音まで聞こえて、俺は気付けば叫んでいた。首を引っ掻きながら立ち上がり、部屋を見回すと赤い首輪を見つけた。
「あっ……」
首輪をはめてリードも取り付ける。リードをベッドの足に結び、床に膝立ちになってベッドに背を向け、身体を前に倒す。
「……っ!」
当然首が絞まり、酷く咳き込む。けれど絞まっている間は嫌なことを考えなくて済むから、ずっとずっと絞め続けていたくなる。
「ぁ、はっ……ぁ…………俺はっ、ポチだ……犬、だっ、犬、俺は犬ぅっ……!」
頭がボーッとする。喉から額にかけて、皮膚の下の何かが膨らむような謎の圧迫感が起こる。ゆっくりと意識が暗闇に──
「……っ!?」
──顔を思い切り床に打った。どうやらリードの結び方が甘く、ほどけてしまったようだ。金具を使えば外れなかっただろうけど、金具を使うような冷静な頭をさっきの俺は持っていなかった。
「げほっ、けほっ……はぁ、はぁっ………………痛っ」
咳き込みが落ち着いてからもなかなか呼吸が整わなかった。不意に耳に痛みを覚え、耳たぶに触れてみると何か硬いものが耳にくっついていた。
「何これ……………………あ、國行……國行の、ピアス」
ピアスだということを、耳たぶを針で貫いているのだということを、思い出すのに時間がかかった。それまでにぐいぐい乱雑に引っ張ったせいか耳たぶが裂けて血が垂れている。
「…………俺は、國行のにーにー……國行、國行っ……どうしよう、置いてきちゃった……國行死んじゃったらどぉしよぉ……」
俺はピアスをピアスだと認識した後も無意識にピアスを乱暴に引っ張り続け、そのうちフラフラと部屋の外へ出た。
「ユキ様……雪風ぇ……どこ、なんで……置いてかないで…………俺を置いて逝かないで……」
首輪のリードを引きずりながら、ピアスを引っ張りながら、もう片方の手で涙が溢れる目を擦りながら歩く。きっと雪兎か雪風を探していた、けれどこの邸宅に居ない彼らが見つかる訳もなく、俺は階段を転げ落ちて気を失った。
目が覚めるとベッドに寝かされていて、起き上がると白髪赤目の美少年が隣に座って本を読んでいた。
「ユキ様っ!」
「俺だバカ!」
「はーい雪也くん、こっち見てねー、僕の目見て……ん、治ったね、いいよ」
美少年を抱き締めようとして本の背表紙で顔を殴られ、鼻が折れたのではないかという痛みは別の赤い瞳と目を合わせた瞬間に消えた。
「…………おじい様、ひいおじい様」
「お前、階段から落ちたんだぞ。覚えてるか?」
「……俺、部屋に帰ったはずですけど」
「覚えていないみたいだねぇ。あ、この……首輪? と、耳飾り、君のだよね?」
曽祖父はベッド脇の棚に置いてあった赤い首輪とイミテーションだろう宝石がついたピアスを俺に渡した。
「あ、はい、俺のです。ありがとうございます」
「お前耳たぶ片っぽちぎれてたぞ」
「え」
「治したけどね」
耳に触れてみると安全ピンで雑に空けたピアスホールが消えていた。曽祖父が治してくれたのだろう。
「……お前ピアス向いてないと思うぞ」
「でも、國行がくれて……」
「耳飾りを飾るやつ、今度贈らせてもらうよ。誕生日もうすぐだったよね、ぁ、プレゼントの内容言わない方がよかったかな……雪也くん、今言ったこと忘れて」
「あ、はい……忘れます」
階段から落ちただけで耳たぶがちぎれるだろうか? 俺が無意識に引っ張ったんじゃないか? 無意識に首を引っ掻いたり首輪を引っ張ったりする俺ならやりかねない。祖父の言う通り俺にピアスは向いていない。曽祖父が贈ってくれるピアススタンドを心待ちにしておこう……おっと、忘れないとな。
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