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一章 幽世へ
十二話 濡れ衣
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美桜にとって、翡翠と過ごす時間は、ひとときの癒やしになっていたが、夏休みは終わりに近づこうとしていた。学校が始まれば、翡翠のところへ行けるチャンスは、今よりずっと減るだろう。
(翡翠様に、そうお伝えしなければ……)
会えなくなるのは寂しい。せめて、月に一度でも会いに行くことはできないものだろうかと考えながら、昼食後の食器を片付けていると、千雅がキッチンに入ってきた。お茶を飲みに来たのか、冷蔵庫を空け、首を傾げた。
「美桜。この生クリームは何?」
千雅が手にしていたのは、ショートケーキを作ろうと思っていた材料だった。美桜は生真面目に、菓子作りの材料は、溜めたアルバイト代で買っていた。翡翠に喜んでもらうためだと思うと、不思議とお金は惜しくなかった。生クリームも、自分のお金で買ってきたものだ。
「あっ……ええと、りょ、料理に使おうと思って。ポタージュスープに入れようかと……」
しどろもどろに説明をした美桜を、
「ふーん……」
千雅が怪訝な表情で見ている。
「そういえば、今朝、冷蔵庫のバターを使ったら味がしなかったんだけど、あんた、どんなバターを買ってきたのよ」
「そ、それは……無塩バター、です」
「無塩? なんで?」
「…………」
じろりと視線を向けられて、美桜は蛇に睨まれた蛙のように、動けなくなった。菓子作りをしていると気づかれないようにうまく誤魔化そうと思ったが、唇が震えて開かない。
「……まあ、いいわ。料理のことは分からないし」
美桜が黙っているので、千雅は疑いの目を向けながらも、麦茶をコップに入れてリビングへと戻って行った。思わず、ほっと胸をなで下ろす。
しかし、事件はその日の夜に起こった。
美桜が風呂からあがり二階の自室へと戻ると、部屋の中に真莉愛がいた。
「真莉愛さん……?」
真莉愛が美桜の部屋に来ることはない。一体どうしたのだろうと、美桜が恐る恐る名前を呼ぶと、背中を向けていた真莉愛はくるりと振り返り、
「これ、何?」
と、手に持ったものを美桜の方へ突き出した。
「あっ……」
それは、美桜が箪笥の中に隠していたケーキ型だった。これもまた、バイト代を使って、こっそりと買い集めたものだ。
「そ、それは……」
なんとか誤魔化そうと口を開きかけた美桜の表情は、真莉愛が次に掲げた茶封筒を見て、さっと血の気が引いた。
「このお金も、何よ。あんた、もしかして家の金盗んでたの? でないと、こんなもの買えないじゃない」
真莉愛はケーキ型を美桜の勉強机の上に置くと、何かを取り上げた。
「これも、盗んだ金で買ったわけ? 高そうなネックレス」
「あっ! ダメっ!」
美桜は咄嗟に真莉愛に腕を伸ばした。真莉愛が手を上げ、ネックレスを掲げる。
(翡翠様にいただいた、大切なネックレス……!)
風呂に入る時は、濡らさないようにと、首から外し、箪笥の中にしまっていたのだ。真莉愛はこれを探すために箪笥を漁ったのだろうか。
「こないだから、ちらちら首元から見えていて、気になっていたのよね。いいじゃん、これ。ちょうだいよ」
真莉愛がネックレスを首にかける。美桜は思わず、真莉愛につかみかかった。
「返して!」
「なに言ってんの? うちの金、盗んで買ったもののくせに!」
「盗んでない! それは、私がバイトをして貯めたお金なの!」
「はぁ? バイトぉ? 見え透いた嘘つくな!」
美桜と真莉愛がもみ合っていると、騒ぎに気がついたのか、階下から隆俊と千雅が駆け上がってきた。真莉愛の首に手を伸ばしている美桜を見て、千雅が、
「何やってんのよ、あんた!」
と金切り声を上げた。
「お母さん! こいつ、金を盗んでいたの!」
真莉愛が叫ぶと、千雅が血相を変えた。
「本当なの、美桜!」
「違う……!」
否定をした時、美桜の右手が真莉愛の頬をかすった。
「痛っ!」
真莉愛が悲鳴を上げ、美桜を突き飛ばし、頬を押さえた。頬に触れた手のひらを見て、愕然としている。
「血……血が出てる!」
「ご、ごめんなさい……!」
美桜は狼狽して、真莉愛に謝った。真莉愛はモデルだ。顔は大切だ。
「あんた、何してくれんのよ!」
真莉愛の平手打ちが、美桜の頬に入った。今度は美桜が悲鳴を上げる。美桜が床に倒れ込むと、真莉愛は今度は足で蹴りつけた。
「うちに養われてるくせに! 泥棒! お前なんて、出て行け! 出て行け!」
何度も何度も足蹴にされ、美桜は這いつくばって真莉愛から距離を取ると、床に置いていたトートバッグを掴み、隆俊と千雅を押しのけて、部屋から逃げた。真莉愛の泣き声が聞こえてくる。隆俊と千雅が娘をなだめる声も。それを背中で聞きながら、美桜は階段を駆け下りると、玄関へ直行し、家から飛び出した。
(翡翠様に、そうお伝えしなければ……)
会えなくなるのは寂しい。せめて、月に一度でも会いに行くことはできないものだろうかと考えながら、昼食後の食器を片付けていると、千雅がキッチンに入ってきた。お茶を飲みに来たのか、冷蔵庫を空け、首を傾げた。
「美桜。この生クリームは何?」
千雅が手にしていたのは、ショートケーキを作ろうと思っていた材料だった。美桜は生真面目に、菓子作りの材料は、溜めたアルバイト代で買っていた。翡翠に喜んでもらうためだと思うと、不思議とお金は惜しくなかった。生クリームも、自分のお金で買ってきたものだ。
「あっ……ええと、りょ、料理に使おうと思って。ポタージュスープに入れようかと……」
しどろもどろに説明をした美桜を、
「ふーん……」
千雅が怪訝な表情で見ている。
「そういえば、今朝、冷蔵庫のバターを使ったら味がしなかったんだけど、あんた、どんなバターを買ってきたのよ」
「そ、それは……無塩バター、です」
「無塩? なんで?」
「…………」
じろりと視線を向けられて、美桜は蛇に睨まれた蛙のように、動けなくなった。菓子作りをしていると気づかれないようにうまく誤魔化そうと思ったが、唇が震えて開かない。
「……まあ、いいわ。料理のことは分からないし」
美桜が黙っているので、千雅は疑いの目を向けながらも、麦茶をコップに入れてリビングへと戻って行った。思わず、ほっと胸をなで下ろす。
しかし、事件はその日の夜に起こった。
美桜が風呂からあがり二階の自室へと戻ると、部屋の中に真莉愛がいた。
「真莉愛さん……?」
真莉愛が美桜の部屋に来ることはない。一体どうしたのだろうと、美桜が恐る恐る名前を呼ぶと、背中を向けていた真莉愛はくるりと振り返り、
「これ、何?」
と、手に持ったものを美桜の方へ突き出した。
「あっ……」
それは、美桜が箪笥の中に隠していたケーキ型だった。これもまた、バイト代を使って、こっそりと買い集めたものだ。
「そ、それは……」
なんとか誤魔化そうと口を開きかけた美桜の表情は、真莉愛が次に掲げた茶封筒を見て、さっと血の気が引いた。
「このお金も、何よ。あんた、もしかして家の金盗んでたの? でないと、こんなもの買えないじゃない」
真莉愛はケーキ型を美桜の勉強机の上に置くと、何かを取り上げた。
「これも、盗んだ金で買ったわけ? 高そうなネックレス」
「あっ! ダメっ!」
美桜は咄嗟に真莉愛に腕を伸ばした。真莉愛が手を上げ、ネックレスを掲げる。
(翡翠様にいただいた、大切なネックレス……!)
風呂に入る時は、濡らさないようにと、首から外し、箪笥の中にしまっていたのだ。真莉愛はこれを探すために箪笥を漁ったのだろうか。
「こないだから、ちらちら首元から見えていて、気になっていたのよね。いいじゃん、これ。ちょうだいよ」
真莉愛がネックレスを首にかける。美桜は思わず、真莉愛につかみかかった。
「返して!」
「なに言ってんの? うちの金、盗んで買ったもののくせに!」
「盗んでない! それは、私がバイトをして貯めたお金なの!」
「はぁ? バイトぉ? 見え透いた嘘つくな!」
美桜と真莉愛がもみ合っていると、騒ぎに気がついたのか、階下から隆俊と千雅が駆け上がってきた。真莉愛の首に手を伸ばしている美桜を見て、千雅が、
「何やってんのよ、あんた!」
と金切り声を上げた。
「お母さん! こいつ、金を盗んでいたの!」
真莉愛が叫ぶと、千雅が血相を変えた。
「本当なの、美桜!」
「違う……!」
否定をした時、美桜の右手が真莉愛の頬をかすった。
「痛っ!」
真莉愛が悲鳴を上げ、美桜を突き飛ばし、頬を押さえた。頬に触れた手のひらを見て、愕然としている。
「血……血が出てる!」
「ご、ごめんなさい……!」
美桜は狼狽して、真莉愛に謝った。真莉愛はモデルだ。顔は大切だ。
「あんた、何してくれんのよ!」
真莉愛の平手打ちが、美桜の頬に入った。今度は美桜が悲鳴を上げる。美桜が床に倒れ込むと、真莉愛は今度は足で蹴りつけた。
「うちに養われてるくせに! 泥棒! お前なんて、出て行け! 出て行け!」
何度も何度も足蹴にされ、美桜は這いつくばって真莉愛から距離を取ると、床に置いていたトートバッグを掴み、隆俊と千雅を押しのけて、部屋から逃げた。真莉愛の泣き声が聞こえてくる。隆俊と千雅が娘をなだめる声も。それを背中で聞きながら、美桜は階段を駆け下りると、玄関へ直行し、家から飛び出した。
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