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二章 洋菓子作り
三話 戦の時間
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美桜が厨房内を興味深く見回していると、湖月が、
「翡翠様。なんだい、その子は?」
と、怪訝な表情を浮かべた。
「この娘は美桜という。俺の婚約者だ」
翡翠が表情も変えず、さらりと美桜を紹介したので、美桜は「ま、また婚約者って言った……」とうろたえた。
「ああ、その子か。翡翠様が現世から連れてきた娘は。穂高が嫌そうにしてたっけ」
湖月にじろじろと見つめられ、美桜は身を固くした。湖月の口ぶりには、穂高と同じ、嫌悪感が漂っている。
(やっぱり、あやかしって、人間のことが嫌いなのかな……)
しゅんとした気持ちでいる美桜を励ますように、翡翠が頭に手を置いた。美桜が翡翠を見上げると、「大丈夫」と言うような瞳を向けている。
「美桜は、今度、蒼天堂で菓子店を開く予定だ。湖月、美桜の相談に乗ってやって欲しい」
「は? 菓子店?」
湖月が目を丸くした。
「人間の娘が、蒼天堂で店を出すっていうのかい? どういったいきさつでそうなったわけ?」
美桜と翡翠の顔を見比べて、湖月が首を傾げる。
その時、どこからか、銅鑼の音が聞こえてきた。湖月がハッとしたように顔を上げ、
「とりあえず、話は後だ。戦の時間の始まりだ」
しっしと手を振り、美桜と翡翠を厨房の外に追い出した。
「戦の時間?」
すると、
「湖月様。甲定食一つ!」
カウンターの向こうから、ひょっこりと青年が顔をのぞかせた。湖月がすぐに、
「はいよ。甲定食一つー!」
と、厨房内に向かって叫ぶ。すると、揚げていた天ぷらを皿に盛ったり、釜からご飯をよそったりと、女性のあやかしたちの動きが慌ただしくなった。
「湖月様、乙定食くださーい! お味噌汁のネギはなしでー!」
すると、今度は、カウンターから少女が顔をのぞかせ、元気な声で注文をした。
「はいはい。ネギなしね!」
湖月が鍋から味噌汁をお椀に入れている。どうやら、従業員たちが昼食を食べに来たようだ。どんどんあやかしが集まってきて、「甲定食」「乙定食」と注文が入る。あまりにも忙しそうな様子に、美桜が目を丸くしていると、
「あっつ!」
湖月の悲鳴が聞こえた。見れば、床に、調理器の上で温められていた汁物がぶちまけられている。いつの間にか湖月の尻尾を結んでいたリボンがほどけていて、九つの尻尾が広がっていた。湖月が尻尾を掴んで「ふーふー」と息を吹き付けているので、どうやら尻尾が鍋にあたり、中身をこぼしてしまったようだ。
「湖月様、大丈夫ですか!」
「氷です!」
女性のあやかしたちが手ぬぐいと氷を手に、慌てて湖月に駆け寄った。その間にも、定食の注文は続々と入ってくる。
「ええい、あたしのことは良いから、仕事に集中! あたしは、すぐに汁物を作り直すから!」
「でも……」
「火傷をしていらっしゃるのでは……」
心配そうな女性あやかしたちを、湖月は仕事に戻らせた。
「湖月は九尾の妖狐なんだ。尻尾が立派なのが自慢でもあり悩みでもあって、よく『仕事中は邪魔だ』と言っている」
「あ、なるほど。だからリボン……」
翡翠の説明に、美桜は納得した。動き回っているうちにリボンがほどけて、尻尾が広がってしまったのだろう。
湖月が汁物の調理に入ってしまったので、フォーメーションが崩れてしまったのか、定食を提供する時間が遅くなってしまったようだ。カウンターから従業員たちの「まだですかぁ?」という声が聞こえてくる。
美桜は居ても立ってもいられなくなり、
「私、手伝います!」
と、買って出た。
「えっ?」
「美桜様?」
女性あやかしたちが驚いた顔をしたが、
「甲定食はキスの天ぷらですよね。乙定食は肉じゃが。両方、付け合わせは切り干し大根とほうれん草のおひたし。小鉢に入れて、お盆にのせたらいいんですよね?」
普段のおどおどした様子はどこへやら、美桜はテキパキと確認をした。女性あやかしたちが気圧されたように頷く。
「湖月さんは、氷で尻尾を冷やしていて下さい。火傷していたら大変です。汁物は、合間に私が作りますから」
美桜は、湖月の手から味噌とお玉を取り上げると、背中を押した。
「えっ、ちょ、ちょっと、あんた! どこの馬の骨ともしれない娘に、あたしの厨房を任せるわけには……」
湖月は慌てて味噌とお玉を取り返そうとしたが、翡翠は面白そうな笑みを口元に浮かべ、
「湖月。美桜がそう言っているのだから、君は休んでいたらいい」
と手招いた。
「翡翠様!」
「こっちに来なさい」
厨房を離れようとしない湖月にしびれを切らし、翡翠が湖月の腕を引いて、廊下へと連れ出す。
「乙定食ー!」
「はい、ただいま!」
美桜は大きな声で答えると、どんどん入ってくる従業員たちの注文を捌いていった。汁物の鍋は二つあったので、一つが空になる前に、こぼれた分を作り直す。初めて入った厨房とは思えないほど手際の良い美桜に、女性あやかしたちもあっけに取られるほどだった。
「翡翠様。なんだい、その子は?」
と、怪訝な表情を浮かべた。
「この娘は美桜という。俺の婚約者だ」
翡翠が表情も変えず、さらりと美桜を紹介したので、美桜は「ま、また婚約者って言った……」とうろたえた。
「ああ、その子か。翡翠様が現世から連れてきた娘は。穂高が嫌そうにしてたっけ」
湖月にじろじろと見つめられ、美桜は身を固くした。湖月の口ぶりには、穂高と同じ、嫌悪感が漂っている。
(やっぱり、あやかしって、人間のことが嫌いなのかな……)
しゅんとした気持ちでいる美桜を励ますように、翡翠が頭に手を置いた。美桜が翡翠を見上げると、「大丈夫」と言うような瞳を向けている。
「美桜は、今度、蒼天堂で菓子店を開く予定だ。湖月、美桜の相談に乗ってやって欲しい」
「は? 菓子店?」
湖月が目を丸くした。
「人間の娘が、蒼天堂で店を出すっていうのかい? どういったいきさつでそうなったわけ?」
美桜と翡翠の顔を見比べて、湖月が首を傾げる。
その時、どこからか、銅鑼の音が聞こえてきた。湖月がハッとしたように顔を上げ、
「とりあえず、話は後だ。戦の時間の始まりだ」
しっしと手を振り、美桜と翡翠を厨房の外に追い出した。
「戦の時間?」
すると、
「湖月様。甲定食一つ!」
カウンターの向こうから、ひょっこりと青年が顔をのぞかせた。湖月がすぐに、
「はいよ。甲定食一つー!」
と、厨房内に向かって叫ぶ。すると、揚げていた天ぷらを皿に盛ったり、釜からご飯をよそったりと、女性のあやかしたちの動きが慌ただしくなった。
「湖月様、乙定食くださーい! お味噌汁のネギはなしでー!」
すると、今度は、カウンターから少女が顔をのぞかせ、元気な声で注文をした。
「はいはい。ネギなしね!」
湖月が鍋から味噌汁をお椀に入れている。どうやら、従業員たちが昼食を食べに来たようだ。どんどんあやかしが集まってきて、「甲定食」「乙定食」と注文が入る。あまりにも忙しそうな様子に、美桜が目を丸くしていると、
「あっつ!」
湖月の悲鳴が聞こえた。見れば、床に、調理器の上で温められていた汁物がぶちまけられている。いつの間にか湖月の尻尾を結んでいたリボンがほどけていて、九つの尻尾が広がっていた。湖月が尻尾を掴んで「ふーふー」と息を吹き付けているので、どうやら尻尾が鍋にあたり、中身をこぼしてしまったようだ。
「湖月様、大丈夫ですか!」
「氷です!」
女性のあやかしたちが手ぬぐいと氷を手に、慌てて湖月に駆け寄った。その間にも、定食の注文は続々と入ってくる。
「ええい、あたしのことは良いから、仕事に集中! あたしは、すぐに汁物を作り直すから!」
「でも……」
「火傷をしていらっしゃるのでは……」
心配そうな女性あやかしたちを、湖月は仕事に戻らせた。
「湖月は九尾の妖狐なんだ。尻尾が立派なのが自慢でもあり悩みでもあって、よく『仕事中は邪魔だ』と言っている」
「あ、なるほど。だからリボン……」
翡翠の説明に、美桜は納得した。動き回っているうちにリボンがほどけて、尻尾が広がってしまったのだろう。
湖月が汁物の調理に入ってしまったので、フォーメーションが崩れてしまったのか、定食を提供する時間が遅くなってしまったようだ。カウンターから従業員たちの「まだですかぁ?」という声が聞こえてくる。
美桜は居ても立ってもいられなくなり、
「私、手伝います!」
と、買って出た。
「えっ?」
「美桜様?」
女性あやかしたちが驚いた顔をしたが、
「甲定食はキスの天ぷらですよね。乙定食は肉じゃが。両方、付け合わせは切り干し大根とほうれん草のおひたし。小鉢に入れて、お盆にのせたらいいんですよね?」
普段のおどおどした様子はどこへやら、美桜はテキパキと確認をした。女性あやかしたちが気圧されたように頷く。
「湖月さんは、氷で尻尾を冷やしていて下さい。火傷していたら大変です。汁物は、合間に私が作りますから」
美桜は、湖月の手から味噌とお玉を取り上げると、背中を押した。
「えっ、ちょ、ちょっと、あんた! どこの馬の骨ともしれない娘に、あたしの厨房を任せるわけには……」
湖月は慌てて味噌とお玉を取り返そうとしたが、翡翠は面白そうな笑みを口元に浮かべ、
「湖月。美桜がそう言っているのだから、君は休んでいたらいい」
と手招いた。
「翡翠様!」
「こっちに来なさい」
厨房を離れようとしない湖月にしびれを切らし、翡翠が湖月の腕を引いて、廊下へと連れ出す。
「乙定食ー!」
「はい、ただいま!」
美桜は大きな声で答えると、どんどん入ってくる従業員たちの注文を捌いていった。汁物の鍋は二つあったので、一つが空になる前に、こぼれた分を作り直す。初めて入った厨房とは思えないほど手際の良い美桜に、女性あやかしたちもあっけに取られるほどだった。
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