龍神様の婚約者、幽世のデパ地下で洋菓子店はじめました

卯月みか

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三章 婚約者

六話 翡翠の望み

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 仕事が終わり、蒼天城へ帰ると、

「待っていたわ」

 美桜の部屋で、芙蓉が茶を飲んでいた。まるで、自分の部屋のようにくつろいでいる芙蓉を見て、美桜はびっくりしたが、

「何、入り口で固まっているのよ。早く入ってきなさいよ」

 と、手招かれて、

「は、はい……お邪魔します」

 と、頭を下げた。

「ここ、あんたの部屋でしょ。お邪魔しますって、何よ」

 おずおずと部屋に入った美桜に、芙蓉が呆れた表情を浮かべる。
 居心地悪く思いながらも、座卓の前に座ると、芙蓉は美桜の顔を見つめた。

「自己紹介がまだだったわね。私は西の統治者・白蓮の娘、芙蓉。翡翠の正式な婚約者よ」

 芙蓉に、あらたまって自己紹介をされ、美桜ももう一度、

「美桜です。現世から来ました」

 と、名乗った。

「現世からということは、あなた、人間なのね」

「はい」

「人間は野蛮だって聞いていたけど、あなたは気が弱そうねえ」

 びくびくしている美桜を見て、芙蓉が呆れたように言う。

「で、あなたが翡翠の婚約者だって言い張っているのは、どういう了見なわけ?」

 じろりと睨み付けられ、美桜が首をすくめた時、桜の間の襖が開いた。

「美桜、蒼天堂に芙蓉が来たと聞いた。――芙蓉!」

 部屋の中に入ってくるなり、芙蓉の姿を見つけ、翡翠が驚いた顔をする。

「翡翠。久しぶりね」

「何をしに来た?」

「ずいぶんな言いようね。翡翠の婚約者を名乗る娘が現れたって聞いたから、見に来たのよ。正式な婚約者としては放っておけないでしょ」

 苦虫をかみつぶしたような顔をする翡翠に、芙蓉が肩をすくめてみせる。
 翡翠は美桜のそばまで来ると、隣に腰を下ろし「大丈夫」と囁いた。

「俺が芙蓉に説明をする」

「説明とやらを、早く聞きたいわ」

 芙蓉に急かされて、翡翠が、美桜を幽世に連れてきたいきさつを話す。

「俺の気持ちは美桜にある。だから芙蓉、お前との婚約は解消しようと思っている。すまない」

 頭を下げた翡翠を見る芙蓉は無言だ。
 しばらくして、

「――そんなの嫌よ」

 芙蓉がはっきりと口にした。

「私と翡翠は、幼い頃に、お母様と浅葱様が決めた婚約者でしょう。今更、解消したいだなんて、許されない」

「芙蓉。お前を傷つけるつもりはなかった」

「私以外の女が好きになったなんて言われて、傷つかないわけがないでしょう」

 翡翠から視線を外し、芙蓉はじろりと美桜を見た。

「あなた、さっきからずっと黙っているけど、何か言ったらどう?」

「わ、私は……」

 美桜は言葉を詰まらせる。正直、実際に芙蓉に会い、美桜の胸中は穏やかではない。

(翡翠には、こんなに綺麗な婚約者がいる。私なんて、太刀打ちできない……。でも……)

 翡翠は美桜ではなく芙蓉と結婚をするのだと思うと、どうしようもなく悲しかった。

「ああ、もう、辛気くさい娘ね! 言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ!」

 芙蓉に怒鳴られて、美桜はますます何も言えなくなる。俯いてしまった美桜の手を、翡翠がぎゅっと握った。

「芙蓉。今は美桜をそっとしておいてくれ。お前とは、後でもう一度話し合いたい」

 翡翠の静かな言葉に、芙蓉は大きく息を吐いて立ち上がった。

「何を言われても、私は婚約解消なんてしないわよ」

 そう言い置いて芙蓉が桜の間を出て行くと、翡翠はやおら、美桜を引き寄せ抱きしめた。

「芙蓉のことは気にするな。俺は美桜以外の女を妻に娶る気はない」

「で、でも、翡翠……芙蓉さんは、婚約解消はしないって……」

「芙蓉はあんなことを言っていたが、俺たちの間には、友愛はあれど、恋心はない。俺と芙蓉はただの幼なじみだ。それ以上でもそれ以下でもない」

「えっ!」

 翡翠の説明に、美桜は驚きの声を上げた。

「芙蓉さんは傷ついたって……」

 芙蓉の厳しい表情を思い出し、申し訳ない気持ちでいると、翡翠は、

「俺と芙蓉の婚約は、父上と白蓮様のただの自己満足だ」

 と続けた。

「自己満足?」

「父上と白蓮様は、昔、恋仲だったんだ。だが、白蓮様には、同じ白龍の婚約者がいらっしゃった。父上は白蓮様を奪おうとしたが、それは叶わなかった」

「そんな……」

 翡翠の父親・浅葱と、白蓮の間にそんな悲恋があったのかと、美桜は切ない気持ちになった。

「だから二人はお互いに息子と娘が生まれたら、自分たちの叶わなかった想いの代わりに、子供たちを結婚させようと約束をした。俺と芙蓉の結婚は俺たちの意思じゃない。俺は父上を説得するつもりだ」

(翡翠は芙蓉さんに恋愛感情を抱いてはいないんだ……。でも、本当に婚約解消なんてできるのかな……)

 安堵と不安の入り交じった複雑な感情が押し寄せる。
 それを感じ取ったのか、翡翠が美桜の頬に触れ、顔を上向かせた。

「俺はそのつもりだが……美桜はどうして欲しい? 俺が欲しいか?」

 真剣な表情で尋ねられ、美桜の胸が震えた。
  
「私、翡翠に婚約者がいるって知った時、ショックだった。芙蓉さんを見て、叶いっこないって思った。でも、でもね……私、わがままかもしれないけど、翡翠のそばにいたい。蒼天堂で働いて、翡翠に恩を返していきたいの」

 それは心からの気持ちだったが、未だ美桜には、これが恋なのか分からない。
 翡翠に強く抱きしめられながら、美桜はこの後に及んでも「愛している」と自信を持って言えない自分を嫌悪した。
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