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四章 条件

三話 無力感

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「美桜、もう気楽にしたらいい」

 翡翠に連れられてやって来たのは、花苑だった。緩やかな傾斜に沿うように遊歩道が設けられており、庭の中を散策できるようになっている。
 こわばっていた体をぽんぽんと叩かれて、美桜はようやく肩の力を抜いた。

「父上が失礼なことを言ってすまない」

 気遣うような翡翠のまなざしに、美桜は慌てて「大丈夫」と首を振ったが、

「でも、ごめんなさい……。私、お父様に何も言えなかった」

 と、萎れた。  

「私からも、婚約のこと、お父様にお願いするって言っていたのに」

 浅葱の迫力にのまれてしまった。
 落ち込んでいる美桜の肩を抱き寄せると、翡翠は耳元で「気にするな」と囁き、

「それにしても、あの石頭め」

 と苦々しげな声を出す。美桜はふと、浅葱の言葉を思い出し、

「ねえ、翡翠。もしかして龍神様って、現世に姿を現してはいけないものなの?」

 と問いかけた。

「いけないというわけではないが、幽世の龍神の大半は、現世には行きたがらない」

 翡翠が美桜の顔を見下ろし、答える。

「現世に行く物好きは、俺と、黒龍の小夜殿ぐらいだ」

「小夜様って、両替商の?」

「そうだ。あの方は、現世に伝手があるのだ。だから、現世の金も持ってこられる」

「どうして、他の皆さんは行きたがらないの? もしかして……人間が野蛮だから? 昔は、龍穴神社の龍穴に、人間が雨乞いのために人柱を捧げていたって聞いたよ」

 美桜が尋ねると、翡翠は「その話、知っていたのか」と驚いた表情を見せ、「そうだ」と頷いた。

「幽世の龍神たちは、同族を贄にできる人間に呆れてしまったのだ。しかし、逆に言えば、日照りも大雨もなくなれば、人間は愚かな行いをしなくなる。ならば、龍神が気を配ってやれば良い。そう考え、俺は時折、現世へ出て、雨を降らせるようになった」

「人柱の慣習がなくなった今でも、翡翠は来てくれていたんだね。ありがとう、翡翠」

 美桜が翡翠の慈悲深さに感謝すると、翡翠は、

「礼を言うのは俺の方だ。あの日、美桜が神社に来てくれたから、俺たちは出会えた」

 と、美桜の頬を撫でた。美桜が翡翠に体を寄せると、翡翠がそっと抱きしめる。

 そうして、しばらくの間、寄り添っていたが、

「さて。俺はもう一度、父上を説得してくる」

 と言って、翡翠は美桜を離した。

「私も行く」 

 今度は浅葱の迫力に負けないようにと、美桜は気合いを入れたが、

「いや。とりあえず、俺だけ行って話してこよう」

 と、翡翠に断られた。

「この先に東屋があるから、美桜はそこで待っていろ」

 翡翠が指を差した先には、確かに、東屋の屋根が見える。

(私が行くと、またお父様のご機嫌を損ねてしまって、話がややこしくなってしまうからかな……)

 美桜は迷いながらも「うん」と頷き、「それでは、また後で」と手を振り、去って行く翡翠の背中を見送った。
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