65 / 80
四章 条件
二話 浅葱
しおりを挟む
屋敷の縁側に立つ父親に、
「お久しぶりです」
翡翠が丁寧に頭を下げると、浅葱は、
「その娘は?」
と、美桜に視線を向けた。
「美桜です。蒼天堂で菓子店を営んでくれている娘です」
翡翠に紹介され、美桜は慌てて、
「美桜と申します。よ、よろしくお願いします……!」
と、勢いよくお辞儀をした。
「見間違いでなければ、その娘は人間に見えるのだが?」
浅葱に鋭いまなざしを向けられ、美桜はどう答えたものかと迷った。翡翠が守るように美桜の前に立ち、
「はい。美桜は人間です。俺が現世から連れてきました」
と、答えた。浅葱の表情が訝しげなものに変わる。
「……めずらしく文を寄越したと思ったら、厄介な話をしに来たようだな」
浅葱は溜め息をつくと、
「上がりなさい」
縁側と繋がる部屋へと入って行った。
「行こう」
翡翠が軽く美桜の背に触れ、先に立って歩き出す。美桜は緊張しながら翡翠について行き、敷石で下駄を脱ぐと、縁側へと上がった。
縁側の隅には数冊の書物が散らばっていた。そのうちの一冊が開きっぱなしになっている。浅葱はここで読書をしていたようだ。奥は、八畳ほどの和室だった。文机だけがぽつんと置かれていて、床の間には季節の花と掛け軸が飾られていた。上座に座る浅葱は、腕を組み、難しい顔をしている。
「座りなさい」と声をかけられ、美桜と翡翠は、浅葱の前に腰を下ろした。
(この方が、翡翠のお父様……)
美桜は、冬の氷のように硬質な雰囲気を漂わせる浅葱の前で緊張をしていたが、自分が風呂敷包みを抱えていたことを思い出し、包みを解くと、
「あ、あの、お父様。こちらお土産です。良かったら、どうぞ……」
と行って、化粧箱を差し出した。
浅葱が腕を伸ばし、美桜から箱を受け取る。蓋を開けて、不思議そうな顔をした。
「これはなんだ?」
「し、シフォンケーキ、です」
「しふぉんけぇき?」
聞いたことのない言葉に、眉間に皺を寄せた浅葱に、翡翠が、
「卵を使用した現世の洋菓子というものです」
と、美桜の代わりに説明をしてくれる。
「瓶に入っているのは、栗を潰して練ったものです」
美桜が付け足すと、浅葱はシフォンケーキと美桜の顔を交互に見た後、
「後でいただこう」
と言って、箱を脇に置いた。そして、
「商売に忙しく、滅多に実家に寄りつかない愚息が、突然『大事な話がある』と言って連絡を寄越したかと思えば、人間の娘を連れて帰ってきた。これはどういうわけだ?」
と、腕を組んだ。美桜はハラハラとした気持ちで、膝の上に置いた両手を握っていたが、翡翠は冷静な態度のまま、浅葱のまなざしを受けとめた。
「父上にお願いに参りました。――いいえ。お願いというよりも、宣言です」
前置きした後、
「俺は芙蓉との婚約を解消します。そして、ここにいる美桜を嫁にします」
きっぱりと告げた翡翠を、
「今、なんと言った? 聞き間違いでなければ、人間の娘を嫁にすると聞こえたが」
浅葱は鋭いまなざしで見返した。翡翠は背筋を伸ばしたまま、
「はい。そう言いました」
と、肯定する。次の瞬間、
「白龍の娘との婚約解消だけでなく、人間の娘と婚姻したいとは、青龍の跡継ぎが何を寝ぼけたことを言っている」
浅葱の怒りを含んだ声が、低く響いた。怒鳴られたわけではないのに、あまりの迫力に、美桜の心臓がドクンと鳴り、体がこわばった。
「寝ぼけてなどいません。美桜とは現世で出会いました。最初こそ、打算で幽世へと連れて来ましたが、美桜の優しい性質や、与えられた仕事に真摯に取り組む姿勢に、心から惹かれていきました」
翡翠は気圧された様子もなく答えたが、浅葱には気に入らない言葉があったようだ。
「現世でその娘と出会っただと? お前、まだ現世へ行っているのか」
「はい。時折、訪れて、雨を降らせています」
「馬鹿な真似を!」
浅葱が苦々しげに舌打ちをした。
(もしかして、龍神様が現世に来られるのって、いけないことだったの……?)
険悪な雰囲気の中、美桜が小さくなっていると、
「聞く耳を持たぬ。帰るがいい」
浅葱は二人に対し、犬を追いやるような仕草を見せた。
「父上に納得してもらえるまで帰る気はありません。また後で参ります」
翡翠は一礼すると、立ち上がり、
「美桜、行こう」
と、美桜を促した。美桜も頷いて腰を上げ、翡翠の隣に並ぶ。浅葱に頭を下げて和室を後にした美桜の体は、緊張の名残で、小刻みに震えていた。
「お久しぶりです」
翡翠が丁寧に頭を下げると、浅葱は、
「その娘は?」
と、美桜に視線を向けた。
「美桜です。蒼天堂で菓子店を営んでくれている娘です」
翡翠に紹介され、美桜は慌てて、
「美桜と申します。よ、よろしくお願いします……!」
と、勢いよくお辞儀をした。
「見間違いでなければ、その娘は人間に見えるのだが?」
浅葱に鋭いまなざしを向けられ、美桜はどう答えたものかと迷った。翡翠が守るように美桜の前に立ち、
「はい。美桜は人間です。俺が現世から連れてきました」
と、答えた。浅葱の表情が訝しげなものに変わる。
「……めずらしく文を寄越したと思ったら、厄介な話をしに来たようだな」
浅葱は溜め息をつくと、
「上がりなさい」
縁側と繋がる部屋へと入って行った。
「行こう」
翡翠が軽く美桜の背に触れ、先に立って歩き出す。美桜は緊張しながら翡翠について行き、敷石で下駄を脱ぐと、縁側へと上がった。
縁側の隅には数冊の書物が散らばっていた。そのうちの一冊が開きっぱなしになっている。浅葱はここで読書をしていたようだ。奥は、八畳ほどの和室だった。文机だけがぽつんと置かれていて、床の間には季節の花と掛け軸が飾られていた。上座に座る浅葱は、腕を組み、難しい顔をしている。
「座りなさい」と声をかけられ、美桜と翡翠は、浅葱の前に腰を下ろした。
(この方が、翡翠のお父様……)
美桜は、冬の氷のように硬質な雰囲気を漂わせる浅葱の前で緊張をしていたが、自分が風呂敷包みを抱えていたことを思い出し、包みを解くと、
「あ、あの、お父様。こちらお土産です。良かったら、どうぞ……」
と行って、化粧箱を差し出した。
浅葱が腕を伸ばし、美桜から箱を受け取る。蓋を開けて、不思議そうな顔をした。
「これはなんだ?」
「し、シフォンケーキ、です」
「しふぉんけぇき?」
聞いたことのない言葉に、眉間に皺を寄せた浅葱に、翡翠が、
「卵を使用した現世の洋菓子というものです」
と、美桜の代わりに説明をしてくれる。
「瓶に入っているのは、栗を潰して練ったものです」
美桜が付け足すと、浅葱はシフォンケーキと美桜の顔を交互に見た後、
「後でいただこう」
と言って、箱を脇に置いた。そして、
「商売に忙しく、滅多に実家に寄りつかない愚息が、突然『大事な話がある』と言って連絡を寄越したかと思えば、人間の娘を連れて帰ってきた。これはどういうわけだ?」
と、腕を組んだ。美桜はハラハラとした気持ちで、膝の上に置いた両手を握っていたが、翡翠は冷静な態度のまま、浅葱のまなざしを受けとめた。
「父上にお願いに参りました。――いいえ。お願いというよりも、宣言です」
前置きした後、
「俺は芙蓉との婚約を解消します。そして、ここにいる美桜を嫁にします」
きっぱりと告げた翡翠を、
「今、なんと言った? 聞き間違いでなければ、人間の娘を嫁にすると聞こえたが」
浅葱は鋭いまなざしで見返した。翡翠は背筋を伸ばしたまま、
「はい。そう言いました」
と、肯定する。次の瞬間、
「白龍の娘との婚約解消だけでなく、人間の娘と婚姻したいとは、青龍の跡継ぎが何を寝ぼけたことを言っている」
浅葱の怒りを含んだ声が、低く響いた。怒鳴られたわけではないのに、あまりの迫力に、美桜の心臓がドクンと鳴り、体がこわばった。
「寝ぼけてなどいません。美桜とは現世で出会いました。最初こそ、打算で幽世へと連れて来ましたが、美桜の優しい性質や、与えられた仕事に真摯に取り組む姿勢に、心から惹かれていきました」
翡翠は気圧された様子もなく答えたが、浅葱には気に入らない言葉があったようだ。
「現世でその娘と出会っただと? お前、まだ現世へ行っているのか」
「はい。時折、訪れて、雨を降らせています」
「馬鹿な真似を!」
浅葱が苦々しげに舌打ちをした。
(もしかして、龍神様が現世に来られるのって、いけないことだったの……?)
険悪な雰囲気の中、美桜が小さくなっていると、
「聞く耳を持たぬ。帰るがいい」
浅葱は二人に対し、犬を追いやるような仕草を見せた。
「父上に納得してもらえるまで帰る気はありません。また後で参ります」
翡翠は一礼すると、立ち上がり、
「美桜、行こう」
と、美桜を促した。美桜も頷いて腰を上げ、翡翠の隣に並ぶ。浅葱に頭を下げて和室を後にした美桜の体は、緊張の名残で、小刻みに震えていた。
0
あなたにおすすめの小説
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる