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旅は道連れ5
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その後、商隊のリーダーとの交渉の末、無事食材とお手伝いしてくれる人をゲットできた私は、大きな調理器具も貸してもらい食事を作ることになった。
皆すぐに食べたいだろうから、本日のメニューは時短で簡単に、しかも大量に作れるもの。といえば、シェフの奥さんが教えてくれたチリコンカン。意外にも限界トマトが沢山あったのよ。
……珍しいフルーツだからと沢山仕入れたけれど、食べ方がわからないと不評で売れなかったらしい。まあ、フルーツとしては……ねえ。
それから、フライパンを合わせて作った即席ダッチオーブンで使った、発酵なしで時短に作れるパン。保存用のピクルスと、生の香味野菜を組み合わせた即席サルサ。後はスパニッシュオムレツとチーズ。
因みにチリコンカンは、西部劇という劇の中で牛追いたちが牛を売りに行く途中、野営した時に食べていたものだそう。
奥さんはこの西部劇が大好きで、野営に嵌ったとか。
「まさか、それで異世界に来るとは思わなかったけどねー」
と、笑いながらも、彼女は料理だけでなくあちらの生活を色々教えてくれた。
その奥さん直伝のチリコンカンは、おおむね好評だった。
パンに乗せてチーズと一緒にいただくも良し、挟んで野菜と一緒に食べても良し。そのまま食べても良し。
アレクもお気に召したらしい。
一口食べて、目が輝く。そのまま二口、三口と食べ進めた後、彼は信じられない、という目でこちらを見た。
「言ったでしょう?料理は得意だって。鍋でお米を炊くことだって出来るんだから」
「?」
「そうそう。お米って普通は蒸したり茹でたりして使うじゃない?だけど短いお米は、炊くこともできるんですって」
「………」
「美味しいわよ?多分どの調理法よりも、私は好きかな」
「………」
「食べてみたい?いいわよ。機会があったら披露するね」
「………」
どうやら、アレクも『炊いた』お米に興味があるらしい。
わかるわ。私も奥さんに聞いた時、そんな食べ方があるのかと驚いたもの。それに、サラダやスイーツとしてではなく、お米を主食として食べる、というのにも驚いた。初めは抵抗があるかもしれないけど、ほんのり甘くてモチモチして本当に美味しいから、いつかアレクにも食べてもらいたい。
そんな事を思っていると、すぐ近くにいた子連れの奥さんたちが笑いだした。
「?」
「ご、ごめんなさい。さっきから聞いていると、しゃべっているのはお嬢さんだけなのに、会話が成立しているのがおかしくて」
「そうそう。一方的になっていないのが、不思議よね」
「話さなくてもわかるって、まるで長年連れ添った夫婦みたいよ」
ふ、夫婦って……!
私にはイザークがいるんですけど。
慌てて否定すると、本気にしているのか、していないのかわからない反応で「はいはい」と奥さんたち
が軽く頷く。
その反応を見ながらため息を吐いて隣を見ると、アレクが複雑そうな様子をみせている。表情は変わっていないようだけど、雰囲気がね。
アレクは無理もない。お父様に頼まれて一緒に旅をしてくれているだけで、私の事は何とも思っていないだろうし。それどころか、もしかしたら騎士病を患っている人なのかもしれない。だとしたら女性と……なんて考えたくもないかもしれないもの。
なのに、私と夫婦みたいだなんて言われて。思ってもいなかった事だけに、困惑もするわよね。
「ごめんね」
変な誤解をされてしまったかもしれない。それでもアレクが不機嫌になる前に謝ろうと頭を下げた私に、アレクは首を横に振ってくれた。
気にしていない。そういうことだろう。
その事にホッと息を吐き、私はせめてものお詫びにと、お皿に乗っていたチーズを一かけ彼のお皿に放り込んだ。
翌日、最寄りの街に移動した商隊は、怪我をした人の治療の為暫くそこに滞在することになった。
一晩一緒にいただけだけど、互いに親しくなった私たち。別れる時は、「またどこかで会おうね」と言って盛大に見送ってくれた。
その中で先頭に立って、大きく手を振ってくれたのは昨日腰を抜かして怯えていた男の子だった。
彼は夕食の時に母親と一緒に私たちの所に来て、頭を下げてくれたのだ。
「お兄ちゃん、お父さんを助けてくれてありがとう」
どうやら、彼の父親は戦闘中危ない所だったらしい。それをアレクに助けられ、ケガこそしたものの、命は無事だったのだとか。そのケガも応急処置したのは、アレクだ。
「俺、お兄ちゃんみたいに強くなる!お母さんとお父さんを守れるくらいに!」
そう宣言した彼に、アレクは薄く微笑んだ。激励するみたいに。
その途端、男の子とその母親のみならず、隊中の女性が色めき立ったのは言うまでもない。
そんな彼らと別れ、私はアレクと共にローレインへの旅を続ける。
相変わらずの静かな旅路。けれど、静かな中に、昨日まではなかった親しさをお互いに感じる。
商隊の人たちともそうだったけれど、やはり同じ釜の飯を食べる、という行為はお互いを近づけるものなのだ。これは同じ宿屋で同じものを食べていても、宿屋が作ってくれたお弁当を食べていてもできない。同じ場所にいて、共に作り、同じ火にあたり、同じ温かいものを食べる。その事でできる縁。
アレクともそれができた、という事が何となく嬉しくて、隣を進むアレクに目をやると、彼が目だけで微笑んでくれた。
気のせいではなく、表情が格段に読み取りやすくなっている。というか、表情が増えている?
そんな彼に笑顔を返すと、また懐から出した飴をくれる。
今日はそんなに喉が痛いさけじゃないけど。
それでも折角くれたものだからと受け取り、口に放り込むと、アレクは手を伸ばして私の頭を撫でた。
……もしかして、さっき笑顔を返したのを『おねだり』だと認識したのかしら?
子供じゃないんだけど。
口の中で、モゴモゴと飴を舐めて言う事ではないかもしれないけど。
その後の旅は順調に進み、予定の日より一日早く私たちはローレイン領都、マルペールの門をくぐる事になった。
「ここが…マルペール」
噂には聞いていたけれど、ローレインは、豊かな領だった。
東側を山、西側を海。その間に山から流れる川が作る田畑が広がっている。豊かだけれども、どこかのんびりとした牧歌的な風景。
そんな景色も見慣れた頃だったので、最初に丘の上から領都マルベールを見た時は、その堅牢さに驚いた。
城壁の数は四つ。その内、内側の二つは、元からあったものだろう。石組みが古いからすぐにわかる。高さも他の二つにくらべ高いし、厚みもある。今の武器をもってしても、容易く壊せるものではないだろう。海に突き出た形の砦もあり、ここはやはり軍事拠点なのだと改めて思った。
それでも有事でない今は、貿易港を持つ賑やかな街だ。外側の二つの門の中はかなり広いし、家や商店の数もかなりある。行き交う人の数も、道中で見てきた他の領と比べて圧倒的に多い。その中にちらほら見える兵の数も。
重要な軍事拠点であり、賑やかな貿易港でもあり、豊かな農産地を持つ領。
当然、街も綺麗に整備され、荒れた部分は見えない。心なしか、物乞いをする人々の姿も王都より少ないように思える。
「凄いところなのね」
長年父の仕事の都合上、自領ではなく王都で暮らしてきたが、その私の目から見てもここは色んな意味で驚かされる。
石畳の広場に広がる市の様子。多種多様な色や形の天幕。様々な民族衣装に身を包んだ異国の人々。
鼻をくすぐる香料の匂い。飛び交う意味のわからない外国の言葉。足早に通り過ぎる、沢山の人々。荷を運ぶロバたち。
自分の国にいて、自分の国ではない印象。
馬の背からそれらを眺めながら、私は呆然と呟いた。
ある意味、ここは王都よりも活気がある。
「こんな所にイザークはいたのね……」
刺激的で、目新しいものばかりの土地。それは、古くから変わらない王都から出た事のない人間にとって、かなり魅力的なのだろう。若い人間なら猶更だ。
一体今、彼はどんな生活をしているのだろう。
住所はわかっているけれど、直ぐ会いに行っていいものか……。
会いたいと思ってここまで来たけれど、いざ着いてしまうと怖気づいてしまう。
だって、二年だもの。
二年を短いと思うか、長いと思うかは人によって違う。
それに。
人が変わってしまうのは、時間でも距離でもない。
ここにきて、そんな事を考えていると、目の前に巨大な人が私たちの前に立ちふさがった。
腰に手を置き、眼光鋭く睨む老人。
なにか因縁をつけてくるのだろうか。不安な気持ちで相手を見ると、相手はただでさえ眉間に寄った皺を、更に深くした。
「坊ちゃん!こんな所で如何したのです?」
彼は馬に乗った私たちを見上げながら、周囲の喧騒に負けないくらいの大きな声で尋ねる。
老人の視線を辿り隣を見ると、アレクが何とも言えない表情をしている。ということは、老人の言う『坊ちゃん』はアレクということなのか。
「王都からの呼び出しには応じたんでしょうな」
「………」
縦にも横にも大きな体。今はこちらが馬に乗っているからそんな事はないけれど、私からしたら見上げるほど。アレクもかなり高身長だけど、この人はそんなアレクよりも頭一つ高いだろう。横幅もぜい肉ではなく、全てが筋肉だ。
全身筋肉で武装したような人。
それでも年齢は結構いっているのだろう。かなり薄くなった髪と、対照的に豊かで長い髭は両方とも真っ白だし、顔にも深い皺が刻まれている。
「ああ、またそんな嫌そうなお顔をして!坊ちゃんはいつから、年老いたか弱い老人をないがしろにするような子になったのですか!」
か弱い?いや、老人というカテゴリーを超えて、私の知っている誰よりも剛健に見えるけど。
ただアレクにとっては、口やかましい人というのはわかる。何故なら、この旅の間中にも一度も見たことがないほど嫌な顔をしているから。というか、これだけ彼が判りやすい表情をしているという事は、かなり親しい人なんじゃないかしら。
それにしても……。
「坊ちゃん?」
目の前にいる老人は、恰好こそ地味だがかなり高位の騎士、ないしは貴族なのでは?と思う。
でなければ、背中に背負う大剣の理由がつかない。
彼が背中に背負っているのは、使い込まれた大剣で、しかもグリップにはかなり精密な溝が彫り込まれている。
装飾と言う意味もあるだろうけれど、同時に、手が滑らないようデザインされた実用的な剣。
同様にボンメルも手が込んだ作りがしてあり、その中心には魔除けとされる水晶が使われている。
大剣というだけでもかなり高価な上、対魔の効果もある剣。これを持つことができるのは、かなり戦功をあげた勇者か、資金力のある貴族くらいだろう。
見た感じ、どちらもありそうだけれど。
こんな人に『坊ちゃん』と呼ばれるアレクって何者なのだろう。
じっと見つめていると、私の視線に気づいたのか、自称か弱い老人の男がこちらを向いた。そして。
「!!!!」
私の顔を見るなり、突然彼は片手で自分の口を覆った。それから彼は、顔を赤くして取り乱したような様子を見せた。
「坊ちゃん!坊ちゃん、坊ちゃんっ!」
なんだろう?そんなに驚くような事があったかしら?
驚く私を他所に、彼は噛みつく勢いでアレクに近づく。
「お父上から報告は受けておりましたが、まさかっ!まさか!じ、爺は、爺は嬉しゅうございますぞ!」
「……煩い」
「まーたそんな事を言って。と、とにかく一度戻って下さい!こうなったら、とことんまで爺の話を聞いていただきますよ!」
「…………」
うわぁ、アレクってば本気で嫌そうな顔してる。
本気で苦手な人なんだろうな。でも、アレクも煩そうにしていても、嫌っているというわけではなさそうだ。
口やかましい、知り合いのお爺ちゃんってところだろうか?
いずれにしても、アレクに用事があるなら、ここで別れた方がいいだろう。そもそもお父様がアレクにお願いしたのは、この街まで同行して欲しい、って事だったのだし。
これ以上はご迷惑よね。
二人のやり取りからそう判断した私は、アレクに告げた。
「アレク、連れて来てくれてありがとう。ここから先は住所もあるし、一人で行けるから大丈夫よ?」
「え?いや………」
ぎょっとした顔をしたアレクに、私は首から下げていたペンダントを渡した。
何かあった時の路銀代わりに持って来たものだ。
お父様の事だから、前金でアレクにはお願いしてあったと思うけれど、これは私からのお礼。
固辞する様子を見せるアレクの手に無理に渡し、私は馬の首を雑踏に向けた。
「エル!」
背中に私の名を呼ぶアレクの声を受け、私は一度振り返った。
もしかしなくても、彼から名前を呼ばれるのは初めてだ。
その程度には親しくなれたのだ。
護衛の為についていてくれた彼だけど、友達まではいかなくても、知り合いくらいにはなれたのかもし
れない。そう考えると嬉しくて。
思いっきりの笑顔で彼に手を振る。ありがとうの意を込めて。
少し離れた私たちの間に、商隊の馬車が通る。長い列。上がる土煙。
慌ただしく動く周囲の人々の波に流されるように、私は彼から離れて行った。
皆すぐに食べたいだろうから、本日のメニューは時短で簡単に、しかも大量に作れるもの。といえば、シェフの奥さんが教えてくれたチリコンカン。意外にも限界トマトが沢山あったのよ。
……珍しいフルーツだからと沢山仕入れたけれど、食べ方がわからないと不評で売れなかったらしい。まあ、フルーツとしては……ねえ。
それから、フライパンを合わせて作った即席ダッチオーブンで使った、発酵なしで時短に作れるパン。保存用のピクルスと、生の香味野菜を組み合わせた即席サルサ。後はスパニッシュオムレツとチーズ。
因みにチリコンカンは、西部劇という劇の中で牛追いたちが牛を売りに行く途中、野営した時に食べていたものだそう。
奥さんはこの西部劇が大好きで、野営に嵌ったとか。
「まさか、それで異世界に来るとは思わなかったけどねー」
と、笑いながらも、彼女は料理だけでなくあちらの生活を色々教えてくれた。
その奥さん直伝のチリコンカンは、おおむね好評だった。
パンに乗せてチーズと一緒にいただくも良し、挟んで野菜と一緒に食べても良し。そのまま食べても良し。
アレクもお気に召したらしい。
一口食べて、目が輝く。そのまま二口、三口と食べ進めた後、彼は信じられない、という目でこちらを見た。
「言ったでしょう?料理は得意だって。鍋でお米を炊くことだって出来るんだから」
「?」
「そうそう。お米って普通は蒸したり茹でたりして使うじゃない?だけど短いお米は、炊くこともできるんですって」
「………」
「美味しいわよ?多分どの調理法よりも、私は好きかな」
「………」
「食べてみたい?いいわよ。機会があったら披露するね」
「………」
どうやら、アレクも『炊いた』お米に興味があるらしい。
わかるわ。私も奥さんに聞いた時、そんな食べ方があるのかと驚いたもの。それに、サラダやスイーツとしてではなく、お米を主食として食べる、というのにも驚いた。初めは抵抗があるかもしれないけど、ほんのり甘くてモチモチして本当に美味しいから、いつかアレクにも食べてもらいたい。
そんな事を思っていると、すぐ近くにいた子連れの奥さんたちが笑いだした。
「?」
「ご、ごめんなさい。さっきから聞いていると、しゃべっているのはお嬢さんだけなのに、会話が成立しているのがおかしくて」
「そうそう。一方的になっていないのが、不思議よね」
「話さなくてもわかるって、まるで長年連れ添った夫婦みたいよ」
ふ、夫婦って……!
私にはイザークがいるんですけど。
慌てて否定すると、本気にしているのか、していないのかわからない反応で「はいはい」と奥さんたち
が軽く頷く。
その反応を見ながらため息を吐いて隣を見ると、アレクが複雑そうな様子をみせている。表情は変わっていないようだけど、雰囲気がね。
アレクは無理もない。お父様に頼まれて一緒に旅をしてくれているだけで、私の事は何とも思っていないだろうし。それどころか、もしかしたら騎士病を患っている人なのかもしれない。だとしたら女性と……なんて考えたくもないかもしれないもの。
なのに、私と夫婦みたいだなんて言われて。思ってもいなかった事だけに、困惑もするわよね。
「ごめんね」
変な誤解をされてしまったかもしれない。それでもアレクが不機嫌になる前に謝ろうと頭を下げた私に、アレクは首を横に振ってくれた。
気にしていない。そういうことだろう。
その事にホッと息を吐き、私はせめてものお詫びにと、お皿に乗っていたチーズを一かけ彼のお皿に放り込んだ。
翌日、最寄りの街に移動した商隊は、怪我をした人の治療の為暫くそこに滞在することになった。
一晩一緒にいただけだけど、互いに親しくなった私たち。別れる時は、「またどこかで会おうね」と言って盛大に見送ってくれた。
その中で先頭に立って、大きく手を振ってくれたのは昨日腰を抜かして怯えていた男の子だった。
彼は夕食の時に母親と一緒に私たちの所に来て、頭を下げてくれたのだ。
「お兄ちゃん、お父さんを助けてくれてありがとう」
どうやら、彼の父親は戦闘中危ない所だったらしい。それをアレクに助けられ、ケガこそしたものの、命は無事だったのだとか。そのケガも応急処置したのは、アレクだ。
「俺、お兄ちゃんみたいに強くなる!お母さんとお父さんを守れるくらいに!」
そう宣言した彼に、アレクは薄く微笑んだ。激励するみたいに。
その途端、男の子とその母親のみならず、隊中の女性が色めき立ったのは言うまでもない。
そんな彼らと別れ、私はアレクと共にローレインへの旅を続ける。
相変わらずの静かな旅路。けれど、静かな中に、昨日まではなかった親しさをお互いに感じる。
商隊の人たちともそうだったけれど、やはり同じ釜の飯を食べる、という行為はお互いを近づけるものなのだ。これは同じ宿屋で同じものを食べていても、宿屋が作ってくれたお弁当を食べていてもできない。同じ場所にいて、共に作り、同じ火にあたり、同じ温かいものを食べる。その事でできる縁。
アレクともそれができた、という事が何となく嬉しくて、隣を進むアレクに目をやると、彼が目だけで微笑んでくれた。
気のせいではなく、表情が格段に読み取りやすくなっている。というか、表情が増えている?
そんな彼に笑顔を返すと、また懐から出した飴をくれる。
今日はそんなに喉が痛いさけじゃないけど。
それでも折角くれたものだからと受け取り、口に放り込むと、アレクは手を伸ばして私の頭を撫でた。
……もしかして、さっき笑顔を返したのを『おねだり』だと認識したのかしら?
子供じゃないんだけど。
口の中で、モゴモゴと飴を舐めて言う事ではないかもしれないけど。
その後の旅は順調に進み、予定の日より一日早く私たちはローレイン領都、マルペールの門をくぐる事になった。
「ここが…マルペール」
噂には聞いていたけれど、ローレインは、豊かな領だった。
東側を山、西側を海。その間に山から流れる川が作る田畑が広がっている。豊かだけれども、どこかのんびりとした牧歌的な風景。
そんな景色も見慣れた頃だったので、最初に丘の上から領都マルベールを見た時は、その堅牢さに驚いた。
城壁の数は四つ。その内、内側の二つは、元からあったものだろう。石組みが古いからすぐにわかる。高さも他の二つにくらべ高いし、厚みもある。今の武器をもってしても、容易く壊せるものではないだろう。海に突き出た形の砦もあり、ここはやはり軍事拠点なのだと改めて思った。
それでも有事でない今は、貿易港を持つ賑やかな街だ。外側の二つの門の中はかなり広いし、家や商店の数もかなりある。行き交う人の数も、道中で見てきた他の領と比べて圧倒的に多い。その中にちらほら見える兵の数も。
重要な軍事拠点であり、賑やかな貿易港でもあり、豊かな農産地を持つ領。
当然、街も綺麗に整備され、荒れた部分は見えない。心なしか、物乞いをする人々の姿も王都より少ないように思える。
「凄いところなのね」
長年父の仕事の都合上、自領ではなく王都で暮らしてきたが、その私の目から見てもここは色んな意味で驚かされる。
石畳の広場に広がる市の様子。多種多様な色や形の天幕。様々な民族衣装に身を包んだ異国の人々。
鼻をくすぐる香料の匂い。飛び交う意味のわからない外国の言葉。足早に通り過ぎる、沢山の人々。荷を運ぶロバたち。
自分の国にいて、自分の国ではない印象。
馬の背からそれらを眺めながら、私は呆然と呟いた。
ある意味、ここは王都よりも活気がある。
「こんな所にイザークはいたのね……」
刺激的で、目新しいものばかりの土地。それは、古くから変わらない王都から出た事のない人間にとって、かなり魅力的なのだろう。若い人間なら猶更だ。
一体今、彼はどんな生活をしているのだろう。
住所はわかっているけれど、直ぐ会いに行っていいものか……。
会いたいと思ってここまで来たけれど、いざ着いてしまうと怖気づいてしまう。
だって、二年だもの。
二年を短いと思うか、長いと思うかは人によって違う。
それに。
人が変わってしまうのは、時間でも距離でもない。
ここにきて、そんな事を考えていると、目の前に巨大な人が私たちの前に立ちふさがった。
腰に手を置き、眼光鋭く睨む老人。
なにか因縁をつけてくるのだろうか。不安な気持ちで相手を見ると、相手はただでさえ眉間に寄った皺を、更に深くした。
「坊ちゃん!こんな所で如何したのです?」
彼は馬に乗った私たちを見上げながら、周囲の喧騒に負けないくらいの大きな声で尋ねる。
老人の視線を辿り隣を見ると、アレクが何とも言えない表情をしている。ということは、老人の言う『坊ちゃん』はアレクということなのか。
「王都からの呼び出しには応じたんでしょうな」
「………」
縦にも横にも大きな体。今はこちらが馬に乗っているからそんな事はないけれど、私からしたら見上げるほど。アレクもかなり高身長だけど、この人はそんなアレクよりも頭一つ高いだろう。横幅もぜい肉ではなく、全てが筋肉だ。
全身筋肉で武装したような人。
それでも年齢は結構いっているのだろう。かなり薄くなった髪と、対照的に豊かで長い髭は両方とも真っ白だし、顔にも深い皺が刻まれている。
「ああ、またそんな嫌そうなお顔をして!坊ちゃんはいつから、年老いたか弱い老人をないがしろにするような子になったのですか!」
か弱い?いや、老人というカテゴリーを超えて、私の知っている誰よりも剛健に見えるけど。
ただアレクにとっては、口やかましい人というのはわかる。何故なら、この旅の間中にも一度も見たことがないほど嫌な顔をしているから。というか、これだけ彼が判りやすい表情をしているという事は、かなり親しい人なんじゃないかしら。
それにしても……。
「坊ちゃん?」
目の前にいる老人は、恰好こそ地味だがかなり高位の騎士、ないしは貴族なのでは?と思う。
でなければ、背中に背負う大剣の理由がつかない。
彼が背中に背負っているのは、使い込まれた大剣で、しかもグリップにはかなり精密な溝が彫り込まれている。
装飾と言う意味もあるだろうけれど、同時に、手が滑らないようデザインされた実用的な剣。
同様にボンメルも手が込んだ作りがしてあり、その中心には魔除けとされる水晶が使われている。
大剣というだけでもかなり高価な上、対魔の効果もある剣。これを持つことができるのは、かなり戦功をあげた勇者か、資金力のある貴族くらいだろう。
見た感じ、どちらもありそうだけれど。
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じっと見つめていると、私の視線に気づいたのか、自称か弱い老人の男がこちらを向いた。そして。
「!!!!」
私の顔を見るなり、突然彼は片手で自分の口を覆った。それから彼は、顔を赤くして取り乱したような様子を見せた。
「坊ちゃん!坊ちゃん、坊ちゃんっ!」
なんだろう?そんなに驚くような事があったかしら?
驚く私を他所に、彼は噛みつく勢いでアレクに近づく。
「お父上から報告は受けておりましたが、まさかっ!まさか!じ、爺は、爺は嬉しゅうございますぞ!」
「……煩い」
「まーたそんな事を言って。と、とにかく一度戻って下さい!こうなったら、とことんまで爺の話を聞いていただきますよ!」
「…………」
うわぁ、アレクってば本気で嫌そうな顔してる。
本気で苦手な人なんだろうな。でも、アレクも煩そうにしていても、嫌っているというわけではなさそうだ。
口やかましい、知り合いのお爺ちゃんってところだろうか?
いずれにしても、アレクに用事があるなら、ここで別れた方がいいだろう。そもそもお父様がアレクにお願いしたのは、この街まで同行して欲しい、って事だったのだし。
これ以上はご迷惑よね。
二人のやり取りからそう判断した私は、アレクに告げた。
「アレク、連れて来てくれてありがとう。ここから先は住所もあるし、一人で行けるから大丈夫よ?」
「え?いや………」
ぎょっとした顔をしたアレクに、私は首から下げていたペンダントを渡した。
何かあった時の路銀代わりに持って来たものだ。
お父様の事だから、前金でアレクにはお願いしてあったと思うけれど、これは私からのお礼。
固辞する様子を見せるアレクの手に無理に渡し、私は馬の首を雑踏に向けた。
「エル!」
背中に私の名を呼ぶアレクの声を受け、私は一度振り返った。
もしかしなくても、彼から名前を呼ばれるのは初めてだ。
その程度には親しくなれたのだ。
護衛の為についていてくれた彼だけど、友達まではいかなくても、知り合いくらいにはなれたのかもし
れない。そう考えると嬉しくて。
思いっきりの笑顔で彼に手を振る。ありがとうの意を込めて。
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※姉妹作品の『攻略対象ですがルートに入ってきませんでした』の別の話になります。
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