無口な騎士は思い込み娘がお好き

白野佑奈

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雉も鳴かずば1

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エルーシアと連絡が取れなくなって、もうどれほど経っただろう。

 まだ騎士になれない一般兵への手紙や荷物は、寮でなければ事務所に届く事が多い。

 以前はほぼ日を開けずといった状態で届いていた手紙は、今日もまた来ていなかった。

 わかっている。

 彼女から謝罪の手紙を受け取ったのは数年も前。

 当時一緒に暮らしていたユーリカが預かったのだが、そこには学園に入るのでもう会えない事と、今まで付きまとったことへの謝罪が記されていた。

 正直手紙を見た時は、ホッとしたのを覚えている。面倒が無くなって良かった、と。

 これで穏便に別れる事ができた、と。

 今まで彼女の愚痴を聞いてくれていた友人たちも俺の開放を喜んでくれ、祝杯まで挙げてくれた。

 そして、以来、毎週のように来ていた彼女からの手紙は、届かなくなった。

 一度来たのは、彼女ではなく彼女の父親からの手紙で、今まで娘が迷惑をかけたと、謝罪の言葉が綴られていた。同時に、目を覚まさせたので、もう迷惑をかけることはないだろうから、安心してほしいともあった。更に、もう大丈夫だから、王都に戻りたかったら戻す、とまで言って貰えた。

 上司からの謝罪と、彼女からの解放。

 心から望んだ瞬間なのに、読んだ後、俺は何故だか力なく手紙を床に落としてしまった。

 あの時。彼女がここまで来てくれた時に何かあったのだろう、とは思っている。何しろその手紙を受け取ったのはユーリカで、エルーシアは家にわざわざ来て彼女に手紙を渡しているのだから。けれど、何があったのかは、ユーリカもエルーシアも教えてくれないし、俺が解放を望んでいた事は周知の事だったので、今になって何があったかなんて誰にも聞けなかった。

「随分、しけた顔しているわね」

 幾分落ちた肩に気付いた同僚の一人が、笑いながら後ろから俺の背中を叩く。振り返ると、そこに見知った顔があった。

「ユーリカか……」

 ユーリカ・フォンダ。

 俺より2歳年上の同僚であり、2年前までは同棲していた相手。

 この地に来てから知り合い、何となく気が合い、何度か一緒に飲み歩いている内に、体の関係になった女。

 エルーシアが来ると連絡を貰った時には、一緒に暮らしていた。そして、その後も少しの間だったけれど関係は続いていた。

 一時は結婚を意識したこともある人だ。彼女との関係は数年続いていたし、同じ職種だけあって、兵士としての不規則な生活も理解してくれていた。

 けれど、結局別れてしまった。

 同じ職場の彼女とでは、自然家での話題も仕事の事になる。

 楽しい事や、友人たちとの馬鹿話ばかりならいい。けれど、隣国の王が変わり、相手との関係が急に悪化し、出動を求められる事も多くなっていくと、二人の会話は殺伐なものとなっていった。

 戦争とまではいかないが、小競り合いの様子、負傷兵の数。時に親しくしていた友人が亡くなることもあり、二人の間に暗い話題しか上らない事もあった。

 こんな時だからこそ、互いに互いの存在が必要となると思った時もある。

 けれど、感情が同じベクトルを向いているからといって、起伏まで同じとは限らない。

 俺たちの波は次第にすれ違い、いつしかどちらかが浮上すれば、残された者がその足を引っ張る。そんな関係が続き、結果別れを選んだのだ。

 それでも酷い喧嘩をして別れたというわけではなかったからか、今でもこうして顔を見れば挨拶はするし、雑談などもする仲だ。

 彼女は私の顔を覗き込み、それから苦笑を漏らす。

「またお嬢様からの手紙?」
「ああ」
「来てなかったのね。っていうか、来るわけないでしょう?」
「………」

 当たり前の事のように言われ、俺の視線は地面に落ちた。

 今日も散々しごかれて、体力ゲージはゼロに近い。返事をする元気もなく、俺は頷く事で肯定した。

 王都よりも危険だけれど、その分給料がいいと噂のここ、ローレイン。その中の領都マルペール。

 辺境として知られ、戦が始まればすぐに最前線になるこの地は、その地形故か領兵の数も騎士の数も多いし、その技量も他に比べて驚くほど高い。俺たち国軍の兵は、その彼らの補佐をするためのものだから、当然彼らと同じだけの技量を要求される。故に、訓練も自然ときついものになっている。

 正直いえば、王都にいた時の方が断然楽だ。

 疲れだけが蓄積される日々。

 そこから逃れるように、俺はいつしかエルーシアの手紙を心待ちするようになっていた。

 何気ない日常。俺を気遣う温かい言葉。

 文面から溢れる、真っ直ぐで一途な想い。

 おべっかやお世辞、下心のような汚いものなど欠片もない、純粋に相手への好意と肯定に満ち溢れたもの。

 だがそれらは、あの手紙を最後に、俺の周囲から潮が引くようになくなっていった。

 後には、灼熱の浜に取り残され、キラキラと遠くで光を弾く波を見つめる事しかできない干からびた魚みたいな自分がいるだけ。

 今更ながらに、俺は大事なものを手放した事を実感している。

 そんな事を考えながら、ユーリカと肩を並べて歩いていると、ふと思い出したように彼女が告げる。

「そういえば、近々小競り合いがあるみたいよ?」
「……久しぶりだな」

 小競り合い、などと簡単に言うが、ほとんど戦争に近い。ただ、辺境伯が完全に相手を抑えているから、戦争という言葉を使わないだけだ。

 その小競り合いだが、二、三年前までは頻繁にあったのは事実。だが、辺境伯令嬢が第一王子に嫁いだ前後から、相手からの挑発的な行為は激減していた。

 それなのに。

「午後に領軍からの連絡があって、敵の船が出航したって。霞の幽霊の防衛線を超えるのを待って、迎撃するらしいわ」
「……そうか」

 領軍から連絡があったという事は、国軍も配置されるだろう。

 もっとも、戦場が海になるのなら、俺たちにやれることは少ないだろうけれど。

「今回もガルディアンが出るだろうから、私たちの出番はないでしょうけど、それでも万が一の為に気を引き締めておきなさいよ」
「……ああ」

 俺の考えを悟ったのだろう。ユーリカはちらりと俺の方を見て忠告した。

 それに頷くものの、返事は気の抜けたものになってしまう。

 ガルディアン。

 屈強と呼ばれる領軍の中でも、精鋭と呼び名の高い隊だ。元々の隊長は辺境伯令嬢だったが、彼女が嫁
いで後はその弟が率いている。

 辺境伯令息にして、次期辺境伯。アレクシス・シューバリエ。……エルーシアの夫。

 彼を最初に見たのは、エールファリス港での戦い。とはいえ、戦いそのものを見たわけじゃない。俺たち国軍が着いた時には、戦いは終わっていた。そして、高台から見下ろした戦場は、地獄の様相を見せていた。

 まだ火の熱気が残る戦場。焼け落ち、廃材になった敵艦から上る、タールの黒い煙が、まだ残る太陽の光を遮る。

 倒れ伏す無数の敵兵。海を渡ってくる強い風にも飛ばされない、濃い血の匂いと、イワシを焦がしたような匂いは……。考えたくない。

 言葉を失う惨状の只中にあり、本陣に向けて駆けていく騎馬隊。それがガルディアン。

 その中の一人。先頭を走る姉の騎馬に、ぴたりと寄り添う若い騎士。

「あれが……死神。次期領主様よ」

 同じく戦場を見ていたユーリカが、震える声で教えてくれる。

 いつまでも後方の援助でしかない俺と違い、彼女は弓を片手に前線に赴く事も多い。それ故自然に領軍を見る機会も多いのだろう。

「次期……領主」

 直に見たことはないが、美形だとは聞いている。けれど、俺とは接点のない男だ。

 身分も生活環境も違うし、普通に暮らしていても、すれ違う事だってないだろう。そんな事を考えながら、彼女の言葉を何となく繰り返した俺に、ユーリカは振り返りぎこちなく笑った。

「どうでもいい、みたいな口調だけど、エルーシア様のご婚約者よ?」
「!」

 衝撃が胸を貫く。

 俺の記憶の中にある、小さなエルーシア。

 彼女の……婚約者?彼女が、結婚する?

 次期辺境伯と、侯爵令嬢。確かに身分は釣り合っている。貴族は学園に入る頃には、婚約者がいることも珍しくない。結婚も政略結婚として、本人の意思ではなく家が決めるという。

 エルーシアも貴族令嬢である以上、この頸木からは逃れられなかったのだろうか。

 俺を慕ってくれた小さなエルーシア。

 明るい笑顔と、欠片も相手を疑わない真っすぐな瞳。

 伸ばされた腕。

 政略結婚というなら、手紙を寄こさなくなった事情もわかる。時期も学園に入る直前だったし。

 彼女はどれだけ悲しんだだろう。苦しんだだろう。それでも、家の為には俺を諦めなければならなかった……。

 彼女の辛さを理解し、俺はあの時の自分を反省した。そして、新たに決意する。

 いつか、彼女を救ってみせると。




 あれから三年。

 学園を卒業したエルーシアは、次期辺境伯夫人としてこの地に嫁いできた。

 何にでも一生懸命だった彼女は、その性質を変えておらず、結婚前から辺境伯領出入りし、領に尽くしていた。

 元々温暖な気候だけれど、土地が痩せて水も少ないこの土地に、彼女の考案で新しい作物が導入され、有事の備蓄も増えた。

 特産の食べ物を使った貿易も順調だと聞く。

 同時にそれらを使った新しい料理が、次々と生み出され世間の評判となった。今では、食事の為だけにこの地を訪れる人もいるくらいだ。

 朗らかで気さくな彼女は、度々領地を旅してまわり、領民たちの声を直接聞き、対策し、当然の事ながら民はそんな彼女を愛した。

 それ故、自然と次期領主と彼女の結婚式は、領民総出で祝う大規模なものになった。

 バルコニーで手を振りながら、何度もキスを交わす若い夫婦。

 そこで見た彼女は、とても美しく成長していた。眩い金の髪、柔らかい曲線を描く肢体。

 あのままの関係でいれば、自分のものになっただろうその姿を遠目に見ながら、俺は胸がいっぱいになってしまった。

 エルーシアは今どんな気分でいるのだろうと。

 望まない相手との政略結婚。

 しかもこの群衆の中には、彼女が心から慕っていた俺がいるのだ。

 ああ……早く、早く助け出してやらなければ。

 だが、政略結婚ということは、国や互いの領地との兼ね合いもあって逃げ出す事もできないだろう。

 だったら……秘密の結婚なら?

 どうせ冷たい夫婦関係になるのだし、彼女は領主の妻としての立場のまま、俺と関係を保つのはどうだろう。

 表向きは領主の妻としての公務に勤しみ、時に俺と会って事実上の夫婦として暮らす。

 これは名案に思えた。

 だから、一刻も早く彼女に会って、それを教えてあげて……。

 そう思っても、事は上手く進まない。手紙を送っても届かないし、公務での外出時には護衛が沢山いる。そうなると当然人目も多い。

 中々接触できないと焦っていたある日、俺は偶然少数の護衛だけを連れた彼女に遭遇した。

 しかし。

 久しぶりに会った俺を見て、エルーシアは少し驚いたものの、喜びはしなかった。

 あの時、俺の目の前にはあどけなく、俺だけを信じていた少女の姿はなく、凛とした貴婦人の冷たいまなざしだけがあった。

 何が彼女をこうも変えてしまったのか。

 とりあえず二人きりにしてもらい、計画の話をしても、迷惑そうな様子を見せただけ。

 再会を手放しで喜んで、計画には涙を流して頷いてくれると思っていたのに。その彼女の態度に自分への裏切りを感じ、つい脅しのような事まで言ってしまったのは悪かったと思っている。でも、素直になれないなら、そのくらい強引にと思ったのだ。彼女が動けないなら、俺を悪者にしてもいいから、と。

 だが、彼女の返事を聞く間もなく、彼女の護衛が時間切れを知らせ、俺を店から追い出した。容赦なく絞められた扉。それは再び開くことはなく……。いい加減時間が経った後、裏口の存在に気が付いた俺は、諦めて帰路についた。



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