怨みつらみの愉快日録

夏風邪

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第一章

第20話 隠す意義

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 指先は、つつ、とドアの表面をなぞり、何かを確かめるようにゆっくり辿る。

 一切言葉を発さずそうして何かを探っている千景を志摩と久瀬は固唾を呑んで見つめている。
 
 暫くドアをなぞっていた指先はやがて離れ、インターホンの上、お洒落な字体で『久瀬』と書かれた表札に触れた瞬間、ピタリと動きを止めた。

「……上手いな…」

 やや眉根を寄せた千景は、小さくそう呟く。

 些細な気配の元、元凶に触れただけでは大して何も読み取れない。
 もっと本気でやればその先を探ることは可能だが、しかし千景は何も手をつけずにあっさり指先を離した。

「チカ?」

 凍てつく氷が溶けるようにふわりと空気が和らいだ千景に、訳が分からないといった様子の二人が困惑した顔を見せる。

 思わず口元に弧を描いた千景はつくづく思う。
 やはり自分の嫌な予感、というか今回の場合は厄介事の予感だが。そういう第六感は本当によく当たると。

「ふふ、どうやら今回のお相手さん。結構厄介みたいですよ」

「…どういう事だい……?」

「まあ詳しい話は後で。お待たせしてすみません」

 大丈夫と言うようにニコリと笑えば、久瀬は相変わらず千景の意味深な行動に首を傾げ不安を覗かせるが、反対に千景をよく知る志摩はその笑みから過度な心配はいらないと感じ取ったらしくいつもの調子に戻った。


 久瀬の案内で通されたのは大きな窓から夜景が一望できる広々としたリビングだった。
 モノトーンで統一された室内は生活感を残しながらも余計なものがなく整頓されている。綺麗好きであろう久瀬の性格が垣間見えた。

 こういう高級マンションに立ち入ったことがない千景と志摩は興味深そうにキョロキョロ見渡しては意味のない感嘆符を漏らす。

 ふかふかのソファに座って待つこと数分。
 ラフな格好に着替えてキッチンから出てきた久瀬はカップを三つ持っており、それぞれの前に紅茶と珈琲を差し出す。

「はいどうぞ」

「ありがとうございます」

「どーも」

 先ほど喫茶店で頼んでいたものから好みを把握したのか、個人によって出すものを変える細やかな気遣いが流石だと思った。

「君のペットたちも何かいるかい?」

「いえいえい、このコたちのことはお構いなく」

 基本首元に巻きついて動かない朱殷とソファに座った瞬間から千景の膝を独占する銀。
 どんな場所だろうと誰が相手だろうとマイペースを崩さない二匹はいつも通り自由やっているため気遣いは無用だ。

 自らも湯気の立ったコーヒーカップを手にソファに座った久瀬はちらりと千景を見て、しかしなんと問えば良いのか言葉を選んでいるようだったので、紅茶を飲んで一息ついた千景の方からその話題を持ち出すことにした。

「ねえ久瀬さん。貴方を悩ませている呪いのことが色々わかりましたよ。聞きますか?」

「聞かないって選択肢もあったんだね。とりあえず全部話してくれると嬉しいな」

 頷いた千景は本人の希望通り、ひとつずつ話していくことにした。


「やっぱり状況を把握するためには実際に見てみるのが手っ取り早かったみたいです。結果的にいうと、貴方やっぱり呪われてますね。しかも結構厄介な感じで」

 そう断言する千景の言葉を聞いて一瞬久瀬の顔が強張った。
 しかしリアクションを起こす代わりに深く息を吐くことで渦巻く感情を抑え込んだようだった。

 彼は今まで自ら「呪われている」と言っていたが、やはり心の何処かではそんなはずはないと思っていたようだ。

 もしこれがそこらのただの術師の言葉であれば疑い半分に聞いていただろう。
 しかし出会って間もないながらもそこそこ信頼を寄せていた千景が実際に見てそう判断したのならば、久瀬の中ではそれはもう疑う余地のない真実となる。

「……厄介というのは?」

「これは呪術による呪いです。先ほど呪いというのは霊主体と人間主体の二つに分けられると言いましたが、今回は人間主体によるものですね。久瀬さんに直接的に危害を加えているのは毎夜やって来るという女の霊ですけど、呪い自体をかけているのは人間、つまりは術師です。その術師は間接的に霊を操ることで対象人物を祟るという類の呪術を用いたのでしょう。ちゃんと目印もありましたしね」

「目印って……さっきの玄関の?」

「ええ。少し呪いの気配を感じたので探ってみましたがやっぱりありました。術師は呪う対象の居場所としてあの表札に目印をつけ、霊はその目印に導かれてやって来ていたんでしょう」

 数ある呪いの中にも対象に直接術をかける場合もあれば、今回のケースのように霊を使って間接的に仕掛けて来る場合もある。
 目的や状況に応じてそれぞれメリットデメリットがあるためどちらが有効かは一概には言えない。

「この前来た術師はそんなこと言ってなかったな…」

「気づかなくても仕方ありませんよ。びっくりするほど巧妙に隠されてますから。これは結構腕の立つ術師の仕業かもしれませんね」

「やっぱり僕を怨んでいる人がいるということかな」

「そうだと断言することはできませんけど、とりあえずその術師が久瀬さんの名を知ってることは確かなようですよ」

「名前? どうして」

「基本的に、呪術というのは対象の個人情報を知っていればいるほど効力は高まります。偏に個人情報といってもその人の容姿や住所などいろいろなものがありますが、呪術において最も重視されるのは本名です。生まれた時から死ぬまでずっと持つものであり、個人を表す何よりの証明にもなりますからね」

 これは千景が無闇に名を教えない理由の一つでもある。

 ただの一般人であれば、挨拶の一環として名を名乗ることが日常的であるしそこまで気にする必要はない。

 だが術師ともなると霊もしくは同業者に怨まれ呪いをかけられる対象になることも少なくない。
 その時本名を知られているのといないのとでは効き目に天と地ほどの差が出てくる。

 そのため術師は自ら名乗ることを好まず、また無理に聞き出すことをしないのが暗黙の了解となっている。
 例外として七々扇ななおうぎなどの術師として有名な家の人間はそんなことお構い無しではあるが。


 相当な術師ともなれば名を知らずとも強力な術をかけることは可能だが、そんな術師はそうそうおらず、大抵の術師にとっては名を知っているか否かがキーポイントとなる。

 とはいえ千景の場合、それは本名を名乗らない理由の一端に過ぎず、もっと大きな理由が他にもあるのだけれど。

「呪いの目印がつけられていたのは表札でした。正しくは『久瀬』という苗字の方だと思いますけどね。これは術師に久瀬さんの名が縛られている証拠です」

「困ったな……仕事の関係上名乗ることはよくあるし、僕の本名を知っている人は結構多いと思うんだ」

「心当たりがないのなら無理に依頼者を特定しなくても大丈夫でしょう。術師が腕試しの一環で無作為に呪っているという可能性も否めませんしね」

「そういう場合もあるのかい?」

「怖いもの知らずの馬鹿がたまにやるそうですよ。ふふ、迷惑な話でしょう」

 若気の至りで誰彼構わず呪いをかけて逆に呪われるという話は今も昔もちらほらあるらしい。

 「自分の力量も量れねえ馬鹿はとっとと切り捨てちまえ。酌量の余地すらねえわ」と鼻で笑い飛ばしていた紫門のあの冷めきった目は今でもよく覚えている。その意見は千景としても同感ではあったが。

「それで、その目印とやらを君は解いてくれたんだよね?」

「まさか。何の手もつけずにそのまま残してきましたよ。目印がなくなって今夜霊が来てくれなかったら困るじゃないですか」

 ニコニコと楽しそうに言ってのける千景に、久瀬は溜め息を吐いた。

 これは何も千景の愉快犯的一面が出たわけではない。

 目印となっている呪いの片鱗を解いたとして、確かに久瀬にかけられた呪いが解けて一時は霊が来なくなるかもしれないが、その後術師の意思とは関係なくまた女の霊が久瀬の元に来てしまう可能性も十分考えられる。

 それを警戒していつまでも神経を尖らせているより、今日確実に来るとわかっているタイミングで祓ってしまった方が手っ取り早いというだけのことだ。

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