鳥籠の中の道化師

夏風邪

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第一章

第十夜 . 狂っていく感覚

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 やや逃げるようにミーティングルームを出た俺は、カラン、コロン、と下駄を鳴らしながら夜の街を歩く。

 とりあえず気分転換がしたかった。
 あの楼閣では檻に入れられているような感じがして開放感がまったくないから。

 もちろん外に出る前に一度自室に戻り着物は替えた。
 営業用のあんな派手な着物で黒吉原をうろつけば一発で男娼だと気づかれ、さらにはランク上位者だということもバレ兼ねない。街中で群がられるのだけは御免だ。


 オレンジや赤で薄っすらと染められた夜空を眺めながらゆらゆら歩く。

 辺りは着飾った男娼やスーツ姿の客で賑わい、其処彼処の見世から宴席での盛り上がりが窺える。

 双方とも男だというのによくもまあここまで盛り上がれるものだ。
 俺から見た感想としては、ここはバリバリR指定のキャバクラ感覚に近い。

 ここで働く男たちはその職業柄、異常なほどに顔立ちが整っているヤツが多い。それが影響してかは知らないが、やって来る客たちもまたやたらと顔がイイ。
 つまりは黒吉原全体での顔面偏差値はヤバいことになっている。

 もっと別のベクトルでその顔を活かせばいいものを、と思ったり思わなかったり。自分を含めてな。

 だからたとえネコNo.1である俺が普通に歩いていたとしても大した問題ではない。
 派手な格好と営業用の色香を抑え、あとは俯き加減で顔を見えづらくしていればある程度はその他大勢に擬態できる。
 着物の男もここではさして珍しくもないから。

 それにランク入りしている男娼の中では、俺は圧倒的に容姿の認知度が低いだろう。
 あまり人前に出ないためか。それとも楼主が手を回しているためか。

 しかしこうして視線を気にせず出歩けているのだからこちらとしては好都合だ。


 そうしてとくに行き先もなくただ歩いていると、不意に近くの甘味処から呼び止めの声が掛けられた。


「よお、シノ。もう体は大丈夫なのかよ」


 声のした方を振り向けば、そこには声から連想したヤツと同一人物の男が呑気に茶を啜りながら団子を咥えていた。
 というかここで俺をそう呼ぶのは一人しかいないけれど。

 着流しを軽く肌蹴させながら足を組んでゆるりと腰掛ける黒髪の男。
 すっきりとした長さの髪とちらりと覗く耳元のリングピアスの相性の良さときたら。

 細身なのにちゃんと男らしい筋肉のつき方とか。
 普段は鋭い目つきも目元を和らげると一気に糖度が増すところとか。

 ほんとお前キャストじゃねえくせにイケメンすぎるんだよ。


「…ナツ……ここではその名で呼ぶなっつってんだろ」

「ヘイヘイ、悪かったな。あとそれはお前もな」

「あ、悪い」

 
 誘われるまま男に近づき向かいの椅子に腰掛ける。
 歩く分には支障がないくらいには回復したが、やはり座るとかの動作になるとズキリと腰が痛む。あのクソ楼主ほんと殺したい。


「で? 黒吉原が誇るネコちゃんがこんなトコで何してんだ? 客取んなくていいのかよ」


 頬杖をつきながら揶揄うように言葉を紡ぐ男。
 こんな体で商売になるわけないだろうと言い返したいところだが、そんなことはこの男も百も承知のはずだ。


「なに、俺に死ねって言いたいの? ていうかお前の方こそ仕事はどうしたんだよ」

「俺は今日非番なの。さっきひとつだけ急務が入ったけどな」

「休みのとこ悪かったね。文句ならあのクソ楼主に言えよ」


 こいつの言う急務とはおそらく俺の介抱のこと。
 俺が意識を失った後に後処理として楼主に呼び出されたのだろう。

 自分のせいだったとはいえ非番のところ御愁傷様としか言いようがない。

 もう気づいているかもしれないが、このかっこよすぎる男こそが俺の古くからの友人である鞍咲という男だ。
 俺には専属の若い衆である椿がいるが、もっと深い部分や根本的な部分の面倒はこの男に任せっきりだ。頭が上がらないくらいにはお世話になっている自覚はある。


 いつのまにか頼んでくれていたらしい抹茶とあんみつがテーブルに置かれ、パクリと遠慮なく口に運ぶ。

 疲労の溜まった体には果物の爽やかさと餡子の深い甘みが沁みる。
 ゆっくりと喉を通る濃い抹茶の苦味が脳の回転を活性化させてくれる。ああ、最高。

 しばらく至福のひと時を味わっていると、ふと目の前から視線を感じた。


「なに?」

「お前さ、あの野郎に毎回毎回メチャクチャにされてっけど大丈夫なのかよ。客の相手するより絶対キツいだろ」

「…………」


 ああ、やっぱりそこを気にしていたか。
 鞍咲には楼主に抱かれるたびに行為の形跡とか身体の惨状とかを見られているから、その激しさの度合いも知っているはずだ。

 楼主の機嫌がいい時は終わりの見えない快楽。
 機嫌が悪い時は容赦なく与えられる痛みと苦しみ。

 どちらにせよ快楽の生き地獄であることに変わりはない。

 そのせいで俺の中では生粋のサディストとのセックスが基準として刷り込まれてしまっている。
 心も身体も感覚でさえも、すべてが完全に麻痺してしまっていることはとうの昔に知っているさ。

 しかしそのおかげで客から与えられる刺激に揺らぐことはほとんどなく、終始自分のペースでいられる。

 ”朝霧”という存在にハマらせることも、大金を巻き上げることも、彼らの意志で自ら貢ぎに来させることも。すべては造作もないことだ。
 この点においてだけは変態クソ楼主に感謝している。

 正直楼主の相手をするのは普通の客より格段にキツイ。
 身体の問題だけではなく、男の矜持とかその他諸々の精神的ダメージ込みで。

 しかし鞍咲の問いに対する俺の答えなど初めから決まっている。


「そんなの、もう慣れたよ」


 人生において慣れという感覚は実に恐ろしいものよ。
 こんな異常とも言える日々が俺にとっては日常となってしまっているのだから。


 俺がこう言えば、お前は決まって眉根を寄せる。
 昔の俺を知っているだけに。どんどん感覚が狂っていくのを一番近くで見ているだけに。

 それでも、ここから逃げようだなんて無責任なことをお前は絶対に言わない。

 俺が何のために『黒吉原』にいるのかを知っているから。
 身を穢してまで守りたい存在がいることをちゃんと分かってくれているから。
 

 そうして今日もまた、お前は何も言わずに隣にいてくれる。
 外の法やルールが一切適応されないこの狭く異色な世界で、俺という人間の全てを理解してくれる存在がいることがどんなに心の支えになっていることか。
 
 そんなお前の優しさに、俺はいつまで被害者ヅラをして甘えていられるのだろうか。

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