愛されすぎて、夜が足りない

ぴょす

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傷ごと抱きしめて、分からせたい

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着信相手の名前を見た颯の表情が、ほんの一瞬だけ固まった。それは俺にも分かるくらい、明らかに「気まずい」といった顔だった。

「すみません、ちょっと折り返してきます」

そう言いながら颯はベッドから抜け出す。いつも通りの口調だったけれど、その動きは少しだけ急いていた。

「俺がリビング行こうか?」

俺がそう言っても、颯はにこりと笑って、「いえ、大丈夫です。すぐ戻りますから」と、やけに丁寧に返してリビングに向かって歩き出した。

でも、それだけじゃなかった。颯はそのまま、Tシャツを拾い上げ、玄関の方へと向かう。

「え、外でかけんの?」

「はい、少しだけ。すぐ戻ります」

扉を開ける手元に、少しぎこちなさが見えた。だが颯は振り返ることなく、ドアを閉めて出て行く。

その「ちょっと」が、なんとなく心に引っかかった。きっと、大したことじゃない。なのに、颯が家の外でわざわざ折り返すような電話って、いったいどんな内容なんだろう。

シャワーの残り香が微かに残る部屋で、俺はぽつんとソファに座る。さっきまであんなに甘くて熱くて、無防備に寝顔を見せてくれていたのに。

その時間は15分ほど。体感だと3時間くらい。玄関のドアが静かに開く音がして、颯が戻ってきた。

「……おかえり」

「ただいまです」

変わらない笑顔。けれど、何となくその裏側を測ろうとした自分がいた。どんな電話だったのかは聞かなかった。聞けば答えてくれるかもしれない。でも、それをしない自分でいたかった。

「友達でした。レポートの事で、なんか、はい」

颯はそう言って軽く肩をすくめてみせた。嘘をついている、とまでは思わない。けど、本当じゃないことも分かる。だから、うなずくだけにした。

「このあと、どうします?夜ご飯とか行きます?」

気まずさを切るように颯が話題を変える。その自然さに、なんだか救われる。

「……颯、帰らなくていいの?」

何気ないつもりだったその一言に、颯は「え?」と目を丸くする。

「連絡しとけばうるさく言われることないですよ。てか僕もう大学生です」

「そう、だけどさぁ」

「うちはわりと緩いですね。家にいてもほぼ自分の部屋にいるし、あんまり干渉されないです」

そう言いながら、颯はペットボトルの水を飲んだ。喉が上下に動くのをぼんやりと見つめてしまう。

「バイトは?」

「いや、ないですよ。ていうか僕、今やってるのはあの配達だけなんで。時間はけっこう自由ききます」

「あー、あの……バイトか」

「はい。それだけです」

少し嘘を混ぜたような笑顔。でも、その言い方があまりにも自然で、俺はそれ以上深く踏み込む気にはなれなかった。

「……そっか。じゃ、飯でも行くか」

「はい。着替えていいですか?」

「うん」

颯が寝室に向かう足音を聞きながら、侑成は静かに息を吐いた。何もかもを知る必要はない、けど、この胸にある小さな違和感が、やがて大きな何かに変わっていくような、そんな予感だけが、心の片隅に残ってしまったのだった。

「侑成さん、何か服、貸してください」

「……なんで俺の?」

「今から出かけるってなると、僕の今日の服じゃ、ちょっと外歩くにはユルすぎるかなって。侑成さんの、シンプルなやつ借りたいです」

「えー………俺まともな服ないよ…」

呆れつつもクローゼットを開けると、颯は楽しそうに物色を始めた。

あっという間にデニムシャツと白Tシャツ、ジャケットを組み合わせて、自分の髪までささっと手直ししてしまう。その束感のある髪型ってそう作るんだなぁ、と惚れ惚れ。

「センス良いよなぁ、マジで尊敬する」

そう言うと、颯は得意げにウィンクしてきた。

「じゃ、侑成さんの髪直しますよ。……じっとしててください」

軽くスタイリング剤を手に取り、前髪を整えられる。慣れた手つき。至近距離。ちょっと気恥ずかしい。

「侑成さんて、髪染めないんですか?黒髪も良いですけど」

「一応会社員なんでね…」

「染めたことは?」

「それこそ今の颯くらいの時は染めてたよ、金髪はないけど、適当になんかやってたなーくらい」

「ちょっと気になりますけど、今の侑成さんが一番格好良いですよ絶対」

そんな事言われたらニヤけんじゃん!と思ってたら、鏡越しになんだか颯は嬉しそうに顔を寄せてくる。

「撮りましょ」

「撮るって、なにを──」

「え、写真」

気づけばスマホが構えられていて、気づけば腕を引かれ、颯の肩に俺腕がまわされていた。

パシャ、とシャッター音。
頬が触れるくらいの距離。颯はピースして微笑み、俺は片目を細めて苦笑していた。

「……こんなにくっついて撮る必要ある?」

「だって付き合ってるから。で、これストーリーにあげてもいいですか?」

「は?やめとけってもう、お前さぁ、馬鹿なの?」

「ちゃんと顔は隠します。ほら、こうすれば」

あっという間に俺の顔にスタンプが貼られ、颯の顔だけがしっかり見える形でアップされてる。

《たまにはこういう夜も。》
──コメントはそれだけ。

「……なにその“たまには”って」

「恋人とは言ってないですよ? たまにはこんな夜もありますよって匂わせておかないと」

「お前さ、絶対性格悪いよな」

苦笑混じりに言うと、颯はケラケラと笑いながら玄関の扉を開けてエスコートしてくれる。

「そう言いつつも侑成さん、ちゃんと付き合ってくれるから嬉しいですよ」

肩をすくめる俺の横で、颯はもう一度スマホを構えて、今度は自分たちの足元だけの写真を撮っていた。
隣に並ぶ靴。踏み出した先の、小さな夜。
照れくさいんだけど、でも悪くない。そんな時間だった。





── 

渋谷のネオンは、夕暮れを待たずに光を帯びる。人通りは多く、喧騒が日常みたいに街を包んでいる。

「……あのさ、なんか見られてる気がするんだけど?」

小さく呟くと、隣を歩く颯が辺りを見渡す

「え、なにがです?」

「いや、俺たち。なんかすげぇ見られてる気がするんだけど……」

「気のせいでしょ」

悪びれもなく言って、颯は軽く髪をかきあげた。その仕草に、また数人がさりげなく振り返るのを俺は見逃さなかった。

「……いや、冗談じゃなくて。マジで目立ってる。颯が!目立ちすぎてる!普通にヤバいから!」

「気にするから気にされるんですよ」

ぬるっと返され、俺は思わずため息をつく。颯は隣を歩く自分との距離を、ずっと一定に保っている。時折、肩が触れるか触れないかの位置。わざとじゃない。いや、わざとだろうなこれ

「……もうちょい離れろって。もしファン的な人とかに見られたら色々やばいだろ…」

「嫌ですよ。せっかく一緒にいるのに」

「いや、だから、俺が変な注目浴びてんのが嫌なの」

「じゃあ、僕のせいってことですか?」

「……颯以外にいる?」

「ひど。」

俺は帽子のツバを下げながら早足になるが、颯はまるで犬みたいにそのペースについてくる。

「なに食べます?」

「とりあえず俺に着いて来て」

「侑成さんオススメのお店連れてってくれるんですか?」

「とりあえず静かな所に行くんだよ」

颯は少し不服そう。
でもちゃんと俺に着いてくる所は、可愛い…んだよなぁ。





渋谷の賑やかな通りを抜けて、一本裏へ入ると、喧噪は嘘のように遠のいた。

俺が選んだのは、表通りからは見えにくいビルの2階にひっそりと佇むレストランバー。控えめな看板に灯る白い照明と、重厚な木製の扉。颯は「すごっ」と小さく感嘆の声を漏らしながらついてくる。

中の天井は高く、客席はゆとりを持って配置されている。内装はウッドを基調としたシックな雰囲気で、間接照明がほどよく暖かい光を落としている。壁に飾られた絵画や植物も主張しすぎず、居心地の良さを作っている。

俺が時折、仕事仲間と使っている店でもあった。

案内されたカウンター席は、柔らかなレザーのスツールに、木目が美しい幅広のカウンターテーブル。隣の席との距離はやや近めだが、適度な照明と音楽で、自然と会話が親密になるような距離感が気に入っている。

颯がその席に腰を下ろし、周囲を見渡してからふと口を開く。

「……なんか、こういうとこ、初めて来ました」

「颯はクラブみたいな方が似合うだろうな」

「なんかそれ余計な一言ですよ。でも、めっちゃ落ち着きますここ。……それに、侑成さんに似合ってます」

「まー俺も30なるしな……似合ってたいわ」

「うん。こういう店、しれっと似合っちゃう感じが、なんか悔しいです」

からかうような言い方に笑いながらも、どこか本音が混じっている気がして、俺は照れから目を伏せた。

外とは違う、家の中とも違う、ふたりだけの空間。

ドキドキしながら注文を終えたばかりのタイミング。頬杖をついてカウンター越しのグラスを眺めながら、颯がぽつりと尋ねた。

「こういうお店……誰と来るんですか?」

「ん?誰って……仕事の同期とか。たまに後輩連れて、軽く飲んだりはするけど」

俺はあっさりと答える。気取ることもない、いつもの調子。
だけど颯は、ちょっとだけ口角を上げて、わざとらしく首を傾げた。

「……塩野さんとは?」

グラスに口をつけかけていた動きが一瞬止まってしまう。

「は?2人では来ねーよ」

即答。それも思いのほか本気のトーンで。それが妙におかしかったのか、颯はふふっと小さく笑った。

「そんなに否定しなくてもいいのに。やっぱり仲良しなんですね?」

「いやいや、だから違うって。塩野さんとはマジでそういうのじゃないから」

「……ふぅん、そういうの、ねぇ」

「なんでちょっとニヤついてんだよ」

「だって、必死で否定する侑成さん、可愛いなって思って」

からかうような声音に、侑成は少し眉をひそめるが、睨むでもなくグラスの氷をかき回した。

「……お前さ、ほんっと性格悪いよな」

「それ、褒め言葉ですよね?」

「違ぇよ」

睨んだつもりの俺の視線も、どこか緩んでいたと思う。そして、料理が次々と運ばれてくる。ほどよく香ばしい匂いに、カウンターの上の空気がふわりと温まる。

「美味しそうですね」

颯が柔らかく笑って箸をとる。その仕草だけ見れば、ごく普通の会話だった。だけど、ふいに声のトーンが変わった。

「でも、塩野さんは……絶対、侑成さんのこと好きですよね」

「……は?」

「あの人、エントランスでキスしようとしてましたよ」

さらりと、しかし目をそらさずにそう言った颯の顔はまだちょっとニヤけていた。

「僕が止めなかったらされてただろうなぁーって」

「ちょ、待て。あれは……」

「気付いてたでしょ?侑成さんだって」

沈黙。俺は言葉を探すように口を開いたが、すぐには何も出てこなかった。記憶の中の、あのときの空気が鮮明に蘇る。塩野さんとの距離、目の動き、あの“未遂”。

「……でも、してない」

やっとの思いで、口にした否定は少しだけ遅れていた。

「してたらアウトでしょ」

颯は軽く笑って見せた。が、その笑みは薄くて、どこか意地の悪いものだった。

「まあ、たとえ本当に塩野さんが侑成さんを好きでも、侑成さんがそっちに流れたりしないの、僕知ってますけど」

「……」

「でも。そういう気持ちが向けられてることに気づいてるのに、知らないふりしてる侑成さんって、なんかずるいなって思いますね」

やや拗ねたように、それでも目は外さない。俺は軽く息をついて、グラスの水をひと口飲んだ。

「ごめん、あんまり深く考えてなかった」

「うん、それが一番ムカつきます」

やっと颯がほんの少しだけ、子供みたいに拗ねた表情に戻った。

「……侑成さんって、ほんと無自覚イケメンですよね」

突然、颯が言った。箸を動かす手は止めずに、さらっと。

「は?なにそれ」

「いや、ほんとに。自分がイケメンだって自覚した方がいいですよ。じゃないと隙だらけです」

「隙なんてなくね?」

「職場で女の人に言い寄られたこと、絶対ありますよね?」

「いや……別に……」

「ありますよね?」

畳みかける颯に、俺は仕方なく、グラスを置いて少し考えてみる。

「……そういえばさ、やたら差し入れしてくれる子とかはいたな。しかもほぼ毎日」

「うわそれ狙ってます」

「……あと、昼行く時に仕事の話されてそのまま流れで一緒にいいですかとか言って、毎日一緒に食べようとしてくる後輩もいた」

「え、もうそれアウトなんですが」

「帰り際に、駅までついてくるのも……」

「それ、付き合ってると思われてた可能性もありますよ?」

「いやいや、俺は普通に帰ってただけだし」

「……ほら、そういうとこですよ!」

颯が呆れたように目を細めて、箸を置く。

「無自覚すぎて心配になります。いつかうっかりさらわれますよ、僕が見てないところで」

「誰にだよ……」

冗談めかした口調とは裏腹に、颯の瞳だけが本気で俺を見つめていた。その熱に、思わず苦笑して肩をすくめる。

「……わかったよ。もうちょっと気をつける。あと、誘われた時は適当に断ります。」

「"もうちょっと"じゃなくて"だいぶ"気を付けてください」

「……はい」

「だって、侑成さんは僕の大事な人だから」

一瞬、頬が熱くなるのを感じて、俺はグラスに逃げた。


「颯って、今までどんな奴と付き合ってきたの?」

ふと、気になって口にしただけ。ほんの軽い興味だったから。目の前にいるこの美形歳下彼氏が、どんな恋をしてきたのか。ただ、それだけの話のつもりだった。

颯は、少しだけ眉を動かした。

「…ずっと男ですよ」

一拍の間のあと、続ける。

「付き合ったのは……ちゃんと数えたら6人です。でも、どれもすぐ別れました。僕のせいで」

「……颯のせい?」

自然と反応してしまった。颯のような人間が誰かに捨てられる理由なんて、想像もつかなかったから。

「はい。全部僕が悪いんです。重いんで」

それ以上語ろうとしない声音だった。笑ってもいない。自嘲とも違う、どこか遠い目をしていた。

「……重いって、どんなふうに?」

もう少しだけ踏み込んでみたい。しかし颯は、静かにグラスを揺らしながら小さく笑った。

「別に。今侑成さんにしてる事みたいな?てかあんまこの話したくないです、引かれたくないし」

その言い方に返す言葉を失った。普段の颯からは想像できない脆さが、今だけふっと滲んでいる気がした。

「……引かないよ」

そう言った俺の声もまた、いつもより少しだけ優しかった。颯はその言葉に目を伏せる。

「じゃあ、気分が乗ったら話します。僕がこんな風になった原因。もう少し大事にしてもらえてるって信じられるようになったら」

そして目を上げ、いつもの調子で微笑む。

「……でも、侑成さんには長く傍にいてほしいって、思ってるんですよ」

その目が冗談に見えなかったから、俺は胸の奥に何か熱を持った塊を感じていた。

少し間を置いて、颯がぽつりとこぼした。

「僕……過去の恋人には、みんなに言われてたんです。『束縛がうざい』って」

グラスの縁に指をなぞらせながら、目はどこかを見ていた。どこでもない場所、でも確かに昔を見つめていた。

「やめなきゃって思っても、やめられなくて。信じたいのに、疑っちゃって。……ほんと面倒くさいですよね、僕」

少し自嘲気味に笑う。

「だから、いつか侑成さんもそうなるのかなって……ふと思うんです。離れちゃうんじゃないかって」

その言葉に、俺はゆっくりと息を吐いた。

「ないよ、絶対」

はっきりと、優しく。颯が顔を上げて、目を見た。

「GPSで居場所見てても、メッセージの回数が多くても、全然苦じゃない。むしろ嬉しいって思ってるから」

「……ほんとですか?」

「ほんと。颯がどこにいるか知れて嬉しいし、連絡くれるのも安心する」

それは、ただの優しさじゃない。本気でそう思っているからこそ言えた事だった。

「……そういうとこ、すごく好きです。すぐ安心させてくれる…」

「いいんだよ、安心してれば」

笑ってはいるけど、本当は不安でいっぱいなんだろうな。

クールで、綺麗で、誰が見ても完璧みたいな顔をしているくせに、どこかでいつも怯えている。

颯をこんなふうにネガティヴにさせた理由。
絶対に、何かあったはずだ。

多分、それは元恋人。
颯がまだ話したくないのなら、無理に聞き出す気はない。

と、思ってはいてもなぁ

気になってしまう。
彼の過去に、どんな奴がいたのか。
その男が颯に、どれだけの傷を残したのか。
自分には癒せるのか。

気になって仕方がなくて、俺はカウンター越しの静かな照明の下、少し身を乗り出すようにして、颯との距離をほんのわずかだけ縮めた。

「大事な俺の颯を傷付けた奴の事なんか、思い出さなくていいんだけどね」

人目があるのはわかってる。ここは渋谷の、しかもそんなに軽い店じゃない。だけど、そんなことより、今は颯の心の中のほうが気になって仕方なかった。

「……別に隠してるわけじゃないですけど」

口が堅い。いつもは言葉を巧みに操るくせに、肝心なことになると妙に慎重なんだよな。

元恋人の話なんて、もう愚痴でしかないはずなのに。

それを言いたくないってことは……まさか、まだ好きとか?未練なんて残ってたりするのか?気づけば、思考が焦りに染まっていた。

落ち着け。俺は大人だろ!

焦ったところで颯は口を割らない。それに、こんなところで感情的になるような関係なら、たぶんとっくに終わってる。

だったら、攻略してやればいい。

心の奥で、静かにそう思った。ゆっくりでいい。言葉にしてもらえるその瞬間まで、ちゃんと距離を詰めて、信頼を重ねて、颯が話さざるを得ないくらい、自分を好きにさせてやる。

それでいい。

いや、そうじゃなきゃ意味がない。

どんな過去でも、どんな傷でも、全部こっちで引き取ってやる。だから、颯が逃げられなくなるくらい、俺がちゃんと愛してやればいい。

そんな決意を、グラスの向こうの颯の横顔に向けて、静かに燃やしていた。





店を出た俺たちは、渋谷の雑踏を避けて、裏通りを歩いていた。

「……あれ?こっち……駅と逆じゃないですか?」

すかさず気づいた颯に、俺は肩越しに振り返ってにやりと笑う。だってこれは俺の作戦だから。

「うん。ちょっと寄り道」

「寄り道?なにか……買い物でも?」

「んー、まあ、ある意味?」

「え?」

そのまま不安げについてくる颯を横目に、俺はすぐ先のホテルの看板を見上げる。
で、さらっと言ってやった。

「家でしかしないってのも、飽きるだろ」

「……あぁ…」

「たまには違う場所で……っていうか俺、今めっちゃ我慢してたんだけど」

「なるほどです」

「だって颯、さっきからやたら色っぽかったし。距離近いし。店出るときもなんか……もう、限界だから付き合えよ」

「距離が近かったのは侑成さんの方でしょ」

「うっせーなあ」

そう言って颯の手首をゆるく取り、からかうように引っ張る。

「え、ちょっと待って、本気で……?」

「うん、めっちゃ本気。……だってさ」

立ち止まる俺は、真面目な顔になる。

「……颯、元カレの話してくんないし。どうせこの先も“僕が悪いんです”とか言って濁すんだろ?」

「……」

「だったらさ、何回でも重なって……その分、俺に心も身体も預けて。そしたらすぐにでも、言いたくなるかなって」

「……言って、聞いて、どうなるんですか?」

「嫌な思い出は話して供養だろ」

「なんでそんな……聞きたいんですか、僕の過去なんて」

「知りたいから。あと普通に俺はそんな事しないって言いたいだけ」

「マウント取りたいって事ですか?」

「それもある」

「そんな事しなくても、侑成さんのが比べものになんないくらい良い彼氏なのに?」

そう言いながら、颯は俺の後をついてくる。心を開かせるには、信頼と、時間と、そして……スキンシップが最強。そんな大人の作戦で、颯の全てを知りたい。
でもなるべく最短で。


———

エレベーターのドアが閉まり、周囲の音が一気に遮断されたその瞬間。俺は、何かが弾けるように颯の前に立った。

颯の首に手を伸ばす。
背伸びをして、真っ直ぐにその唇を奪う。

ひんやりとした金属の箱の中。誰にも見られない、誰にも邪魔されない、完全にふたりきりの空間。

少し離れて、またすぐに重ねる。
一度じゃ足りない。もう一度。もう一度。
まるで、お互いの温度を確かめるように。

颯の唇が柔らかくて、落ち着いた呼吸の奥にある体温がどこか理性的で。それでも、その奥にある”ほどけた何か”を感じて、胸がきゅうっと締めつけられた。

もっと近づきたい。
肌に、体温に、全部に触れて確かめたくなる。
この唇が、過去の誰かにも触れられていたかもしれない。
そう思うだけで、今この瞬間、全部自分のものにしたくなる。理性も、冷静さも、颯の前じゃ全部溶けていく。

キスの合間、ふと目が合った。
颯の表情は驚くほど穏やかで、だけど確かに、頬がほんのり染まってる。

切なさに似た甘さが喉の奥までこみ上げる。
そしてそれは、身体中を満たしていく衝動と同じ温度だった。

触れたい。
早く、もっと、ちゃんと。

エレベーターが目的の階に着くまでのわずかな時間。
ただ、何度も何度も、唇を重ねた。

静かで、けれど狂おしいほど甘ったるい沈黙の中で、ふたりの体温はすでに熱を帯びていた。

ドアが閉まる音と同時に、互いの靴が床に散らばった。どう脱いだかなんて、もう覚えてない。ただただ、気が急いで仕方なかった。

ベッドに倒れ込んだ瞬間、颯がすぐに覆いかぶさってくる。呼吸が触れ合う距離。ほんの数時間前まで街中を歩いてたとは思えないほど、ふたりの間に流れる空気は濃かった。

「全部話したら、一生嫌いにならないでいてくれるんですよね」

耳元で低く囁かれる。
敬語のはずなのに、甘い命令みたいに聞こえた。

返事をする前に、額に、頬に、唇が這うように落とされる。それから、さっきセットしてもらったばかりの髪に指が絡んだ。ワックスで整えられていた前髪が、無造作にかき上げられる。

せっかく綺麗にしてもらったのに、なんて思う余裕すらない。その乱れた髪に、唇が何度も触れていく。

欲しがられてる、その手つきも、吐息も、唇も、
ぜんぶが、俺を求めている熱だった。

乱される髪が求められている証みたいに思えて、そのたび、愛しさがこみ上げた。この髪を乱してくれる手が、誰のものでもない、颯のものでよかったと思った。

指先がそっと喉元をなぞる。
出そうとした息が、喉で引っかかった。

「なにそんなビビってんだよ」

「だって多分驚くし」

「驚くかもしんないけど嫌いになるとは違うだろ」

颯がゆっくりと身体を起こし、俺の腰の上に跨ったまま動きを止めた。その仕草ひとつひとつが、爆速で俺を雌にしていくんだからほんとにずるい。

指先が、自分が貸したパンツのウエストにかかるのを、見上げる。布越しに伝わる熱が確かにあるのに、颯はその熱をすぐに吐き出そうとはせず、じらすように、焦らすように、静かに、ゆっくりと指を滑らせる。

頬に落ちる髪の毛を、俺がそっとかき上げようとすると、颯がそれを制すように手を重ねた。そのまま、俺の体を跨いだまま、ゆっくりと視線を下に落とした。

「……話しても、引かないでくれますか」

ぽつりとした声に、俺は何も言わず、ただ小さく頷く。

「中学生の頃です。僕が、男の人を好きなんだって……はっきり自覚したのって」

一瞬、部屋の空気が変わった気がした。けれど颯はそのまま、視線を泳がせることなく続けた。

「塾の講師がいて。10歳くらい上で、頭もよくて、優しくて。……ずっと好きで、我慢できなくなって、気持ちを伝えたら……付き合おうって言われたんです」

少し唇を噛みしめて、それでも目をそらさずにいる。俺は、ただその告白を受け止めることしかできなかった。

「でも、それはたぶん……僕だけ本気だったんだと思います。すぐ、そういうことをするようになって。最初は、付き合ってるからって思い込もうとしてましたけど……」

一拍、息を吐いたあと、颯の眉がほんのわずかに歪む。

「会うのは塾の後だけ。ほとんど車の中でした。痛くても言えなかったし……彼のことが好きだったから。嫌われたくなかったし」

その言葉がどれだけの重みをもっているか、俺には痛いほど伝わってくる。しかも中学生の颯が…当たり前に痛む胸に視界が滲む。

「でも、少しでも自分の希望を言ったら、態度が変わったんです。無視されたり、急に冷たくされたり……それで、彼は最初から本気じゃなかったって。奥さんもいて、他にも同じようにされてた奴がいたって、あとで知って……」

唇をきつく結びながら、颯は続ける。

「……それが初恋だったんです。だからたぶん……僕の思考、どこか壊れてるんですよね」

どこか諦めたような、笑いを含んだ口調だった。でも目だけは、どこまでも真っ直ぐで。

「自分が一番じゃないと不安になるのも。証拠がないと疑っちゃうのも。……少しでも放っておかれると、イラついたり、試したくなったり……」

一瞬、視線が俺の首元に向かう。
自分でも覚えているのだ。あの一瞬の、暴力に近い行為を。

「きっと、こういう性格って……もう直らないんだと思います」

そう言って、颯は小さく息を吐く。まるで一度吐き出した感情を、また胸の奥に仕舞い込もうとするように。

「話したからって、束縛やめられるわけじゃないですよ」

目を逸らすでもなく、どこか挑むように見つめながら。まるで「今のうちに引けば?」とでも言いたげな顔。だけど俺はそんな事望んでなんかいない。

「だから?」

さらりと、迷いのない声が出る。

「ほんと、どうかしてんじゃないかってくらい颯に執着してるよ、俺」

髪を指に絡めながら、真っ直ぐに見つめ返す。その視線の奥には、確信とわずかな熱。

「こんなに嫉妬深いタイプじゃなかったんだけどな。……なんだろ、颯のことになると……全然ダメだわ。全部、俺のものにしたくなるし、俺ならそんな事しないって真剣に思ってるわ」

その言葉に、颯が唇の端を少しだけ上げて、艶を帯びた目で、俺を見下ろす。

「そんな簡単に僕みたいなの受け入れてくれるの」

囁くような声で、頬をすり寄せる。熱が、すぐそばまで来ているのがわかる。俺はその顔を引き寄せて、目を閉じた。唇が触れる直前、息が混ざる、この感覚。

「受け入れさせてよ」

その声に、颯が喉の奥で笑う。

「なぁ、もう無理だよ俺」

「知ってますよ。ずっとドキドキしてたの、伝わってきましたから」

そんな風に煽られて、俺はたまらず唇を重ねた。

キスは深く、長く、何度も何度も。
まるで言葉よりも確かなもので、互いを満たそうとするように。身体はまだ重なっていないのに、もうすでに限界だった。こんな話を聞いてしまったら余計に。颯への愛しさが爆発して、どうしようもなかった。


乾燥を早める空調音。ゴムの開封音。ローションの入れ物が床に落ちる音。それら全部が興奮材料。膝を抱えてナカが一番締まるこれが一番好きだ。分からせてやりたい。颯には俺しかいないって。

颯が髪を掻き上げる。その時の雄スイッチが入った顔といったら…それだけで即イキしそうになる…

「……ッッ♡♡い゛♡♡い゛ッ♡」

「あぁ……♡すご……♡吸い付いてくる……♡」

「あぁ゛ッッ♡♡♡これ好きっ゛♡♡だろ゛ッ♡俺のナカにッ♡挿入ってんの丸見えて゛ッッ♡♡♡」

「…………はい…すき…です……………ッ」

颯の手が俺の膝を掴む。それが合図…最奥を突き上げて…からの遠慮のないピストン…

「~~~イグッ♡だめだめだめッ‼︎‼︎♡っ゛~~~~待ッッ♡♡まだッ♡イきたくな゛♡ ぃ゛ッ」

「目、飛んでるのエロすぎ…♡ちょっと激しすぎましたかね…ココ…びっくりしてる…♡」

「だッ♡♡♡め゛~ッッ♡♡♡それだめッ♡ッ、ぁああ゛…♡♡♡」

逃げ場のない支配が始まる…自分の身体に俺の身体を馴染ませるように、絶え間なく、激しく…

「苦しいですよね」

「っ、う、…♡♡♡♡」

体重かけられて苦しくて逃げ場もない。イってるのに一生ガン突きされてる。分からせたかったのは俺の方なのに。俺は颯のだって身体に刻まれてく。誰にも渡したくないよって、誰の所にも行かせたくないよって、ぐるぐるまわる、そんな気持ちが、頭ん中を…

「ッッい゛~~~ッッ♡出てるッ♡はやとのせーしでてッ♡熱い゛ッ♡♡ぃ゛ッ♡う゛ッッ♡♡う"ッ…♡♡♡♡」

指先に力が入り、息が跳ねてる…颯の顔がわずかに伏せられてその唇からかすれるような声…ぞくぞくする……

「……今日やばいかも、です」

長めの射精は俺をまるで孕ませにきてるみたい…だってまだ俺んナカで勃起したまんま…

「侑成さん…」

声になりきらない熱の震え。その一言に詰まった高ぶりと、理性の崩れ…肌の重なる音が激しさを増した。

颯の肩が上下している。それでも動きは止まらない。むしろ、求めるように強く、深く、なるばかり

「ひぁッ♡」

「まだですよ。まだ足りない。……」

いつのまにか顔面を枕に押し付けられて屈服させられてる…背後から本能を剥き出しにしてくるのが伝わる…

「きもぢい♡♡い゛ッ♡♡お゛ぐっ♡♡ちんぽでとんとんされてう゛♡♡ん゛ぉッ♡きもぢい…きもぢいい゛ッ♡♡」

「なんのためにホテル来たと思ってんすか。」

「ん゛ッ♡♡きもぢい♡♡ッ、ぅ⁉︎」

「ケツ叩かれながら腹から声出してイって」

「だ゛⁉︎め、それ♡~~~ッッ♡…………」

熱に浮かされながら、颯の手が後ろから腰を押さえ付ける。指先が震えているのは、単なる興奮じゃない。思い出したくもない過去の自分を思い出してるんだ…

俺の肌に触れながら、それを上書きするように颯は腰を押し込む。軽くだったはずなのに、叩かれた肌がどうしようもなく熱い…

「……ごめん、侑成さん……。僕、こういうの……やめなきゃって思うのに……っ」

颯の息は荒く、肩に寄せられた小さな顔を埋める。

「なんでそんな顔するんですか…」

言葉が途切れたあと、颯はもう一度叩く。けれどそこに痛みはない。むしろ震える手の中に、拠り所のような不安が滲んでいた。そんな繊細な颯の感情。俺ってやつはそれを差し置いてなんて不謹慎なんだろう。

「っ……….う…」

「侑成さん……だめだよ……もっとひどいことしたくなる」

「だって…っ…」

「歪んでるのかな、僕も侑成さんも。」

そして、また、ばちん…と強い痛みが与えられる…
こんな事された事ない…
これが好きかどうかも考えた事なんてなかった…

颯のちらつく加虐心は過去のトラウマ、そう分かるのに、俺に与えてくる痛みは心地が良い。

俺にだけ見せる暴力と愛情の境界。

「侑成さんにはね、壊したくないけど壊したくなるような矛盾した愛情を抱いてるんです…本気で好きだから、この人は他の誰のものにもなってほしくないって…執着とか……所有欲とか……そういう感情が止まらないんです…」

「う゛ッ♡♡おれ、もお゛ッ♡はやとのもの゛ッ、だから…壊していい…….っ…のに…」

「そんな事……簡単に言っちゃだめって…」

こんなにめちゃくちゃにされてもまだ俺のナカは、しっかりと颯を締め付けていて、いやらしい音がいつも以上に耳を貫いてくる…

「ひ、ッ♡ちんぽ♡ちんぽでぐちゃぐちゃされ、て♡壊され、んの、♡颯の、って、感じして…幸せ……ッ♡だからいいの、俺にはして…痛みも執着も…受け入れるから……っ」

「こっちの気も知らないで」

「ぁ゛…♡お…っ♡ぉ、♡、、ッ…♡」

「もう絶対離してあげないですから」

馴染んできた颯が一気に引き抜かれた衝動で、声さえ出ぬまま俺は絶頂をさせられる。そして、間髪入れずにもう一度何も纏わない颯が挿入りこんできた。

「せっかくゴムつけてあげたのに」

まだ颯の熱を残したゴムが俺の顔の横に投げられる。叩かれていたケツを鷲掴みにされて、いよいよ俺も歯止めが効かなくなっていくのを感じた

「あ"…⁉︎♡颯の"っ♡、、好き…ッ♡これ、っ"♡あったか…ぃ♡♡♡」

「こんなに好きにさせて……ほんと…」

「ん…ッ♡ぁあ"…っ♡すき、っ♡、、、おれも…っ"♡~~~~っ♡また、ごめ、…ん、いくっっ♡♡……」

「侑成さんがどんどん下品になるの本当クる…」

「お゙ッ♡ぁッ♡だめもうッ♡♡♡イく♡♡また…、♡いぐッッ♡♡もおでないのに……ッ♡♡♡せーし、でなっ……、、♡いッ♡い~~~ッッ♡…………」

も…だめ…無理…死ぬ…だってずっと気持ちいの…こんなん…頭バカんなる…脳が揺れて、思考が乱れる。止まらない快楽にタガが外れる…

「ぁぁっ゛…………」

「ドライでイってるし」

「や…うそ………ッ♡♡」

後ろから手首を掴まれていて倒れ込めない。頭だけが下がって視界はもうずっとぐわんぐわんして…

今の俺、限界すれすれの感情を晒してる……?

そっからの記憶なんてあってないようなものだった。休憩で入ったからと、颯に急かされながら部屋を出て、タクシーで自宅に帰った…らしい。

家に帰ってからもヤりまくった、のは記憶がある。

けれど……




———

気付けば朝方だった。
俺は颯の横で半分寝ながら、尋ねた。

「もう帰んの?」

颯はスマホを確認しながら微笑む。

「はい。遅れたら怒られちゃいますから」

「誰に?」と聞き返すのに、颯は軽く肩をすくめるだけ。誤魔化すつもりもないけど、べつに深掘りさせる気もないって、そんな感じ。なんとなく話を濁して、颯は俺を寝かし付けようとする。


「ならせめて送るって。駅までじゃなくて、バイト先まで」

「大丈夫です。ほんとに」

あっさり断られた。なんだよ、なんだよ、ヤってる時はあーんなに甘々なくせに。

「なんか冷たくね?」

「昨日の夜、あんなに甘えたのに?今さら“冷たい”はないですよ。」

口元をゆるめながら、颯はちらりと俺を見上げる。その笑顔が可愛くて、余裕綽々で、まるで何もかも見透かしてるようでキスしたくなってしまうくらいには甘くて。

「あんまりいちゃいちゃしてたら本当にバイト行きたくなくなっちゃうから。ここでいいです」

「じゃあね」と小さく手を振って颯は俺の家を出ていく。振り返らずに行ってしまうその後ろ姿を、俺はしばらく目で追っていた。

もっと一緒にいたかったな

昨日の夜、話した事。
聞いて、納得したわけじゃない。
同情したいわけでもない。
でも、知れたことが嬉しかった。

あいつは不安定だ。気まぐれで、嘘もつくし、ほんとのことも言わない。
でも、その全部を「颯」って名前でまるごと受け止めたいと思った。
そのくらい、好きになってしまっていた。

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