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2[ヴィル]
置き物
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見合いの話になると、どうもリアの様子がおかしい。
急に表情が乏しくなり、いつもの可憐な笑顔が消えた。
まるでどこか遠いところを見ているような目をしている。
口が重く、言葉を選んでいた。
「まるで置物のようなのだ」と、俺は言った。
「嫌なのではないか? そもそも見合いそのものが」と、クリスは言った。
俺もそう思って彼女に尋ねた。しかし、彼女は長い時間をかけて言葉を選んでいた。
しばらくしてから、「とりあえず、一度はあの方の言うとおりにやってみようかと……」と、小さな声で言った。
アレンが二人きりの時に尋ねても同じ答えだったらしい。
イドレはリアの宮殿にやって来ては、彼女が黙って聞いているのを良いことにたっぷりと時間をかけて茶を飲み、菓子をむさぼりながら一人でべらべら喋っていた。
リアはどこか達観したような、微妙な表情をしている。
自分の話は一切せず、相手の話に相槌を打って聞いてやっているのだ。
まさか永遠に我慢する気なのかと思っていたら、ある時、奴が去った後に彼女がポツリと呟いた。
「この時間があったら、本が一冊読めましたねぇ」と。
待ってましたとばかりに、次からは若い執事が出ていって用件だけを聞き、追い返すようになった。
イドレという文官は、最初から感じの良い人物ではあったが、少なくとも俺には極めて不誠実な男だった。
「決まりがある」の一点張りで、こちらの要求はすべて拒否する。
次回持ってくると言ったものは、「忘れた」とか「今、修正が入っているところで出せない」とか、言い訳ばかりで一つも出てこない。
そして、いつも居場所が分からなかった。
つかまらないせいで、問題が一向に解決しない。
「まさかあのアホウドリ、神薙法を見ていないだろうな」と、アレンが眉間にシワを寄せて言った。
神薙法とは神薙にまつわる諸々を定めた法だが、多大なる問題を抱えている。
そういった事情から、俺の名前で改正案を提出してあった。
今、リアに関することは、すべて叔父が発した王命によって動いている。
王は法より上に在るものだ。
法に「左だ」と書かれていても、王が「右だ」と言えば物事は右へ動く。
神薙法には見合いについても様々なことが書いてあったが、それは先代のようなケダモノが餌を食うために設ける席の在り方を定義したものだ。当然ながらリアには合わない。
だから叔父は文官に対し、王命として具体的な見合いのやり方を指示しているはずだった。
イドレが「王の承認を取った見合いの方針」と呼んでいる書類こそが、その具体的な王命である可能性が高い。
だからこそ、密室で二人きりになるという記述があるわけがないと考えていた。
アレンの言うとおり、イドレが何らかの理由で王命をはき違えていたり、それを紛失するなどして、万が一にも神薙法を基に物事を進めようとしていたら一大事だ。
神薙法の改定が進んでいれば良かったのだが、そちらはそちらで別の問題が起きていた。
何度催促をしようが一向に進まないのだ。
「別件で忙しくて」と言い訳をしている文官の手には、いつも当たり前のように茶か菓子があり、ソファーでダラダラと喋っていて机にすら着いていなかった。
王の承認を取りつければ施行できる状態にして(彼らが何もしなくても済むものを)提出しているのだが、着手すらされていなかった。
クリスは天井を仰ぎ、「どいつもこいつも脳が干からびている」と両手を上げた。
ごく一部のまともな者を除いて、文官にまつわる課題は掃いて捨てるほどあり、こんなものは王宮の日常茶飯事だ。
この国の法は万全ではない。
法整備が進んだ他国の例などを聞いていると、オルランディアの法など恥ずかしくて法とは呼べぬ代物だ。それぞれの時代の王が、自分の手間を省くために作ったツギハギの決まりごとに過ぎない。
時代や環境が移り変わり、法の内容が現実的でなくなることも多い。しかし、見直しがされないまま放置されている部分が数え切れないほどあった。
そのくせ非戦闘員が手厚く保護され、悪いことをしても罰を受けずに済むおかしな法は、やたらと何度も改訂されている。
事件が起きる度に「こんな法ではダメだ」と兵部が異議を唱え、王に裁きを求めることになった。
王が自分の手間を省くために作ったはずの法が、かえって手間を発生させていることも多い。
こんな時に限って、その最高権力者である叔父は頼りにならなかった。
もちろん遊んでいるわけではない。
隣国で開かれる各国首脳を集めた大陸会議を控えており、あちらも次から次へとアホウドリどもの失態が明らかになって大騒ぎしているのだ。
イドレの上司だったはずの男は優秀だったため、叔父のところに引き抜かれていた。
おそらく叔父と宰相も、今の俺と同じように声にならない悲鳴を上げ、なぜ自分がこんなことをしなくてはならないのかと思いながら、目の前の問題解決に躍起になっていることだろう。なにせオルランディアは議長国なのだ。
しかし、叔父は法の最高責任者でもある。
法が我々の仕事を邪魔するのであれば、俺は叔父に諫言をしなくてはならない。ちょっと諫める程度ではなく、かなりイカツイやつを放つことになるだろう。
「俺がやるべきなのは、もしかしたら十三条の書類作りかも知れない」
ため息混じりに言うと、クリスは「冗談抜きで始めないか?」と言った。
急に表情が乏しくなり、いつもの可憐な笑顔が消えた。
まるでどこか遠いところを見ているような目をしている。
口が重く、言葉を選んでいた。
「まるで置物のようなのだ」と、俺は言った。
「嫌なのではないか? そもそも見合いそのものが」と、クリスは言った。
俺もそう思って彼女に尋ねた。しかし、彼女は長い時間をかけて言葉を選んでいた。
しばらくしてから、「とりあえず、一度はあの方の言うとおりにやってみようかと……」と、小さな声で言った。
アレンが二人きりの時に尋ねても同じ答えだったらしい。
イドレはリアの宮殿にやって来ては、彼女が黙って聞いているのを良いことにたっぷりと時間をかけて茶を飲み、菓子をむさぼりながら一人でべらべら喋っていた。
リアはどこか達観したような、微妙な表情をしている。
自分の話は一切せず、相手の話に相槌を打って聞いてやっているのだ。
まさか永遠に我慢する気なのかと思っていたら、ある時、奴が去った後に彼女がポツリと呟いた。
「この時間があったら、本が一冊読めましたねぇ」と。
待ってましたとばかりに、次からは若い執事が出ていって用件だけを聞き、追い返すようになった。
イドレという文官は、最初から感じの良い人物ではあったが、少なくとも俺には極めて不誠実な男だった。
「決まりがある」の一点張りで、こちらの要求はすべて拒否する。
次回持ってくると言ったものは、「忘れた」とか「今、修正が入っているところで出せない」とか、言い訳ばかりで一つも出てこない。
そして、いつも居場所が分からなかった。
つかまらないせいで、問題が一向に解決しない。
「まさかあのアホウドリ、神薙法を見ていないだろうな」と、アレンが眉間にシワを寄せて言った。
神薙法とは神薙にまつわる諸々を定めた法だが、多大なる問題を抱えている。
そういった事情から、俺の名前で改正案を提出してあった。
今、リアに関することは、すべて叔父が発した王命によって動いている。
王は法より上に在るものだ。
法に「左だ」と書かれていても、王が「右だ」と言えば物事は右へ動く。
神薙法には見合いについても様々なことが書いてあったが、それは先代のようなケダモノが餌を食うために設ける席の在り方を定義したものだ。当然ながらリアには合わない。
だから叔父は文官に対し、王命として具体的な見合いのやり方を指示しているはずだった。
イドレが「王の承認を取った見合いの方針」と呼んでいる書類こそが、その具体的な王命である可能性が高い。
だからこそ、密室で二人きりになるという記述があるわけがないと考えていた。
アレンの言うとおり、イドレが何らかの理由で王命をはき違えていたり、それを紛失するなどして、万が一にも神薙法を基に物事を進めようとしていたら一大事だ。
神薙法の改定が進んでいれば良かったのだが、そちらはそちらで別の問題が起きていた。
何度催促をしようが一向に進まないのだ。
「別件で忙しくて」と言い訳をしている文官の手には、いつも当たり前のように茶か菓子があり、ソファーでダラダラと喋っていて机にすら着いていなかった。
王の承認を取りつければ施行できる状態にして(彼らが何もしなくても済むものを)提出しているのだが、着手すらされていなかった。
クリスは天井を仰ぎ、「どいつもこいつも脳が干からびている」と両手を上げた。
ごく一部のまともな者を除いて、文官にまつわる課題は掃いて捨てるほどあり、こんなものは王宮の日常茶飯事だ。
この国の法は万全ではない。
法整備が進んだ他国の例などを聞いていると、オルランディアの法など恥ずかしくて法とは呼べぬ代物だ。それぞれの時代の王が、自分の手間を省くために作ったツギハギの決まりごとに過ぎない。
時代や環境が移り変わり、法の内容が現実的でなくなることも多い。しかし、見直しがされないまま放置されている部分が数え切れないほどあった。
そのくせ非戦闘員が手厚く保護され、悪いことをしても罰を受けずに済むおかしな法は、やたらと何度も改訂されている。
事件が起きる度に「こんな法ではダメだ」と兵部が異議を唱え、王に裁きを求めることになった。
王が自分の手間を省くために作ったはずの法が、かえって手間を発生させていることも多い。
こんな時に限って、その最高権力者である叔父は頼りにならなかった。
もちろん遊んでいるわけではない。
隣国で開かれる各国首脳を集めた大陸会議を控えており、あちらも次から次へとアホウドリどもの失態が明らかになって大騒ぎしているのだ。
イドレの上司だったはずの男は優秀だったため、叔父のところに引き抜かれていた。
おそらく叔父と宰相も、今の俺と同じように声にならない悲鳴を上げ、なぜ自分がこんなことをしなくてはならないのかと思いながら、目の前の問題解決に躍起になっていることだろう。なにせオルランディアは議長国なのだ。
しかし、叔父は法の最高責任者でもある。
法が我々の仕事を邪魔するのであれば、俺は叔父に諫言をしなくてはならない。ちょっと諫める程度ではなく、かなりイカツイやつを放つことになるだろう。
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ため息混じりに言うと、クリスは「冗談抜きで始めないか?」と言った。
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