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40 side雨月
しおりを挟む「だってあの女私を裏切って夫と浮気なんてしておきながら、図々しく養育費を求めてきたのよ?」
ゆりえさんのこの言葉におれは『やっぱり』と確信した。
この邸宅に来る数日前、おれは三門とお互いに集めてきた情報を整理すべく顔を突き合わせていた。
そして、そこでゆりえさんの日記の存在を知った。
日記にはゆりえさんの当時の様々な想いが綴られていた。
だが、読み進めていく内に少しの違和感を覚えた。
何故ならゆりえさんの日記には、母の方から冷泉院通に迫ったように書かれていたのだ。
母の日記には、冷泉院通の方から迫ってきた挙げ句、酔わされて襲われたと書かれていた。
つまり、ゆりえさんはこの事を知らない可能性が高いと思ったのだ。
だから、その可能性を確かめるべく、おれはゆりえさんに母の日記を見せた。
「…嘘、こんなの嘘よ!」
思った通り、ゆりえさんは知らなかったらしい。
「だって、だって夫は…!」
恐らく、自分から手を出した挙句子供が出来たとなれば体裁が悪くなるのは必至だからと、冷泉院通はゆりえさんに嘘をついたのだろう。
「そんな…それじゃあ私の…全部勘違いだったって言うの?」
がくりと項垂れ、母の日記を茫然と見つめるその姿は一気に小さく見えた。
「なら私は何のためにガソリンを抜いて…!」
─────え?
ガソリン?
「っ、お待ち下さい!」
その時、部屋の隅に控えていたロマンスグレーの髪の男性が突然声を上げた。
男性はゆりえさんの傍まで来ると、庇うようにおれたちの前に立ち塞がる。
「じいや…?」
「突然の不作法をお許し下さい、奥様。…どうか私の話を聞いては頂けませんでしょうか?」
そう言ってじいやさんが頭を下げると、
「わたしからもお願い致します。どうか夫の話を聞いて下さいませんか?」
それまでじいやさんと同じく部屋の隅に控えていた老年の女性も傍に立ち、同じように頭を下げて懇願される。
「どういう事だ?じいや」
三門が問うと、じいやさんは訥々と話し始めた。
「あの日──彩子様が訪ねていらっしゃった日、確かに奥様は私に彩子様のお車からガソリンを抜くよう指示されました。ですが、それはほんの少しだけです」
事故に至る程抜いてはいない、と。
「ちょ、ちょっと待って下さい。ガソリンって何の事ですか?ゆりえさんが細工したのはブレーキ、ですよね?」
「それは違います」
ふるふるとじいやさんが首を横に振る。
「じゃ、じゃあ一体誰がブレーキに細工したんだよ?」
堪らずというように三門がそう聞くと、じいやさんは一度目を閉じ、そして答えた。
「…旦那様です」
その言葉に真っ先に反応したのは、ゆりえさんだった。
「…ねえ、ブレーキに細工って何の事なの?彩子は私がガソリンを抜いたから死んだのでしょう?」
「奥様……申し訳ございません」
じいやさんが深く頭を下げる。
「私は見ておりました。旦那様が彩子様のお車に何かなさっている所を。ですが、旦那様に黙っているようにと」
じいやさんの話によると、当時じいやさんには大きな手術を控えた娘さんがいたらしい。だが、誰かにこの事を言えば手術を中止させると脅されたのだという。
「今日まで言い出せずに、申し訳ありませんでした」
謝罪するじいやさんを、ゆりえさんは怒るでもなく戸惑うでもなく、じっと見つめていた。
「…顔を上げなさい」
ゆりえさんの言葉に、じいやさんがゆっくりと曲げていた体を起こす。
「正直、まだ混乱しているの」
「………」
「この18年、あの日の事を一度たりとも忘れた事はなかったわ。…でも、貴方も苦しんでいたのね」
「っ、奥様、」
「ごめんなさいね、今まで気付いてあげられなくて」
「そんな、滅相もございません。私のせいで奥様は長年苦しんでいらしたというのに…っ」
「じいや…」
じいやさんの眼からぶわりと涙が溢れる。
「…あの、少し聞いてもいいですか」
「はい、何でしょう」
じいやさんが鼻をすすりながら答える。ゆりえさんも涙を眦に浮かべながら、おれを見る。
「何で、ガソリンを抜いたんですか?」
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