召喚士の嗜み【本編完結】

江村朋恵

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【1st】 Dream of seeing @ center of restart

うさぎとシュナヴィッツ

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(1)
 エステリオは“うさぎのみーちゃん”を脇に抱えて、右手をマスクの前に掲げ──『シー』と人を黙らせる時のポーズを取り──ぶつぶつと呟いた。足元にすっと浮かび上がる、彼女を中心とした小豆色に光る魔法陣。円の中に多角形とガミカの古い文字がびっしりと描かれたものが広がる。
 “うさぎのみーちゃん”は抱えられたままちらりとそれを見た。その仕草は外見からはわからないのだが。
 魔法陣は、呼吸をしているかのように明滅を繰り返し、ゆっくりと回転している。
 リディクディもパールフェリカ姫を抱え、その肩を抱きこみながら、右手の人差し指を口元にあて、目を閉じ何か呟いている。すると彼の足元にも空色の魔法陣が浮かんだ。
「ヤマシタ様、でよろしいでしょうか」
 エステリオに声をかけられ、小脇のうさぎは耳をたるんと回して彼女の顔を見上げた。
「姓と名と、あるいはあだ名。いずれをよく呼称するのですか?」
 エステリオの腕の中、ちぎれかけの腕をぷらんとぶら下げたままうさぎは言った。
「あだ名が多いですね、そのあだ名も名の方をもじったものか、全く異なるものを使用します」
「そう。名ならばミラノの方が該当します」
「ではミラノ様、少々荒っぽいですがご了承下さい」
 うさぎのミラノが返事をする前に、足元の魔法陣がぎゅるっと回転した。その回転に小さな風が生まれ、砂塵と緑の葉が舞い散った。それはエステリオの足元だけではなく、リディクディの足元でも起こった。数秒視界がそれらで奪われた後、ミラノは馬の嘶きのようなものを聞いた。
 ドッドッと地を振動させる音に、エステリオの正面辺りを見たミラノは、その表情さえ動かせていたなら目を見開いていたに違いない。うさぎの外見は、無表情のままだったが。
「……すごいわね」
 感嘆が込められていたものの、相変わらずクールな声音を出しただけだった。
 エステリオの正面には、亜麻色に近い、先程の彼女の魔法陣とよく似た小豆色の毛並みがふさふさと揺れていた。上半身が鷲、下半身が馬のように見える。ミラノは本、特に小説の類を通勤時によく読んでいたのだが、それで頭に思い浮かべた事のある形のようだ。
「ヒポグリフ?」
 ミラノの声にエステリオは頷いて、踵を蹴ってヒポグリフに跨った。
レッドヒポグリフ、私の召喚獣です」
 頭上からエステリオの静かな声が届いた。
 大きさは通常の馬より少し大きい位だが、背の羽は雄大だ。小豆色から羽先へは薄くなり白く煌いている。ぎょろりとした鷲の丸い目は、赤い。それは優しさに満ちている。だが、これが馬の嘶きをしたのか、と思うと違う気がする。ヒポグリフに騎乗するエステリオに抱えられたままうさぎはふとリディクディの方を見やる。
 空色の馬が居た。いや、馬ではない、こちらにも大きな翼が生えている──。
「ペガサス……」
「あちらはセントペガサスですね、私のレッドヒポグリフと異なり、この世に一匹しかいません」
 嘶いた馬はあちらだったようだ。全身は空色で足元すら一切汚れていない。ほんのりと発光しているかのように、空色の内側から白い光が滲んでいるようだ。翼に至っては真っ白である。瞳は、知性湛える静かなブルー。その背には既にパールフェリカを抱えたリディクディが跨っている。
 どちらの召喚“獣”も、獣臭さらしきものは無く、むしろ涼やかな風すら感じられた。
「もし、可能でしたら私の腕にしがみついていて下さい。風も強いので落ちないように」
 エステリオの指示の通り、うさぎのミラノはちぎれかけた短い腕を伸ばして彼女にしがみ付く。それを合図としたように、レッドヒポグリフががっしりとした体躯を動かした。緩やかに山を駆け下りながら羽ばたき、大地を蹴り飛ばして山肌を離れ、大空へと舞い上がった。
 風が大きく唸り、景色が後ろへと流れていく。うさぎの耳はあちらこちらへぐるぐる回って、頭もひっぱられて、ミラノはまともに正面を向いていられなかった。それでも、離れていく緑深い山が見えた。また、山から飛び上がってくるペガサスも見えた。大きく左右へ開かれた真っ白の翼が、あまりにも美しい、きらきらと輝きの欠片をあちこちに振りまいているようだ。その背にはリディクディがペガサスのたてがみを握っている。
 うさぎのミラノが顔を上げると、遠くの山々が地平線として見渡せた。快晴の空、太陽が煌く。
「……さすがに、驚いたわ」
 ミラノは小さく呟いたのだった。もちろん、無表情で。


 15分余り、ヒポグリフとペガサスは並んで飛んだ。
 どこまで飛んでも緑の生い茂る山が続いている。山と山の合間、渓谷を抜け、轟音とともに飛沫を散らす滝の横を風のように駆け抜けた。
 ミラノは残念で仕方が無い。今あるのは向いてる方向から世界を覗き見る赤い刺繍の目と、多少は聞こえの良くなった垂れ下がった耳と、ややくたびれかけてはいるが頑丈な生地で出来た手足だけ。きっと風は涼やかでさぞかし爽快なのだろう。“うさぎのぬいぐるみ”になって何故か失われてしまった感覚──暑さ寒さがわからない事が残念だった。
 しばらくして山々の中に木々がまばらになっている箇所が見えた。そのまばらな山肌の山頂には、巨大な1本の樹がそびえていた。そこらの樹50本を束ねてもその幹の太さには適わないだろう。高さも然り。その巨大な樹は、山頂から“こぶ”のような印象で、枝葉を大きく広げていた。
 まばらになった木々の上をヒポグリフとペガサスは、草原を駆けるように飛ぶ。
 勢いよく過ぎていく景色ではあったが、視界に捕らえることが出来た。
 木々の種類は様々だがどれもやけに背が高い。ミラノの感覚で、10階建てだとか20階建てのビルとそう違わないだろう。全体の5分の1程度、上部は緑に覆われているようだ。その下に、木の周囲に沿って板張りがしてある。板張りと言ってもガッシリと組まれていそうだ。黒に近い色で『もしかして、かろうじて板組み?』とわかる程度に、ニスなり塗装か補強がされているようだった。
 木の根まで、螺旋のように板張りは続いていて、通路になっている。一番高いところ、緑の枝葉が途切れたすぐ下辺り、板張りは広く、10軒程の大きめの邸が建っている。
 幻想的な物語に出てきがちねと、ミラノと思った。
 現物を見て興奮を押さえられない気持ちを、ねじ込む為の醒めた目線だ。
 ファンタジーを題材としたゲームが世には蔓延っている。無料インターネットゲーマーのミラノとしては、ファンタジーとしてはありがちとはいえ、木の上に巨大な居住空間を築いているこの街の様相を、リアリティを持って眺められた事に、心底、感動していたのだ。
 そういった巨大な木々を眼下に見て、風のように通り過ぎていく。
 木々の頂きの緑の葉を草原のようにして、ヒポグリフとペガサスは駆け抜ける。
 板張りに居た人々の数人が両手をあげ、手を振っているのが見えた。だがそれもすぐに、通り過ぎてしまった。
 じわりと召喚獣の首を持ち上げるエステリオとリディクディ。高度がわずかに上がり、遠くからもよく見えた山のように巨大な樹へ、駆けていく。近付いて、やっとわかった。
 ──城……。
 その巨大な樹の根元、とはいえ、今まで通り過ぎてきた木々の頂上より高い、山頂。蔦が大いに茂った石造りの建造物が見えた。
 この巨大な樹を含めたならば、都庁よりどでかいに違いないとミラノは思った。
 建造物自体は10階建て位のようだ。とはいえ1階1階の天井は高いように見える。窓の位置ははっきりとは整っておらず、上下階や棟ごとがどう入り組んでいるのか不可解だ。城は山頂でこの巨大な樹と絡み合っている。共生という単語が、ミラノの脳裏をかすめた。
 ──静かで厳かな佇まい。
 大小の鳥が、個で、あるいは群れで周囲を飛んでいる。それらの声が聞こえる。
 城には木々の隙間から漏れ入る幾筋もの太陽の光でライティングされ、光の加減で森の胞子やらが常にあちらこちらでキラキラと反射している。
 視界に収めきることの出来ない巨大な建造物と、都会で暮らすミラノの生活では一切目にする事の無い自然の雄大さに、幻想的という言葉を、ミラノは見た気がした。
「──本当、やれやれだわ」
 騒ぐ心を抑えるのは。


 レッドヒポグリフとセントペガサスは、この巨大な樹を正面から見て左に4分1周ほど回り込んだ。その5階程度の高さのところに、外側へまっすぐにせり出した長い足場がある。その正面へと回り、先にペガサスが飛び降り、長い足場を勢いのまま駆けて行った。それを見送ってヒポグリフも続いた。さながら滑走路であろうか。
 長い足場の先は、巨大な門が口を開けた出入り口がある。でっかい物流倉庫のシャッター前、そんな印象をミラノは受けた。
 既に、ペガサスの横に下りてパールフェリカを抱いたリディクディが数名の男らに囲まれ何か話している。
 ゆるく駆けているヒポグリフから、止まるのを待たずにエステリオは飛び降りた。速度が落ちていると言っても人にとって遅いわけではない、半ばたたらを踏むように投げ出されるエステリオだったが、勢いを逆に自分の力に変えて、つま先で上手にバランスを取ってリディクディの元へ駆けている。相変わらずミラノは小脇に抱えられていて、“うさぎのぬいぐるみ”の耳はばしんばしんとしなり、頭を振り回されていた。
 リディクディを囲んでいる男らは、2人とよく似た格好をしている。男らの方がガッシリした鎧を身につけている。彼らの鎧の色は渋い茶色で、やはり同じような色のマスクで顔を隠している。
「そうか……では仕方がない」
 エステリオが駆け寄り、ミラノにもリディクディの声が聞こえた。
「陛下は?」
 息を上げもしないで問うエステリオにリディクディは振り向いた。
「お忙しいそうです」
「仕方が無いな、先に姫様に休んで頂こう。今日の主役はこの方なのだし。目覚められてから、陛下へご報告申し上げよう」
「それがいいですね」
 結論が出て、エステリオはそろそろと近寄ってくる影、ヒポグリフの首に頬を寄せ、摺り寄せながら瞳を閉じて囁く。
「──ありがとう」
 そしてすっと一歩離れると、右手人差し指を口元に当て何やらぶつぶつと呟いた。するとヒポグリフの頭上に、先程の小豆色に光る魔法陣が現れる。今度はヒポグリフがエステリオの頬へ首を一度押し付けて、喉をクゥと鳴らした。ぐっと下げられたヒポグリフの頭を撫でてエステリオはさらに三歩下がる。魔法陣がくるくると回転してヒポグリフの頭から落ちていく。その魔法陣の触れる場所からヒポグリフの姿が消えてゆく。魔法陣が床に付いた時には、その蹄さえ無くなっていた。
 それを、ミラノは、動かすことの出来ない表情のまま眺めたのだった。



(2)
 小脇に抱えられて廊下を通る。その廊下は広く、横一列に10人近く並んで歩けるのではないだろうか。
 天井や壁には電灯の類が無いのに明るい。石自体がほんのり光っていて、上下左右、奥行きにずっと続いているせいで、暗くは無いという程度に明るい。どういう原理かミラノの知るところではない。
 一方向しか窓がないミラノのアパートで言うならば、レースのカーテンを引いている昼から夕方にかけての電気を付けない部屋、そんな程度だ。
 上下に揺れる視界は、エステリオの動きにあわせて。腹と頭以外薄く細い体は、壁側へ向けて抱えられている。
「…………」
 溜息しか出そうに無いので、ミラノは思考する事を止めた。
 しばらくして今までの半分程の幅の通路に入った。何度か入り組んだ角を曲がった後たどり着いた木製の扉の前で、二人は足を止めた。扉の両側には衛兵だろう、鎧の男が二人立っていた。エステリオは軽く片手をあげ、扉のぶ厚い両開き戸を開かせ、中に入った。
 すぐに数人の女がわっと寄ってくる。
 口々に「まぁ!」やら「姫様!」など高い声で何か言っている。
 彼女らの着ている服は、どちらかと言うとパールフェリカに近い、と言っても鎧を着用していないだけ、のようにも見える。パールフェリカと比較するとぐっと簡素な仕立てで、刺繍の無い薄い青色の上下、ジャケットにシャツ、ズボンを着ている。ゆったりと布が余っているような感じで、腕やら膝下などを飾り紐で縛っている。彼女達の髪型も揃えてあって、キッチリ纏めて結い上げてあり、髪の1本も肩に落ちていない。頭の上にはちょこんと青白い小型のナースハットのようなものが乗っかっている。
 ──流れからして侍女ってとこかしら。
 停止させていたはずの思考の端で、ミラノは彼女らを静かに見ていた。
 ぞろぞろと、リディクディは侍女らに囲まれて部屋の右奥の扉の向こうに消えた。エステリオはそれを見送って、廊下側の両開き戸の左右に居た衛兵らに声をかける。先ほどヒポグリフから降りてすぐ見かけた連中と似たような格好をしている。が、外の衛兵らが茶色が基本色であったのに対し、こちらは侍女らしき女達と同じ薄い青色をしている。
「パールフェリカ姫とともに陛下への謁見を希望する。伝えてくれ。それから、トエド医師を呼んでくれ、念の為診てもらう。少なくとも君が戻るまで、ここは私とリディクディが預かる。が、急いで欲しい」
「はい」
 衛兵の一人が一礼して走り去った。
 それを見送ってエステリオは扉を閉めた。
 入ってすぐの部屋はとても広く、ミラノの感覚で、学校などの教室の2倍はある事がわかる。
 正面には毛足の長いカバーのかかった柔らかそうなソファと彫刻も細かく濃い色のニスを塗られた木製の猫足テーブル、左手奥にはピアノの小型のような楽器、ハープに似た楽器と、台部分の小さな背の高いテーブル、またこれにあわせて、座る箇所の高い、バーにあるような椅子が2脚置いてある。
 この部屋の中でも、用途で動線は区切られてあるようだ。
 調度品は木製のものが多い。外と変わらない位、新緑の匂いがした。
 壁は石造りなのだが、壁面はタペストリーや美しい布、絵などで飾られ、木で出来たテーブルや棚などは部屋全体に温かさを与える。敷かれている絨毯は意匠も細かく、不可思議な模様がいくつも描かれている。エステリオのブーツの沈み具合からも、とても豊かな質感のようだ。
 ふと視線をあげれば左手の楽器のある方の向こうに、大きめの窓が一つある。分厚いガラスのようだ。ミラノのご近所さんのような一般家庭の窓とは異なり高さもある。開けられる構造ではないようだ。そこから、朝と昼の間の陽が差し込んでいる。
 エステリオは部屋の中に厳しく視線を送って確認するような仕草をした後、パールフェリカを抱えたリディクディの入った右奥の扉を開いた。
 中は先程の部屋の半分位で、寝室のようだ。真ん中に大きなベッドがある。窓は無い。
 さわさわと侍女らが壁に向かって何かしている。壁側には木製の棚が並んでいるようだ。何をしているのかまではミラノには見えなかったし、想像も付かなかった。天蓋付きのキングサイズのベッドの脇にリディクディが居るのが見えた。そこへエステリオは歩みを進める。
「トエド医師に来てもらうよう伝えた、問題は無いだろう」
 そう言って横たわるパールフェリカの横に“うさぎのぬいぐるみ”を並べた。そしてリディクディ、エステリオの二人して見下ろした。
「……私も寝なくてはダメかしら?」
 そろそろ口を挟んでもいいだろうとミラノは言ったのだが、侍女らだけでなく、リディクディとエステリオまでがぎょっとして“うさぎのぬいぐるみ”を見た。
「ああ……すまない、つい、忘れていた」
 エステリオはそう言ってミラノ──“うさぎのぬいぐるみ”をベッドから下ろした。
「ベッドにあがるには私は汚れているわ。濡れ布巾か何か、かしてもらえないかしら?」
 そう言うとエステリオが侍女から白く柔らかい濡れタオルを受け取って、それをうさぎの丸い手に渡した。
「この部屋は少し暗いようだから、さっきの部屋のソファを借りても?」
「……どうぞ」
 リディクディの答えにミラノは頷いて、扉に近づく。侍女の一人が開けてくれたので、一匹だけで最初の部屋へ戻った。てってこてってこ長い耳を揺らして歩く“うさぎのぬいぐるみ”に視線が釘付けになって、手がお留守になる侍女らが数名居た。
 ミラノはソファに飛び乗って座り、顔、耳の先、手、体、足の裏の土を実に器用に落としていく。
 もくもくと作業する背後、廊下に繋がる両開きの扉が開いた。
「失礼致します。シュナヴィッツ殿下がお越しです」
 一人残っていた衛兵がきりりと姿勢を正して告げた。
 寝室の扉は薄く開いていて、そこからエステリオが顔を出した。
「ああ、お通ししてくれて構わない」
「はっ」
 そして、動きを止めじっとして様子を伺うミラノの座るソファの背もたれの向こうで、さわさわと衣ズレの音と足音がいくつか聞こえた。ミラノは部屋の入口ではなく寝室前の扉辺りを見ていた。どうせそこを通るのだろう。
 最初に、甘い香りに気付いた。
 ここで嗅覚があったのかと思いなおした。
 亜麻色の、肩より少し長い髪は真っ直ぐ。揺れると濃淡が美しい。
 濃紫の上衣には金糸銀糸で刺繍が施されている。腰にはやはりパールフェリカ同様、じゃらじゃらと装飾具がぶら下がっており、彼女と違う点は、そこに長刀と短刀が1本ずつ下げられているところだ。この刀には装飾らしい装飾は無いようだ。実用性重視らしい。
 緩やかに運ばれる足、真っ直ぐ前を見据える目元。長い睫毛。瞳の色は淡い蒼で、何もかもがそこでとろけてしまいそうな印象がある。パールフェリカに似ている。兄弟か、とミラノは推測した。彼女も美形なのだが、それに加えてこの男には彼女には無い、いわゆる色気というものがある。むんむんと。
 パールフェリカの兄シュナヴィッツ、この世で唯一最強優美のドラゴン、ティアマトを召喚できる者だ。
 シュナヴィッツの真後ろにも似たような格好の、こちらは薄い紫の衣装の男が付いて来ていた。腰には長刀が2本、反対の腰に短刀が1本あるようだった。こちらの男も負けず劣らずの美しい造形の相貌をしている。歳はこちらの方が上のようだが、端正ながらもやや厳しい面をしている。いかなる場所でも周囲への警戒を怠らない、その空気がはっきりと見てとれる。護衛か何かだろうか。
 寝室への扉が大きく開かれて、二人は中へ入っていった。エステリオが先導している。
 手を止めたまま、ミラノは扉の向こうに顔を向けた。
「儀式は無事終わったのか?」
 パールフェリカの兄、シュナヴィッツがそう言った。にごりの無い、若々しくも通る声。
「はい。少し、我々の知るものとは異なるようでしたが」
「異なる?」
「ええ、召喚できたものが、おそらく我々が今まで遭遇した事の無い存在のようで」
「ほう。その旨父上には?」
「姫様が目を覚まされてから──」
「そうか」
 そう言って、シュナヴィッツはパールフェリカのおでこを撫でた。
「ところで、パールはどちらを召喚した? 獣か、霊か」
「いえ、それが……」
「それもわからないのか」
「はい」
「それをリディクディ、エステリオ。見たか?」
「はい、あちらに──」
 そう言って、エステリオがソファの方を向いた。うさぎの身体は埋もれていたが、耳がソファの背もたれの上面にたるんと垂れていたのだ。
 すぐにリディクディ、シュナヴィッツ、護衛の男の全員がそちらを向いた。
「ミラノ様と、おっしゃるそうです」
「…………」
 シュナヴィッツは、すたすたと耳の正面に立った。その背後にはもちろん薄紫の、護衛の男もついて来た。
 見下ろされ、ミラノは見上げた。とは言っても、赤い目から覗く視界にあちらの方が入ってきたのだが。うさぎの形は微塵も動かしていない。
「…………これ、だと?」
 シュナヴィッツの形の良い眉が歪んだ。しばらく沈黙した後、彼はミラノの左耳を掴んで顔の前まで持ち上げた。必然的に目があう。
「…………」
「…………」
「お前は……クライスラーの作った“うさぎのぬいぐるみ”だ、違うか?」
「…………」
「僕がクライスラーをパールに紹介した。そして好きなぬいぐるみを作らせた。3ヶ月前の話だ」
 クライスラーは国内有数の人形師だ。
「…………」
 シュナヴィッツは扉の辺りに付いてきているエステリオを振り返った。
「これはしゃべるか?」
「はい」
「お前はパールの召喚に応じたのか?」
 ミラノはしぶしぶと口を開く。
「…………耳がちぎれそうです」
 とはいえ、無表情で。 



(3)
「…………」
 いささか、驚いた。
 本当に、しゃべった。しかも女の声だ、どこか艶っぽさもある。動揺は、こっそりと持ち直した。
「お前がパールの召喚に応じたのか?」
「知らないわ」
「…………」
 うさぎの返事は実に素っ気無いものだった。それはリディクディやエステリオと接していた時よりも冷たい。ミラノは相手の出方で態度を変えている。
 方やとろけんばかりの美貌の青年、方やシンプルな“うさぎのぬいぐるみ”である……が、シュナヴィッツは一瞬目を細めた。握るうさぎの耳へさらに力を加える。刺繍で出来た赤い丸い目は動きもしない。
「綿が固まってしまいそうね、そんなに握り締められては」
 淡々としているのだ。このうさぎは。
 二人と呼ぶには妙なものだが、シュナヴィッツとうさぎの間に、あまりにも不穏な空気が流れ始めていた。その事に気付いてエステリオは慌てて1歩前へ歩みでる。
「で、殿下! 儀式の途中、パール様はお力が足りず、召喚されたミラノ様はそちらのぬいぐるみへ移られたそうなのです。ですから、本来はそのような姿ではなく──」
「当然だろう! 王家の者がこのような“ぬいぐるみ”を召喚するようでは示しが──」
「ご、ごめんなさい……」
 はっとしてシュナヴィッツはか細い声の方を振り返った。
 寝室の入り口で、リディクディに支えられてパールフェリカがよろよろと歩いて来ていた。足元を見て歩き、止まると顔を上げた。白い肌が、いよいよ透けそうな顔色をしている。
「ごめんなさい、シュナにいさま」
 目を潤ませて見上げてくる。
 シュナヴィッツは、一度ぎゅっと口元を引き結んで、うさぎを握ったまま、前後にブンブン振り回しつつパールフェリカに歩み寄った。そして、空いてる左手でパールフェリカの額から前髪、頭を撫でた。
「起こしてしまったか。具合はどうだ?」
 声は、先ほどうさぎと対面していた時とは比べ物にならない程柔らかい。こちらも態度がころっと変わっている。
「私……」
 ほろりと、パールフェリカの頬から一滴の涙がこぼれた。
 その瞬間。
 とんっと小さな音。
 うさぎが絨毯の床を蹴り、そのままオーバーヘッドキックの要領で男の顎を蹴り上げた。
 ぽいん──ッ。
 軽い音とともに、時間が、緩やかに流れる。
 円を描く綿の詰まったうさぎの足。
 目を見開いて持ち上げられた顎のまま見下ろすシュナヴィッツ。
 驚いて顔を上げるパールフェリカ。周囲の者らも口をあんぐりと開けて見守るしかなかった。
 そのままうさぎは男に握られた耳を軸にくるんくるんと回転して、絨毯の上に見事に二本の足でシタッと着地した。掴まれ、固定されていた左耳はネジネジになっている。
 誰もが沈黙している中、うさぎはゆるく首を傾げた。
「やれば出来るものね」
 淡々と言ったのだった。
 そして、ネジネジの左耳に一切気を止めず、それを掻い潜ってシュナヴィッツを見上げて言った。
「女の子を、泣かすものじゃないわ」
 それはもちろん、無表情で。


 パールフェリカはうさぎのネジネジになった左耳をぐいぐい引っ張って付いてしまった型を取ろうとしている。
「僕は、お前の召喚主であるパールフェリカの兄、シュナヴィッツだ」
 部屋の中央側のソファにふんぞり返るように座るシュナヴィッツ。ソファ越しに後ろには彼について来た薄紫の衣服を纏った男が立っている。シュナヴィッツは彼を見ずに手で軽く示す。
「これはブレゼノ。僕の護衛だ」
 テーブルを挟んだ正面、壁を背にするソファには、パールフェリカが座り、その膝にうさぎのぬいぐるみが抱かれている。シュナヴィッツはその刺繍の赤目を睨みつけていた。
「で、お前も自分で名乗れ」
「ヤマシタミラノです」
「ヤマシタ……珍しい名だな」
「名はミラノの方です」
 ミラノがそう言うとシュナヴィッツは一々癇に障ると言いたげに視線を逸らして、だがすぐに戻した。
 どうにもファーストコンタクトが良くなかった。
「……納得がいかないし、わけがわからんな」
 シュナヴィッツはそう言ったのだが、うさぎはパールフェリカに抱かれたまま首を捻るのみだった。
「シュナにいさま……ごめんなさい」
 ネジネジの耳を弄りながらパールフェリカが小さな声でそう言った。
「いや、パールが謝る事ではない。この女が……」
 そこで一度停止した後「お前は女か?」と問う。
「ちゃんとこの子を慰めなさいな」
 話が逸れていると無表情のうさぎに指摘され、シュナヴィッツは一瞬眉を潜めた。慰めるという行為は中断するとマイナス効果さえあるのだから。
「パール、今は状況がよくわからない。一つずつはっきりさせていこう。そもそも、我が召喚古王国の血を引くお前がくだらないものを召喚するわけがないんだ」
 そう言ってうんうんと頷いている。
 ミラノはシュナヴィッツの、自身を慰めているような言い様に対してくだらないとばかりに顔を横に向けた。が、すぐに上を、パールフェリカの顔を見上げた。
 力がより加わり、ぎゅっと抱きしめられる感覚があったのだ。
 ミラノは軽く身体を捻ってパールフェリカの膝からずれてソファの上に立ち上がり、両膝を折った。顔の高さが同じになると、パールフェリカはこちらを向いた。赤い目で見つめた後、丸いぬいぐるみの手で彼女の頬を撫でた。
「みんなよくわからないの。悲しまないで」
 私が一番わけがわからないのだけど──と山下未来希は胸の内だけで呟いていた。
「いや、わかっている事はある、ただ異常なだけだ」
 シュナヴィッツの声に、ミラノの何ともなっていない方の、長い右耳がくるんと彼の方を向いた。
「ここの誰もがわかっている事だと思うが。獣使いは、この地上の魂を引き寄せ実体化させる。この実体化したものを召喚獣という。なぜ獣というのか、それは人語を解さず話せないものしか召喚に応じないからだ。霊使いは、この地上外、異界の霊を引き寄せ、力を実体化させる。この引き寄せられた霊を召喚霊という。こちらは人語を解し話しも出来るが、短時間しかこの地上に留まる事が出来ない。それこそ、数十秒が限度だ。──で、ミラノ、お前だ」
 ミラノはパールフェリカの頬から手を下ろして首をシュナヴィッツへ向けた。所々銀糸の煌く赤い刺繍の目がシュナヴィッツの瞳を見返す。ミラノは黙している。
「みーちゃんに……」
 パールフェリカが口を開いた。
「本当は、ちゃんと人の像を持って来てくれたんだけど、実体化させても私にその姿を維持させてあげるだけの力が無くて、みーちゃんに入ってもらったの」
「つまり、実体情報を持ってミラノは召喚されてきた──召喚獣だったという事だな?」
「うん……多分」
 獣使いが、召喚された魂を獣の形として維持するには、それ相応の力が必要になる。しかし、初召喚では将来の力を見越した召喚獣がやって来る為、力が足りずすぐに召喚を解く……還してしまう事はよくある。
「力が足りなかったのなら、何故還さなかったんだ?」
 問いの形だが、シュナヴィッツの声は柔らかく優しい。ミラノは睨む事は止めて、パールフェリカを包むように赤い瞳で見つめている。
「……その……返還術はしてみたんだけど、なんか成功しなくて……」
 パールフェリカの言葉にシュナヴィッツとミラノを除いた全員が顔を見合わせた。ミラノの場合は、よくわかっていないだけだが。
「ミラノ、お前はどこから来た?」
 召喚獣ならば、この地上のいずこかより来た事になる。しかし。
 ミラノはどう答えたものか一瞬考え、無難に告げる。
「──日本」
「……ニホンな」
 シュナヴィッツは言って溜息を吐き出し、その亜麻色の髪を掻いた。他の者らは相変わらず顔を見合わせている。
「知っているの?」
「ああ」
 うさぎのミラノをパールフェリカが再びぎゅっと抱きしめた。
「じゃあ……一体……召喚霊じゃないなんて……」
 パールフェリカはミラノの首下辺り、でっぱった頭と腹の間に顔を埋めて顔をぐりぐり押し付けている。
「ニホン──隣国プロフェイブ国王の召喚霊……“神”が確かニホンのアマテラス太陽神」
「天照大神……日本の最上神だわ」
「それを知っているという事は、お前はやはりニホンの“神”の一人か。だとしたら、やはり召喚霊なのか?」
「私は“神”なんてものではないわ、一庶民よ」
「…………実体化するなら召喚獣だ…………異界から来たなら召喚霊だ……」
 シュナヴィッツが頭を抱えた。
 パールフェリカ、シュナヴィッツ、ミラノが沈黙する中、侍女らやエステリオとリディクディがさわさわと囁きあっている。別に悪い噂をしているわけでもない、この事態について何か知らないかと知を寄せ合っているにすぎない。しかし、パールフェリカの耳にはどうしても、自分を責めている囁きに聞こえてしまうのだ。
「パールフェリカちゃん?」
 ミラノが呼びかけた。
 パールフェリカは顔を上げた、下を向いていたので顔が少し赤い。ゆるく、にへっと微笑んだ、心配をかけまいとしている仕草だ。
「パールって呼んで?」
「では、パール。世界にとって、新しい事は、常に誰も知らないのよ。あなたは、そのはじめの人になっただけ。きっと、何の不安も心配もいらないわ。あなただけがわからないのではないのだから。そのうち、色々わかるわよ。──焦らないで? あなたの味方は……」
 そこで一度区切ってうさぎは大きく首を回して周囲の人々に刺繍の赤い目線を送った。シュナヴィッツをはじめ、彼の後ろのブレゼノ、エステリオ、リディクディ、そして侍女らも、それぞれ頷いた。
「ね? こんなにいるのだし」
 ふと、誰の目にも、うさぎが微笑んだように見えた。
「──もちろん、私も」
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加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
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部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

異世界生活〜異世界に飛ばされても生活水準は変えません〜 番外編『旅日記』

アーエル
ファンタジー
カクヨムさん→小説家になろうさんで連載(完結済)していた 【 異世界生活〜異世界に飛ばされても生活水準は変えません〜 】の番外編です。 カクヨム版の 分割投稿となりますので 一話が長かったり短かったりしています。

五十一歳、森の中で家族を作る ~異世界で始める職人ライフ~

よっしぃ
ファンタジー
【ホットランキング1位達成!皆さまのおかげです】 多くの応援、本当にありがとうございます! 職人一筋、五十一歳――現場に出て働き続けた工務店の親方・昭雄(アキオ)は、作業中の地震に巻き込まれ、目覚めたらそこは見知らぬ森の中だった。 持ち物は、現場仕事で鍛えた知恵と経験、そして人や自然を不思議と「調和」させる力だけ。 偶然助けたのは、戦火に追われた五人の子供たち。 「この子たちを見捨てられるか」――そうして始まった、ゼロからの異世界スローライフ。 草木で屋根を組み、石でかまどを作り、土器を焼く。やがて薬師のエルフや、獣人の少女、訳ありの元王女たちも仲間に加わり、アキオの暮らしは「町」と呼べるほどに広がっていく。 頼れる父であり、愛される夫であり、誰かのために動ける男―― 年齢なんて関係ない。 五十路の職人が“家族”と共に未来を切り拓く、愛と癒しの異世界共同体ファンタジー!

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
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出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします

夜明シスカ
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アリュールという世界の中にある一国。 アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。 いわゆる"神々の愛し子"というもの。 神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。 そういうことだ。 そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。 簡単でしょう? えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか?? −−−−−− 新連載始まりました。 私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。 会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。 余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。 会話がわからない!となるよりは・・ 試みですね。 誤字・脱字・文章修正 随時行います。 短編タグが長編に変更になることがございます。 *タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。

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