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【2nd】 ─ RANBU of blood ─
“エレメント召喚術”
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(1)
「ピグミー?」
パールフェリカが小さく呟く。
カーラの足元の地面が一瞬ボコンと波打ち、そこから灰色の丸い塊が飛び出した。
顔を斜めにして偉ぶっているカーラの正面で、それはくるくる回転した後、ぱちんと弾けた。
そして、そこに浮かんでいたのは──体長が“うさぎのぬいぐるみ”と変わらない、半透明の老人だった。老人というより、老いた小人──頭が大きくて、ずんぐりむっくりの四頭身の爺さま。
半透明なものだから、老小人を見ているのにその向こうを走るヤヴァンの背中が透けて見えた。
老小人の顔はくしゃっくしゃの皺があって茶色に近い肌、左目には白目部分が無い。黒曜石でもはめ込んだかのようだ。反対の右目には単眼鏡、モノクルが埋まっていて瞳は確認できない。背中は盛り上がっていていかり肩、ごつごつぼこぼこした両手をたらんと下げている。その姿勢でぷかぷかと宙に浮いていた。頭には可愛らしい三角帽子が乗っていて、くるくるの髪とヒゲもこれまたくるくるで質量たっぷりウエストラインまでありそうだ。どちらも真っ白である。
老小人はカーラを見下ろし、これまた真っ白の眉尻を下げた。
『まーぁた、おまえさんかえ、しょーぉうがないのぉ』
甲高い声だった。
「先頭を走っている男を足止めして!」
『ほいほぉ~い』
両手をあげ、勢いよく頭から地中へくるくるっと回転しながら消えた。さながらドリルだ。かと言って地面に穴は開いていない。次の瞬間、前方両サイドのレンガがバリバリはげる。先頭を逃げる男に降り注ぐ。
──……ピグミー? 小人種族?──
「……召喚霊で、土のエレメントを担ってるって……」
小さな声の問いにパールフェリカも声をひそめて答えた。召喚霊、それであのピグミーとやらは言葉を発したのだ。
召喚霊とは、異界から召喚する霊の事だ。召喚獣と違い、人語を解し、召喚に応じても力を発揮するとすぐ還ってしまう。特例を除いて1分とその場に留まれない。
今カーラのした事は、霊を召喚しその力を使わせた、すなわちエレメント召喚術である。
召喚獣にしろ霊にしろ、それぞれ性格がある。ピグミーなどは防御や今のような妨害はしても、生物を傷つけるような願いは聞き入れてくれない。
また、特殊とも言える初召喚の儀式によって繋がる召喚士と召喚獣、霊は一対一の契約を結ぶが、その後多数居る召喚獣や霊と結ぶ契約は、仲介する霊と行う。ピグミーの場合は、神の7番目の“使い”ミカルだ。ミカルの仲立ちによってピグミーは召喚されてくる。
辺りは静かになり、再びカーラはパールフェリカの腕を掴んで走り出す。
落ちたレンガ瓦礫の下からバキッと目の大きな爬虫類──大きさは、これまた“うさぎのぬいぐるみ”より少し大きい程度、100cm程の身長だ──が、飛び出した。
「く、くせぇええええええええ!!!」
闇市に居てこちらに話しかけて来た、小型のヤヴァン──外見がそっくりなのでヤヴァンの弟か身内なのかもしれない──が先頭きって走りながら叫んでいる。
「うっぶぉおおおあぅ……! くせぇ!!」
すぐにヤヴァンの声も上がった。それでも足を止めない辺り、目的の為に頑張る一端の冒険者である。
「──嫌ぁ!……チュパカブラじゃない!?」
カーラがチュパカブラと呼んだ青緑の鱗の爬虫類は、その手の拳より大きい赤い目が外見的特長だ。
チュパカブラは両手の爪をむき出しにして両手を掲げ“キーッ!”と威嚇する。その背後、向こう側で瓦礫がぼこっと揺れた。黄色い頭巾を被った男だ。逃げていく。
「くぉの! 待たんかボケ! ……くせぇ」
小型ヤヴァンが追いかけ、チュバカブラの頭に手を置いて、跳び箱の要領で飛び越えた。が、すぐに両手を上げて走り出す。
「げ! こいつぬるぬるしてる!! べたべただ!」
泣きそうな声にも聞こえる。
「ぬぁああ……! 俺は、いやだぁああ……!!」
そう叫んでヤヴァンは狭い路地の壁に手を付きつつチュパカブラの頭の上を飛び越えた。
「ちょっとぉおお!」
どちらも出来ないカーラが、チュパカブラの前までたどり着き、足を止め、両手で拳を作って脇を閉め、ぶんぶん上下に振りつつ叫んだ。
「置いていかないでよ! ──っくさ!」
カーラは慌てて鼻を摘んだ。
「くさい」
パールフェリカも同様だ。
──…………硫黄に似てるわね──
“うさぎのぬいぐるみ”の小さな、淡々とした声がパールフェリカの腕の中から漏れた。
「っつぁ! これは強烈ですね! え? なんですかあのバケモノ?」
ホルトスが追いついて来た。
「“飛槍”のザコの召喚獣よ! 臭いばっかりで威嚇しかしてこないわ、馬鹿じゃないの!?」
そう毒付きつつ、カーラはしっかり足止めされている。
「キーーッ!」
またチュパカブラが両手の爪を上げて威嚇してくる。長い長い、人の人差し指程の太さで腕の長さはありそうな舌が、その細かい牙の間からひゅるんと伸びた。口元から、漏れる息が若干黄色い。
ざっとレンガを踏みしめた。
「い、いや……来ないでよ! なんでチュパカブラなんて召喚するわけ!? 戦うんなら普通に攻撃型の獣系召喚しなさいよね!?」
相手が居ないままカーラは叫ぶ。
不毛な睨みあいをしているとドタバタ足音が迫って来て──。
「うぉ! カーラ!? 逃げるぞ!?」
「えぇ!?」
“飛槍”の黄色い頭巾の男を追っていたはずのヤヴァンがチュパカブラを飛び越え、ホルトス、カーラ、そしてパールフェリカと“うさぎのぬいぐるみ”をまとめて押しやる。
「早く! 早く行け!」
「お前ら! 何してんだ! 逃げろよ!」
さらに後ろから小型ヤヴァンが来る。完全につっかえている。
「“飛槍”の仲間が来た! 数負けだ! はーやーくーいーけー!」
ヤヴァンが叫び、だまになりながら、来た道を走って戻る。
後ろからガシャガシャと足音がする。
ごちゃごちゃの並び順になって狭い路地を駆ける。パールフェリカの腕も開放されている。
チュパカブラの位置と、路地の出口──広場──までもう少しという所で、パールフェリカは、穴の開いた横の建物の中にスッと入り込み、隠れた。ミラノから指示があったのだ。その穴はパールフェリカの小柄な体格だから入れるような、小さいものだった。
走り去った冒険者達の背を建物の内側で見て、敵と思われる連中が走って来る側の壁に背を当てた。すぐにドタドタと足音がして、4人、黄色い頭巾を被ったライトアーマーに長剣をぶら下げた男達が走って行った。それらを見送った後。
「パール……反対側に」
と“うさぎのぬいぐるみ”が言った。彼らが駆け去った側、広場側の穴のへりにパールフェリカは立つ。
「追加の追っ手は来ないわね」
「……ねぇ、ミラノはなんでそんなに平気な顔してるの? 何をしたらいいかわかってるの?」
“うさぎのぬいぐるみ”なので表情などわかったものではないが、パールフェリカは確信して問う。冒険者ギルドで再会した時から思っていた事だ。パールフェリカにはミラノがどうしてそう平然としていられるのか不思議でならないのだ。
「平気……? そう見えるの?」
ミラノは似たような会話をネフィリムともしたなと思い出していた。
「うん」
相変わらず両手で“うさぎのぬいぐるみ”を抱えてパールフェリカは頷いた。珍しく、ミラノの返事が遅い。
「………………よく、わからないわね。こうする以外に、どういうリアクションを取ればいいのかしら?」
つまり、目の前に起こる様々な出来事に対して、ミラノはごく冷静に見つめる。起こりうる事を見抜く、だから対処の方法の目処がある程度ついている。
その状況に、何をすべきか把握出来ている状態に、常に身をおくクセが付いているのだ。──対処の仕方に見当が付かなくても、落ち着き払ったままに見えるのは、案外簡単に、こっそりと現実を逃避する為で、それはミラノの性格とも言える。それに気付く者はほとんど居ないが。
そして、パールフェリカが背をついた壁の向こうでまたドタバタと足音がして、4つの黄色い頭巾が駆け抜けた。広場まで出た所で4対4──こちらは小型ヤヴァンにヤヴァン、カーラとホルトスが居たはずだ──それがわかって、通路の頭巾連中と広場に展開できたヤヴァンら、こちらへ形勢が逆転したのだろう。しばらくして。
「ぬぁああ! 待たんかボケ!」
小型ヤヴァンの声が響いた後、3つの足音が駆け抜けた。
「パール、反対へ……しばらく下手に動けないわね」
「え? もしかして……」
彼らの駆け去った側へ移動する。しばらくして、ヤヴァンらが追いかけられて来た。あちらの通りか広場へ出て、また逆転したのだろう。
「狭路で、何をしているのかしら。馬鹿しかいないのね」
ミラノの淡々とした声には、棘らしい棘は無かった。そのせいで逆に優しく聞こえる所が不思議である。しかし、脳裏には──上から手榴弾か、出口で待ち伏せて火炎放射……ってとこかしら──危険な発想が過ぎっている。若干の現実逃避によって、趣味のゲーム的な発想がひょっこり姿を現していたのだった。
(2)
ミラノがそんな危ない事を考えていると、路地の向こうで、ボンッと爆発音がした。路地の枯れた草が小さく揺れ、建物が少し震え、天井からパラパラと埃のような細かい砂が降ってきた。
揺れがおさまってから“うさぎのぬいぐるみ”が身じろぎした。
「……爆発するような召喚術があるの?」
「んーと……えへ?」
ミラノの問いにパールフェリカはにへっと可愛らしく笑ったのだった。つまり、わからないらしい。
シュナヴィッツのティアマトなどのブレスは火炎が何かとぶつかると爆発するような、爆炎のように吐き出すものがあった。基本的に、召喚された獣や霊の能力がそのまま力となって現れるようなのだから、単純には考えてはいけないのかもしれない。以外に奥が深そうだとミラノは思った。ネフィリムがハマりこんだのは、この世界かと納得をした。いかにも出来る男といった感じのネフィリムがハマリ続けているのだし、まだ極められていないという事、一朝一夕で理解できるような生易しい分野ではないだろう。
──召喚獣であれ爆弾であれ、どちらでも良い。爆発した、その事実でミラノには十分だった。頭数も揃って小競り合いを始めたのかもしれないという可能性を導くだけだから。
しかし、ミラノにとっては驚くべき事態が──定番の事情説明会である。
ゼーハーゼーハー、荒い呼吸が近付き、逃げて来るのは黄色い頭巾の4人だ。衣服がちょっと煤けていたり、腕など熱で皮でも剥けたのかほんのりピンクになっていたりする。ちっさな水ぶくれなども見える。あれは痛そうだ。
「ちょ、ちょっとまて!」
聞いた事の無い声だ、黄色い頭巾の方、“飛槍”の誰かだろう。せめて有利不利の無い同じ環境でいられる通路での対話を選んだらしい。
「待てるかボケ! ユニコーンをどこにやった!?」
「そうよ! あれは私達が見つけたのよ!? 返しなさい!」
「……そうだそうだ!──て、え? ええ? ユニコーンはあの女の子のでしょ? て、ああぁぁっ!! いつの間にかいない!?」
ボケを連呼したのは、小型ヤヴァンだったとミラノは思い返す。次にカーラ、最後はホルトス。ホルトスだけのようだ、パールフェリカが一抜けしている事に気づいたのは。
彼らがわいわいやっているとまたドタバタと足音がして──。
「うお! 待てこのボケぇ!」
ボケはどうやら語尾らしい。小型ヤヴァンの声だ。どうやら“飛槍”の連中は一瞬隙を作って逃げた、という事だろう。
ミラノは“うさぎのぬいぐるみ”の体を動かさないように、馬鹿馬鹿しくてあり得ない……という溜息を堪えたのだった。
やはり、このヤヴァン達の仲間というのがユニコーンを掻っ攫っていった。騎乗していたのがパールフェリカ姫とわかって、彼女もどこかへ連れ去る算段だったのだ。大通りに出る前に、ヤヴァンらの仲間が居るはずだったココへ連れて来た。ところが、ユニコーンはさらにこの“飛槍”の連中に横から持っていかれた。それが、現状のようだ。
バタバタと追いかけるように走って行く足音の後。
「あれ!? どこ!? おおーい? ええっと、名前……名前……? うぁああ! そういえば聞いてないよ!?」
ホルトスの声である。すぐ壁一枚隔てているのにとパールフェリカはちょっとだけ申し訳なくなった。
ミラノの小さな声がする。
──新参者と言ってたわね……この男は絡んでいないのかしら──
その声を聞きつつ、パールフェリカは隙間から顔を出した。
「こっちです」
「──え!? おお!! そんな所に!? いや、無事でよかった~」
線の細い美形という顔立ちのホルトスが、ほっとしたように笑った。そして、体を屈め、穴を覗いて来た。いくら細いと言っても、さすがに通れないようである。
「出ておいで、今のうちにちょろっと逃げておこうね? なんだか、あの人達、思っていたより物騒みたい」
ホルトスはそう言って手を伸ばしてきた。パールフェリカはその手を取り、また路地へ出て、いそいそと広場の方へホルトスと走る。
広場へ出て周辺にはまだ露店やテントも無い。出てすぐ、背後の路地から──。
「ホルトース! お前裏切ったなぁ!」
「その小娘を寄越せ!!」
ヤヴァンと“飛槍”の男達が肩を並べて、狭そうにではあるが走ってくる。
「手を組んだわね……──」
仲良く『ちょっとまて』と、“飛槍”の連中までホルトスとパールフェリカを呼び止めようとしている。
ミラノの淡々としたこの声はいつもの音量だ。ぬいぐるみのフリをやめたというよりは、ホルトスには聞こえないだろうという判断。
「ひ、ひぃいいいいいい~~!?」
ホルトスは血相を変えている。“飛槍”とさっきまでの仲間が手を取ってこちらへ武器携え駆けてくるのだ、名指しで。慌てふためき、ホルトスはカタカタと震えながら弓をつがえた。そんな状態で引けるはずも無く、矢はぴょるんと下に落ちた。まず戦闘要員の数が違うのだ、ミラノは逃げの一手で間違いが無いのに時間の無駄使いだと、呆れる。
「しょ、召喚術使えないんですか?」
パールフェリカが問う。
「え? いや、つ、使えるけ、けど……」
慌てすぎて唾が絡むようだ。
「火は?」
「え? え? 火ですか? えーっとえーっと」
ホルトスは気づいていないが『火は?』と問いかけたのはミラノである。狭路からこの広場側へ追っ手が来る。先ほどミラノが脳内シミュレーションした、火炎放射である。このシーンでは一番簡単な手だ。
「き、きたれ、
猛き山に棲まう者、“5番目”に跪く者よ。
汝……」
ホルトスが言葉を止め「なんか違うな……」と呟くと、彼の足元に出ていたショッキングピンク色の魔法陣も止まった。
「えーっと。
きたれ、
猛き山に棲まう者、“7番目”に跪く者よ。
汝──」
「7番はピグミーよ?」
パールフェリカが言った。さっきカーラが唱えていたのを覚えていた。再び回転し始めていた魔法陣がまた停止する。
「え? えっとじゃあ……
きたれ、
猛き山に棲まう者……?“2番目”? に跪く者よ。
汝、全て燃やす? 者、いろんな火を消す? 者よ……。
涼やかな風ととも、神の言葉を携えたるダルダイルの契約に基づき、
い、出でよ、サラマンダー!」
シーン……──
「あれ?」
「……に、逃げたほうが良くない?」
ヤヴァンらと“飛槍”の連中はもう数十秒足らずでこちらへ着いてしまいそうだ。
「パール、カーラの足元」
ミラノの声は一人足を止めたカーラの足元に光る濃紺の魔法陣を示す。それを見たホルトスが甲高い悲鳴を上げる。
「きゃーーー!?
き、きき、き、きたったきたれ!
た、たたたけたけたきけ──」
ふわりと、先ほど硫黄の異臭を嗅がされたから余計に鼻腔をつく。
「──きたれ」
柔らかく甘い香りが最初に舞う。
「──猛き山に棲まう者、“3番目”に跪く者よ」
それは低すぎず、高くも無い落ち着いた声。
「汝、全て焼き払う者、あらゆる炎を絶つ者よ。
儚き羊の恐れ慄く、荒々しき原初の力持つ者よ。
神の先鋒を務め、その正義示す剣たるイスラフィルの契約に基づき──」
パールフェリカが背後を振り返りパっと笑顔を咲かせる。ミラノにも背後が見えた。見上げの角度になる。
亜麻色の真っ直ぐの髪が揺れている。淡い蒼の瞳は、真っ直ぐ路地の奥を見ている。話しかけるような声音で、彼は続けた。
「出でよ、サラマンダー」
金色の魔法陣から赤い珠が飛び出し、ぱちんと弾けると、人より少し大きい位の、オレンジのトカゲ──山椒魚を二足歩行にしたような形──が姿を見せる。全体的にシャープな印象で、パーツパーツが筋肉質でガッシリしているが、ウエストや足首などは細い。鱗が溶岩のような色合いとランダム配置になっている。トカゲだが全身乾いているようだ。太く長い尻尾と首からは襟巻きのように炎が噴出している。口からもカフッと呼吸の度に小さな火が漏れている。目の部分には光る珠を詰め込んだように、丸く光っていて、瞳などが無い。そしてやはり、向こうが透けて見える、半透明だ。
がふっと息を吐き出す。熱い息なのかそこの空気が波打って見えた。
「軽くあぶってやれ」
『オッ、ケェー』
低く泡のような音の混ざる声。火トカゲは4本の指を器用に動かし、親指を立てる。トカゲの顔をしているのに、ニヤリと笑ったように見えた。
路地から広場へ出てこようとして、慌てて引き返し逃げようとするヤヴァンらに、火炎のトカゲは宙で一回転すると、体当たりのように飛び込み、半透明でスルリと駆けた抜けた。サラマンダーは残像を残して消える。それは熱風となって狭い路地でヤヴァンらに纏わり付いた。
「アチッ! アチィー!!」
「アッアッ! また! 痛っ!」
悲鳴が聞こえた。“また”と言ったのは、先ほどの爆発でダメージを受けた“悲槍”の黄色の頭巾の男の方だろう。
「ティア」
大型バイクサイズの白銀のドラゴンが広場の上で羽ばたいていた。ぶわっと風が巻き上がり、周辺の砂利が音を立てて払われる。
呼びかけにその金色の瞳を路地へ向けた。そして口を開くと、カッと剣が1本飛び出て、一番奥に居たカーラの頬を掠めた。
遠目でもカーラの顔色が真っ青に落ち、さらにティアマトの一睨みで彼女がたった今召喚した熊に似た召喚獣が逃げ去った。召喚霊ではなく召喚獣の方なので、召喚士の解除か、召喚士の力尽きてしまわない限り還る事が出来ない。だから、物理的に逃げるのだ。
「にいさま!」
パールフェリカが体全身を彼の方に向け、見上げた。
「パール、無事で良かった。ちょっと待ってろ」
そう言ってシュナヴィッツはぶつぶつと唱える。するとティアマトがハトサイズになってしまう。
「追え」
シュナヴィッツの短い言葉に、ぱふっと小さな白銀のドラゴンが羽ばたいて路地へ飛んでいく。小さい割に驚く程早い。
──狭路でウゴウゴしていただけの冒険者達をあっさり去なしてしまった。
シュナヴィッツにしろ、ティアマトにしろ、格が違うようだ。
落ち着いた所で、ホルトスがへなへなぁと地面に座り込んだ。
そのホルトスをちらりと見た後、シュナヴィッツはパールフェリカの方を向いてちょっと驚いた。
「──ミラノも居たのか」
つい、と“うさぎのぬいぐるみ”から視線を外した。
「パールと会えていたんだな。やはり召喚士と召喚獣の絆が働いたようだな」
やや早口である。
「────……私、聞きたい言葉があるのですが」
緩く首を傾げる“うさぎのぬいぐるみ”に、気まずそうに、しかしシュナヴィッツはちゃんと──彼の“ポカ”で彼女を落っことしてはぐれてしまった事を──認める。
「あー……いや……………………す、すまん」
「今助けて頂きましたから、チャラにしましょう」
「──あ、ああ」
「え? なに? なになに?? にいさま??? 何の話????」
パールフェリカは視線を逸らすシュナヴィッツの正面に、“うさぎのぬいぐるみ”を両腕で抱きしめて、わざわざ彼の目に入るよう入るよう、回り込むのだった。
「…………パール、わかってやってないか?」
「?」
(3)
シュナヴィッツはパールフェリカの髪に揺れる木の枝を取り払い、ぽいと捨てた。
「僕は爆発音を聞いてここへ来た。パール。ユニコーンはどうした?」
「えっと……その……」
迷い迷い、パールフェリカは“うさぎのぬいぐるみ”を見下ろした。応えて“うさぎのぬいぐるみ”は顎を上げ、赤い目でパールフェリカの深い蒼い目を見る。
「パール、あなたの力ではどうにもならないわ」
それを認めろとミラノは言うのだ。
「でも……ミラノとなら」
「パール。あなたにも、私にも、出来る事はとても少ないという事実を自覚しましょう?」
淡々とした声がデフォルトのミラノにしては、優しい声で諭す。
街中で、本当の意味で深窓のお姫様であるパールフェリカと、この世界に来てほんの数日のミラノでは、何も出来ない。ミラノはそれをはっきりと告げたのだ。
パールフェリカは一度口を尖らせた後、シュナヴィッツを見上げた。
知られて怒られる、嫌に思われる──そんな事、よりも。手を打たずズルズル悪い事態だけが進行し、にも関わらず解決に向けて行動すべき時に行動しない。その方が賢くない。ここで一時の恥を恐れる事によって評価が下がる方が問題だと、ミラノは考える。
ミラノの行動理念の一つでもある。人に嫌われようが気にしない、価値ある人であれば、誰も目を背ける事など出来ない。だが同時に“価値”という単語に振り回されず、自分自身である事も重要なのだ。実際それが、こんな一言でどれほどパールフェリカに伝わったかわからないし、ミラノもこんな時に伝えるつもりもない。が、パールフェリカは閉じた唇を何度か動かした後、口を開く。
「えっと。ミラノには話したんだけど、部屋から飛び出して、山を降りてて、木に激突して、ユニコーンが気絶して、木に刺さった角を抜こうとしてたら助けてくれた人達がいて」
パールフェリカが、無意識だが“うさぎのぬいぐるみ”の首を絞めるような形で抱き寄せ、指折り説明する。
「それから、その……その人達にユニコーン盗まれちゃって」
と、そこでパールフェリカは一度シュナヴィッツを上目遣いで見た。が、シュナヴィッツの方は顔色を一切変えず「それで?」と言うだけ。怒られると思っていたパールフェリカは密かにホッと息を吐く。
「それで、困ってた所を、さっきにいさまが追っ払った人達の中の、んと、冒険者の人達が話しかけてくれて、助けて……くれて……──」
口ごもり、下を向いてついには止まってしまった。“うさぎのぬいぐるみ”はシュナヴィッツを見上げる。
「ユニコーンを盗んだ連中の、仲間が素知らぬ顔でパールに近寄って、さらった。一度引き離し、まずユニコーンを移送しようとしたのね、パールは冒険者ギルドに居たわ。その後どこかへ連れて行くつもりだったんでしょうね。そこに私が偶々辿り着いて合流して、ここへ来た。さらにユニコーンが別の“飛槍”という連中に奪われたと聞いたわ」
「“飛槍”?」
「──知っているのですか?」
「ああ。──ミラノが、兄上の援護をしたろう。ワイバーンの襲撃があった時。赤と黒の鎧を着た敵将」
モンスターがこの巨城エストルクを襲った際、その指揮を執っていたとみられる、鎧を着たワイバーンがいた。ミラノは何だかよくわからないロケット丸太と盾鉄板でルートを作り、ネフィリムのフェニックスがそいつを焼き殺した。それで敵は全撤退ムードになり、この王都は壊滅を免れた。
「居ましたね」
「そいつらの名称を僕らはまだ掴んでいないが、“飛槍”は裏でそいつらと繋がりがある。“飛槍”から人のそういった鎧や技術が流されているんだ。“飛槍”は、人でありながらモンスターに与する連中だ。兄上も僕も必死で追っているところだったが、まさかこんなところで尻尾に出くわすとは……」
「──パールを狙った連中ですが」
ヤヴァンやカーラ、さらに冒険者ギルドに一人残してきた浅黒い男バリイーラの事だ。
「その“飛槍”の尻尾と、つい先ほど手を組んだふしがあるのですが」
「手を組んだ?」
そこへ、ぶわっと風が大きく吹いた。
騎乗タイプの召喚獣──ティアマト──が訪れたものだから、広場にはとっくに人が居ない。何せ、騎乗召喚獣を操る者はほとんどが高貴な身分にあって、“取り締まる”側にある。闇市にあっては迷惑でしかない。
召喚獣が騎乗タイプであれば、生まれが高貴でなくとも、重用されてこんな底辺の溜まり場には来ない。皆、家の位を上げて、単純に金持ちになる。また国の威光を守る立派な騎士に、なる。闇市の人間にとっては、敵でしかない。
さらにバサッバサッと、風と羽音が響いた。
枯れた噴水の辺り、上半身が鷲、下半身が馬の召喚獣ヒポグリフが羽ばたいて現れた。その背に青い鎧の女騎士が騎乗している。エステリオだ。
わずかに残っていた人々が、小豆色のヒポグリフとエステリオを遠巻きに見ている。
彼女はゆっくり広場へヒポグリフを降ろす。地上に降り立つとシュナヴィッツ、パールフェリカの傍へ駆け寄った。ヒポグリフはそのままで、首を大きく左右に振っている。伸びでもしているのだろう。
「お二方とも、ご無事でしたか」
菱形のマスクの奥から背筋を伸ばした女性の声。シュナヴィッツやパールフェリカの名を無用心に呼んだりはしない。
「エステル!」
こちらまでやって来たエステリオの傍にパールフェリカは駆け寄る。するとエステリオは「失礼します」と言って乱れた髪を解いてさっさと結いなおしてくれた。この辺り、同じ護衛騎士だが男のリディクディには、気遣いは出来ても実行不可能の部分だ。
「エステル、ユニコーンを盗んだ奴らの仲間をティアマトに追わせた。追いつき動きを止めたら目印に火炎を空に打つはずだ。王都警備隊と捕らえてくれ。パールには僕がついておく」
「はい」
パールフェリカの髪をさっさと結い留めて、エステリオは再び駆けて赤《レッド》ヒポグリフに騎乗し、飛び去った。
「──ところで、ミラノは大丈夫なのか?」
ふとシュナヴィッツがパールフェリカの手元を見た。“うさぎのぬいぐるみ”から返事は無い。
「わっ!? みーちゃん! ごめん、首絞めてた!?」
指折り数えた後、エステリオに髪を結いなおしてもらう間、ぐんぐん頭皮をひっぱられていて、その間に“うさぎのぬいぐるみ”の首をみっちりと絞めていたようだ。パールフェリカは慌てて“うさぎのぬいぐるみ”抱きなおす。
「……少々痛かった程度で、何ともありません」
いつも通りの、淡々とした声が出てきた。
ミラノは目線を下げた。声もどこから出ているのかわからない、自分は呼吸というものをしているのかどうか、それさえわからなくなってしまった。“うさぎのぬいぐるみ”の時のメカニズムなど、考えない方がいいのだろう。“うさぎのぬいぐるみ”になっているから、“うさぎのぬいぐるみ”なのだ、それで十分だ。結論など自分だけで出せそうにない。
ふと、うさぎの耳がひくっと動いた。
──きたれ
暗き海の岩礁に佇む者、“5番目”に跪く者よ──
「今、呪文が──」
とても小さな声、いや離れた所から聞こえてきている。
「何? どこだ」
慌てて左右を見渡すシュナヴィッツ。
「ひぃぃ! き、聞きたくないです!」
いつの間にか空気から復活したホルトスがギューッと耳に指を突っ込んで、さらに手の平でその周辺を覆い隠す。そのまま勢いよく頭を地面につけて丸まってしまった。
「──禁忌の領域、神に隠されたるアズライルの契約に基づき、
出でよ、セイレーン!
──奴らの声を奪え!」
同時に『ィィィイイイイアァーー』と高く低く、女の悲鳴のような音が、鳴り響く。
「しまった!」
シュナヴィッツとパールフェリカが慌てて耳を塞ぐ。
そこへ、投網が投げかけられる。投網は縄の直径が指3本分はあって、のしかかって来ると結構重い。また端には黒い重りもある。
パールフェリカは片手で“うさぎのぬいぐるみ”を抱えつつ半ば四つん這いで両膝をついているし、シュナヴィッツすら片膝を落とした。頭を抱え込んで耳を押さえているホルトスは、目も瞑っているので気付いていそうにない……。
投げかけたのは、路地を挟んでいた建物の屋上からだ。3人の男が立っていてこちらを見下ろしている。先ほどヤヴァンらと追いかけっこをした4人では無いようだが、全員黄色い頭巾を被っている──“飛槍”だ。
彼らの傍らに居た“それ”もやはり半透明だった──召喚霊だ。
上半身が栗色の髪の美しい人間の女性で、下半身が鳥のそれである。腕は翼で、ゆるく羽ばたくと、ふいっと空気に紛れ、姿を消した。
「────!!」
「──!?」
“飛槍”に投げたシュナヴィッツの言葉と、パールフェリカの悲鳴は、音にならなかった。二人は喉に手を当て、必死で声を出そうとするが、スカスカと空気が漏れるだけ。
シュナヴィッツが腰の刀を抜くもそれを振るう前に、パールフェリカが捕らえられる。現れた黄色い頭巾の男に羽交い絞めにされ、喉にナイフを突きつけられてしまった。
シュナヴィッツは苦々しく刀を捨てるしか無かった。
そうして、3人と“ぬいぐるみ”1体はモンスターとも繋がりのあるという“飛槍”に捕らえられてしまったのだった。
「ピグミー?」
パールフェリカが小さく呟く。
カーラの足元の地面が一瞬ボコンと波打ち、そこから灰色の丸い塊が飛び出した。
顔を斜めにして偉ぶっているカーラの正面で、それはくるくる回転した後、ぱちんと弾けた。
そして、そこに浮かんでいたのは──体長が“うさぎのぬいぐるみ”と変わらない、半透明の老人だった。老人というより、老いた小人──頭が大きくて、ずんぐりむっくりの四頭身の爺さま。
半透明なものだから、老小人を見ているのにその向こうを走るヤヴァンの背中が透けて見えた。
老小人の顔はくしゃっくしゃの皺があって茶色に近い肌、左目には白目部分が無い。黒曜石でもはめ込んだかのようだ。反対の右目には単眼鏡、モノクルが埋まっていて瞳は確認できない。背中は盛り上がっていていかり肩、ごつごつぼこぼこした両手をたらんと下げている。その姿勢でぷかぷかと宙に浮いていた。頭には可愛らしい三角帽子が乗っていて、くるくるの髪とヒゲもこれまたくるくるで質量たっぷりウエストラインまでありそうだ。どちらも真っ白である。
老小人はカーラを見下ろし、これまた真っ白の眉尻を下げた。
『まーぁた、おまえさんかえ、しょーぉうがないのぉ』
甲高い声だった。
「先頭を走っている男を足止めして!」
『ほいほぉ~い』
両手をあげ、勢いよく頭から地中へくるくるっと回転しながら消えた。さながらドリルだ。かと言って地面に穴は開いていない。次の瞬間、前方両サイドのレンガがバリバリはげる。先頭を逃げる男に降り注ぐ。
──……ピグミー? 小人種族?──
「……召喚霊で、土のエレメントを担ってるって……」
小さな声の問いにパールフェリカも声をひそめて答えた。召喚霊、それであのピグミーとやらは言葉を発したのだ。
召喚霊とは、異界から召喚する霊の事だ。召喚獣と違い、人語を解し、召喚に応じても力を発揮するとすぐ還ってしまう。特例を除いて1分とその場に留まれない。
今カーラのした事は、霊を召喚しその力を使わせた、すなわちエレメント召喚術である。
召喚獣にしろ霊にしろ、それぞれ性格がある。ピグミーなどは防御や今のような妨害はしても、生物を傷つけるような願いは聞き入れてくれない。
また、特殊とも言える初召喚の儀式によって繋がる召喚士と召喚獣、霊は一対一の契約を結ぶが、その後多数居る召喚獣や霊と結ぶ契約は、仲介する霊と行う。ピグミーの場合は、神の7番目の“使い”ミカルだ。ミカルの仲立ちによってピグミーは召喚されてくる。
辺りは静かになり、再びカーラはパールフェリカの腕を掴んで走り出す。
落ちたレンガ瓦礫の下からバキッと目の大きな爬虫類──大きさは、これまた“うさぎのぬいぐるみ”より少し大きい程度、100cm程の身長だ──が、飛び出した。
「く、くせぇええええええええ!!!」
闇市に居てこちらに話しかけて来た、小型のヤヴァン──外見がそっくりなのでヤヴァンの弟か身内なのかもしれない──が先頭きって走りながら叫んでいる。
「うっぶぉおおおあぅ……! くせぇ!!」
すぐにヤヴァンの声も上がった。それでも足を止めない辺り、目的の為に頑張る一端の冒険者である。
「──嫌ぁ!……チュパカブラじゃない!?」
カーラがチュパカブラと呼んだ青緑の鱗の爬虫類は、その手の拳より大きい赤い目が外見的特長だ。
チュパカブラは両手の爪をむき出しにして両手を掲げ“キーッ!”と威嚇する。その背後、向こう側で瓦礫がぼこっと揺れた。黄色い頭巾を被った男だ。逃げていく。
「くぉの! 待たんかボケ! ……くせぇ」
小型ヤヴァンが追いかけ、チュバカブラの頭に手を置いて、跳び箱の要領で飛び越えた。が、すぐに両手を上げて走り出す。
「げ! こいつぬるぬるしてる!! べたべただ!」
泣きそうな声にも聞こえる。
「ぬぁああ……! 俺は、いやだぁああ……!!」
そう叫んでヤヴァンは狭い路地の壁に手を付きつつチュパカブラの頭の上を飛び越えた。
「ちょっとぉおお!」
どちらも出来ないカーラが、チュパカブラの前までたどり着き、足を止め、両手で拳を作って脇を閉め、ぶんぶん上下に振りつつ叫んだ。
「置いていかないでよ! ──っくさ!」
カーラは慌てて鼻を摘んだ。
「くさい」
パールフェリカも同様だ。
──…………硫黄に似てるわね──
“うさぎのぬいぐるみ”の小さな、淡々とした声がパールフェリカの腕の中から漏れた。
「っつぁ! これは強烈ですね! え? なんですかあのバケモノ?」
ホルトスが追いついて来た。
「“飛槍”のザコの召喚獣よ! 臭いばっかりで威嚇しかしてこないわ、馬鹿じゃないの!?」
そう毒付きつつ、カーラはしっかり足止めされている。
「キーーッ!」
またチュパカブラが両手の爪を上げて威嚇してくる。長い長い、人の人差し指程の太さで腕の長さはありそうな舌が、その細かい牙の間からひゅるんと伸びた。口元から、漏れる息が若干黄色い。
ざっとレンガを踏みしめた。
「い、いや……来ないでよ! なんでチュパカブラなんて召喚するわけ!? 戦うんなら普通に攻撃型の獣系召喚しなさいよね!?」
相手が居ないままカーラは叫ぶ。
不毛な睨みあいをしているとドタバタ足音が迫って来て──。
「うぉ! カーラ!? 逃げるぞ!?」
「えぇ!?」
“飛槍”の黄色い頭巾の男を追っていたはずのヤヴァンがチュパカブラを飛び越え、ホルトス、カーラ、そしてパールフェリカと“うさぎのぬいぐるみ”をまとめて押しやる。
「早く! 早く行け!」
「お前ら! 何してんだ! 逃げろよ!」
さらに後ろから小型ヤヴァンが来る。完全につっかえている。
「“飛槍”の仲間が来た! 数負けだ! はーやーくーいーけー!」
ヤヴァンが叫び、だまになりながら、来た道を走って戻る。
後ろからガシャガシャと足音がする。
ごちゃごちゃの並び順になって狭い路地を駆ける。パールフェリカの腕も開放されている。
チュパカブラの位置と、路地の出口──広場──までもう少しという所で、パールフェリカは、穴の開いた横の建物の中にスッと入り込み、隠れた。ミラノから指示があったのだ。その穴はパールフェリカの小柄な体格だから入れるような、小さいものだった。
走り去った冒険者達の背を建物の内側で見て、敵と思われる連中が走って来る側の壁に背を当てた。すぐにドタドタと足音がして、4人、黄色い頭巾を被ったライトアーマーに長剣をぶら下げた男達が走って行った。それらを見送った後。
「パール……反対側に」
と“うさぎのぬいぐるみ”が言った。彼らが駆け去った側、広場側の穴のへりにパールフェリカは立つ。
「追加の追っ手は来ないわね」
「……ねぇ、ミラノはなんでそんなに平気な顔してるの? 何をしたらいいかわかってるの?」
“うさぎのぬいぐるみ”なので表情などわかったものではないが、パールフェリカは確信して問う。冒険者ギルドで再会した時から思っていた事だ。パールフェリカにはミラノがどうしてそう平然としていられるのか不思議でならないのだ。
「平気……? そう見えるの?」
ミラノは似たような会話をネフィリムともしたなと思い出していた。
「うん」
相変わらず両手で“うさぎのぬいぐるみ”を抱えてパールフェリカは頷いた。珍しく、ミラノの返事が遅い。
「………………よく、わからないわね。こうする以外に、どういうリアクションを取ればいいのかしら?」
つまり、目の前に起こる様々な出来事に対して、ミラノはごく冷静に見つめる。起こりうる事を見抜く、だから対処の方法の目処がある程度ついている。
その状況に、何をすべきか把握出来ている状態に、常に身をおくクセが付いているのだ。──対処の仕方に見当が付かなくても、落ち着き払ったままに見えるのは、案外簡単に、こっそりと現実を逃避する為で、それはミラノの性格とも言える。それに気付く者はほとんど居ないが。
そして、パールフェリカが背をついた壁の向こうでまたドタバタと足音がして、4つの黄色い頭巾が駆け抜けた。広場まで出た所で4対4──こちらは小型ヤヴァンにヤヴァン、カーラとホルトスが居たはずだ──それがわかって、通路の頭巾連中と広場に展開できたヤヴァンら、こちらへ形勢が逆転したのだろう。しばらくして。
「ぬぁああ! 待たんかボケ!」
小型ヤヴァンの声が響いた後、3つの足音が駆け抜けた。
「パール、反対へ……しばらく下手に動けないわね」
「え? もしかして……」
彼らの駆け去った側へ移動する。しばらくして、ヤヴァンらが追いかけられて来た。あちらの通りか広場へ出て、また逆転したのだろう。
「狭路で、何をしているのかしら。馬鹿しかいないのね」
ミラノの淡々とした声には、棘らしい棘は無かった。そのせいで逆に優しく聞こえる所が不思議である。しかし、脳裏には──上から手榴弾か、出口で待ち伏せて火炎放射……ってとこかしら──危険な発想が過ぎっている。若干の現実逃避によって、趣味のゲーム的な発想がひょっこり姿を現していたのだった。
(2)
ミラノがそんな危ない事を考えていると、路地の向こうで、ボンッと爆発音がした。路地の枯れた草が小さく揺れ、建物が少し震え、天井からパラパラと埃のような細かい砂が降ってきた。
揺れがおさまってから“うさぎのぬいぐるみ”が身じろぎした。
「……爆発するような召喚術があるの?」
「んーと……えへ?」
ミラノの問いにパールフェリカはにへっと可愛らしく笑ったのだった。つまり、わからないらしい。
シュナヴィッツのティアマトなどのブレスは火炎が何かとぶつかると爆発するような、爆炎のように吐き出すものがあった。基本的に、召喚された獣や霊の能力がそのまま力となって現れるようなのだから、単純には考えてはいけないのかもしれない。以外に奥が深そうだとミラノは思った。ネフィリムがハマりこんだのは、この世界かと納得をした。いかにも出来る男といった感じのネフィリムがハマリ続けているのだし、まだ極められていないという事、一朝一夕で理解できるような生易しい分野ではないだろう。
──召喚獣であれ爆弾であれ、どちらでも良い。爆発した、その事実でミラノには十分だった。頭数も揃って小競り合いを始めたのかもしれないという可能性を導くだけだから。
しかし、ミラノにとっては驚くべき事態が──定番の事情説明会である。
ゼーハーゼーハー、荒い呼吸が近付き、逃げて来るのは黄色い頭巾の4人だ。衣服がちょっと煤けていたり、腕など熱で皮でも剥けたのかほんのりピンクになっていたりする。ちっさな水ぶくれなども見える。あれは痛そうだ。
「ちょ、ちょっとまて!」
聞いた事の無い声だ、黄色い頭巾の方、“飛槍”の誰かだろう。せめて有利不利の無い同じ環境でいられる通路での対話を選んだらしい。
「待てるかボケ! ユニコーンをどこにやった!?」
「そうよ! あれは私達が見つけたのよ!? 返しなさい!」
「……そうだそうだ!──て、え? ええ? ユニコーンはあの女の子のでしょ? て、ああぁぁっ!! いつの間にかいない!?」
ボケを連呼したのは、小型ヤヴァンだったとミラノは思い返す。次にカーラ、最後はホルトス。ホルトスだけのようだ、パールフェリカが一抜けしている事に気づいたのは。
彼らがわいわいやっているとまたドタバタと足音がして──。
「うお! 待てこのボケぇ!」
ボケはどうやら語尾らしい。小型ヤヴァンの声だ。どうやら“飛槍”の連中は一瞬隙を作って逃げた、という事だろう。
ミラノは“うさぎのぬいぐるみ”の体を動かさないように、馬鹿馬鹿しくてあり得ない……という溜息を堪えたのだった。
やはり、このヤヴァン達の仲間というのがユニコーンを掻っ攫っていった。騎乗していたのがパールフェリカ姫とわかって、彼女もどこかへ連れ去る算段だったのだ。大通りに出る前に、ヤヴァンらの仲間が居るはずだったココへ連れて来た。ところが、ユニコーンはさらにこの“飛槍”の連中に横から持っていかれた。それが、現状のようだ。
バタバタと追いかけるように走って行く足音の後。
「あれ!? どこ!? おおーい? ええっと、名前……名前……? うぁああ! そういえば聞いてないよ!?」
ホルトスの声である。すぐ壁一枚隔てているのにとパールフェリカはちょっとだけ申し訳なくなった。
ミラノの小さな声がする。
──新参者と言ってたわね……この男は絡んでいないのかしら──
その声を聞きつつ、パールフェリカは隙間から顔を出した。
「こっちです」
「──え!? おお!! そんな所に!? いや、無事でよかった~」
線の細い美形という顔立ちのホルトスが、ほっとしたように笑った。そして、体を屈め、穴を覗いて来た。いくら細いと言っても、さすがに通れないようである。
「出ておいで、今のうちにちょろっと逃げておこうね? なんだか、あの人達、思っていたより物騒みたい」
ホルトスはそう言って手を伸ばしてきた。パールフェリカはその手を取り、また路地へ出て、いそいそと広場の方へホルトスと走る。
広場へ出て周辺にはまだ露店やテントも無い。出てすぐ、背後の路地から──。
「ホルトース! お前裏切ったなぁ!」
「その小娘を寄越せ!!」
ヤヴァンと“飛槍”の男達が肩を並べて、狭そうにではあるが走ってくる。
「手を組んだわね……──」
仲良く『ちょっとまて』と、“飛槍”の連中までホルトスとパールフェリカを呼び止めようとしている。
ミラノの淡々としたこの声はいつもの音量だ。ぬいぐるみのフリをやめたというよりは、ホルトスには聞こえないだろうという判断。
「ひ、ひぃいいいいいい~~!?」
ホルトスは血相を変えている。“飛槍”とさっきまでの仲間が手を取ってこちらへ武器携え駆けてくるのだ、名指しで。慌てふためき、ホルトスはカタカタと震えながら弓をつがえた。そんな状態で引けるはずも無く、矢はぴょるんと下に落ちた。まず戦闘要員の数が違うのだ、ミラノは逃げの一手で間違いが無いのに時間の無駄使いだと、呆れる。
「しょ、召喚術使えないんですか?」
パールフェリカが問う。
「え? いや、つ、使えるけ、けど……」
慌てすぎて唾が絡むようだ。
「火は?」
「え? え? 火ですか? えーっとえーっと」
ホルトスは気づいていないが『火は?』と問いかけたのはミラノである。狭路からこの広場側へ追っ手が来る。先ほどミラノが脳内シミュレーションした、火炎放射である。このシーンでは一番簡単な手だ。
「き、きたれ、
猛き山に棲まう者、“5番目”に跪く者よ。
汝……」
ホルトスが言葉を止め「なんか違うな……」と呟くと、彼の足元に出ていたショッキングピンク色の魔法陣も止まった。
「えーっと。
きたれ、
猛き山に棲まう者、“7番目”に跪く者よ。
汝──」
「7番はピグミーよ?」
パールフェリカが言った。さっきカーラが唱えていたのを覚えていた。再び回転し始めていた魔法陣がまた停止する。
「え? えっとじゃあ……
きたれ、
猛き山に棲まう者……?“2番目”? に跪く者よ。
汝、全て燃やす? 者、いろんな火を消す? 者よ……。
涼やかな風ととも、神の言葉を携えたるダルダイルの契約に基づき、
い、出でよ、サラマンダー!」
シーン……──
「あれ?」
「……に、逃げたほうが良くない?」
ヤヴァンらと“飛槍”の連中はもう数十秒足らずでこちらへ着いてしまいそうだ。
「パール、カーラの足元」
ミラノの声は一人足を止めたカーラの足元に光る濃紺の魔法陣を示す。それを見たホルトスが甲高い悲鳴を上げる。
「きゃーーー!?
き、きき、き、きたったきたれ!
た、たたたけたけたきけ──」
ふわりと、先ほど硫黄の異臭を嗅がされたから余計に鼻腔をつく。
「──きたれ」
柔らかく甘い香りが最初に舞う。
「──猛き山に棲まう者、“3番目”に跪く者よ」
それは低すぎず、高くも無い落ち着いた声。
「汝、全て焼き払う者、あらゆる炎を絶つ者よ。
儚き羊の恐れ慄く、荒々しき原初の力持つ者よ。
神の先鋒を務め、その正義示す剣たるイスラフィルの契約に基づき──」
パールフェリカが背後を振り返りパっと笑顔を咲かせる。ミラノにも背後が見えた。見上げの角度になる。
亜麻色の真っ直ぐの髪が揺れている。淡い蒼の瞳は、真っ直ぐ路地の奥を見ている。話しかけるような声音で、彼は続けた。
「出でよ、サラマンダー」
金色の魔法陣から赤い珠が飛び出し、ぱちんと弾けると、人より少し大きい位の、オレンジのトカゲ──山椒魚を二足歩行にしたような形──が姿を見せる。全体的にシャープな印象で、パーツパーツが筋肉質でガッシリしているが、ウエストや足首などは細い。鱗が溶岩のような色合いとランダム配置になっている。トカゲだが全身乾いているようだ。太く長い尻尾と首からは襟巻きのように炎が噴出している。口からもカフッと呼吸の度に小さな火が漏れている。目の部分には光る珠を詰め込んだように、丸く光っていて、瞳などが無い。そしてやはり、向こうが透けて見える、半透明だ。
がふっと息を吐き出す。熱い息なのかそこの空気が波打って見えた。
「軽くあぶってやれ」
『オッ、ケェー』
低く泡のような音の混ざる声。火トカゲは4本の指を器用に動かし、親指を立てる。トカゲの顔をしているのに、ニヤリと笑ったように見えた。
路地から広場へ出てこようとして、慌てて引き返し逃げようとするヤヴァンらに、火炎のトカゲは宙で一回転すると、体当たりのように飛び込み、半透明でスルリと駆けた抜けた。サラマンダーは残像を残して消える。それは熱風となって狭い路地でヤヴァンらに纏わり付いた。
「アチッ! アチィー!!」
「アッアッ! また! 痛っ!」
悲鳴が聞こえた。“また”と言ったのは、先ほどの爆発でダメージを受けた“悲槍”の黄色の頭巾の男の方だろう。
「ティア」
大型バイクサイズの白銀のドラゴンが広場の上で羽ばたいていた。ぶわっと風が巻き上がり、周辺の砂利が音を立てて払われる。
呼びかけにその金色の瞳を路地へ向けた。そして口を開くと、カッと剣が1本飛び出て、一番奥に居たカーラの頬を掠めた。
遠目でもカーラの顔色が真っ青に落ち、さらにティアマトの一睨みで彼女がたった今召喚した熊に似た召喚獣が逃げ去った。召喚霊ではなく召喚獣の方なので、召喚士の解除か、召喚士の力尽きてしまわない限り還る事が出来ない。だから、物理的に逃げるのだ。
「にいさま!」
パールフェリカが体全身を彼の方に向け、見上げた。
「パール、無事で良かった。ちょっと待ってろ」
そう言ってシュナヴィッツはぶつぶつと唱える。するとティアマトがハトサイズになってしまう。
「追え」
シュナヴィッツの短い言葉に、ぱふっと小さな白銀のドラゴンが羽ばたいて路地へ飛んでいく。小さい割に驚く程早い。
──狭路でウゴウゴしていただけの冒険者達をあっさり去なしてしまった。
シュナヴィッツにしろ、ティアマトにしろ、格が違うようだ。
落ち着いた所で、ホルトスがへなへなぁと地面に座り込んだ。
そのホルトスをちらりと見た後、シュナヴィッツはパールフェリカの方を向いてちょっと驚いた。
「──ミラノも居たのか」
つい、と“うさぎのぬいぐるみ”から視線を外した。
「パールと会えていたんだな。やはり召喚士と召喚獣の絆が働いたようだな」
やや早口である。
「────……私、聞きたい言葉があるのですが」
緩く首を傾げる“うさぎのぬいぐるみ”に、気まずそうに、しかしシュナヴィッツはちゃんと──彼の“ポカ”で彼女を落っことしてはぐれてしまった事を──認める。
「あー……いや……………………す、すまん」
「今助けて頂きましたから、チャラにしましょう」
「──あ、ああ」
「え? なに? なになに?? にいさま??? 何の話????」
パールフェリカは視線を逸らすシュナヴィッツの正面に、“うさぎのぬいぐるみ”を両腕で抱きしめて、わざわざ彼の目に入るよう入るよう、回り込むのだった。
「…………パール、わかってやってないか?」
「?」
(3)
シュナヴィッツはパールフェリカの髪に揺れる木の枝を取り払い、ぽいと捨てた。
「僕は爆発音を聞いてここへ来た。パール。ユニコーンはどうした?」
「えっと……その……」
迷い迷い、パールフェリカは“うさぎのぬいぐるみ”を見下ろした。応えて“うさぎのぬいぐるみ”は顎を上げ、赤い目でパールフェリカの深い蒼い目を見る。
「パール、あなたの力ではどうにもならないわ」
それを認めろとミラノは言うのだ。
「でも……ミラノとなら」
「パール。あなたにも、私にも、出来る事はとても少ないという事実を自覚しましょう?」
淡々とした声がデフォルトのミラノにしては、優しい声で諭す。
街中で、本当の意味で深窓のお姫様であるパールフェリカと、この世界に来てほんの数日のミラノでは、何も出来ない。ミラノはそれをはっきりと告げたのだ。
パールフェリカは一度口を尖らせた後、シュナヴィッツを見上げた。
知られて怒られる、嫌に思われる──そんな事、よりも。手を打たずズルズル悪い事態だけが進行し、にも関わらず解決に向けて行動すべき時に行動しない。その方が賢くない。ここで一時の恥を恐れる事によって評価が下がる方が問題だと、ミラノは考える。
ミラノの行動理念の一つでもある。人に嫌われようが気にしない、価値ある人であれば、誰も目を背ける事など出来ない。だが同時に“価値”という単語に振り回されず、自分自身である事も重要なのだ。実際それが、こんな一言でどれほどパールフェリカに伝わったかわからないし、ミラノもこんな時に伝えるつもりもない。が、パールフェリカは閉じた唇を何度か動かした後、口を開く。
「えっと。ミラノには話したんだけど、部屋から飛び出して、山を降りてて、木に激突して、ユニコーンが気絶して、木に刺さった角を抜こうとしてたら助けてくれた人達がいて」
パールフェリカが、無意識だが“うさぎのぬいぐるみ”の首を絞めるような形で抱き寄せ、指折り説明する。
「それから、その……その人達にユニコーン盗まれちゃって」
と、そこでパールフェリカは一度シュナヴィッツを上目遣いで見た。が、シュナヴィッツの方は顔色を一切変えず「それで?」と言うだけ。怒られると思っていたパールフェリカは密かにホッと息を吐く。
「それで、困ってた所を、さっきにいさまが追っ払った人達の中の、んと、冒険者の人達が話しかけてくれて、助けて……くれて……──」
口ごもり、下を向いてついには止まってしまった。“うさぎのぬいぐるみ”はシュナヴィッツを見上げる。
「ユニコーンを盗んだ連中の、仲間が素知らぬ顔でパールに近寄って、さらった。一度引き離し、まずユニコーンを移送しようとしたのね、パールは冒険者ギルドに居たわ。その後どこかへ連れて行くつもりだったんでしょうね。そこに私が偶々辿り着いて合流して、ここへ来た。さらにユニコーンが別の“飛槍”という連中に奪われたと聞いたわ」
「“飛槍”?」
「──知っているのですか?」
「ああ。──ミラノが、兄上の援護をしたろう。ワイバーンの襲撃があった時。赤と黒の鎧を着た敵将」
モンスターがこの巨城エストルクを襲った際、その指揮を執っていたとみられる、鎧を着たワイバーンがいた。ミラノは何だかよくわからないロケット丸太と盾鉄板でルートを作り、ネフィリムのフェニックスがそいつを焼き殺した。それで敵は全撤退ムードになり、この王都は壊滅を免れた。
「居ましたね」
「そいつらの名称を僕らはまだ掴んでいないが、“飛槍”は裏でそいつらと繋がりがある。“飛槍”から人のそういった鎧や技術が流されているんだ。“飛槍”は、人でありながらモンスターに与する連中だ。兄上も僕も必死で追っているところだったが、まさかこんなところで尻尾に出くわすとは……」
「──パールを狙った連中ですが」
ヤヴァンやカーラ、さらに冒険者ギルドに一人残してきた浅黒い男バリイーラの事だ。
「その“飛槍”の尻尾と、つい先ほど手を組んだふしがあるのですが」
「手を組んだ?」
そこへ、ぶわっと風が大きく吹いた。
騎乗タイプの召喚獣──ティアマト──が訪れたものだから、広場にはとっくに人が居ない。何せ、騎乗召喚獣を操る者はほとんどが高貴な身分にあって、“取り締まる”側にある。闇市にあっては迷惑でしかない。
召喚獣が騎乗タイプであれば、生まれが高貴でなくとも、重用されてこんな底辺の溜まり場には来ない。皆、家の位を上げて、単純に金持ちになる。また国の威光を守る立派な騎士に、なる。闇市の人間にとっては、敵でしかない。
さらにバサッバサッと、風と羽音が響いた。
枯れた噴水の辺り、上半身が鷲、下半身が馬の召喚獣ヒポグリフが羽ばたいて現れた。その背に青い鎧の女騎士が騎乗している。エステリオだ。
わずかに残っていた人々が、小豆色のヒポグリフとエステリオを遠巻きに見ている。
彼女はゆっくり広場へヒポグリフを降ろす。地上に降り立つとシュナヴィッツ、パールフェリカの傍へ駆け寄った。ヒポグリフはそのままで、首を大きく左右に振っている。伸びでもしているのだろう。
「お二方とも、ご無事でしたか」
菱形のマスクの奥から背筋を伸ばした女性の声。シュナヴィッツやパールフェリカの名を無用心に呼んだりはしない。
「エステル!」
こちらまでやって来たエステリオの傍にパールフェリカは駆け寄る。するとエステリオは「失礼します」と言って乱れた髪を解いてさっさと結いなおしてくれた。この辺り、同じ護衛騎士だが男のリディクディには、気遣いは出来ても実行不可能の部分だ。
「エステル、ユニコーンを盗んだ奴らの仲間をティアマトに追わせた。追いつき動きを止めたら目印に火炎を空に打つはずだ。王都警備隊と捕らえてくれ。パールには僕がついておく」
「はい」
パールフェリカの髪をさっさと結い留めて、エステリオは再び駆けて赤《レッド》ヒポグリフに騎乗し、飛び去った。
「──ところで、ミラノは大丈夫なのか?」
ふとシュナヴィッツがパールフェリカの手元を見た。“うさぎのぬいぐるみ”から返事は無い。
「わっ!? みーちゃん! ごめん、首絞めてた!?」
指折り数えた後、エステリオに髪を結いなおしてもらう間、ぐんぐん頭皮をひっぱられていて、その間に“うさぎのぬいぐるみ”の首をみっちりと絞めていたようだ。パールフェリカは慌てて“うさぎのぬいぐるみ”抱きなおす。
「……少々痛かった程度で、何ともありません」
いつも通りの、淡々とした声が出てきた。
ミラノは目線を下げた。声もどこから出ているのかわからない、自分は呼吸というものをしているのかどうか、それさえわからなくなってしまった。“うさぎのぬいぐるみ”の時のメカニズムなど、考えない方がいいのだろう。“うさぎのぬいぐるみ”になっているから、“うさぎのぬいぐるみ”なのだ、それで十分だ。結論など自分だけで出せそうにない。
ふと、うさぎの耳がひくっと動いた。
──きたれ
暗き海の岩礁に佇む者、“5番目”に跪く者よ──
「今、呪文が──」
とても小さな声、いや離れた所から聞こえてきている。
「何? どこだ」
慌てて左右を見渡すシュナヴィッツ。
「ひぃぃ! き、聞きたくないです!」
いつの間にか空気から復活したホルトスがギューッと耳に指を突っ込んで、さらに手の平でその周辺を覆い隠す。そのまま勢いよく頭を地面につけて丸まってしまった。
「──禁忌の領域、神に隠されたるアズライルの契約に基づき、
出でよ、セイレーン!
──奴らの声を奪え!」
同時に『ィィィイイイイアァーー』と高く低く、女の悲鳴のような音が、鳴り響く。
「しまった!」
シュナヴィッツとパールフェリカが慌てて耳を塞ぐ。
そこへ、投網が投げかけられる。投網は縄の直径が指3本分はあって、のしかかって来ると結構重い。また端には黒い重りもある。
パールフェリカは片手で“うさぎのぬいぐるみ”を抱えつつ半ば四つん這いで両膝をついているし、シュナヴィッツすら片膝を落とした。頭を抱え込んで耳を押さえているホルトスは、目も瞑っているので気付いていそうにない……。
投げかけたのは、路地を挟んでいた建物の屋上からだ。3人の男が立っていてこちらを見下ろしている。先ほどヤヴァンらと追いかけっこをした4人では無いようだが、全員黄色い頭巾を被っている──“飛槍”だ。
彼らの傍らに居た“それ”もやはり半透明だった──召喚霊だ。
上半身が栗色の髪の美しい人間の女性で、下半身が鳥のそれである。腕は翼で、ゆるく羽ばたくと、ふいっと空気に紛れ、姿を消した。
「────!!」
「──!?」
“飛槍”に投げたシュナヴィッツの言葉と、パールフェリカの悲鳴は、音にならなかった。二人は喉に手を当て、必死で声を出そうとするが、スカスカと空気が漏れるだけ。
シュナヴィッツが腰の刀を抜くもそれを振るう前に、パールフェリカが捕らえられる。現れた黄色い頭巾の男に羽交い絞めにされ、喉にナイフを突きつけられてしまった。
シュナヴィッツは苦々しく刀を捨てるしか無かった。
そうして、3人と“ぬいぐるみ”1体はモンスターとも繋がりのあるという“飛槍”に捕らえられてしまったのだった。
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相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
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会話がわからない!となるよりは・・
試みですね。
誤字・脱字・文章修正 随時行います。
短編タグが長編に変更になることがございます。
*タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。
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