召喚士の嗜み【本編完結】

江村朋恵

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【3rd】BECOME HAPPY!

“うさぎ”と“たぬき”の化かし合い?

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(1)
 扉の前の衛兵に声をかけると、あっさり室内に通された。顔パスは完了しているらしい。
 部屋の中央、ソファの背もたれの上、跨ぐように座るパールフェリカと目があった。どうやらお勉強から帰って来ていたらしい。
「あ、おかえり! ミラノ!」
 言ってひょいとソファから飛び降り、ミラノの傍へ駆け寄ってくる。パールフェリカはミラノの右腕を両手で掴んで、顔を見上げてくる。
「ミラノは図書院にいた!」
「……ソレね」
 召喚獣追跡の修行とやらをしていたのだろう。どこに居たのか当てようとしているらしい。
 一体どんなプライバシー侵害スキルなのやら。召喚獣は人間では無いから人権など無い、といったところか。そんな事を考えてしまって、ミラノは無表情の中に曖昧な困惑を浮かべる。
「……違うわ」
「えー! ……おっかしいわねぇ」
 顎に手を当て、パールフェリカはうーんと考えている。ものの数秒でぱっと手を離し、顔を上げる。
「東の空中庭園!?」
「……行った事ないわ」
「えー!? もったいない! 東の塔から本殿への回廊を渡ってすぐよ! 4階のバルコニーにはね、とっても素敵な噴水と、いっぱいの花で埋め尽くされた最高の庭園があるのよ!? ミラノ、後で連れてったっげるわ!」
「パール様、それでしたら西の塔より下層へ降りた辺りに、自然の滝がございますよ」
「あ、マースの滝ね! 私も小さい時に落ちた事があるわ!」
 傍に居たエステリオの提案に、パールフェリカはさらりととんでもない事を言った。
「落ちたって……」
「やぁね! 滝を落ちたんじゃないわよ? 滝つぼにも危ないから近寄っちゃダメってリディに体張って止められたから、近付いてないわよ?」
 パールフェリカは心配しないで! と胸を張る。聞く限り、パールフェリカ1人ならとても大変な事になっていそうなのだが、ミラノは黙る事にした。パールフェリカが、目を輝かせるから。
「でね! 水飛沫がとっても綺麗なのよ! 一度落ちてからはそりゃあもう何度も飛び込んだわ!」
 意外にも、パールフェリカ姫は超自然児のようである。ミラノの方がよっぽど都会暮らしだったかもしれない。
 ソファ辺りに居た侍女サリアが、ゆっくりと歩み寄って来る。
「今の季節はやめてくださいね、パール様。温かくなって来たとはいえまだ春。風邪を引いてしまいますよ?」
 サリアは17歳の少女で、パールフェリカの侍女兼話し相手として6年前から仕えている。茶色の髪は結い上げていて、他の大人の侍女達と同じ薄い青色の侍女服を着ている。同色の瞳は、パールフェリカを優しく見守る。
「わーかってるわよぅ、サリアったらエステルみたいな事を言うのね!」
 小言はエステリオが言うもの、そう決めて掛かっているような口ぶりだ。扉の前へ移動して控えているエステリオは、無言でゆっくりと翠の目を細め、片頬をヒクつかせている。
「そだ! サリア、ゴーブロンにもらったネックレスがさ、この間か──」
 しゃべりながらパールフェリカは寝室へ駆けて行くので、声は当然フェードアウトして後半が聞き取れない。
 しばらくして、アクセサリーを両手にじゃらじゃらと抱えて持ってくると、ソファに投げ出した。絡んでしまいそうだ。
 寝室はこちらの部屋に比べて薄暗いので、パールフェリカはまとめて持って来たのだろう。
「えっとどれだっけ」
「まぁパール様、そんな乱暴に扱ってはいけません!」
 サリアが飛びつきながらポケットから出した白い手袋をつけ、慣れた手つきでアクセサリを1本1本救出している。その横でパールフェリカはチェーンをビーッとひっぱっては絡まりを強くしてサリアに怒られている。
 ──エステリオだけが、パールフェリカとサリアを見て微笑むミラノに気付いた。
 だがミラノはすぐに表情を消して、部屋の左奥、楽器の置いてあるスペース辺りへ移動する。そこにはバーにあるような、座る位置の高い椅子が2脚と、テーブルがある。その椅子にゆったりと、腰をもたれ掛けさせる様に座った。左手側にはユニコーンが飛び出した窓がある。40cm四方程度のテーブルにゆるく左の腕を乗せ、外を見やる。
 さわさわと、春の風が木々を揺らしている。
 長閑な一時。心は静かで、冷静さを維持する。
 きゃいきゃいと声を上げるパールフェリカとサリアの声を聞きながら、ミラノは意識を物思いへと移した。
 ──変えられない事実ならば、しょうがないじゃない。今、そういう存在である事を、見つめるべき、かしら。
 ミラノが、今はそういう結論でいようと決めた時。
「とんでもないところに出くわしたね」
 ミラノは窓から目線を動かす。空いていたもう隣の椅子に、声の主が腰をかける。
 ほんの少し癖のある亜麻色の髪を、緩く編んで左肩から胸辺りまで垂らしている。はっきりした蒼い瞳がこちらを見ていた。ネフィリムだ。
「……本当に。あの人達は?」
 変わらないミラノの淡々とした声に、ネフィリムは微笑を浮かべる。
「本当に? 軽くあしらっているように見えたけど? 彼らは父上に挨拶をすると言って謁見の間へ行った」
 ミラノはついと顔を逸らした。
「そうですか……ああいうややこしい人には、慣れていますから。口答えせず共感や同意をしてあげるだけで良いんです。私は同性なので、理解を示す位しか出来ませんが」
 男のミラノへの片想いが引き起こす──頼んだ覚えも無いのに、その男に気のある女を巻き込んで行く。当たり前と言ってしまえば当たり前の構図だが、ミラノは関わりたく無いのだ。知らない間に話した事もない男に想われて、勝手に修羅場になっていく周囲に、どれだけ巻き込まれた事か。それを誰かに漏らす事もまた、許されない。嫌味にしか、聞こえないらしい。
「つまり、あの状況では私が一番なだめられる、という事になるのかな?」
「そうなりますが、誤解を生む原因にもなりますから、近寄らない方が良いんじゃないですか。あなたにあの女性を受け入れる気はないのでしょう? 私は面倒なので逃げますが」
 ふっとネフィリムが笑った。
「なんだか、ミラノの性格が見えてきた気がするな」
 そこに、パールフェリカの雄たけびとサリアのなだめる声が聞こえてくる。ネフィリムはまた声を出して笑った。
「本当に女性はおしゃべりが好きだな」
 パールフェリカの場合、話題がクルクル変わる上、ちょいちょい発想が突き抜けるが。
「男は狩りへ、女は集落で子育てを。その歴史から、女性はコミュニティ……“村社会”形成の為の“おしゃべり”の技術が発達していると言われています。“おしゃべり”による言葉遊びも大好きな“生き物”なのです──と、これは私の世界でよく聞く話ですが」
 そんな適当な説明を聞いているのか聞いていないのか、ネフィリムは狭いテーブルに肘を付いた。その手に顎を乗せ、ミラノをじっと見る。姿勢を下げたネフィリムの顔は身長差を消して、近くなった。
「……ミラノはどうなんだい?」
 ミラノは一度ぱちりと瞬きをして、言葉を詰まらせた。
「さぁ。私はあまり……」
「なぜ?」
 ミラノは緩く首を傾げた。
「自己開示、とでも言うのでしょうか。あまり好きではないのです。経験上、良い結果を招いた事がほとんどありませんし」
 どうしようが、良い人を振舞おうが、普通にしていようが、どれだけ冷たく嫌な人を演じようが、陰口のネタにされ、男に媚びているだのと妬まれる。ならば口など利かないほうが良い。それがたまに、逆に男の気をひいてしまったりもするらしいが、ミラノの知った事ではない。
 存在そのものがトラブルの種だと言われるのだから、やってられない。自己開示、自己主張をする前に、関係は破綻している。時々、心底何もかもに疲れてしまう程だが、そういう時はただ立ち去る。何を言っても、何をしても意味はない。他人の様々な激情を、静かに、適当に、受け流す。アンジェリカ姫に対した時のように。
 ネフィリムは顎から頬に手を移して、パールフェリカとサリアに顔を向けた。
「あの二人はとても楽しそうだが、ミラノは“おしゃべり”が楽しくない?」
 ついにミラノは視線を落とし、瞼を半分閉じた。
「“おしゃべり”だろうが何だろうが私は“たの──……」
 そこで言葉を止め、顔を上げた。
「相手によるものだと、思っています」
 淡々とした、徹底した無表情の声になっている。
「ふーん……?」
 そう言ってネフィリムはちょっと目を細め、ミラノに視線を戻した。
「なんです?」
 ミラノの顔を数秒見つめて、ネフィリムは頬から手を外して姿勢を正した。ついと、窓の外へ顔を向けた。
「ミラノと私は、ちょっと似ているのかもしれないな。話していると落ち着く」
 その横顔が至極真面目なものだったから、その声がいつものようにふざけた色が欠片も無かったから、ミラノは眉間に皺を寄せ、顔を背ける。
「……──」
 無言の返事にネフィリムがこちらを向いた。
「私は何か変な事を言ったかな?」
「いえ……」
 男がこのセリフを言出だしたら──ミラノは頭を抱えたくなった。
 シュナヴィッツに『敗北』したと宣言しておきながら、半分は冗談で言ったのだろうと思っていたのだが、どうにも……。
 ミラノの性格がわかってきたとネフィリムは言った。さらに自分と似ているだのと言い出す始末。価値観が近いと感じて、安心して会話を成立させられると気付き、それを落ち着くのだと思っている。
 同じ目線でものを見る事が出来る、対等であるという事は、男女の境を抜きにして親近感を覚えさせる。期待に応えられる能力をお互いに持っているなら、それぞれが相手に満足する。そこから来る安堵だ。ミラノの方は、期待して会話などしていないが。
 シュナヴィッツは、一目惚れのような目で見てきて、それに気付かれる前に距離を置こうとしたものの、本人はいつの間にか自覚をしてしまった。
 ネフィリムは、好みの理想像とミラノを摺り寄せ始めて、その一致を見出していっている。ネフィリムの好みとやらはミラノの知るところではないが、一度宣言されている以上、相当合致しているのだろう。
 ミラノは目を細め、誰とも目の合わない天井を見た。
 ──いっそ、百合の方がいい気がしてきた……。
 面倒臭くなったミラノの現実逃避は、間近に迫っていた。



(2)
 ミラノのいかがわしい現実逃避は、開始される前にパールフェリカの声によって思考そのものを切り裂かれる。
「うがーー! もっ! 直接聞く!」
 両手にアクセサリーを握り締めたまま、パールフェリカは突然走り出す。扉に突進をかけるので、エステリオが慌てて開けてやると「ありがとう!」と元気に礼を言って廊下の向こうへ消えた。エステリオもサッとその後を追う。
「ちょ、姫様! その両手のものは置いていってください!?」
 サリアも慌てて、白手袋のまま扉の外へと姿を消す。
 そして、衛兵が静かにぱたりと扉を閉めた。
 ソファにはアクセサリーの山が放置されている。
「…………」
「…………パールは、元気ですね」
 ミラノはそれだけ言った。
 紫の顔色になっても、翌朝には何だかんだ言いながら元気に復活している。今も、ミラノを“人”として維持する修行を継続しているはずなのだが、力いっぱい走って行った。パールフェリカの疲労の感じ方が、最初の召喚の時から物凄い勢いで変わっている──成長しているのかもしれない。
「あれがパールの長所、なのだろうな。多分」
 くくっと笑ってネフィリムは言った。エステリオもサリアも付いて行った。高価なアクセサリーを放置し、両手にも一部引っ掴んで飛び出してしまった事は、ついて行った2人のどちらかがお小言で注意するだろう。誰も言う者がいなければそれはネフィリムの役目だったが。それでネフィリムは気楽に笑う。
 ミラノは口元に微かに笑みを浮かべ、しかしすぐに消した。
「仲が良いんですね」
「年が離れているから、だろうね」
「そうですか」
 それは適当な相槌。この部屋からパールフェリカが居なくなった事で、やっと本題に入れる。
 召喚獣について聞きたい事は、漠然としすぎている気がした。『科学とはなんだ?』と問われた時、どこから答えてやったものかどう答えたら伝わるかと悩むように、この世界での常識的な召喚術を頭から問うのは、答えてもらえたとしても理解が難しいのではないかと、ミラノは推察する。さしあたって、身近な話題から近付く方が、自分もわかりやすいし、相手も説明しやすいだろう。
「話は変わりますけど、ユニコーンですが、なぜ、パールを外へ連れ出したのでしょう? ユニコーンを連れていた少女は“浮気”と言っていましたが」
「浮気?……ユニコーンが超希少種というのは知っている?」
「ええ。そう言っていましたね」
「ユニコーンは満月の月明かりを浴びたリゼヌの葉の朝露とセムの泉の水が交じり合う時、気まぐれに、神によって生み出される生物だ。こういう生物の事を獣と区別して、“幻獣”と呼ぶ。“炎帝”……フェニックスやティアマトもそのように生まれたと言われている、生まれ方は様々だが。唯一の召喚獣や、珍しいものは大体そうだな」
「幻獣……」
 ミラノは記憶を辿り、変わった生まれ方として『神の切断された男性器が海に落ち、その泡から女神が生まれた』という自分の居た世界の神話を思い出す。
 とはいえ、現物を目にしたユニコーンはまた違う。あのユニコーンがネフィリムの言うように生まれたという事は、なかなか受け入れ難い。が、この世界では文字も読めないほど、知らない事が多い。信じるしかない。確かめようが無いのにただ否定するのは愚かしいと、ミラノは思う。鵜呑みにもすべきではないと、考えているが。
「ユニコーンは本来とんでもない暴れ者だ。落ち着きが無い、とでも言うのか。周囲の動くもの全てをその角で破壊する。だが、ユニコーンは同時に大きな治癒能力を持っている。目に見える程、傷を癒し、疲れを取り去る。神を除いて、ユニコーンだけが他者を癒す事が出来る。たまたま襲われかけた“乙女”が居て、しかし無事だった。そこからユニコーンは“純潔の乙女”の傍に居たら大人しいとわかったそうだ。人はその治癒力を制御する為に“乙女”をユニコーンにあてがい、名目“つがい”にする。“浮気”というのはあの少女がつまり、ユニコーンの“結婚”相手だった、というだけだね」
 ますます自分の居た世界の価値観からかけ離れていくが、これがこの世界の事実なら仕方無いと、ミラノは素直に受け入れる事にした。
「“結婚”……ですか。なぜ、浮気をしたのです?」
「……よっぽど、ユニコーンにとってパールフェリカの魂が魅力的だった、と。そういう事だろう。連れ去って2人きりになりたい、というような」
「は??」
 ──2人きりって……一体何をする為に……。
 ミラノはつい眉間に皺を寄せた。意味がわからない。獣と人間、種族を大きく超えて何かあるのだろうか。
「……これは仮定でしかないのだが」
「はい」
「もし、この世のどこにもミラノが居なかったとする」
「……ええ」
「ユニコーンがもう数日早く死んでいたとする」
「?」
「パールフェリカの召喚獣は、ユニコーンになっただろう、という事だ」
 今、パールフェリカの最も相性の良い召喚獣として、ミラノが召喚されている。それが居なかったならば、別のものが、つまりユニコーンが召喚されたかもしれない、それほどパールフェリカとユニコーンの相性は良かったのだろうと、ネフィリムは言う。
「……この世界のそういう理屈は、よくわかりませんが……」
 ネフィリムがそっと笑った。
「相性なんだ、結局。魂の部分での。幻獣のユニコーンはそれを察知したのだろう」
「魂や霊というものを私は……信じていない、というのは、わかりますか?」
「わからなくない、というところだろうか。我々にとっては身近だが、ミラノの世界で身近でないなら、わからなくない」
 ミラノは緩く腕を組み、左手を顎の下に置いた。
「いずれにしろ召喚されるものは……。──私は『かえる、かえらない』という次元には、いないのでしょうか。私には元の世界での生活があるんです」
 隣に座るネフィリムをミラノは見上げる。ここでの生活が自分の生活ではないと、訴えている。
「………………召喚霊ならば“霊界”に強制送還される。召喚獣なら“霊界”待機、だといわれている。実際はわからない、聞いても答えてくれないからね。異界の霊であるリャナンシーは『真っ暗な“霊界”は退屈だ』と言っていた。彼女も召喚されない限り普段は“霊界”に居るそうだ」
「いずれにしろ“霊界”、ですか」
 伏せた睫の奥の黒い瞳は、やはり感情を見せないまま。ミラノは、一度瞼を閉じる。“うさぎのぬいぐるみ”ではないから、意図して隠す。
「ミラノは一度召喚が完全に途絶えただろう、その時、元の世界へ戻らなかったのか?」
 ワイバーンの王都襲撃後の事だ。ミラノは再びネフィリムを見た。
「夢を、みていました」
「判断できないな。実体が解けた時は?」
 “飛槍”の拠点の通路で、串刺しにされ“死んだ”時の事だ。あれも召喚が解け強制解除された、という事になるらしい。
「……意識がありませんでした。その後、気を失った時も同じです。自分の感覚では、次の瞬間に目覚めています」
 ミラノは顎に置いていた左手を広げて、鎖骨の下辺りを指でなぞる。鼓動が煩いのだ。
 ──どのような答えが返ってくるかはわからない。それでも。
 ミラノは顎を上げ、ネフィリムをまっすぐ見た。
「“霊界”とは──死んだものの棲む世界、で、あっていますか? 召喚獣や召喚霊となるものは、必ず既に、死んでいるのでしょうか?」



(3)
 左胸へ流している亜麻色の髪が、窓からの日差しを受け、ゆるやかなうねりに任せた美しいグラデーションを描く。雅やかな動作でネフィリムは首を傾げて見せる。
「それを聞いて、どうするのかな?」
「……私は、元の世界へかえるつもりでいます」
「なるほど。だが、もし、可能性があったとしても、手遅れだろう。諦めなさい」
 まるでパールフェリカにでも言うような口調だ。
 ──挑発? ごまかし? ミスリード?
 ミラノは一度瞬きをする。
「……何を?」
「……かえる事を」
「なぜ?」
「わからないかい?」
 ネフィリムの笑みは、ミラノにも読み解けなかった。それでも、相手のペースに飲まれないよう少し間を空けて、素直に言う。
「わからないわ」
「召喚主であるパールはもちろん、私もシュナも、君を傍に置いておきたい」
 ミラノはネフィリムから視線を外し、体ごとテーブルへ向けた。テーブルの端でちょこんと手を組んだ。その指を見つめる。
 ──ミスリード?
 そうしてゆっくりと口を開く。
「……そんな理由で私は、今までの人生を断つ事は出来ません。かえれる可能性があるのならば、諦めるわけにはいかない」
 ネフィリムは背を反らして腕を組むと、息を吐いた。
「どうして?」
 首だけ動かしてミラノはネフィリムを見上げ、問い返す。
「どうして?」
 声音は淡々と落ち着きを保ったままだ。
「私はこれまで、自分の意思で生きてきた。自分の世界を。それを外野から今までの努力を潰されるのはまっぴらだわ。ここでも頑張れば良いのはわかる。けれど、元の世界に私は、沢山の事を中途半端にして、多くの事を置きっぱなしにしてきている」
 ミラノは一度言葉を区切り、ごく小さく頭を左右に振った。
「私は、責任を果たしていないの。それは、何より自分で許しがたいわ」
 ゆったりとさえした所作ながら、ミラノは強く言い切った。かえりたい、己の責任を全うし、自分自身を貫きたい。
 その様子に、ネフィリムは笑みを浮かべた。
「ミラノらしいね」
「今度は笑ってごまかすの?」
 呆れるように言ってミラノは視線を外した。
「わかるかい?」
 ネフィリムは表情を消すと、ミラノの瞳を覗き込む。
「ええ……」
 ミラノも蒼い瞳を見つめ返す。お互いが腹の探り合いをしている。
「…………」
 ネフィリムはミラノを試すように、何も言わない。
「……そう……そっち?……私は……“死んでいる”方に、手遅れなのね」
 ネフィリムは目を細めた。
 かえれる、かえれないではなく、生きているか死んでいるか。
 ──もう、察してしまった。
 ミラノの声音は沈む事もなく淡々として、受け入れている。仕方ないわね、と、ネフィリムにはそう聞こえた。
 ミラノは椅子から降りるとネフィリムに背を向け、踵をしっかりと付けながらゆっくりと歩いた。ソファに左手を置き、止まる。場の空気は、ミラノが全て持って行った。
 きしりと音をたてそうな空気を、ネフィリムは感じた。あの背中が、ちくりと痛い。それで、慌てて口を開く。
「あくまで仮定だ。魂や霊の状態には死んでなるもの、だからその可能性がある、というだけ。ミラノは、他のどの召喚霊や獣とも違う。そこには確かに可能性がある、生きている方の……!」
 ネフィリムの声は力強かった。
 しかし、だから、ミラノの膝がカクリと落ちた。左手をソファに置いたまましゃがみこみ、右手で顔を覆っている。絶望は立つ力さえあっさりと奪う。
 ネフィリムは驚き駆け寄る。瞬間で、自分は今何を言ったと考え抜く。何が彼女を追い詰めた? つい先程まで、彼女の声は淡々と落ち着いたままだった。だが、耐えていた? ギリギリを。
 隣にしゃがみ込むと、ミラノが小さな声でぽつりと言う。
「やめて……」
 明らかに弱い立場だった彼女を、泰然としているものだからつい……申し訳無い気持ちがネフィリムの胸を占めた。だから、そっと膝を寄せ、腕を伸ばした。
「……」
 ネフィリムはソファにのこる左手をそろりと降ろして、ミラノを自分の胸に抱き寄せた。
 すぐに、腕の中からミラノの声がする。
「……パールみたいね」
 今朝の、ユニコーンの墓の前での事を言っているのだろう。
「残念だな、そう思われるなんて」
 本当は、少しほっとした。
 ミラノが言葉を続ける。まるで、こちらの心根を読んでいるかのように。
「……平気よ……泣いたりとか、しないから」
 下を向いたままのミラノの声は、相変わらず感情が消されている。
「ただちょっと、きついわね。受け止めるには。少し疲れたのかもしれません、休みます」
 ミラノは降ろされた左手をネフィリムの胸にそっと、当てた。右手は自分の肩とネフィリムの胸に挟まっている。
 どのような答えが返ってこようが耐えられる、ミラノはそう思っていた。なのにストレスは想定以上に大きかった。慌て混乱する事も、泣き叫ぶ事も、逃げ出す事もしないでいるのは、心がとても疲れるのだ。常日頃から心掛け、慣れているミラノでも。ぎりぎりの状態で居れば、均衡は簡単に崩れてしまう。ミラノは、それでもと眉間の皺を意識して解いていく。
 そしてネフィリムの胸を押し、体を離そうとする。が、ネフィリムは逆に引き寄せた。
「…………」
「頼ってくれて、構わない」
 ネフィリムはミラノの頭に顎を寄せた。
 ──やはりミラノは受け止めようとしている。召喚獣ならば、既に“死んでいる”という可能性を。亡きものであると。
「誤解をしたりは、しないから」
 ミラノの気持ちが自分に向いているかどうかといった誤解を指している。
「いいえ……私には出来ないし、必要ないわ。諦めるつもりはまだ無いけれど……私はちゃんと、現実を受け入れられる……」
 どんな事実があっても、振り回されるものかと、ミラノは思う。思い努める事と、出来るかどうかは別だが。
「覚悟、できる」
 どこか言い聞かせるような響きを含んでいる。
 ネフィリムは回した腕に力を込めた。
 ──……母は、死を覚悟していた。それと同じように、ミラノも死んだものとしての覚悟を、決めようとしている。どちらも、強く……見る者にとって、なんと痛々しい。
 ネフィリムは自分を置き換えて考える。生きた人間だと思っていた、それが突然、死んでいるかもしれない存在だと知らされる。見も知らぬ世界で。どれほど心細い事かと、思う。だがミラノは、それら一切を見せまいとする。
 ふっとミラノの押す力が緩んだ。
 ネフィリムも力を抜く。少しだけ距離が開いて、顔を見合わせられるようになった。だがミラノは顔を下へ向けたまま。ネフィリムは覗き込む。伏せた瞼の下の黒の瞳は、相変わらず感情が見えない。もう、隠しているのだと、わかる。
「……私では、頼りにならない?」
「……ずるい聞き方をするのね」
 ミラノは口元に笑みを浮かべ、ネフィリムを見上げた。
 ここで笑ってみせるミラノも人の事を言えない。ネフィリムは両手を離し、肩まで持ち上げる。お手上げのポーズだ。
「ばれているんだね。ミラノは、やっぱり私と似ている」
 微笑み、そっとミラノの頬に触れるネフィリム。ミラノは視線だけでその手を追った。
「本気に、なってしまいそうだ」
 ゆっくりとミラノはネフィリムを見上げた。笑みは消えている。
 いつも通りの淡々とした声音で言う。
「ならないわ、あなたは。シュナヴィッツさんの事も、私が召喚獣である事も、あなたの頭の中では計算されているから」
 ネフィリムはあっさり手を下ろし、緩やかに、吹き出すように笑った。
「やはり、と思う。思うからこそ……。そろそろ危ないな。シュナの事も、君が何であるかも、飛びそうだ」
「飛ばないわよ。飛んだとしても、自分で潰すわ。あなたが、私と似ているのなら」
「そういう牽制をするのかい? 図星だから、困ってしまうね」
 そう言ってネフィリムは目を細めて微笑み、ミラノも頬を緩めた。
 本心を、それぞれ隠す為に──。
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