召喚士の嗜み【本編完結】

江村朋恵

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【3rd】BECOME HAPPY!

パール姫の冒険III

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(1)
 モンスターの大部分が消え去ると、人々の頭上で大きく力を振るって見せた“神の使い”は空気に溶けるようにかき消えた。
 巨城エストルクの城前広場に避難していた民にもそれははっきりと見えており、人々は“神に守護されし国・ガミカ”と連呼し、安堵と共に歌い、手を取り合って歓声を上げた。
 “七大天使”のアザゼルとイスラフィルの姿が消えると、レザードはミラノを隠すために召喚していた巨大なコカトリスを還した。エステリオがパールフェリカを負ぶり、4人はすぐ城内に戻った。
 それから1時間余りぐったりとしていたパールフェリカはしかし、腹が減ったと訴え、さっさと昼食をかきこんだのだ。そのパールフェリカの耳にも、歓声は届いた。
 “人”型でも相変わらず腹の減らないミラノは、侍女サリアに裁縫道具を借りていた。“みーちゃん”の足の裏の糸をぷちんぷちんと丁寧に解き、ピコピコクッションを取り除いて、再び念入りに縫い合わせていく。その縫い目は歪み無く、丁寧だ。
 レザードはミラノの護衛についたままで、エステリオ同様パールフェリカの部屋の入り口付近に居る。時折、別の騎士が訪れてはレザードと何か話していた。今頃は、ネフィリムもシュナヴィッツも、今回の謎のモンスター襲撃の後処理で駆け回っているのだろう。
 昼食後、パールフェリカはベッドは嫌と言って、ソファで休んでいる。ミラノはパールフェリカに自分を“うさぎのぬいぐるみ”に戻してちゃんと休んで欲しいと訴えたが、「平気!」の一言。その後はこの話題に触れない。ミラノは溜め息を堪えつつ、“みーちゃん”のぴこぴこ外しを続けている。
 片足のクッションが取れ、縫い終わった頃。
「ミラノ、縫い物できるの?」
「人並み──いえ……縫うだけ、程度なら」
 言いかけて、人並み程度にはという言葉を飲み込んだ。中学生の頃に家庭科で習った『パジャマ1着作る程度の裁縫』なら一通り覚えているが、こちらの“人並み”などわからないし、身の回りの事は全て侍女のするパールフェリカに伝わる気がしなかった。
「へぇ~! 私出来ないから、すごいって思うわ!」
 パールフェリカは寝転がって肘置きに置いていた頭を持ち上げ、上半身を起こした。体ごとミラノの方を向いてくる。ミラノは手元を見たまま答える。
「兄弟が多かったから、自分の事は自分で、と教えられていたわ」
 ボタンが取れかかれば自分で、ブラウスの袖がほつけかかっていたなら自分で。下の兄弟が幼い内はミラノがその分してやる事も多かった。体操着のゼッケン付けや雑巾の準備などは、小学生高学年の頃から当たり前のように、自分でするよう躾けられた。
「何人? 兄弟」
 ソファの上を膝で移動して、パールフェリカはミラノの真横ぴったりまで近寄った。ミラノは小さい声で「針に気をつけてね」と言い、パールフェリカは「うん」と頷いた。
「4人──今は弟と妹が1人ずつ。あまり会っていませんが」
「会ってないの?」
「実家に帰っていませんから」
 一番下の弟となら、外で会う事がある。
「へぇ~……? あれ? 今は?」
「8年前に、事故で兄が亡くなりました」
「そっか……ごめんなさい?」
 ミラノの声音は平坦なまま変わらない。
「いいえ。もう、昔の事です」
「そっか! ……なんか、ふしぎ? だよね? また会えるって、いつまでも、思っちゃうっていうか」
 母を亡くして、肖像画でしか知らないながら、パールフェリカは人伝に聞きながら思う。ずっといつでも、会えるような気がしてしまう。もう死んでいないのに、まだどこかに居るような──すぐ会えるような、でもやっぱりもう会えないのだと、ちゃんとわかっている。
 ミラノは“みーちゃん”の足を持つ手を膝の上に降ろし、針をテーブルの上に置いてある針山に戻して、パールフェリカを見る。
「──そうね」
「でもそっか。4人兄弟? 私より多い!」
 にこっと笑みを浮かべた顔を突き出してくるパールフェリカの頭を、ミラノはふと、二度撫でた。
「私の妹は、ずいぶんとひねくれていました」
 すぐに手を下ろす。兄弟が居ない、という人よりはましだろうが、正直慣れない。それでも撫でてしまったのは、パールフェリカの持つオーラのせい。ミラノはそう思った。
「パールは、素直で良い子ね」
 微笑んで言うミラノに、パールフェリカはさらに笑顔を輝かせ、照れたように口角をにへーと上げる。
「え? えへへ? 褒められてる??」
「褒めています」
 満面の笑みをしっかりと見せてから、パールフェリカはミラノに抱きついた。
 ミラノは、妹とは仲が良くなかった。
 同性に嫌われる体質だからって、妹までが同じ態度で出るとは、思わなかったから。
『──お姉ちゃんって、サイアク!』
 ……妹の連れてきた彼氏がミラノに見とれたとか、その後も色々あった。もちろんミラノはその彼氏とやらも全力で振ったのだが、妹と和解は出来なかった。仕方が無いと、ミラノは思っている。ひねくれるというよりも、憎まれていた。妹の“彼氏”とは常々遭遇しないようにはしていたが、毎度同じ結果では、仕方が無い、と。妹はミラノを憎むしか無かったろうし、ミラノはただその“否定”を受け止めるしかなかった。妹の男を見る目をちょっとは疑ったりもしたが、ミラノが大学進学と共に家を出てからはイライラしがちだった性格も落ち着いたらしい。
 もう二度と会えないのだろうかと、考えは少し沈む。
 ──あの子は、23になってるわね、大人になってるのでしょうね。打ち解ける事が出来る年かもしれない。だけど、会えなければ、かえれなければ、何もかも、意味が無い。
 ミラノはパールフェリカの重みと体温を左半身に感じながら、空いていた右手で、その頭をまた撫でてやったのだった。
 しばらくパールフェリカとミラノは、とりとめのない会話を続けた。パールフェリカが身振り手振りで話し、裁縫を続けるミラノが相槌を打つ。そんな穏やかな時間。
 だが例の如く、話がしばらく続くとパールフェリカは「ちょっと待ってて!」と唐突に言い、ソファの背もたれをひょいと飛び越えて部屋を出ていく──元気になったらしい。その後をやはりいつものようにエステリオが追いかけた。
 レザードは残った。
 ミラノは口元に笑みを浮かべた後、“みーちゃん”の足の裏の縫い付けにかかろうとした時、衛兵が慌てて室内へ入って来た。大国プロフェイブ第一位王位継承者エルトアニティが訪ねて来た、と言うのだ。
 ネフィリムの部屋ならまだしも、パールフェリカの部屋に他国の賓客が訪れる事は年に1度あるか無いか、だとか。うろたえているようだ。
 この世界の通例も礼儀作法も知らない自分の方が困ってしまうのだが、ミラノはやれやれと内心呟き、その衛兵に言うしか無い。何せその衛兵も、レザードを含め侍女らも、ミラノをひたりと見ていて、明らかに指示を待っているのだから。
「パールは不在よ、そのように伝えて」
「──いえ、その」
 言いよどむ衛兵の背に、扉がこつりと当たる。衛兵は慌てて開きかける扉を振り返った。
「──失礼、ミラノはいるかな?」
 ──……本当に失礼ね。
 ミラノは呟きたい言葉を飲み込んだ。
 豊かな赤毛に眉目秀麗な大国王子が、ひょっこりと顔を出した。



(2)
 パールフェリカが居なくなったのを、はかったかのように現れたエルトアニティ。視線を逸らし、ミラノはソファから立ち上がると部屋の中央まで歩み出た。
 衛兵から侍女、レザードも敬礼をしている。相手は、隣国の第一位王位継承者だ。下手な挙動は許されない。
 ミラノも、パールフェリカらに迷惑だけは掛けないようにと、心を戒めた。
「先程は大変失礼な事をしてしまったと、私も反省をしたのです」
 エルトアニティはそう言ってミラノの一歩前まで近付いて来た。そして、そっとミラノの左手を取ると、さらりと光るものを置いた。
 それは、ペンダントにダイアモンドの入ったネックレス。
「今はこれしか無くて──申し訳ない」
 きっとミラノが今付けているものを見て選んだのではないだろうか。とてもシンプルだ。
 シンプルなデザイン程、ダイアモンドそのもののグレードは求められる、その程度の事ならミラノも知っている。
 大国の王子が持って来るのならば、それなり以上に高価なものと考えられた。が、ミラノは実際に自分で買った事が無いので、パールフェリカにジャラジャラとぶら下げられたアクセサリ同様、確かな価値はわからなかった。もちろん、この世界での価値も。しかし、この短時間で用意してきた辺り、常に準備だけはしてあるのかもしれないなどと、猜疑してしまう。
 ミラノは広げたままの左手を押し返す。
「受け取れません」
「召喚するものがものだけに、クーニッド産のものがやはり良いのかな?」
 触れるか触れないかの距離で、エルトアニティはミラノのネックレスを、手の平を上にした指3本で示した。彼も、動作の一つ一つが高雅だ。
 ミラノが今身につけているものは、クーニッド産の水晶がはめられたものだ。これをひっつかんだのは、ほんの偶然。吐き出したい溜め息を堪える為、視線を逸らし床に移した。
 エルトアニティは沈黙するミラノを見下ろした後、ソファの上のぬいぐるみに気付く。テーブルには蓋の開いた裁縫箱。針山には糸の伸びた針が刺さっており、はさみの取っ手が箱の淵にはみ出している。たった今まで使用していましたというのがありありと見える。
 エルトアニティはミラノを回りこんでソファの近くへ歩み寄る。それを、ミラノも目で追った。
「縫い物を?」
「……ええ」
「ぬいぐるみですか、これはまた可愛らしい趣味をお持ちだ」
 ネフィリムの言っていた言葉──パールの召喚獣を知られたくない──を思い出す。召喚術を使っているところは見られたが、それがまさか“召喚士”ではなく“パールフェリカの召喚獣”であるとは、簡単に結び付けないだろう。何せ、誰もミラノが召喚獣か召喚霊か、はっきりとわからない上、外見や言動は人間と一切違わないのだから。
 当然と言えば当然で、ミラノもただ生まれた世界が違うだけで、自分の事を間違い無く人間だと思っている。
 ミラノは、下手なヒントを与えてしまわぬ内に適当にあしらって、帰ってもらうつもりだ。
「──なぜ、ガミカに?」
 エルトアニティの問いに、ミラノは体ごとそちらへ向ける。
「なぜ?」
「あれほどの召喚術を使えるのならば、プロフェイブに来られてはいかがか。私の権限の範囲内であるならば、王太子妃並の待遇でお迎えできるのだが」
 ──引き抜き、というやつか。
「不要です」
「ん?」
 想定外の返事であったのか、それとも単に聞き取れなかったのか、エルトアニティは目を細め、首を傾けた。
「ですから、その話を私へ持ちかけるのは不要だと、申し上げています。私は、パールフェリカ姫のお傍を離れるつもりはありません」
 いずれ自分の世界へかえるつもりではあるが、込み入った事情を話してやるほどミラノは親切ではない、本質的には面倒臭がり屋である。面倒臭がりだからこそ、後から面倒にならないようにと根を張る事は、忘れない。
「パールフェリカ姫とは、どのようなご関係かな?」
 自分でボロを出すわけにもいかない。帰ってもらえたら何でもいいが、語弊のない程度に答えておこうと、ミラノは表情を変える事無く決める。
「パールフェリカ姫は、私の主です。私を動かしたいのであれば、パールフェリカ姫にどうぞ。私は今、姫の願いでここに居ます」
 既に、パールフェリカの意思は示されている。先程訓練場でパールフェリカはきっぱりと言い放った。誰にも渡さない、と。その事は、両者の頭にちゃんと刻まれている。それをわかった上で、ミラノは告げた。これで、ネフィリム、パールフェリカ、ミラノ本人から完全拒否の姿勢を示した事になる。彼も一々再確認には走らないだろう。面倒を、後々残さない、ミラノの行動基準の一つだ。
 エルトアニティの表情が、初めて冷え込む。鋭く見下ろしてくる。が、ミラノの淡々とした黒い瞳が揺れる事は微塵も無い。
 睨み程度の脅しに屈する理由は一切無い。ただ、見るだけでいい。
「…………」 
「なるほど。貴女のおっしゃりたい事、把握しましたよ」
 エルトアニティがそっと、ミラノの頬に手を伸ばしかけた時、すぐ横でかしゃりと小さな音がする。レザードが動き、その鞘と鎧の擦れた音だ。それは、ここに居るぞという意思表示でもあった。ネフィリムから、エルトアニティの口付け未遂を聞いていたのかもしれない。
 1歩の距離で向かい合うエルトアニティとミラノ。その両者から2歩の距離まで近寄ったレザード。
 エルトアニティは伸ばしかけた手をそのままに、レザードへ顔を向けた。不機嫌に片眉を上げて言う。
「見た事があるな。ネフィリム王子の、護衛か──」
 レザードは柔らかい物腰で、ゆっくりと賓客に対する敬礼をしてみせる。
 ぎゃんぎゃんとよく喋る妹のアンジェリカ姫が、ガミカでネフィリムの妃候補として扱われていた頃。ネフィリムがレザードをエスコート役につけてくれたと言っていた事を、エルトアニティは思い出した。
 聞くべき内容を間違えたな、と視線をレザードから移し、エルトアニティはネックレスを乗せたままのミラノの手をそっとくるみ、両手で握った。
 ──パールフェリカ姫と、ではなく、ネフィリム王子との関係を聞くべきであった。
 そして、ミラノにだけ聞こえるように、囁く。
「受け取っておいてください。他意はありません。私はこれでも大国プロフェイブの次期王位継承者です。面目を、守らせて欲しい」
 エルトアニティはそう言って、近い距離でミラノと目を合わせて来た。
 このパールフェリカの部屋では侍女らの目もある。サリアと同じ侍女服の者が2名、こっそりとこちらを覗いて聞き耳を立てている。
 面目など糞食らえと思わなくもないが、相手は大国王子様という事、断ってパールフェリカらに何かあっては困ると、ミラノは承諾する事にする。
「あとで、お返しする事になりますが?」
「それはご自由に」
 エルトアニティはにっこりと微笑んだ。
 彼は、本人の言うとおり大国の王子である自信からか、華やかで快活な雰囲気を纏っている。顔立ちもはっきりとしていて、妹のアンジェリカ姫同様、美しい。
 だがその微笑が、薄ら笑いに見えて仕方無かった。
 ──贈り物……恋情のようなものは、この人からは感じられない。狙いは“七大天使”を召喚する者……。
 プロフェイブに連れ帰るやら、口付け未遂やら、この贈り物という、突然すぎる行為の数々で真意を隠してはいるが、結論は間違いなさそうだ。そういった疑心を顔に出さず、ミラノは部屋を去っていくエルトアニティの背を見送った。



(3)
 パールフェリカは、謎の敵モンスター襲来よりも、さらに訓練場での兄弟らの組み手観戦のよりも前、クーニッドのネックレスについて贈ってくれた相手へ、その詳細を聞きに行く途中だった事を思い出し、部屋を飛び出した。再び東の塔へ走っていた。
 3階渡り廊下へ差し掛かると、ゆるゆると足を止めた。
 ミラノを“人”のままにして、彼女の“七大天使”召喚によって力を奪われるのに耐え、回復するまでぐったりとしていたパールフェリカだったが、元気を取り戻した今、表へ出てきて敵襲来収束後の城下街を、初めて見ている。
 駆けて手すりに張り付いた。
 日頃の日常生活の煙なら、糸のような白いものなのに、今は、城下町のあちこちから黒色の煙が、もくもくと巨大な塊で立ち昇っている。まだ、消えていない火があるのかもしれない。
 太陽は中天をとうに過ぎて、昼から夕暮れまでを折り返した。
 民の避難場所となっていた城前広場に、比較的近い回廊まで来た事もあって、耳を澄ませばまだ歌や歓声が聞こえてくる。被害がありはしたものの、敵を打ち倒した“天使”に、街の人々は浮かれているらしい。
「──リディは……みんなは無事かしら?」
 ぽつりと言った言葉は、追いかけて来ていたエステリオの耳に入る。
「無事に決まっています。姫様はリディクディを何だとお思いですか。ガミカのすべての騎士達の憧れである近衛騎士の、その精鋭たる騎士が大命を拝して、姫様やシュナヴィッツ殿下、ネフィリム殿下をお護りする護衛騎士となるのです。無事で無ければリディクディなどクビです」
 きっぱりと言い放つエステリオの言葉に、パールフェリカはふふふっと笑った。身近な人が怪我をしたり、危険な目にあうのはとても怖いし、不安だ。エステリオはそれを和らげようと大袈裟に言ってくれている。それがわかるから、パールフェリカは笑った。
「そうよね……うん! そうだ! クビだ!!」
 そう言って駆け出そうとした時、声が聞こえた。階下からだ。声は複数あって、男女混じっている。

 ──まさか“七大天使”に護られるとは思いもよらなかったですね。
 ──いったいどなたの召喚術なのでしょう?
 ──パール姫?
 ──いやいや、あの年であれ程の力をば召喚したものに振るわせる事はまず出来ないでしょう。
 ──もし“七大天使”などという伝説級の召喚術であったらば、とっくにお披露目されているでしょう! ねぇ?
 ──もしやワイバーン襲撃やリヴァイアサン襲来の際も……?
 ──……そういえば今朝、ネフィリム殿下とシュナヴィッツ殿下が見かけない女性を連れてらっしゃいましたね。
 ──あ、それは私も見ましたよ。
 ──あの方、でしょうか。
 ──王子殿下お2人ともが傍に置かれるとは……きっとそうですね。
 ──いやはや、お会いしたならばお礼申し上げねば。
 ──お名前もちゃんと伺っておかなければ!
 ──どなたか、シュナヴィッツ殿下か、パール姫か。どのような方であるか伺わないと……殿下とお会いする予定の者はいないだろうか。
 ──今日は難しいでしょう、王子殿下お2人は目の回るような忙しさでしょうね。パール姫ならばお暇でしょうが……元々式典などでなくば、人前にはお出にならない。
 ──パール姫と言えば、シルクリティ王妃にますます面影が似てこられましたな。
 ──そうか! シルクリティ様だ。私の記憶が確かなら、あの方、シルクリティ様のお召し物を……。

 パールフェリカはぱんっと手すりを弾くように打って、その場を足早に走り去った。
 とても、聞きたくない事を、聞いた気がした。
 ──考えたくない。
 走りながら、パールフェリカは自分の頬を二度程パシパシと叩いた。
 そうして結構な時間走リ回ったパールフェリカは、東の塔へと向かっていたはずなのに、いつの間にか城内に戻っていた。あちこち随分と無駄に走ったらしい。
 エステリオが女性でありながら近衛騎士の精鋭の一人として、なぜ護衛騎士に選ばれたかと言えば、パールフェリカが幼く同性が良いだろうという判断と、その足の速さであった。護衛たる者、護衛対象から片時も離れず侍るべき、という理由だ。
 パールフェリカは小柄な割に、足が速い。泳ぐのも速い。小回りがきく上、本人もどこへ向かっているのかわかっていないところがあって、行き先の予測もつかない。幼い頃からはちきれんばかりの元気を爆発させていた。──だからこそ、幼いシュナヴィッツに母の命を奪ったと、密かに思われもしたのだが。だからこそ、前代未聞の召喚術の力の源と、なり得ているのだが。
 現状、あちこち角を曲がってやって来たパールフェリカの背後に、エステリオの姿はまだ無い。
 走っている最中、ここからなら近いという理由で、先程噂話にあがっていた兄、ネフィリムの様子を見てみようと好奇心が働いた。もちろん、本来の目的はすっかり忘れ去っている。
 しばらくして、パールフェリカの目の前にネフィリムの私室が見えた。
 衛兵がこちらに気付くが、パールフェリカが“にこぉっ”と笑みを見せると、衛兵も“にへらっ”と笑ってお咎め一切無しである。
 その隙に扉を少しだけ開く。
 無事かな? 怪我してないかな? そんな軽い気持ちだった。
 だが、飛び込んできた内容は、驚き以外の何ものでも無かった。
「パールとキリトアーノ王子を婚約させたい?」
 それは、ネフィリムの声だった。
 目を見開いて、パールフェリカは扉の隙間から覗き込む。
 ──婚約? 婚約?? 婚約!? え? 何?? こんやくって何??
 パールフェリカはかろうじて、両手で口をぎゅむっと押さえ込んだ。
 室内にはネフィリムと、大国プロフェイブの赤毛のエルトアニティ王子が居る。彼はミラノと会った後すぐ、ここへ向かったのだ。
「そう。私では年が離れすぎているというのがネックだったが、キリトなら18。問題もないでしょう」
 2人とも窓の方へ体を向けて、立ったまま話している。こちらには気付いていないようだ。
 ネフィリムの控えめな笑い声が聞こえた。それは、パールフェリカがいつも聞いているようなものではない。作った声だと、すぐにわかった。聞き慣れない笑い声では、どういう意味か量る事が出来ない。
「パールフェリカには、望む相手を選ばせるつもりでいます」
 ネフィリムのはっきりした口調に、パールフェリカは小さな小さな声で「にいさま」と呟いた。
 心底、ほっとした。いきなり婚約などと聞こえてきたから、余計に今聞こえた言葉に肩の力が抜けた。
 ネフィリムは、エルトアニティをまっすぐと見ている。
 モンスター襲来があったにも関わらず、ぐったりしていた自分と比べ、疲れた様子も見えなかった。瞳には強い意思がある。
 王族に生まれた以上、諦めるべき自由は沢山ある。
 ネフィリムはそれでも、自分の手でどうにかなる部分では、弟達には好きにさせてやりたいと思っている。それは父王にも告げており、了承を得ている。王もまた、ネフィリムを含み、子供らの幸せを心から願っているのだから。
 既に、エルトアニティがこちらへ来る寸前ではあったが、レザードの使いから、ミラノの召喚術をエルトアニティに見られた事、彼がミラノを直接訪ね、贈り物をしていった事を、ネフィリムは聞いている。
 どうせパールフェリカの婚約に関しては、ラナマルカ王からも同じ返事をされているのだろう。黙するエルトアニティに、ネフィリムは切り出す。
「そんなに、ミラノが欲しいですか? エルトアニティ王子。“天使”の召喚を見ているあなたが、黙っているはずはないと考えていた。案の定、すぐに来られたが」
 両者ともに表情が無くなる。あってもネフィリムのそれら全て、パールフェリカには本物に見えなかった。作り物だ。声も、怖い。そんな兄を、パールフェリカは初めて見た。
「……ご理解頂けているのなら、話は早い。ミラノはパールフェリカ姫のものと聞いていたのでこのお話をさせてもらったのは確か。仕方がない。ミラノ本人に直接かけあうが。良いのかな? ……パールフェリカ姫が、悲しむ結果になるぞ? ガミカが、プロフェイブに勝てると思うかな? 賢明なるネフィリム王子」
 ネフィリムは静かに、隠すように微笑む──エルトアニティは、パールフェリカからミラノを引き離せると思っている。ミラノがエルトアニティ王子になびいたとしても、彼女は召喚獣。その絆は“神の力”の領域だ、大国王子程度に絶つ事は出来ない。ミラノが召喚獣であると思わず、勘違いしてくれているなら、まだそちらの方がありがたい。
「ミラノはガミカのもの。止める気はありませんが……全力で邪魔をさせてもらいますよ? エルトアニティ王子。あなたの、諦めがつくまで」
 パールフェリカは、王子2人をじっと見つめている。
 ──エルトアニティ王子様ったら、ミラノをまだ諦めてなかったのね。
 その程度で聞いていたパールフェリカだったが、次第に心の内がもやもやとして、スッキリしない事に気付く。
 廊下の向こうから足音が聞こえ、ちらりと見ると、エステリオが駆けてくる。
 パールフェリカは扉をそっと閉めた。
「ミラノ、ミラノって……何よ」
 エステリオが到着する前に、ぼそぼそと呟く。
「……私が……ついでみたい……ミラノをプロフェイブに行かせる為の私の婚約って事? 何それ……」
 扉の前からそっと離れたパールフェリカの元に、エステリオが追いついた。
「姫様……? どうかなさいましたか?」
 半眼で不機嫌な様子の主にエステリオは声をかけたが、返事は得られなかった。パールフェリカはむすっと先を歩き始めたのだった。
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