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【Last】Summoner’s Tast
パール姫の冒険IV
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(1)
「ふっふっふ~ん」
鼻歌交じりのスキップで、パールフェリカは廊下を駆けた。その後ろを早歩きのエステリオがついて来る。
召喚士ミラノのお披露目が終わると、彼女はネフィリムに先導され、玉座の裏、王の執務室へと消えた。
パールフェリカの方は、部屋で大人しくしているよう、父王に命令された。何でも、ドラゴンの集団がじわじわ王都へ迫っているそうで。
ミラノが本格的にその力を示すなら、横にパールフェリカが居るのはまずい。何せ、ミラノが力を使う度にパールフェリカの顔色は青ざめて、果てはぶっ倒れてしまうのだから。ミラノを“召喚士”として仕立て上げるなら、パールフェリカは最初から部屋で“寝ていろ”という事なのだ。
パールフェリカが訪れたのは、エルトアニティ王子とキリトアーノ王子が通されていた迎賓室。
重厚な両開きのドアの前に着いた時、ノックをする前に扉が開いた。
「おや、パールフェリカ姫ではありませんか」
昨日と違う服を着ているところを見ると、プロフェイブから持ってこさせたのだろう。ガミカには彼らの着るようなひらひらした服を売る商隊なんて、ほとんど来ない。
プロフェイブの者は、物の恵まれ、色彩豊かで派手な装いを好むが、常にモンスターとの戦いに隣り合わせのガミカは、地味、というより機能性重視の衣服が好まれる。女性でもスカートをはく事が稀なのは、そういった理由もある。
エルトアニティ王子の、やや垂れ目ではあるが男前の顔を見た途端、パールフェリカは用も忘れてミラノがされた事を思い出した。あの時はびっくりして真っ赤になってしまったが、一発グーで殴ってやりたい。それを胸の奥にしまい込んで、パールフェリカはにこっと微笑んだ。
「エルトアニティ王子様。キリトアーノ王子様。少しだけお話しても構いませんか?」
「…………どうぞ。ただし、こちらで立ち話でよろしいかな、姫」
「……立ち話……。お急ぎなのですか?」
「先程ネフィリム殿下が教えて下さいましてね。各地で種種の変化の兆しあり、と。私も、いつか国を背負う身ですからね。そろそろ我がプロフェイブに帰ります」
「変化の、兆し……?」
「聞いておられませんか。クーニッドで、水晶が輝きを放ち、地を割ったそうですよ」
「え?」
「ガミカだけの変化なら良いですが、クーニッドの大水晶は、創世の地。全ての召喚術の基盤。ワキンヤンも落ち着きが無い。裏付けるようについさっき、プロフェイブからも急使がありました。商業都市サンドラ、港湾都市シーク、交通網の要所エイビン盆地など、プロフェイブを支える重要各所において、地震や津波、交通路寸断などいくつもの被害が確認されています。私も自分の国に戻らなければ」
ワキンヤンとはエルトアニティの世に唯一の召喚獣、“雷帝”。これもとても大きな力を持っており、“炎帝”と同様、敵意や自然の変化にも過敏だ。世界的な天変地異が、発生しているという。
パールフェリカは口元に手を当て、首をひねってエルトアニティを見上げた。
「……ご存知、無いのですね。何しにこちらへいらっしゃったのかは、聞きません。大人しくラナマルカ王、あるいはネフィリム殿下の言う事を聞いておきなさい──若すぎる姫」
「…………」
パールフェリカは言葉を失う。若すぎる、と言った。幼いという言葉を言い換えているのだ。
エステリオが、背に張り付く近くに居る。エルトアニティ王子を警戒しているのだ。半テンポ、鼓動が早くなってしまう。
「わ、私はただ、エルトアニティ王子様は、ミラノの事を知りたいのかなぁと」
一度瞬きをして、エルトアニティはにまりと口角をくっきりと上げた。やけに顎が大きく見えて、パールフェリカは気持ち悪くなった。
「ええ、とても知りたいと思います。七大天使を召喚……あれは、わかりますか、パールフェリカ姫。つまり、神の御業なのですよ? もしクーニッドの変化が続くようなら、疑いたくもなるでしょう? 彼女が神の領域を侵犯し、その“怒り”に触れているかもしれない、と」
エルトアニティはパールフェリカを見下ろし、覗き込んでくる。ぱさりとその艶やかな紅い髪が一房、パールフェリカの肩に流れこんできた。彼の影が、怯えた顔に落ちる。
近い。
ごくりと唾を飲み込み、パールフェリカはその翠色の瞳を見返す。
「か、神様、怒ってるの?」
「ガミカの民が、この世界の“神”を怒らせたなら、それは悲しい事ですね」
エルトアニティ王子は爽やかな笑顔を浮かべつつ姿勢を戻すと、パールフェリカから離れた。
「どういう意味か、わかりません」
エルトアニティが先に部屋を出て、パールフェリカの前を通り過ぎていく。キリトアーノが正面を通りかけた時、パールフェリカは仁王立ちでエルトアニティの背を見上げた。彼は半身ひねってパールフェリカを見下ろす。
「ミラノは、あなたのものなのでしょう? 一体どこから、“神の怒り”に触れるような女を連れて来たのです? それを放置しているのです? 返答如何では、我がプロフェイブは200万の兵と100万の召喚騎兵と共に、ガミカを“神”に献上せねばならない」
「………………」
絶句し青ざめるパールフェリカの横を、きょとんとした表情でキリトアーノは通り過ぎた。
エルトアニティは、ぷっと吹き出すように笑った。
「いやはや、そんな悲しい顔をしないで下さい。せっかくの愛らしいお顔が台無しだ。例えです、例え」
パールフェリカは眉をハの字にしてエルトアニティを見上げる。エルトアニティは困ったように笑った。
「参りました。冗談ですよ、プロフェイブがガミカへ来るとしたら、“神”に抗する援軍として来ますから、そんな不安そうな顔をしないで下さい」
エルトアニティは数歩戻り、パールフェリカから一歩の距離で足を止めた。
「ジズを追い返したのは、ミラノの召喚術ですね?」
「……ええ」
「……そうですか。そのようにあまりにも強すぎる力を持っているのならば、彼女に伝えてあげてください。召喚の力は、無限ではありません。限界以上に使いすぎれば、疲弊した召喚士は“霊界”に魅せられ、強制的にトランス状態に引き込まれて死に至る。人を、国を護る為とはいえ、命まで投げ出すのはおやめなさいと」
「…………」
ミラノが力を使って消耗をするのは、パールフェリカの力だ。
パールフェリカはゆっくりと視線を降ろした。
──何度か、知らない内に“トランス”していた。
「パールフェリカ姫?」
──ならば、ミラノが力を使いすぎた時、死ぬのは、私?
「姫?」
「……はい」
パールフェリカは曖昧な笑顔をエルトアニティに向けた。彼はパールフェリカの頭をそっと、撫でると、憐れむような笑みを浮かべる。
「もう少し状況が読めるようになってから、自ら行動するようにした方が良いですよ、姫。無防備に表情を晒してしまうようなら、ね。あなたの友人、ミラノに習うと良いでしょう。あなたはまだ、子供だ」
そうして、エルトアニティはキリトアーノを伴って去った。
本当は、ネフィリムとシュナヴィッツ、そこにエルトアニティも加えてミラノをからかってやろうと……。何せミラノはエルトアニティから贈り物をもらうような女性なのだから、召喚獣なのに。
パールフェリカはプロフェイブの王子二人の背を見送りながら、両手をぎゅっと胸の前で組み合わせて、押し付けた。
階段の向こうに彼らが消えると、パールフェリカは自分の手を見下ろして、膝を付いた。
──泣きたくは、ない……。
こんなにも悔しい思いをしなくてはならないのは、何故?
(2)
──昼前の快晴。
まばらな薄い雲が瑠璃色の空に散らばっている。
山の頂点にある巨城エストルクから見下ろす、遠く続く森。
春の緑は柔らかく、暖かな陽光に煌きながらさわさわと揺れる。瑞々しい葉は光を照り返すが、そこに鳥や獣の姿は無い。既に、皆逃げ去っており、森は静まり返っている。また本来の美しい緑の景色も、昨日の“神の召喚獣”ジズによって一部は薙ぎ倒されている。
連日の事ではあるが、城下町の人々は再び城前広場へと避難を続けている。その顔に疲れや悲壮感は無い。また“七大天使”が、あの巨大な七色に輝く“魔法陣”が、助けてくれると信じている。ガミカには、“神の加護”があると。
エストルク上空には、既に飛翔召喚騎兵の姿がある。
白銀に輝く、太陽によって鏡のような鱗は一層光を放つ。神々しくも美しい巨大なドラゴン──ティアマトである。最大サイズで召喚されたそれの頭に、金の装飾がある紫の鎧で全身を覆ったシュナヴィッツが居る。ティアマトの攻撃パターンは豊富で、“神の召喚獣”が相手で無いなら、他のいかなるドラゴンであっても敵無しだ。ティアマトは優美にして巨大な翼を広げ、大空で滞空している。
その金色の瞳が見据えるのは、緑の葉の覆う山々の向こうから近付いて来る、黒い影。それは、急速に形を明らかにしつある。
ティアマトの左右には、獅子の頭を持つマンティコアに騎乗したブレゼノ、鷲の頭のグリフォンに騎乗したスティラードが居る。
マンティコアは唯一の、グリフォンも歴史上数体のみ確認された強力な召喚獣だ。
ティアマト程の大きさは無いが、どちらも召喚獣となる前、生存時には凶悪狂暴として世界中に名を知らしめたモンスターだ。
ブレゼノもスティラードも、厚い鎧に身を包んでいる。
さらに上空、全身が炎で出来た巨鳥フェニックスが、優雅にその翼を広げている。その隣に、音も無く風が吹いたかと思えば、爆雷とともに姿を見せる──怪鳥ワキンヤン。飴色の羽毛を撒き散らせながら羽ばたき、風を縫って突如現れた“雷帝”は、“炎帝”に並ぶ。どちらも騎乗する者は無いようだ。
“炎帝”が喉を上げて空を突き破るように高く大きく鳴けば、“雷帝”もそれに続いて咆哮を上げる。空に炎と雷の飛沫が弾け飛んだ。
地上を埋める騎馬や、その大きさの召喚獣に騎乗する兵から、鬨の声が高らかに上がる。遅れる事無く、空にある召喚騎兵らも、もちろんシュナヴィッツらも腕を掲げ、口を大きく縦に開き、声を上げ、さらにさらにと士気を鼓舞する。
東西に“炎帝”と“雷帝”が展開し、その下に飛翔召喚騎兵が続く。ティアマトは中央、ブレゼノは“炎帝”の下、“雷帝”の下にはスティラードがついて、それぞれ指揮をとる。
地上でも、森の草花を薙ぎ倒しながら召喚騎兵が駆け抜けた。
激突は、王都から南。
ミラノには、大自然の中への距離感が正確に働かない。ビル群ならば一つ何メートル程だろうから、一駅分で何百メートル、と推測の付け方もあるし、目立つ背の高い建物が見えればそこまでの距離を適当に測る事も出来るのだが。
3階バルコニーは、パールフェリカの生誕式典の折り、彼女が居た辺りだ。中に入れば、その後に貴族らにお披露目パーティが開かれた場所。実際には、パールフェリカの召喚獣はお披露目されなかったが。
ミラノは今、そこに居る。
まさか、今日になって“召喚士”としてお披露目されるとは思いもしなかった。
隣には、ネフィリムが前線を睨んで立っている。その向こうにラナマルカ王と大将軍クロードが居る。ミラノからすれば、重さで動けなくなるんじゃないかというような鎧に身を包んでいる。3人とも兜は脇に抱えている。
大将軍クロードはついさっき紹介されたばかりだ。やや脂っこい黒髪を後ろで一つに束ねている。陽に焼けて、今はいかにもという風な渋面をしている。挨拶をした際は、やけに眉尻を下げて笑顔を見せてくれた。どちらかというと、鼻の下の伸びたような顔ではあったが。その彼の周囲には、次々と膝を折って何やら報告しては去っていく将兵が後を絶たない。
ネフィリムとミラノの後ろには護衛騎士アルフォリスとレザードが居る。このバルコニー正面左右に、視界を遮らない程度、彼らの召喚獣赤《レッド》ヒポグリフとコカトリスが建物1軒分の大きさでどっしりと構えている。
前線に居る飛翔召喚獣の指揮はシュナヴィッツがとり、ネフィリムは父王の横に置かれた。その隣で、華々しくお披露目されてしまったミラノは、昨日パールフェリカに見立ててもらった紺色の衣服と、ジャラジャラしたアクセサリ着用で立っている。女性用の鎧でも与えられるのかと思えばこのままなのだから、よくわからない。
ネフィリムの横にがしゃがしゃと鎧を鳴らして現れた兵がある。報告をして、一言二言言葉を交わすと、さっさとどこかへ駆けて行った。
「父上、エルトアニティ王子が襲撃前に発つのが間に合わなかったとの事で、ワキンヤンによる援護を申し出てくれていますが」
「どこからだ」
「飛翔召喚獣通用門、護衛を送らせました」
「わかった」
その後もばたばたと人がやってきては何かと話しているが、ミラノの知らない名前が続々と出て来るので、早々にスルーを決めた。
背後には大きな机があり、この辺りを上空から見た地図が広げられていた。それにはちらりとだけ目をくれて、ミラノは置いてあった双眼鏡を手に取る。“うさぎのぬいぐるみ”の姿の時に手にした事があるものと同じだった。あの時程重さを感じない。
それにしてもと、ミラノは思い巡らす。
“うさぎのぬいぐるみ”であった時、じわじわと体が動きづらくなった。パールフェリカを追おうとして、部屋の真ん中に転がる事になった。レザードが来なければ、いつまで経っても放置された事だろう。パールフェリカにこうして“人”にしてもらうと、それまで通りで何の違和感も無いのだが。そのパールフェリカは、今頃自室に居るはずだ。
再びネフィリムの隣に立つと、双眼鏡を覗き込む。
丁度、“炎帝”と“雷帝”が大きく声を上げた瞬間だった。
それらの向こうに、黒い巨大な姿が多数見えた。
ここへ案内される前、ドラゴンが王都に迫っているという話は聞かされた。それを追い返す為、ミラノは“召喚士”として人々の前に“人”の姿を見せるよう言われたのだが。
「…………多いですね」
ミラノは隣のネフィリムに言った。ドラゴンが来ていると聞いてはいたが、1体1体が巨大も巨大、ティアマト程ではないが、5階建てのビルはあるような気がする。それが100体以上だ。
「なんとかは、なるだろう。だが相変わらず私の“炎帝”も“雷帝”も大きくは動けない」
ミラノは、自分が“召喚士”として力を振るうという点について、不満がある。ミラノが使う力の源は、パールフェリカにある。自分の力ではない上、担ぎ上げられているのも気に食わない。自分が自分ではない状態へ追い込まれるのは、酷く気分が悪い。この国を護る為、士気を維持する為という理屈もわかる。パールフェリカが従っているので、ミラノは何も言わないが。
基本的に、ミラノは目立ちたくないのだ。変に目立つとろくな事が無い。
ミラノなりに、これからどうすべきかをざっくりと考えている。
悪目立ちしない為には、やはり王都は自分が護るべきではない。
「そうですか……一回、試したいのですが──」
ミラノが双眼鏡を下ろして隣のネフィリムを見上げる。会ったばかりの頃のように、好奇心にかられた蒼色の瞳と、目があう。彼の口元に、ニマリと笑みが浮かんだ。
背の高い木々さえ絨毯として、飛翔召喚獣が我先にと飛ぶ中、“炎帝”が翼をバサリと鳴らして先頭へと躍り出た。
灼熱の羽ばたきが兵らの視界を埋め、フェニックスはその首を巡らし、嘴を開く。その体長の5倍になる火炎を、敵ドラゴンの前方、木々に撒き散らした。
誰もが、森の焼かれる様を脳裏に閃かせたが、その瞬間、木々の上に七色の魔法陣が広がった。大きさは炎と同じ、人の作り出す魔法陣とはかけ離れ、あまりに巨大。その魔法陣が、敵ドラゴンをあぶりながらのすり抜けて来た炎を、丸ごと飲み込んだ。
魔法陣の下の木々には、相変わらず春の風が吹き込むだけだった。
次の瞬間、敵ドラゴンらの真下に七色の魔法陣が生まれ、そこから先程飲み込まれて消えたはずの炎が噴出した。
範囲の大きすぎる“炎帝”の攻撃は、周囲に被害をもたらしてしまう。それを、魔法陣は飲み込み、再度攻撃に転換、空に散らしたのだ。炎を、さながらこだまのように、敵を狙って返した。
双眼鏡を覗き込んで確認していたミラノは、それを下ろしてネフィリムを見上げる。
「これで、“炎帝”も“雷帝”も……ティアマトも大きく動けますか?」
「楽勝」
会心の笑みを浮かべ、ネフィリムは前線へ手を伸ばす。その手にあわせるように、双眼鏡からのぞくまでもない、“炎帝”が翼を、尾羽を大きく広げ、扇形で藍色の空に威容を示した。
(3)
迎賓室からとぼとぼと戻る間、エステリオは何も言わなかった。いつもそうだ。話しかけない限りは、答えない。お小言はすぐ出てくるくせに。
パールフェリカは自室に戻ると、ミラノの指定席──ソファの、窓に向かって右端──に置いてある“うさぎのぬいぐるみ”をぽいっとテーブルの上に放って、どさりと腰を下ろした。
はぁと一息ついてすぐ、もそもそと体を起こすと、テーブルの上の“うさぎのぬいぐるみ”に手を伸ばす。一番近い右足を握って引き寄せ、くるっと回して、頭を上に、顔はあちら向きでぎゅっと抱きしめつつ、またソファに身を沈めた。中途半端な胡坐をかいて、足の間に“みーちゃん”を押し込んだ。
「………………」
部屋のこちら側、扉の辺りにエステリオが控えているはずだ。
この部屋の寝室と反対側にある扉の先には、侍女サリアらの控えの間がある。そこに今も、サリアや他の侍女らが呼ばれるまで居るだろう。ひっそりと控え、細々した雑用をこなしているはず。
呼べば、誰でも来る。呼ばなければ、誰も来ない。
広い部屋に、パールフェリカは一人ぼっちだ。
あちらを向かせたままの“みーちゃん”の頬に、自分の頬をぐりっと当てて、肩をすぼめて抱きなおす。
天気も良ければ、春の陽光は暖かい。なのに、妙に寒い気がしてならない。
ふと、腹の中心から腰にかけて、すこんと力が抜ける。
「……あ……」
この感覚も何度目か。もう数えていない。
ミラノが何か召喚術を使ったのだ。パールフェリカの中の“召喚士の力”が、引っこ抜かれる。いくら考えてもわからない仕組みだと、パールフェリカは思う。召喚術のヘギンス先生は“召喚士の力”はつまり、“精神力”だと言った。その“ど根性”で、世界に満ちている“神の力”を引き出すのだと。それで何故、体力がごっそり抜け落ちるのかわからない。わからなくとも、力が抜けるのだから、考えても仕方が無いのだが。
息が上がるまで全力疾走した時のような、重い疲労感が全身を巡る。
ふぅと一息ついた時、窓の向こうがオレンジに光る。南側からだ。
パールフェリカは“みーちゃん”を放り出して駆け、窓にべたっと張り付いた。パールフェリカの部屋の窓からは、南を真っ直ぐは見れない。
それでも頬をペターと窓に貼り付け、パールフェリカは外を覗き見る。
「サリア、サリア!」
すぐに控えの間の扉が開いて、パールフェリカと年の近い侍女、サリアが姿を見せる。
「はい」
「双眼鏡!」
「すぐお持ちいたします」
すぐに、額をごりごりと窓にこすりつけているパールフェリカの手に、双眼鏡が渡された。3階バルコニーでミラノが使用していたものよりも小ぶりだ。パールフェリカ専用の、双眼鏡。
窓に張り付いて双眼鏡を目に当て、グルグル動く。一番見やすい場所に、パールフェリカは移動した。
見えたのは、兄ネフィリムのフェニックスが、大きく翼を誇示している瞬間だった。
黒光りする鱗は一枚一枚が大きい。
先日のワイバーンは、ドラゴン種とは呼ばれていない。ワイバーンは2本足と、腕として2枚の翼があって、その先に爪を持つ。
ドラゴンは4本足で、背に2枚の翼を持つ。腕と翼が分かれている種類を指す。
ドラゴン種と一括りに言うものは、ドラゴンと唯一のドラゴンらを指す。
繁殖によって増えたものがドラゴンと呼ばれる。色もまちまちではあるが、それらの持っている能力に大差はない。
唯一のドラゴンらにはティアマトのように固有名詞がある。特殊な能力や特徴があり、神によって直接創られたドラゴンが、唯一のドラゴンであり、これに繁殖能力は無い。
鮮やかな藍色の空に、敵ドラゴンの巨大な翼がいくつも大きく羽ばたいている。
フェニックスの火炎を、後ろへ下がりながら避けているようだ。音が届いていたら、耳も割れんばかりの轟音が聞こえた事だろう。
火炎と、翼が空気を打つ音と、ドラゴンの開かれた口から漏れているであろう絶叫で。
フェニックスの吐き出す巨大な炎は、ひとしきり猛威を振るうと、敵ドラゴンの硬質な鱗と太く鋭い爪の下辺り、瞬時に現れた七色に煌く魔法陣へ根こそぎ吸い込まれていく。
「……あれね……」
パールフェリカはぽつりと呟いた。
魔法陣は、“霊界”に繋がっている。
ドラゴンらの背後に現れたもう一枚の七色の巨大な魔法陣が、“霊界”を通り抜けてきた火炎を勢いよく吐き出す。空が炎に染まる度、パールフェリカの頬にもオレンジの光が落ちる。
背や翼を焼かれたドラゴン達が体勢を崩し、何体かが落下していく。空に姿勢を維持したものには、白銀の光が滑り込む。
「にいさま!」
シュナヴィッツの騎乗するティアマトだ。シュナヴィッツまでは見えないが、その唯一と言われる白銀の鱗はどれだけ遠くともわかる。
ティアマトは滑空して黒いドラゴンに足をひっかけ、そこを起点に角度を変え、一気に上昇する。掴んでいた敵ドラゴンを勢いのまま空へ放りあげ、そちらへ口を開いた。次の瞬間、吐き出された黒い煙を含んだ爆炎が、敵ドラゴンを襲う。元々黒かった敵ドラゴンを、炭に変えた。
横から近寄る敵を急降下で避けながら、鋭い爪でその尾と翼を乱暴に引っ掴み、振り回すように投げる。投げた先にはブレゼノの獅子頭のマンティコアが、獰猛な牙をむいている。
放られたドラゴンの背に、マンティコアは爪を突き立て取り付いた。バランスを崩し落下していくそのドラゴンの喉に、マンティコアは噛み付き、3度食いちぎった。動かなくなった敵ドラゴンから飛び立ち、マンティコアはすいと離れた。敵ドラゴンは、落下しながら、大気に溶けるように消滅した。
あちらこちらで敵ドラゴンのブレスが吹き荒れるも、逐一、七色の魔法陣がその大きさに合わせて現れ、飲み込む。消えた敵のブレスは、別の場所に居る敵ドラゴン1匹に、多量の七色の魔法陣から集中砲火として放たれた。
その度に、パールフェリカの目は霞む。軽く首を振って、なんとか双眼鏡を覗き込む。
“炎帝”フェニックスの巨大な火炎と、それを見て心得たのか、“雷帝”ワキンヤンの広範囲の落雷が100のドラゴンに降り注いで、次々と数を減らしていく。それらを避けても、バランスを崩して地面に落ちたり、あるいはティアマトらに叩き落とされたりしている。落下し、もがきながらもまだ動ける敵ドラゴンへは、地上の召喚騎兵が取り付いてとどめを刺している。
木の葉を撒き散らしながら翼を振り上げ、逃げようとしつつも空を見上げて潰《つい》える敵ドラゴン。断末魔とともに消えていく様が、何度もあった。
これまでに無い自軍召喚獣の暴れっぷりに、城前広場からは歓声が上がっている。七色に煌く魔法陣が空に現れる度、“神に守護されし国・ガミカ”と声が上がる。
襲撃されているというのに調子の良い事だと、パールフェリカは呆れる。それらは頭の隅に追いやって、窓に張り付き、呟く。
「……あれ、ドラゴンよね。だったら召喚獣……のはず。ミラノ、返還はしないのかしら……」
他人の召喚獣だろうが“神の召喚獣”だろうが勝手に還せるミラノがそうしないのは、何故だろうか。
「ミラノ、手柄を立てるつもり、無い……?」
ワイバーンの襲撃があった時も、ミラノは援護となるような召喚術ばかり使っていたと、パールフェリカは後で聞いた。今回だけではないので、それがミラノのやり方なのだろうかと、顎に手を当てた。
ふと、パールフェリカの力が抜けていく度、ミラノが召喚術を使う度に聞こえていた城前広場の歓声が、変化し始める。
フェニックスとワキンヤンが同時にその火炎と爆雷を放った瞬間、一気に展開した七色の魔法陣。
その時、一際大きな歓声が。
──召喚士ミラノ!
パールフェリカは耳を疑った。
双眼鏡を下ろして、窓に耳を当てた。その声は次第に大きくなる。はっきりと、歓声は彼女の名を叫ぶ。
──召喚士ミラノ! 召喚士ミラノ! ミラノ!!
パールフェリカの手から、双眼鏡が滑り落ちた。
3階バルコニーからは、城前広場がよく見える。数十万を超える民がみっちりと避難して来ている。城下町への、幅の広い降り坂にも人が溢れている。彼らにも、遠目ながらこの3階バルコニーは見えている。
比較的近くの人々が、バルコニーを見上げ、両手を掲げている。あちこちから喝采が聞こえてくる。確かに、前線は勝利ムードに違いない。
だが、上がる名がおかしい。
「…………」
城前広場の様子の変化に、目を見開いて驚くネフィリムの顔をちらりと見た後、ミラノはラナマルカ王を見た。
王はゆっくりとミラノを振り向き、見下ろした。はっきりとした蒼の瞳に迷いは無い。
「あなたは賢い女性《ひと》だ。だが、あの魔法陣はどうしたって目立ってしまう。私が、あなたの名を流すよう指示した。問題が、あるかな?」
少しだけ息を飲んで、ミラノは顎を下げ、ネフィリムを押しやって乗り出しかけていた体を、引っ込める。
「……いえ……」
そう言って、ミラノは目を逸らした。
──より効果的だ。
ミラノは下ろしていた左腕の肘辺りを、右手で掴んだ。人々の視線は3階バルコニーの、唯一鎧を着ていない女性であるミラノに、集まる。
それで、鎧を着せなかった。鎧が無いのが目印だった。それだけ“自信のある召喚士”である事を、演出するために。
ネフィリムはミラノを見るが、ミラノの表情は相変わらず読み取れない程に、無い。王のした事が、度重なる襲撃を受ける王都を護る為、人々の不安をコントロールする為に必要だったとわかる。
これだけの襲撃があるのに、人々は必ず敵を打ち倒せるという確信を抱いている。そうでなければ、このように割れんばかりの歓声が上がるはずがない。敵はまだ、居るというのに。
パールフェリカは窓をばしんと強く打った。分厚い窓は、緩い振動に一度揺れただけだ。
──あれは、私の力じゃないの! こんなに、こんなに体の力が抜けていくのに!
手に力を込めると、頭の芯がふらふらとしてくる。
──“私”が! “ミラノを召喚している”のよ!!
それは、口に出して言えない。
パールフェリカは唇を噛んだ。窓に映る自分の姿を見る。
苦痛に眉をゆがめている。眉間にはくっきりと皺を寄せている。
──これは誰よ!? なんで、こんな悔しい思いをしなくてはならないの!?
黒ずんだもやが、胸の中を占めていく。
──いやだ……ミラノ……!
その気持ちの名を、憎しみだなんて呼びたくない。大好きなの、消えてしまえだなんて、思いたくない。
──こんな感情なら、いらない。こんな自分なら、居ない方が良い!
全てを振り払って、パールフェリカはよろめきながら、それでもちらりと見た“うさぎのぬいぐるみ”を手に取り、寝室へと駆け込んだ。
「ふっふっふ~ん」
鼻歌交じりのスキップで、パールフェリカは廊下を駆けた。その後ろを早歩きのエステリオがついて来る。
召喚士ミラノのお披露目が終わると、彼女はネフィリムに先導され、玉座の裏、王の執務室へと消えた。
パールフェリカの方は、部屋で大人しくしているよう、父王に命令された。何でも、ドラゴンの集団がじわじわ王都へ迫っているそうで。
ミラノが本格的にその力を示すなら、横にパールフェリカが居るのはまずい。何せ、ミラノが力を使う度にパールフェリカの顔色は青ざめて、果てはぶっ倒れてしまうのだから。ミラノを“召喚士”として仕立て上げるなら、パールフェリカは最初から部屋で“寝ていろ”という事なのだ。
パールフェリカが訪れたのは、エルトアニティ王子とキリトアーノ王子が通されていた迎賓室。
重厚な両開きのドアの前に着いた時、ノックをする前に扉が開いた。
「おや、パールフェリカ姫ではありませんか」
昨日と違う服を着ているところを見ると、プロフェイブから持ってこさせたのだろう。ガミカには彼らの着るようなひらひらした服を売る商隊なんて、ほとんど来ない。
プロフェイブの者は、物の恵まれ、色彩豊かで派手な装いを好むが、常にモンスターとの戦いに隣り合わせのガミカは、地味、というより機能性重視の衣服が好まれる。女性でもスカートをはく事が稀なのは、そういった理由もある。
エルトアニティ王子の、やや垂れ目ではあるが男前の顔を見た途端、パールフェリカは用も忘れてミラノがされた事を思い出した。あの時はびっくりして真っ赤になってしまったが、一発グーで殴ってやりたい。それを胸の奥にしまい込んで、パールフェリカはにこっと微笑んだ。
「エルトアニティ王子様。キリトアーノ王子様。少しだけお話しても構いませんか?」
「…………どうぞ。ただし、こちらで立ち話でよろしいかな、姫」
「……立ち話……。お急ぎなのですか?」
「先程ネフィリム殿下が教えて下さいましてね。各地で種種の変化の兆しあり、と。私も、いつか国を背負う身ですからね。そろそろ我がプロフェイブに帰ります」
「変化の、兆し……?」
「聞いておられませんか。クーニッドで、水晶が輝きを放ち、地を割ったそうですよ」
「え?」
「ガミカだけの変化なら良いですが、クーニッドの大水晶は、創世の地。全ての召喚術の基盤。ワキンヤンも落ち着きが無い。裏付けるようについさっき、プロフェイブからも急使がありました。商業都市サンドラ、港湾都市シーク、交通網の要所エイビン盆地など、プロフェイブを支える重要各所において、地震や津波、交通路寸断などいくつもの被害が確認されています。私も自分の国に戻らなければ」
ワキンヤンとはエルトアニティの世に唯一の召喚獣、“雷帝”。これもとても大きな力を持っており、“炎帝”と同様、敵意や自然の変化にも過敏だ。世界的な天変地異が、発生しているという。
パールフェリカは口元に手を当て、首をひねってエルトアニティを見上げた。
「……ご存知、無いのですね。何しにこちらへいらっしゃったのかは、聞きません。大人しくラナマルカ王、あるいはネフィリム殿下の言う事を聞いておきなさい──若すぎる姫」
「…………」
パールフェリカは言葉を失う。若すぎる、と言った。幼いという言葉を言い換えているのだ。
エステリオが、背に張り付く近くに居る。エルトアニティ王子を警戒しているのだ。半テンポ、鼓動が早くなってしまう。
「わ、私はただ、エルトアニティ王子様は、ミラノの事を知りたいのかなぁと」
一度瞬きをして、エルトアニティはにまりと口角をくっきりと上げた。やけに顎が大きく見えて、パールフェリカは気持ち悪くなった。
「ええ、とても知りたいと思います。七大天使を召喚……あれは、わかりますか、パールフェリカ姫。つまり、神の御業なのですよ? もしクーニッドの変化が続くようなら、疑いたくもなるでしょう? 彼女が神の領域を侵犯し、その“怒り”に触れているかもしれない、と」
エルトアニティはパールフェリカを見下ろし、覗き込んでくる。ぱさりとその艶やかな紅い髪が一房、パールフェリカの肩に流れこんできた。彼の影が、怯えた顔に落ちる。
近い。
ごくりと唾を飲み込み、パールフェリカはその翠色の瞳を見返す。
「か、神様、怒ってるの?」
「ガミカの民が、この世界の“神”を怒らせたなら、それは悲しい事ですね」
エルトアニティ王子は爽やかな笑顔を浮かべつつ姿勢を戻すと、パールフェリカから離れた。
「どういう意味か、わかりません」
エルトアニティが先に部屋を出て、パールフェリカの前を通り過ぎていく。キリトアーノが正面を通りかけた時、パールフェリカは仁王立ちでエルトアニティの背を見上げた。彼は半身ひねってパールフェリカを見下ろす。
「ミラノは、あなたのものなのでしょう? 一体どこから、“神の怒り”に触れるような女を連れて来たのです? それを放置しているのです? 返答如何では、我がプロフェイブは200万の兵と100万の召喚騎兵と共に、ガミカを“神”に献上せねばならない」
「………………」
絶句し青ざめるパールフェリカの横を、きょとんとした表情でキリトアーノは通り過ぎた。
エルトアニティは、ぷっと吹き出すように笑った。
「いやはや、そんな悲しい顔をしないで下さい。せっかくの愛らしいお顔が台無しだ。例えです、例え」
パールフェリカは眉をハの字にしてエルトアニティを見上げる。エルトアニティは困ったように笑った。
「参りました。冗談ですよ、プロフェイブがガミカへ来るとしたら、“神”に抗する援軍として来ますから、そんな不安そうな顔をしないで下さい」
エルトアニティは数歩戻り、パールフェリカから一歩の距離で足を止めた。
「ジズを追い返したのは、ミラノの召喚術ですね?」
「……ええ」
「……そうですか。そのようにあまりにも強すぎる力を持っているのならば、彼女に伝えてあげてください。召喚の力は、無限ではありません。限界以上に使いすぎれば、疲弊した召喚士は“霊界”に魅せられ、強制的にトランス状態に引き込まれて死に至る。人を、国を護る為とはいえ、命まで投げ出すのはおやめなさいと」
「…………」
ミラノが力を使って消耗をするのは、パールフェリカの力だ。
パールフェリカはゆっくりと視線を降ろした。
──何度か、知らない内に“トランス”していた。
「パールフェリカ姫?」
──ならば、ミラノが力を使いすぎた時、死ぬのは、私?
「姫?」
「……はい」
パールフェリカは曖昧な笑顔をエルトアニティに向けた。彼はパールフェリカの頭をそっと、撫でると、憐れむような笑みを浮かべる。
「もう少し状況が読めるようになってから、自ら行動するようにした方が良いですよ、姫。無防備に表情を晒してしまうようなら、ね。あなたの友人、ミラノに習うと良いでしょう。あなたはまだ、子供だ」
そうして、エルトアニティはキリトアーノを伴って去った。
本当は、ネフィリムとシュナヴィッツ、そこにエルトアニティも加えてミラノをからかってやろうと……。何せミラノはエルトアニティから贈り物をもらうような女性なのだから、召喚獣なのに。
パールフェリカはプロフェイブの王子二人の背を見送りながら、両手をぎゅっと胸の前で組み合わせて、押し付けた。
階段の向こうに彼らが消えると、パールフェリカは自分の手を見下ろして、膝を付いた。
──泣きたくは、ない……。
こんなにも悔しい思いをしなくてはならないのは、何故?
(2)
──昼前の快晴。
まばらな薄い雲が瑠璃色の空に散らばっている。
山の頂点にある巨城エストルクから見下ろす、遠く続く森。
春の緑は柔らかく、暖かな陽光に煌きながらさわさわと揺れる。瑞々しい葉は光を照り返すが、そこに鳥や獣の姿は無い。既に、皆逃げ去っており、森は静まり返っている。また本来の美しい緑の景色も、昨日の“神の召喚獣”ジズによって一部は薙ぎ倒されている。
連日の事ではあるが、城下町の人々は再び城前広場へと避難を続けている。その顔に疲れや悲壮感は無い。また“七大天使”が、あの巨大な七色に輝く“魔法陣”が、助けてくれると信じている。ガミカには、“神の加護”があると。
エストルク上空には、既に飛翔召喚騎兵の姿がある。
白銀に輝く、太陽によって鏡のような鱗は一層光を放つ。神々しくも美しい巨大なドラゴン──ティアマトである。最大サイズで召喚されたそれの頭に、金の装飾がある紫の鎧で全身を覆ったシュナヴィッツが居る。ティアマトの攻撃パターンは豊富で、“神の召喚獣”が相手で無いなら、他のいかなるドラゴンであっても敵無しだ。ティアマトは優美にして巨大な翼を広げ、大空で滞空している。
その金色の瞳が見据えるのは、緑の葉の覆う山々の向こうから近付いて来る、黒い影。それは、急速に形を明らかにしつある。
ティアマトの左右には、獅子の頭を持つマンティコアに騎乗したブレゼノ、鷲の頭のグリフォンに騎乗したスティラードが居る。
マンティコアは唯一の、グリフォンも歴史上数体のみ確認された強力な召喚獣だ。
ティアマト程の大きさは無いが、どちらも召喚獣となる前、生存時には凶悪狂暴として世界中に名を知らしめたモンスターだ。
ブレゼノもスティラードも、厚い鎧に身を包んでいる。
さらに上空、全身が炎で出来た巨鳥フェニックスが、優雅にその翼を広げている。その隣に、音も無く風が吹いたかと思えば、爆雷とともに姿を見せる──怪鳥ワキンヤン。飴色の羽毛を撒き散らせながら羽ばたき、風を縫って突如現れた“雷帝”は、“炎帝”に並ぶ。どちらも騎乗する者は無いようだ。
“炎帝”が喉を上げて空を突き破るように高く大きく鳴けば、“雷帝”もそれに続いて咆哮を上げる。空に炎と雷の飛沫が弾け飛んだ。
地上を埋める騎馬や、その大きさの召喚獣に騎乗する兵から、鬨の声が高らかに上がる。遅れる事無く、空にある召喚騎兵らも、もちろんシュナヴィッツらも腕を掲げ、口を大きく縦に開き、声を上げ、さらにさらにと士気を鼓舞する。
東西に“炎帝”と“雷帝”が展開し、その下に飛翔召喚騎兵が続く。ティアマトは中央、ブレゼノは“炎帝”の下、“雷帝”の下にはスティラードがついて、それぞれ指揮をとる。
地上でも、森の草花を薙ぎ倒しながら召喚騎兵が駆け抜けた。
激突は、王都から南。
ミラノには、大自然の中への距離感が正確に働かない。ビル群ならば一つ何メートル程だろうから、一駅分で何百メートル、と推測の付け方もあるし、目立つ背の高い建物が見えればそこまでの距離を適当に測る事も出来るのだが。
3階バルコニーは、パールフェリカの生誕式典の折り、彼女が居た辺りだ。中に入れば、その後に貴族らにお披露目パーティが開かれた場所。実際には、パールフェリカの召喚獣はお披露目されなかったが。
ミラノは今、そこに居る。
まさか、今日になって“召喚士”としてお披露目されるとは思いもしなかった。
隣には、ネフィリムが前線を睨んで立っている。その向こうにラナマルカ王と大将軍クロードが居る。ミラノからすれば、重さで動けなくなるんじゃないかというような鎧に身を包んでいる。3人とも兜は脇に抱えている。
大将軍クロードはついさっき紹介されたばかりだ。やや脂っこい黒髪を後ろで一つに束ねている。陽に焼けて、今はいかにもという風な渋面をしている。挨拶をした際は、やけに眉尻を下げて笑顔を見せてくれた。どちらかというと、鼻の下の伸びたような顔ではあったが。その彼の周囲には、次々と膝を折って何やら報告しては去っていく将兵が後を絶たない。
ネフィリムとミラノの後ろには護衛騎士アルフォリスとレザードが居る。このバルコニー正面左右に、視界を遮らない程度、彼らの召喚獣赤《レッド》ヒポグリフとコカトリスが建物1軒分の大きさでどっしりと構えている。
前線に居る飛翔召喚獣の指揮はシュナヴィッツがとり、ネフィリムは父王の横に置かれた。その隣で、華々しくお披露目されてしまったミラノは、昨日パールフェリカに見立ててもらった紺色の衣服と、ジャラジャラしたアクセサリ着用で立っている。女性用の鎧でも与えられるのかと思えばこのままなのだから、よくわからない。
ネフィリムの横にがしゃがしゃと鎧を鳴らして現れた兵がある。報告をして、一言二言言葉を交わすと、さっさとどこかへ駆けて行った。
「父上、エルトアニティ王子が襲撃前に発つのが間に合わなかったとの事で、ワキンヤンによる援護を申し出てくれていますが」
「どこからだ」
「飛翔召喚獣通用門、護衛を送らせました」
「わかった」
その後もばたばたと人がやってきては何かと話しているが、ミラノの知らない名前が続々と出て来るので、早々にスルーを決めた。
背後には大きな机があり、この辺りを上空から見た地図が広げられていた。それにはちらりとだけ目をくれて、ミラノは置いてあった双眼鏡を手に取る。“うさぎのぬいぐるみ”の姿の時に手にした事があるものと同じだった。あの時程重さを感じない。
それにしてもと、ミラノは思い巡らす。
“うさぎのぬいぐるみ”であった時、じわじわと体が動きづらくなった。パールフェリカを追おうとして、部屋の真ん中に転がる事になった。レザードが来なければ、いつまで経っても放置された事だろう。パールフェリカにこうして“人”にしてもらうと、それまで通りで何の違和感も無いのだが。そのパールフェリカは、今頃自室に居るはずだ。
再びネフィリムの隣に立つと、双眼鏡を覗き込む。
丁度、“炎帝”と“雷帝”が大きく声を上げた瞬間だった。
それらの向こうに、黒い巨大な姿が多数見えた。
ここへ案内される前、ドラゴンが王都に迫っているという話は聞かされた。それを追い返す為、ミラノは“召喚士”として人々の前に“人”の姿を見せるよう言われたのだが。
「…………多いですね」
ミラノは隣のネフィリムに言った。ドラゴンが来ていると聞いてはいたが、1体1体が巨大も巨大、ティアマト程ではないが、5階建てのビルはあるような気がする。それが100体以上だ。
「なんとかは、なるだろう。だが相変わらず私の“炎帝”も“雷帝”も大きくは動けない」
ミラノは、自分が“召喚士”として力を振るうという点について、不満がある。ミラノが使う力の源は、パールフェリカにある。自分の力ではない上、担ぎ上げられているのも気に食わない。自分が自分ではない状態へ追い込まれるのは、酷く気分が悪い。この国を護る為、士気を維持する為という理屈もわかる。パールフェリカが従っているので、ミラノは何も言わないが。
基本的に、ミラノは目立ちたくないのだ。変に目立つとろくな事が無い。
ミラノなりに、これからどうすべきかをざっくりと考えている。
悪目立ちしない為には、やはり王都は自分が護るべきではない。
「そうですか……一回、試したいのですが──」
ミラノが双眼鏡を下ろして隣のネフィリムを見上げる。会ったばかりの頃のように、好奇心にかられた蒼色の瞳と、目があう。彼の口元に、ニマリと笑みが浮かんだ。
背の高い木々さえ絨毯として、飛翔召喚獣が我先にと飛ぶ中、“炎帝”が翼をバサリと鳴らして先頭へと躍り出た。
灼熱の羽ばたきが兵らの視界を埋め、フェニックスはその首を巡らし、嘴を開く。その体長の5倍になる火炎を、敵ドラゴンの前方、木々に撒き散らした。
誰もが、森の焼かれる様を脳裏に閃かせたが、その瞬間、木々の上に七色の魔法陣が広がった。大きさは炎と同じ、人の作り出す魔法陣とはかけ離れ、あまりに巨大。その魔法陣が、敵ドラゴンをあぶりながらのすり抜けて来た炎を、丸ごと飲み込んだ。
魔法陣の下の木々には、相変わらず春の風が吹き込むだけだった。
次の瞬間、敵ドラゴンらの真下に七色の魔法陣が生まれ、そこから先程飲み込まれて消えたはずの炎が噴出した。
範囲の大きすぎる“炎帝”の攻撃は、周囲に被害をもたらしてしまう。それを、魔法陣は飲み込み、再度攻撃に転換、空に散らしたのだ。炎を、さながらこだまのように、敵を狙って返した。
双眼鏡を覗き込んで確認していたミラノは、それを下ろしてネフィリムを見上げる。
「これで、“炎帝”も“雷帝”も……ティアマトも大きく動けますか?」
「楽勝」
会心の笑みを浮かべ、ネフィリムは前線へ手を伸ばす。その手にあわせるように、双眼鏡からのぞくまでもない、“炎帝”が翼を、尾羽を大きく広げ、扇形で藍色の空に威容を示した。
(3)
迎賓室からとぼとぼと戻る間、エステリオは何も言わなかった。いつもそうだ。話しかけない限りは、答えない。お小言はすぐ出てくるくせに。
パールフェリカは自室に戻ると、ミラノの指定席──ソファの、窓に向かって右端──に置いてある“うさぎのぬいぐるみ”をぽいっとテーブルの上に放って、どさりと腰を下ろした。
はぁと一息ついてすぐ、もそもそと体を起こすと、テーブルの上の“うさぎのぬいぐるみ”に手を伸ばす。一番近い右足を握って引き寄せ、くるっと回して、頭を上に、顔はあちら向きでぎゅっと抱きしめつつ、またソファに身を沈めた。中途半端な胡坐をかいて、足の間に“みーちゃん”を押し込んだ。
「………………」
部屋のこちら側、扉の辺りにエステリオが控えているはずだ。
この部屋の寝室と反対側にある扉の先には、侍女サリアらの控えの間がある。そこに今も、サリアや他の侍女らが呼ばれるまで居るだろう。ひっそりと控え、細々した雑用をこなしているはず。
呼べば、誰でも来る。呼ばなければ、誰も来ない。
広い部屋に、パールフェリカは一人ぼっちだ。
あちらを向かせたままの“みーちゃん”の頬に、自分の頬をぐりっと当てて、肩をすぼめて抱きなおす。
天気も良ければ、春の陽光は暖かい。なのに、妙に寒い気がしてならない。
ふと、腹の中心から腰にかけて、すこんと力が抜ける。
「……あ……」
この感覚も何度目か。もう数えていない。
ミラノが何か召喚術を使ったのだ。パールフェリカの中の“召喚士の力”が、引っこ抜かれる。いくら考えてもわからない仕組みだと、パールフェリカは思う。召喚術のヘギンス先生は“召喚士の力”はつまり、“精神力”だと言った。その“ど根性”で、世界に満ちている“神の力”を引き出すのだと。それで何故、体力がごっそり抜け落ちるのかわからない。わからなくとも、力が抜けるのだから、考えても仕方が無いのだが。
息が上がるまで全力疾走した時のような、重い疲労感が全身を巡る。
ふぅと一息ついた時、窓の向こうがオレンジに光る。南側からだ。
パールフェリカは“みーちゃん”を放り出して駆け、窓にべたっと張り付いた。パールフェリカの部屋の窓からは、南を真っ直ぐは見れない。
それでも頬をペターと窓に貼り付け、パールフェリカは外を覗き見る。
「サリア、サリア!」
すぐに控えの間の扉が開いて、パールフェリカと年の近い侍女、サリアが姿を見せる。
「はい」
「双眼鏡!」
「すぐお持ちいたします」
すぐに、額をごりごりと窓にこすりつけているパールフェリカの手に、双眼鏡が渡された。3階バルコニーでミラノが使用していたものよりも小ぶりだ。パールフェリカ専用の、双眼鏡。
窓に張り付いて双眼鏡を目に当て、グルグル動く。一番見やすい場所に、パールフェリカは移動した。
見えたのは、兄ネフィリムのフェニックスが、大きく翼を誇示している瞬間だった。
黒光りする鱗は一枚一枚が大きい。
先日のワイバーンは、ドラゴン種とは呼ばれていない。ワイバーンは2本足と、腕として2枚の翼があって、その先に爪を持つ。
ドラゴンは4本足で、背に2枚の翼を持つ。腕と翼が分かれている種類を指す。
ドラゴン種と一括りに言うものは、ドラゴンと唯一のドラゴンらを指す。
繁殖によって増えたものがドラゴンと呼ばれる。色もまちまちではあるが、それらの持っている能力に大差はない。
唯一のドラゴンらにはティアマトのように固有名詞がある。特殊な能力や特徴があり、神によって直接創られたドラゴンが、唯一のドラゴンであり、これに繁殖能力は無い。
鮮やかな藍色の空に、敵ドラゴンの巨大な翼がいくつも大きく羽ばたいている。
フェニックスの火炎を、後ろへ下がりながら避けているようだ。音が届いていたら、耳も割れんばかりの轟音が聞こえた事だろう。
火炎と、翼が空気を打つ音と、ドラゴンの開かれた口から漏れているであろう絶叫で。
フェニックスの吐き出す巨大な炎は、ひとしきり猛威を振るうと、敵ドラゴンの硬質な鱗と太く鋭い爪の下辺り、瞬時に現れた七色に煌く魔法陣へ根こそぎ吸い込まれていく。
「……あれね……」
パールフェリカはぽつりと呟いた。
魔法陣は、“霊界”に繋がっている。
ドラゴンらの背後に現れたもう一枚の七色の巨大な魔法陣が、“霊界”を通り抜けてきた火炎を勢いよく吐き出す。空が炎に染まる度、パールフェリカの頬にもオレンジの光が落ちる。
背や翼を焼かれたドラゴン達が体勢を崩し、何体かが落下していく。空に姿勢を維持したものには、白銀の光が滑り込む。
「にいさま!」
シュナヴィッツの騎乗するティアマトだ。シュナヴィッツまでは見えないが、その唯一と言われる白銀の鱗はどれだけ遠くともわかる。
ティアマトは滑空して黒いドラゴンに足をひっかけ、そこを起点に角度を変え、一気に上昇する。掴んでいた敵ドラゴンを勢いのまま空へ放りあげ、そちらへ口を開いた。次の瞬間、吐き出された黒い煙を含んだ爆炎が、敵ドラゴンを襲う。元々黒かった敵ドラゴンを、炭に変えた。
横から近寄る敵を急降下で避けながら、鋭い爪でその尾と翼を乱暴に引っ掴み、振り回すように投げる。投げた先にはブレゼノの獅子頭のマンティコアが、獰猛な牙をむいている。
放られたドラゴンの背に、マンティコアは爪を突き立て取り付いた。バランスを崩し落下していくそのドラゴンの喉に、マンティコアは噛み付き、3度食いちぎった。動かなくなった敵ドラゴンから飛び立ち、マンティコアはすいと離れた。敵ドラゴンは、落下しながら、大気に溶けるように消滅した。
あちらこちらで敵ドラゴンのブレスが吹き荒れるも、逐一、七色の魔法陣がその大きさに合わせて現れ、飲み込む。消えた敵のブレスは、別の場所に居る敵ドラゴン1匹に、多量の七色の魔法陣から集中砲火として放たれた。
その度に、パールフェリカの目は霞む。軽く首を振って、なんとか双眼鏡を覗き込む。
“炎帝”フェニックスの巨大な火炎と、それを見て心得たのか、“雷帝”ワキンヤンの広範囲の落雷が100のドラゴンに降り注いで、次々と数を減らしていく。それらを避けても、バランスを崩して地面に落ちたり、あるいはティアマトらに叩き落とされたりしている。落下し、もがきながらもまだ動ける敵ドラゴンへは、地上の召喚騎兵が取り付いてとどめを刺している。
木の葉を撒き散らしながら翼を振り上げ、逃げようとしつつも空を見上げて潰《つい》える敵ドラゴン。断末魔とともに消えていく様が、何度もあった。
これまでに無い自軍召喚獣の暴れっぷりに、城前広場からは歓声が上がっている。七色に煌く魔法陣が空に現れる度、“神に守護されし国・ガミカ”と声が上がる。
襲撃されているというのに調子の良い事だと、パールフェリカは呆れる。それらは頭の隅に追いやって、窓に張り付き、呟く。
「……あれ、ドラゴンよね。だったら召喚獣……のはず。ミラノ、返還はしないのかしら……」
他人の召喚獣だろうが“神の召喚獣”だろうが勝手に還せるミラノがそうしないのは、何故だろうか。
「ミラノ、手柄を立てるつもり、無い……?」
ワイバーンの襲撃があった時も、ミラノは援護となるような召喚術ばかり使っていたと、パールフェリカは後で聞いた。今回だけではないので、それがミラノのやり方なのだろうかと、顎に手を当てた。
ふと、パールフェリカの力が抜けていく度、ミラノが召喚術を使う度に聞こえていた城前広場の歓声が、変化し始める。
フェニックスとワキンヤンが同時にその火炎と爆雷を放った瞬間、一気に展開した七色の魔法陣。
その時、一際大きな歓声が。
──召喚士ミラノ!
パールフェリカは耳を疑った。
双眼鏡を下ろして、窓に耳を当てた。その声は次第に大きくなる。はっきりと、歓声は彼女の名を叫ぶ。
──召喚士ミラノ! 召喚士ミラノ! ミラノ!!
パールフェリカの手から、双眼鏡が滑り落ちた。
3階バルコニーからは、城前広場がよく見える。数十万を超える民がみっちりと避難して来ている。城下町への、幅の広い降り坂にも人が溢れている。彼らにも、遠目ながらこの3階バルコニーは見えている。
比較的近くの人々が、バルコニーを見上げ、両手を掲げている。あちこちから喝采が聞こえてくる。確かに、前線は勝利ムードに違いない。
だが、上がる名がおかしい。
「…………」
城前広場の様子の変化に、目を見開いて驚くネフィリムの顔をちらりと見た後、ミラノはラナマルカ王を見た。
王はゆっくりとミラノを振り向き、見下ろした。はっきりとした蒼の瞳に迷いは無い。
「あなたは賢い女性《ひと》だ。だが、あの魔法陣はどうしたって目立ってしまう。私が、あなたの名を流すよう指示した。問題が、あるかな?」
少しだけ息を飲んで、ミラノは顎を下げ、ネフィリムを押しやって乗り出しかけていた体を、引っ込める。
「……いえ……」
そう言って、ミラノは目を逸らした。
──より効果的だ。
ミラノは下ろしていた左腕の肘辺りを、右手で掴んだ。人々の視線は3階バルコニーの、唯一鎧を着ていない女性であるミラノに、集まる。
それで、鎧を着せなかった。鎧が無いのが目印だった。それだけ“自信のある召喚士”である事を、演出するために。
ネフィリムはミラノを見るが、ミラノの表情は相変わらず読み取れない程に、無い。王のした事が、度重なる襲撃を受ける王都を護る為、人々の不安をコントロールする為に必要だったとわかる。
これだけの襲撃があるのに、人々は必ず敵を打ち倒せるという確信を抱いている。そうでなければ、このように割れんばかりの歓声が上がるはずがない。敵はまだ、居るというのに。
パールフェリカは窓をばしんと強く打った。分厚い窓は、緩い振動に一度揺れただけだ。
──あれは、私の力じゃないの! こんなに、こんなに体の力が抜けていくのに!
手に力を込めると、頭の芯がふらふらとしてくる。
──“私”が! “ミラノを召喚している”のよ!!
それは、口に出して言えない。
パールフェリカは唇を噛んだ。窓に映る自分の姿を見る。
苦痛に眉をゆがめている。眉間にはくっきりと皺を寄せている。
──これは誰よ!? なんで、こんな悔しい思いをしなくてはならないの!?
黒ずんだもやが、胸の中を占めていく。
──いやだ……ミラノ……!
その気持ちの名を、憎しみだなんて呼びたくない。大好きなの、消えてしまえだなんて、思いたくない。
──こんな感情なら、いらない。こんな自分なら、居ない方が良い!
全てを振り払って、パールフェリカはよろめきながら、それでもちらりと見た“うさぎのぬいぐるみ”を手に取り、寝室へと駆け込んだ。
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結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
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