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【Last】Summoner’s Tast
Summoner’s Taste
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(1)
『“あなた”をよびだすという最終目的の為に創り上げた“召喚の理”は、故に、人を心から想う気持ちによって発生させるというものになりました。わたしの中に生まれた感情の内、最も強かったのがあなたへの“想い”でしたから。わたしアルティノルドへの“想い”を受け止め、わたしは人間に、召喚士に力を貸す。彼らに“異界の霊”を呼び出す力を授ける理が創られたのです』
今アルティノルドが言ったものが、召喚霊なのだろう。これを聞いたならば、ネフィリムは狂喜乱舞でもして見せたかもしれない。召喚の理を、創った者が語っているのだから。
『……召喚獣は?』
『それは……創世の最初の頃に、“あなた”が“面白そう”だと言って強力な獣を生み出したのですが。──ああ、リヴァイアサンやジズ、ベヒモスなどは本当に最初の頃に生み出しました。でも他の生物を増やそうとすると、それはあまりに大きすぎて“あなた”は、しっぱいしっぱい、次いこう! と、笑ってらっしゃいました』
『……』
『巨大な獣が地上に溢れた後、“あなた”をよびだす為の召喚士、人間を創ったのですが。力はあまりに異なり、創る傍から人間は獣に食べられてしまって大変でした。繁殖させるなんて無理無理──とも、笑ってらっしゃいましたね』
懐かしそうに、少しだけ声が弾んだ。
『結局、獣の死後、獣の霊が“良し”としたならば、それを人に与えるという理を創ったのです。召喚士の願いにより、わたしが肉体を一時的に創ってやり、召喚士の喚び出した“霊”に与える。それが召喚獣です』
ばっと音がして、ミラノの視界が陰った。レイムラースが正面で6枚の翼を広げたのだ。
『聞いたか! 面白そう──だ!』
レイムラースの丸い目は、内側に熱を秘めつつ据わっている。口からは、毒霧でも吐き出しそうな、怒気を滲ませた声を押し出す。
『それが、本当かどうか確かめなければ、私は納得が出来ない。これほど強く大きな獣を地表の半分に押し止める原因! 己がこの世界へ戻るためと創った脆く弱い“人間”を優遇、先に創った獣への扱いがこれだ……! “神”でありながら利己的であるなど、言語道断。どう弁明する!?』
真っ直ぐ受け止め、ミラノは半眼でため息を堪えた。
『……弁明って……理由はあなたが自分で言っているじゃない。“はじめの人”は、まだここで何かしたくて、戻ろうとしていたのでしょう? “はじめの人”とやらは、後付けで創った人間を護る為に、獣を、ただし死後獣が許諾したならば人間の力とする、と……。無理矢理人間に力に与えていたのなら考える余地もあるでしょうけれど。──獣の為とあなたが暴れる理由が、わからないわ』
『私は、獣の天使だ、当然の主張──』
『──だからあなたは、人間を護る天使だったのでは、ないの?』
『……え?……』
『人間至上主義として“後付け”された“召喚の理”は全部、人間を護る為でしょう。“はじめの人”──“神”が再びこの世界に、降り立つ為の。“神”が、自分の楽しみの為だけに再び戻る事を望んで、自分を召喚出来る者が現れるようにと自分と同じように“召喚”が出来る人間を生み出し、その“理”を創った。だけど、自分と同じ人間は、脆く弱かった。先に作っていた獣は強すぎた。だから、人間を護る為に次々と、“理”が作られていったのでしょう?』
『ええ。レイムラースも“召喚の理”の前に、創りました』
『七大天使は?』
『後です。七大天使は“召喚の理”を支える存在として、“召喚の理”と共に創りました。レイムラースは、人間が創る傍から獣に食い散らかされていた折、直接その間に入る存在として創りました』
ミラノはアルティノルドの言葉を聞きながら、注意深くその様子を観察した。
善悪や、創るものに対する執着が、浅いらしい事が見え隠れしている。わかりやすい言葉で表現するならば、アルティノルドは“適当”だ。おそらく、言われるまま、望むまま、感情豊かに喜んで見せる“はじめの人”に、創り与えたのだろう。
アルティノルドは故に、レイムラースを“何をする為に”とはっきりした考えを持って創ったわけではない。それで、レイムラースは“神”たる“はじめの人”に存在理由を問わねばならなかった。七大天使のような、召喚術を支えるという明確な存在理由が無かった。長い時に“自分”を見失ったのだ。
ミラノはゆっくりとレイムラースを見る。
『人間を護る為、でしょう? あなた、本当に、獣の天使なの?』
『………………』
沈黙を返すレイムラース。アルティノルドが、やはりぎこちなく笑う。
『覚えてないのでしょう、はじめに創った天使なので、最初はこう、あまり上手くいかず、試行錯誤しましたから。記憶は曖昧なのかもしれません。姿も、この化け物の姿にも、あと剣、盾の姿にもなれるように出来ています。役割に便利だろうと“はじめの人”が──』
『…………酷く迷惑な話ね』
『…………私の話はどうでもいい……。“楽しそう”で獣を生み出し、世界を作り上げ、自分はさっさと消えてしまった“はじめの人”の話だ。何の責任も果たさず消えたヤツの話が済みもしないのに、私の役割がどうのこうのと、言えたものか!』
広げるのは翼だけでは飽き足らず、太い獣の腕でミラノを指差した。
『…………私ではないのだけれどね……“はじめの人”というのは』
ミラノは目線を逸らした。面倒な話である事この上ない。口を挟まず、いつかのプロフェイブの王女アンジェリカ姫に対したようにあしらってしまいたい。
『だから、獣の世界へと“修正”をしてくれたら、それで良いと……』
『私にそんな事、出来るわけが──』
『あなたが私に命じて下されば、それで世界は変わります。何も難しい事はありません。私の主は“あなた”だ』
『………………』
ミラノは頭を抱えたい気分に襲われた。
『本当に、わけがわからないままだわ』
『一つずつ、説明をして差し上げていると思いますが』
『全部、私にとってはどうでもいいわ、結局』
これだけの被害を引き起こしたモンスターを引き連れてきたのは、レイムラースだという。奪われた命もある。
長年逆恨みし続け、レイムラースは“復讐”のつもりだったはずだ。獣の天使として、役目を全うするつもりなのだ。
だからと言って、許されるものではないと断じるのは簡単だが、さて自分は一体、レイムラースという輩を許すだの許さないだのと言える立場かどうか。言える立場と仮定して、言ったところで何も変わらないのは目に見えている。かと言ってこんな化け物を放置するのも、人間にとっては良く無い。
身勝手な存在が居るのは元に世界に居た頃と何ら変わらないが、人に迷惑がかかるのなら、命の奪い合いに発展するのなら、その“我が儘”は、叱っておかなければならない。“神”となったからには、裁量というものをしてみるのもいいだろう。ミラノはレイムラースを見た。
そもそもレイムラースには勘違いがある。それを思い知ってもらうのも、良い。
『アルティノルドさん、このレイムラースという天使を、生まれた頃の姿に戻すことは出来る?』
『可能です』
『!? ちがう! 私が望んだのは──』
『──あなたは』
前のめりに叫ぶレイムラースの言葉を、やはりいつも通りの淡々としたミラノの声が遮る。
『…………』
『トリックスターになりそこなった“はじめの人”の子供。哀れに振り回されてしまった子供。自分自身を、その記憶も省みず、検めず、思い通りにならなければ好き放題暴れるだけの、子供。いたずらだけは派手で、子供と言って許される範囲を大きく超えた。もう一度、考えなおしてくれると助かるわ』
ミラノのすぐ後ろにアルティノルドは移動して、左腕を正面に居るレームラースへ伸ばす。その手から、きらきらと輝く光が零れると同時に、レイムラースへ降り注ぐ。
梟の頭と目、蛇の目をして獣のようにふさふさとした毛を持ち、蛇の太い尾、さらに6枚の蝙蝠のような翼を持っていた化け物レイムラースは、光がきゅっと凝縮するように、1点に絞られるようにして、その空から消えた。
レイムラースの醜い姿は無くなり、次の瞬間、アルティノルドの手の平の上に、6枚の翼を持つ赤子がころりと、転がった。ふわふわの薄ピンクの肌は柔らかい。目を大きく開き、黒い瞳を動かして周囲を確かめている。
赤子とはいえ、やはり大きさは人の子より1.5倍程ありそうだ。銀色の髪をしている点は、七大天使らと同じ。
アルティノルドがにっこりと笑顔を浮かべた。ぎこちなさは、多少なりとも抜けてきたようだ。
レイムラースだったその天使を、アルティノルドがぎゅーっと抱き寄せ、頬ずりした。
『あ~懐かしい。この子が生まれた頃はまだ“あなた”が居ましてね、2人の子供だと抱っこの奪い合いを──』
『黙って。それは私ではないわ』
ミラノは自分の背後に立つアルティノルドを見上げてぴしゃりと言葉を放った。
アルティノルドがした事は、生まれた頃に戻せと言われ、レイムラースの化け物となった実体を消去、その手の平の上に新しい実体を“創造”したのだ。体だけを赤子に戻せたのは、アルティノルドが直接“創造”した存在だったから。野に放たれ、繁殖して増えた存在を再“創造”する事は、アルティノルドにも出来ない。せいぜい“再生”してやる事位しか──。
『……思い、出した』
赤ん坊の姿で、レイムラースは呟く。
醜くひび割れた声ではなく、幼い子供の声だ。男か女か判別が出来ない程。
アルティノルドの腕から、レイムラースはぱたぱたと小さな6枚の翼を器用に動かし、少しだけ離れた。
中身、いわゆる“霊”の部分は、先程の延長である。レイムラースに起こった変化は、体の原点回帰。身体経験のリセット、生まれた頃の、最も“弱い”状態に戻されている。
赤ん坊からやり直させるという事はすなわち、この天使が何十億年と活動してきたすべてを、否定したという事になる。
死んでやり直せ、生まれ変わってやり直せというのは、最大級の罵声だ。存在の否定。それを屈辱と知るならば、いっそ死んだまま放っておいてくれと言うべきだろう。生まれ変わってやり直したいと願うのも、自分で自分を殺している事に大差ない。自殺を願っている。たった今を生き、常にやり直すのは“今”からであり、それは等しく許されている。それを、レイムラースには許さなかった。これが、ミラノなりの裁量だ。
レイムラースの動きを目で追いながら、ミラノが問う。
『人間を護る、で正しかったかしら?』
『ええ……“はじめの人”は……モルラシアとアーティアに分けた“境界”を、護れと……』
獣の大地“モルラシア”と人間の大地“アーティア”の境界を護るという事はすなわち、簡単に攻め入られる人間の側を護る事になる。
レイムラースのふわふわした銀色の髪が、アルティノルドの手にグリグリとなでつけられている。
『もう、人を傷つけないで、いてくれるわね?』
空気を一切読まないアルティノルドを無視して、レイムラースが応える。
『“あなた”が言っていた事を思い出した』
──だからそれは私じゃないと、ミラノは呟きたいところだったが、どうでもよくなりはじめている。もう“山下未来希”は死に、それが自ら選んだ道。自分で、捨てたのだし。
『人間は、獣に比べ脆い。人が強くなれるよう、その間、獣から護って欲しいと……』
このレイムラースが、人間は脆い、脆いと言って殺してまわっていたのはついさっきだ。──今頃……と、ミラノは心の中に浮かび上がりそうになる負の感情を閉じ込めた。そんなものを持ち出しても、何の解決にも繋がらない。既に、人として、“山下未来希”として何もかも諦めた今、その感情を封じ込める事は、それ程難しくなかった。レイムラースには今後、人間を護る存在であってくれれば、もうそれで良い。
『“はじめの人”は、人間の力を獣と同じにはしなかった。生まれるなり強い力を持つものとは、しなかった……。そこは、共感出来るわ。あなたの言う“罪”も、わからなくもないわ。“楽しい”“面白そう”と暴れまわって、好き勝手して、中途半端に去っていった“はじめの人”ならば、責めてもいい。“はじめの人”は、自分のやった事に責任を持つ必要が、あったのだから』
そう言って、ミラノは目線を落とした。
『──とんだ尻拭いだけど、私の望みも叶うのだから、今はもう、身代わりになるしか、やるしかないのだけど』
ミラノが周囲に目配せをすると、七大天使らが周囲に飛び去りながら、空に溶けるように消えた。
『レイムラース、あなたも力を貸して。覚えている? あなたの奪った命』
レイムラースは短い首を縦に降った。体が半透明になり、次第に消えていった。
『ではわたしも、大気に混じり“力”となりましょう』
『おねがい』
よくわからないけれど、という言葉は飲み込んだ。結局、今まで通り頭の中でイメージして実行するという事を、試すだけ。出来なければ大声でアルティノルドを呼べばいい。きっと、喜んで姿を見せるはずだ。
『よろしいですか。わたしに出来る事は、創造と再生。“霊”を喚び戻すのは、召喚士たる“あなた”の役目です』
ミラノは頷く。
アルティノルドはミラノからそっと離れながら、ふっと、王城──聖火台辺りをじっと見つめた。ミラノもそちらを向いたが、遠すぎてアルティノルドが何を見ているのかわからなかった。
アルティノルドはミラノを振り返ると、自然な笑みを、初めて見せた。
『──これでは、わたしの働き損だ。でも、その方が“あなた”の笑顔も、見られるのかもしれない──』
そう言って、アルティノルドも大気に消えた。
城下町の上空で一人になって、ミラノは息を吸い込んだ。こんな半透明の形で吸えていたのか、わからないが。
少しずつ晴れ間が生まれつつある曇り空の、あらぬ方を見た。
なんで、どこをどうして、こんな事になっているのか──わからなくても。
“今”自分で出来る事、やるべきだと感じる事を、するだけ。
イメージする。
──体が壊れ、命を失い、“霊界”へと飛ばされたであろう“霊”達を、この世界に召喚し、アルティノルドの再生する元の体へ、戻すのだ。
(2)
空を埋めていた暗雲は、“神の召喚獣”が居なくなった事からか、晴れ始めている。高い空では強い風が吹いているのだろう。
お腹は空いているのかどうか、わからない。喉も目元もひりひりする。血の臭いが風に流れている。春の風なのに、王都は燃え上がっているのに、冷たく感じられるのはどうしてだろう。
王城の、この屋上でただ一人生ある者として、パールフェリカは決意した。
体に入らない力を気力で振り絞り、闇の扉に近づきながら、パールフェリカは相手も無く呟く。体をずるりずるりと重たく引きずるように、一歩一歩進みながら。
「──強い、弱いじゃないってミラノは言ったけど、私はそうじゃないと思う。やっぱり、強い、弱いは、あるわ」
パールフェリカは闇の扉の中、動かないミラノを見る。そして、すぐ傍に倒れるネフィリムを見る。
唇が震えるが、歯で噛んで止めようとする。そうすると、さっき止まったはずの涙がまた溢れた。上着の袖でそれをごしごしと拭う。顔の端々に、袖に付いていた血が擦れて残った。
表情を歪めたまま、パールフェリカは闇の前にまっすぐ立ち上がる。
「弱いからよ。脆いからよ……ミラノ」
パールフェリカはまた少し移動して、屋上の中央で歯を食いしばって立つ。
「弱いから、強さを知るんだわ」
震えも、涙も、止まった。
「涙はね、弱さを教えてくれていたのよ。でも、それがわかったら、ちゃんと覚えられる。涙と引き換えにきっと、強さの端に手が届く。強い人はみんな、弱さを知っている人なのよ」
真っ直ぐ正面を見据えた。
「──弱さを受け入れなければ、強くなんてなれなかったのよ」
北へ5歩、南へ4歩と歩いて、足跡を残す。そこに十一芒星を描く。手順はほんの7日前に行った初召喚儀式と同じ。
「強くなりたかったら、弱さを認めるしかない。弱い時の自分を、否定しちゃいけないんだわ」
再びパールフェリカは中央に戻った。
城下町の中心。真上に、光が生まれ始めている。あそこには、ミラノが居るだろう。
「生まれた時から強い人なんていない、弱いって言ったわね。それは、強さを知る為に、弱いんだわ。はじめから力なんて持っていたら、きっと──本当の強さなんて、わからないんだわ」
パールフェリカはほんの少し俯いた。
じわりじわりと、描いた魔法陣に白い光が灯り始める。書き順に従って文字が描かれ、浮かび上がる。
「すぐには無理よ。急になんて出来ないわ。みんな、一歩一歩、少しずつ少しずつ、自分の弱さを思い知りながら、強さに焦がれて、目指して、努力するんだわ」
魔法陣が強く光を放ち、足元からパールフェリカを照らしあげる。
弱い事がどれだけ辛いか、それがもう“罪”とさえ感じられる程身に染みてようやっと、強さを欲しくなるなんて。欲しがりながら泣き伏してちゃ駄目だ。そこで泣いている自分に酔って足を止めてちゃいけない。
人間が、簡単に死んでしまう脆い存在と思い知って、同時に自分も同じ脆い人間だと思い知って初めて、強くならなければと思うなんて。大事な人達を目の前で失わなければ立ち上がれなかっただなんて──なんて、弱い。
簡単に身も竦むし、出来ないと思ったら逃げてしまう。現実の自分を思い知っては涙ばかり溢してしまう。そんな弱さはそれでも、掴まえて離してはいけない“自分”の一部。そこに足を乗せて、飛び上がる為に、目を逸らしちゃいけない。
今、ここに居るのは紛れも無く自分で、今、目の前に現実は時と共に過ぎ去って行く。掴まえておかなきゃいけない、自分を。
自分と現実とを見つめられるのは、ただ一人しかいない。
本当はただ一人で、弱さを持った自分で戦うんだ。そこに、強さはある。
「ミラノ、私、強くなるわ」
静かな声で言って、パールフェリカは両手を合わせ、呪文を唱える。
「我が名は、パールフェリカ!
我が魂に価値を見出すならば我が声に応えよ!」
──もう遅い、なんていう逃げの言葉ならいらない。今、戦う。
「きたれ!
遍く存在に愛されし者、リゼヌとセムに誘われし者よ!
汝、唯一神の神たる力授かりし者、猛き力と荒ぶる情念を持つ者よ!
穢れなき角で全てを浄化し癒す者よ!
世界を始めし至高なる存在、アルティノルドの庇護の下、
我と契約を結ばん」
足元の魔法陣がほんの少し浮かび上がり、急速に回転し始める。
パールフェリカは泣きそうに歪んでいた顔を、無理矢理ニヤッと笑ませて、空に居るであろうミラノを見た。
「──さよなら? 知らないわよ。さよならなんて、させてあげないの」
顔を上げ、心を奮い立たせる。
「パールフェリカ姫はね、可愛い顔して、笑って、腹の中で薄笑いをしていたりするのよ。わがままを言ってみせて操って、それを見て楽しむの。そんな女の子なのよ? 実態知ったらきっとみんなの嫌われ者よ。それで、結構だわ。わかる? いじわるなの」
それが“自分”だと、パールフェリカは宣言した。
「ミラノが自分を犠牲にするのなんて、許してやらない。死なせてなんか、やらないわ」
強い語調で言いながら、片眉が歪んだ。
ミラノを想えば想う程、よみがえる言葉の数々がある。抱きついた時にふわりと漂う柔らかい香りが鼻腔に蘇る。どれだけ無茶をしても軽くあしらって、後でそっと微笑ってくれる。
自分のミラノへの想いは何だったか、望んだものは、期待したものは──。
「ネフィにいさまも、シュナにいさまもきっと……」
ミラノの幸せ、自分の幸せ。
それは一緒に居る事でなし得るものとは、限らない。
パールフェリカは再び顔を上げて、城下町上空全域に光を広げるミラノの居る辺りを見る。
「ミラノは私のせいじゃないと言うけれど、そんなの関係ない。ミラノをよびよせた以上、巻き込んだ以上、ちゃんとかえす。私は、その責任をちゃんと果たすわ──」
魔法陣がパールフェリカより少し前方へ移動して、回転する。強烈な白い光が溢れ、辺りを染め上げる。
その中心から、大きな嘶きが響き渡り、空を貫く。
大人の腕一本の大きさはある、立派な角。
全身が薄ピンク色の馬の姿で、床を蹄でカッカッと弾いて、パールフェリカの前に堂々と立って見せた。
現れたのは、ユニコーンである。
前足を大きく振り上げたユニコーンの鬣は風に揺れ、足元の白い魔法陣に照らし出され、神秘的で美しい光を全身で照り返す。
その動作で巻き起こる風が、パールフェリカの結わえた髪の端から落ちた一房を、上下左右踊るように揺さぶる。それを軽く首を振って払い、パールフェリカはにっこりと微笑んだ。
「──それが、召喚士の嗜みってものでしょう?」
パールフェリカは勢いを付けてユニコーンに駆け、一気に飛び上がってその背に跨った。鬣をしっかりと掴み声を上げる。
「ミラノを、助けるわよっ!!」
パールフェリカの声を合図にユニコーンは前足を高く上げて嘶き、闇の扉の中へ飛び込んだ。
(3)
ミラノが“ここで失われたもの全ての再生”を願ってイメージする。
重要なのは“できっこない”という発想を持たない事。やれば出来ると思う事。
空一面に巨大な魔法陣が広がった。今まで作り上げてきた、いずれの魔法陣よりも大きい。
同時に、暗雲は魔法陣を避けるようにガミカ上空から流れ去り、消えていく。
昼と夕方の間、斜めから太陽の光が降り注ぐ。魔法陣の七色の光と、太陽の光が混じる。回転する魔法陣からは虹色の光の霧雨が、王都のみならず周囲の山々にまでさらさらと降り始める。
魔法陣の中央、少し上辺りにミラノ姿がある。
グレーのスーツ姿、いつものきりりとしたモデル立ちで崩壊した城下町を見下ろしていた。
今までと違うのは、体が透けている事。飛べる事。これが“霊”らしいが、その辺はもう、どうでもいい。
相変わらず森や城下町、その周囲の木々からはもくもくと煙が立ち上っている。
──人なんて、自分勝手だ。
好きだ嫌いだ、愛しいだ憎らしいだ、相手の感情を無視して声高に叫ぶ。だが、ほとんどの人がそうなのだから、結局お互い様だ。
そんな中でも、救いは、あって──。
脳裏にシュナヴィッツの照れた笑みが、ネフィリムの包み込むような瞳が浮かんできた。だが、ミラノは首を少し傾げるのみで、すぐ戻した。
頑なに拒んだ、けれど、その想いは、本当の“片想い”だった。
人を思う気持ち。見返りを求めない、純粋な気持ち。
片想いは、相手を思う自分に酔う事じゃ、ない。
自分の為に、相手を思い通りにしようとする事じゃない。
自分の為に、ただ傍に置こうとする事じゃない。
自分の幸せの為じゃない。
素直にただ相手の幸せを、思う事。祈る事。願う事。
そういう“片想い”であれば、ミラノも毎度毎度ひどい目にはあわなかっただろう。だが実際は、いつの間にか、“己の為”に相手を想う者が多い。
アルティノルドの長い長い想いはいつの間にか歪んで、ただ“はじめの人”という存在を求めた。ミラノという人格を、無視して。
元の世界に居た頃と同じ結末がここにあって、“はじめの人”だと言われたミラノはまた、その想いに応える。
アルティノルドの片想いは、本当に、好き、か。
好きだ好きだと言い寄られたところで、本当の片想いは少なく、多数に紛れて惑わした。
幸せを願われる事は無く、依存、自己愛、憧憬、自慢、利己的な慕情の末に、振り回されるばかりだった。相手の想いに付き合った結果はもう、嫌という程知っている。自分も相手も幸せになれないと、ミラノは知っている。
三兄弟もまた、自分の為に傍におきたいと言い始めて──。
それでも、ネフィリムはミラノがかえれる事を願ってくれた。シュナヴィッツは身さえ投じた。
ただ、ミラノの望むままを願い、幸せを祈ってくれた。
救いは、間近にあったのに──。
でも、だから、ミラノはアルティノルドに応える。
自分に、本当の“想い”を寄せてくれた者の為──。
召喚術の、源。
願う。祈る。
ミラノは“やる”と、決意する。
そのイメージが完成する。
プリズムの魔法陣の上、一人、風に揺らぎ、透ける体は既に“霊”のそれであっても。
前髪の一房、黒い髪がなびく。
ゆっくりと瞬いて地上を見下ろすミラノの背後には、地表を覆いつくさんばかりの白い光が、アルティノルドの力が溢れる。
それが、ミラノの“召喚術”。言うなれば、“召喚神”。
ミラノは“召喚神”に命じる。
人々に、この世界すべての存在へ、心を傾ける。
────幸、多からんことを。
一方的に願い、想う。片想い。
ミラノの、相変わらずの淡々とした──だが染み渡る温かい声は、“神様”の声として、光の中へと飲み込まれていく。
魔法陣の中から次々と現れる“霊”は、惑いながら、大気に溶けた天使らの導きによって本来の肉体へとかえっていく。その肉体は既に、アルティノルドによって“再生”をされて、既に鼓動が始っている。
濃い光が王都を包み込んでいる。
王都を埋めていた火炎も全て消え、崩れていた街並みさえ修復している。アルティノルドの再生の力が、器物にも及んでいた。
一人、また一人と、立ち上がる。
人々は降り注ぐ虹色の霧雨に手を伸ばす。空を見上げて、そこを埋めるように、視界から溢れる程巨大な、七色の魔法陣に溜め息をこぼす。
「奇跡……」
誰言うとなく呟かれる言葉は、連鎖のように広まり、薄らぐ光の中で彼らの視界も蘇る。周囲に次々と立ち上がる同胞の姿を見て、さらに同じ言葉を声高に叫ぶ。
王城3階の回廊で上半身を起こして、シュナヴィッツは周囲を見回した。自分の胸に手を当てて擦ってみた。鎧には傷もない。慌てて脱ぎ捨てて、やはり穴も無い服の上から触れるが、傷など無い。襟ぐりを押しやって直接肌を見て、どんな傷跡も無いのを確認して、息を飲んだ。
ようやっと、はらりはらりと降る光の粒に気付き、立ち上ると、空に回転する巨大な魔法陣を見上げた。
「──ミラノ」
聖火台のある屋上で、体を起こし片膝を引き寄せて、そこに肘を置いた。手を顎に当てて、思案する。
「ネフィリム様!」
後ろから聞こえた声に振り返れば、アルフォリスが元気一杯で駆けて来る。手も足も全部ちゃんと繋がっている。鎧さえも。
「あの──俺、生きてます?」
ネフィリムはぷっと吹くように笑った。
「生きているみたいだな、私も」
二人ほぼ同時に、王都上空の七色の魔法陣を見る。
「ミラノ様……ですかね」
「そうなのだろうな。──本当に、何者なのだか」
言ってネフィリムは呆れたように笑った。
王都のあちこちで首をひねりながら、エステリオが、スティラードが、リディクディが、レザードが立ち上がり、そしてやはり七色の光を降らせる魔法陣を見上げる。
王都を包む光が少しずつおさまっていくと、遠くまで見通せるようになる。禿げていた山々の木々さえ蘇り、破壊された城下町も今朝までの姿を取り戻している。燃えて倒れていた巨大な木々も、その上にあった街も皆、元の姿に戻っている。そこかしこで人々が手を叩き、または抱き合っている。
「奇跡だ! 生き返った!」
口々にそう言い、空に輝く魔法陣を仰いだ。
わけ隔てなく聞こえた声を、アルティノルドの声と騒ぎ、そしてまた“神に守護されし国・ガミカ!”と声を響かせた。
──音もなく、静か。
闇の扉に飛び込むと、そこは真っ暗で前も後ろも、上も下も右も左もわからない世界だった。ただ一点を除いて。
ミラノの姿のある場所までユニコーンを走らせた。そこがどこだとか考えず、パールフェリカは“今、やってやる”と、心の内でひたすら念じている。
闇の扉をくぐり、“霊界”を渡って辿り着いたのは、ミラノの居た世界。
日本某所の、郊外にあるアパートの一室。
狭すぎるのでユニコーンは前足と頭だけを突っ込んだ形で止まった。押しやられて、さらさらと薄青色の目隠しカーテンが揺れた。
パールフェリカはユニコーンに頭を下げさせ、闇に落ちないようその首に沿うようにして部屋の中へ降りる。ユニコーンはすぐに頭を上げて左右にぶるっと振った。
うつ伏せに倒れた、グレーのスーツを着た女性の姿を見下ろして、パールフェリカはごくりと唾を飲む。だがすぐにユニコーンを見る。
意思ある瞳に応え、ユニコーンは再び頭を垂れて、その角を倒れた女性に差し向ける。ぱっと角に光が灯ると部屋は白く輝き始める。
光の粒子が吸い込まれるようにグレーのスーツに張り付き、その下へ飲まれて消えていく。
パールフェリカはすぐ横に両膝をついて正座の形で座り、彼女の細い手を握る。今日、手を握ってもらった時よりも少し、冷たい。
腰を折り曲げ、彼女の手に自分の額をこすりつける。
──……おねがい!
その手が、じわじわと温かく、熱を持ち始めると、パールフェリカはぺたんとお尻をついて座り込んだ。
「……ミラノ──」
ほんの少しだけほっとして、彼女の名を呟いた。
横から、低く短いユニコーンの声があがり、ふと顔を上げると、ユニコーンの角が、消えた。当然その癒しの力も無くなり、部屋の中から白い光も消えた。
「──え?」
パールフェリカは手を離して慌てて立ち上がり、ユニコーンの鼻先に触れた。間近で見ても角が無い。
アルティノルドの力は、“霊界”を超える事が出来ない。ユニコーンの身の内にあった、パールフェリカがあちらの世界で集めたアルティノルドの力は、ミラノを癒して使った分、消えたのだ。この世界では、アルティノルドの力を集めようとしても当然集める事が出来ない。このままではユニコーンに力を供給出来ないのだ。
彼女の鼓動はとても緩やかに始ったが、すぐにでもまた止まってしまいそうだ。パールフェリカは彼女を仰向けに返し、片腕を自分の首の後ろに回して絡めた。肩でかつぐと、膝に力を込める。闇の扉から少し離れるように、引きずるように移動すると、ユニコーンがさらに体を突っ込んで来て、前足を曲げて屈んだ。
パールフェリカは彼女の体を、温もりを取り戻した“本体”を全身の力を振り絞って抱え、ユニコーンの背へうつ伏せに乗せた。すぐに自分も後ろに飛び乗り跨ると、ユニコーンが頭を左右に揺らしながら立ち上がる。
闇の世界へと後退すると、頭を翻し、元来た方向へと駆け出す。
パールフェリカは上下する馬上で、やはり同じように揺れるグレーのスーツ姿の彼女の体を見下ろす。
良かったと思うと、自然と笑みが浮かんだ。体を屈めて、抱きついた。
とくんとくんと、命の音が聞こえてくる。頬を寄せ、眠ったままだがその耳に届くように、小さな声で呟く。
「……ミラノ、笑おう? やる事やって、何の迷いも、心にひっかかるものも何もなく、底抜けに、笑おうよ、ミラノ。きっと、ありえないくらい、楽しいんだから!」
顔を上げると、王城屋上の闇の扉の向こう、こちらを覗き込んでいる兄の、ネフィリムの驚いた顔が目に入った。
「あはっ!」
パールフェリカは、声を上げて笑った。
ミラノが、目を覚ましたのは、パールフェリカの寝室だった。
薄暗いがわかる。見覚えがある。横っ面すぐに、白く光る何かをぼんやりと認めて、視線をあげ、小さく声を漏らした。横になったまま“それ”から離れ、慌てて上半身を起こした。
寝台の横に居たのは、大きな角から白い光が漏れる、薄ピンク色の馬。これも、見覚えがある。
「──ユニコーン?」
呟いたつもりがほとんど声にならない程掠れてしまって、ミラノは小さく2度咳き込んだ。
ふと気付いた。両手もあるし、髪も短くない。
半透明だった体も“元に”、と言うのが正しいのかわからないが、戻っている。
着ている服はどうやらこちらのもののようで、首の付け根ぎりぎりまである襟ぐりの、シンプルな寝間着のようだ。色は濃紺で肌触りがさらさらとシルクのように細かい。当然アクセサリの類も身につけてはいない。
「……どうして……?」
ユニコーンは頭を上げて姿勢を正す。その頭は寝台の天蓋に届きそうだ。通常の馬より大きいらしい。
ユニコーンが、ふいと扉の方を向いた。
次の瞬間、ばたんと大きな音を立てて扉は開かれ、光が差し込んでくる。ミラノは眩しさに目を細めた。
「ミラノォ!」
聞き慣れてしまったパールフェリカの大声と共に、その逆光のシルエットは勢い良く駆けて来た。
“うさぎのぬいぐるみ”の時はあまり気にしなかったが、タックルをかまされて起こしていた上半身は、そのまま押し倒された。案外痛い。
「パール、ミラノは病み上がりなんだから、ムチャをしてはいけないな」
「ミラノ、平気か?」
すぐに、扉の向こうから二つのシルエットが寝台脇にやって来る。
パールフェリカはミラノの腿辺りに跨ってた形で上半身を起こし、兄らを振り返った。
「ネフィにいさまも、シュナにいさまも、私は非道じゃないわよ。ねぇ? ミラノ」
パールフェリカはそう言い、頭突きをされて痛むのか、右肩をさするミラノを見下ろす。
「非道? ……そうね、非道ではないわね。それより、私、なぜここに居るんです?」
「私が連れてきたからよ!」
「……いえ……待って」
ミラノは両肘を後ろについて上半身を起こそうとする。パールフェリカが手を伸ばしてきて、手伝って起こしてくれた。パールフェリカ自身はミラノの横にぺたんと座った。ミラノはパールフェリカをゆっくりと見た。
「どういう意味?」
記憶が曖昧だ。アルティノルドと共に、王都再生の魔法陣を広げて、陽が沈んだ頃までの記憶はある。その後──。
問いながら自分の記憶を探るミラノに、ネフィリムが「とても驚いたのだが」と前置きしてから説明してくれた。
闇の扉の向こうから、ユニコーンに騎乗したパールフェリカがミラノの実体を連れて戻ったのだという。
パールフェリカは再びユニコーンに力を与え、その角に再び光が灯ると、ミラノの体を癒した。
ユニコーンは、この世界で唯一、癒しの力を……神アルティノルドに“再生”の力を分け与えられた種なのだ。
そうこうしている間にシュナヴィッツやエステリオ、リディクディらが次々と集まって来た。
最後に、“アルティノルド”と名乗る奇妙な男がやって来て、眠ったままのミラノの額にそっと触れると、何も言わず大気に溶けるように消えた。その後、王城にあったクーニッドの大岩もどこぞへと飛び去った。
「あれは兄上、本物の“アルティノルド”です」
「いや、“神”が降臨するだなんて聞いた事が無い。アルティノルド叙事詩にも、その姿を顕したらしい記述は無い」
それから5日経っていると、教えてくれた。
「──つまり、私は……召喚獣ではない?」
この肉体が、本当のものなのならば。
「そうよ、ミラノ」
パールフェリカの手がミラノの腕に触れ、2人は目を合わせる。
「“みーちゃん”になってもらえないのは残念だけど。召喚獣じゃない、本当の“人”のミラノの方が、ずっといいわ」
そう言ってパールフェリカはゆっくりと倒れ掛かるように、ミラノの胴辺りに抱きついた。
「これが本当のミラノなんだって思ったら、ずっと」
静かに目を閉じるパールフェリカを、ミラノは瞬いて見てから、そっとその頭を撫でた。
ネフィリムは腕を組み、シュナヴィッツと視線を交わして、2人で小さく笑った。
しばらくパールフェリカの頭を撫でていたミラノは、ふと呟く。
「ですが、そろそろかえらなくては。……私、既婚者ですし、しんぱ──」
「っえ!!??」
心配されてしまうという言葉を最後まで言う前に、ネフィリムとシュナヴィッツが同時に声を上げた。
「──?」
パールフェリカは驚きつつもミラノの目を見て、ニヤ~と笑った。
「…………」
ミラノはそんなパールフェリカに薄っすらとした微笑みをくれ、目を逸らすと、前のめりにして驚いている2人へ淡々とした視線を向けた。
すぐにパールフェリカがネフィリムとシュナヴィッツを振り返った。
「ちょっと……にいさまたち? どうしたの? ミラノがこんだけ魅力的なら、ありえるでしょ? 子供居てもおかしくないし、ねぇ!」
そう言ってパールフェリカはミラノのお腹をぺしぺしと叩く。そこまで話を膨らませるの? とミラノはパールフェリカを見るが、何も言わなかった。
「え、いや……聞いてな……」
「その……」
動揺を隠せない2人の方を向きなおして、ミラノはぷっと笑う。
「──言ってません。冗談ですから」
そして「ふふふっ」と声を出してミラノは笑った。目を丸くする王子二人を前に、ミラノは口角をきゅうっと上げて、片目を細め、悪戯っぽい魅惑的な笑みを浮かべている。
パールフェリカもニカーっと浮かべた笑顔をミラノと見交わして、声を出して笑い、さらに抱きついて頬をすり寄せた。
呆気に取られたままのネフィリムとシュナヴィッツは、首を左右に振った後、溜め息を吐き出して曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。今まで嘘や冗談なんて言った事の無いミラノだから、信じてしまった。
しばらくして笑いをおさめ、ミラノはほんの少し寂しそうな微笑を浮かべる。
「でも、かえらなくてはならないのは本当。体までここにあるのなら、もう死んでしまうという心配はいらないでしょうけれど、あちらで私は行方不明になっているでしょうし」
一人暮らしなので気付かれる事も無いだろうが。
「かえり方なんてわからないだろう」
むすっとしてシュナヴィッツは言った。が、ミラノは口角を少しだけ上げる。
「あれだけの事をしでかす私が、出来ないとは思わないわ。やれば、出来ると思うの」
「かえっちゃうの!?」
オクターブあがったパールフェリカの声だが、ミラノは淡々としている。
「ここでやらなきゃならなかった事は、きっと果たしたんだもの。もう、いいでしょう?」
アルティノルドも、何を考えたのかわからないが、“はじめの人”と呼んでいたにも関わらず自分を手放してくれたらしい。かえってもいいはずだ。
「よくなーーーい!! 私は、ミラノが好きよ! もっといっぱい色んなお話がしたいわ! 教えてほしい事もたっくさんあるわ! もっと、ずっと、一緒に居たいの!! いつかかえるのだとしても、そんなすぐにかえらなくても……」
大声にミラノが驚きつつ、体を後ろへ引いた。パールフェリカはミラノの両腕を掴んで、蒼い瞳で真っ直ぐ見てくる。
「…………」
反応の無いミラノに、パールフェリカははっきりした声で言う。
「大好きよ!!」
「……ま、まって……すぐにかえるとは言ってな──」
ミラノの言葉の途中でパールフェリカは勢い良くその首に抱きつき、また押し倒してしまう。ミラノの頭の横で枕が跳ねた。
まさかパールフェリカから告白が来るとは思っていなかったミラノは、顔を少し逸らした。その視線の先に、逸らしても逸らしても蒼い瞳はやって来る。男は何人も振ってきたが、女の子相手にどう対応したらいいのか、ミラノは戸惑った。
その様子を見て、ネフィリムがぷっと笑う。
「ライバルが増えてしまったな」
シュナヴィッツも困ったように笑う。
ミラノはきゅーっと目を細めた。
「……勘弁、してください」
──山下未来希の通帳の残高が無くなるまで、あと73日──
生活維持の為に戻らなくてはならない日まで、あと33日──
──未練が、無ければ……?
『“あなた”をよびだすという最終目的の為に創り上げた“召喚の理”は、故に、人を心から想う気持ちによって発生させるというものになりました。わたしの中に生まれた感情の内、最も強かったのがあなたへの“想い”でしたから。わたしアルティノルドへの“想い”を受け止め、わたしは人間に、召喚士に力を貸す。彼らに“異界の霊”を呼び出す力を授ける理が創られたのです』
今アルティノルドが言ったものが、召喚霊なのだろう。これを聞いたならば、ネフィリムは狂喜乱舞でもして見せたかもしれない。召喚の理を、創った者が語っているのだから。
『……召喚獣は?』
『それは……創世の最初の頃に、“あなた”が“面白そう”だと言って強力な獣を生み出したのですが。──ああ、リヴァイアサンやジズ、ベヒモスなどは本当に最初の頃に生み出しました。でも他の生物を増やそうとすると、それはあまりに大きすぎて“あなた”は、しっぱいしっぱい、次いこう! と、笑ってらっしゃいました』
『……』
『巨大な獣が地上に溢れた後、“あなた”をよびだす為の召喚士、人間を創ったのですが。力はあまりに異なり、創る傍から人間は獣に食べられてしまって大変でした。繁殖させるなんて無理無理──とも、笑ってらっしゃいましたね』
懐かしそうに、少しだけ声が弾んだ。
『結局、獣の死後、獣の霊が“良し”としたならば、それを人に与えるという理を創ったのです。召喚士の願いにより、わたしが肉体を一時的に創ってやり、召喚士の喚び出した“霊”に与える。それが召喚獣です』
ばっと音がして、ミラノの視界が陰った。レイムラースが正面で6枚の翼を広げたのだ。
『聞いたか! 面白そう──だ!』
レイムラースの丸い目は、内側に熱を秘めつつ据わっている。口からは、毒霧でも吐き出しそうな、怒気を滲ませた声を押し出す。
『それが、本当かどうか確かめなければ、私は納得が出来ない。これほど強く大きな獣を地表の半分に押し止める原因! 己がこの世界へ戻るためと創った脆く弱い“人間”を優遇、先に創った獣への扱いがこれだ……! “神”でありながら利己的であるなど、言語道断。どう弁明する!?』
真っ直ぐ受け止め、ミラノは半眼でため息を堪えた。
『……弁明って……理由はあなたが自分で言っているじゃない。“はじめの人”は、まだここで何かしたくて、戻ろうとしていたのでしょう? “はじめの人”とやらは、後付けで創った人間を護る為に、獣を、ただし死後獣が許諾したならば人間の力とする、と……。無理矢理人間に力に与えていたのなら考える余地もあるでしょうけれど。──獣の為とあなたが暴れる理由が、わからないわ』
『私は、獣の天使だ、当然の主張──』
『──だからあなたは、人間を護る天使だったのでは、ないの?』
『……え?……』
『人間至上主義として“後付け”された“召喚の理”は全部、人間を護る為でしょう。“はじめの人”──“神”が再びこの世界に、降り立つ為の。“神”が、自分の楽しみの為だけに再び戻る事を望んで、自分を召喚出来る者が現れるようにと自分と同じように“召喚”が出来る人間を生み出し、その“理”を創った。だけど、自分と同じ人間は、脆く弱かった。先に作っていた獣は強すぎた。だから、人間を護る為に次々と、“理”が作られていったのでしょう?』
『ええ。レイムラースも“召喚の理”の前に、創りました』
『七大天使は?』
『後です。七大天使は“召喚の理”を支える存在として、“召喚の理”と共に創りました。レイムラースは、人間が創る傍から獣に食い散らかされていた折、直接その間に入る存在として創りました』
ミラノはアルティノルドの言葉を聞きながら、注意深くその様子を観察した。
善悪や、創るものに対する執着が、浅いらしい事が見え隠れしている。わかりやすい言葉で表現するならば、アルティノルドは“適当”だ。おそらく、言われるまま、望むまま、感情豊かに喜んで見せる“はじめの人”に、創り与えたのだろう。
アルティノルドは故に、レイムラースを“何をする為に”とはっきりした考えを持って創ったわけではない。それで、レイムラースは“神”たる“はじめの人”に存在理由を問わねばならなかった。七大天使のような、召喚術を支えるという明確な存在理由が無かった。長い時に“自分”を見失ったのだ。
ミラノはゆっくりとレイムラースを見る。
『人間を護る為、でしょう? あなた、本当に、獣の天使なの?』
『………………』
沈黙を返すレイムラース。アルティノルドが、やはりぎこちなく笑う。
『覚えてないのでしょう、はじめに創った天使なので、最初はこう、あまり上手くいかず、試行錯誤しましたから。記憶は曖昧なのかもしれません。姿も、この化け物の姿にも、あと剣、盾の姿にもなれるように出来ています。役割に便利だろうと“はじめの人”が──』
『…………酷く迷惑な話ね』
『…………私の話はどうでもいい……。“楽しそう”で獣を生み出し、世界を作り上げ、自分はさっさと消えてしまった“はじめの人”の話だ。何の責任も果たさず消えたヤツの話が済みもしないのに、私の役割がどうのこうのと、言えたものか!』
広げるのは翼だけでは飽き足らず、太い獣の腕でミラノを指差した。
『…………私ではないのだけれどね……“はじめの人”というのは』
ミラノは目線を逸らした。面倒な話である事この上ない。口を挟まず、いつかのプロフェイブの王女アンジェリカ姫に対したようにあしらってしまいたい。
『だから、獣の世界へと“修正”をしてくれたら、それで良いと……』
『私にそんな事、出来るわけが──』
『あなたが私に命じて下されば、それで世界は変わります。何も難しい事はありません。私の主は“あなた”だ』
『………………』
ミラノは頭を抱えたい気分に襲われた。
『本当に、わけがわからないままだわ』
『一つずつ、説明をして差し上げていると思いますが』
『全部、私にとってはどうでもいいわ、結局』
これだけの被害を引き起こしたモンスターを引き連れてきたのは、レイムラースだという。奪われた命もある。
長年逆恨みし続け、レイムラースは“復讐”のつもりだったはずだ。獣の天使として、役目を全うするつもりなのだ。
だからと言って、許されるものではないと断じるのは簡単だが、さて自分は一体、レイムラースという輩を許すだの許さないだのと言える立場かどうか。言える立場と仮定して、言ったところで何も変わらないのは目に見えている。かと言ってこんな化け物を放置するのも、人間にとっては良く無い。
身勝手な存在が居るのは元に世界に居た頃と何ら変わらないが、人に迷惑がかかるのなら、命の奪い合いに発展するのなら、その“我が儘”は、叱っておかなければならない。“神”となったからには、裁量というものをしてみるのもいいだろう。ミラノはレイムラースを見た。
そもそもレイムラースには勘違いがある。それを思い知ってもらうのも、良い。
『アルティノルドさん、このレイムラースという天使を、生まれた頃の姿に戻すことは出来る?』
『可能です』
『!? ちがう! 私が望んだのは──』
『──あなたは』
前のめりに叫ぶレイムラースの言葉を、やはりいつも通りの淡々としたミラノの声が遮る。
『…………』
『トリックスターになりそこなった“はじめの人”の子供。哀れに振り回されてしまった子供。自分自身を、その記憶も省みず、検めず、思い通りにならなければ好き放題暴れるだけの、子供。いたずらだけは派手で、子供と言って許される範囲を大きく超えた。もう一度、考えなおしてくれると助かるわ』
ミラノのすぐ後ろにアルティノルドは移動して、左腕を正面に居るレームラースへ伸ばす。その手から、きらきらと輝く光が零れると同時に、レイムラースへ降り注ぐ。
梟の頭と目、蛇の目をして獣のようにふさふさとした毛を持ち、蛇の太い尾、さらに6枚の蝙蝠のような翼を持っていた化け物レイムラースは、光がきゅっと凝縮するように、1点に絞られるようにして、その空から消えた。
レイムラースの醜い姿は無くなり、次の瞬間、アルティノルドの手の平の上に、6枚の翼を持つ赤子がころりと、転がった。ふわふわの薄ピンクの肌は柔らかい。目を大きく開き、黒い瞳を動かして周囲を確かめている。
赤子とはいえ、やはり大きさは人の子より1.5倍程ありそうだ。銀色の髪をしている点は、七大天使らと同じ。
アルティノルドがにっこりと笑顔を浮かべた。ぎこちなさは、多少なりとも抜けてきたようだ。
レイムラースだったその天使を、アルティノルドがぎゅーっと抱き寄せ、頬ずりした。
『あ~懐かしい。この子が生まれた頃はまだ“あなた”が居ましてね、2人の子供だと抱っこの奪い合いを──』
『黙って。それは私ではないわ』
ミラノは自分の背後に立つアルティノルドを見上げてぴしゃりと言葉を放った。
アルティノルドがした事は、生まれた頃に戻せと言われ、レイムラースの化け物となった実体を消去、その手の平の上に新しい実体を“創造”したのだ。体だけを赤子に戻せたのは、アルティノルドが直接“創造”した存在だったから。野に放たれ、繁殖して増えた存在を再“創造”する事は、アルティノルドにも出来ない。せいぜい“再生”してやる事位しか──。
『……思い、出した』
赤ん坊の姿で、レイムラースは呟く。
醜くひび割れた声ではなく、幼い子供の声だ。男か女か判別が出来ない程。
アルティノルドの腕から、レイムラースはぱたぱたと小さな6枚の翼を器用に動かし、少しだけ離れた。
中身、いわゆる“霊”の部分は、先程の延長である。レイムラースに起こった変化は、体の原点回帰。身体経験のリセット、生まれた頃の、最も“弱い”状態に戻されている。
赤ん坊からやり直させるという事はすなわち、この天使が何十億年と活動してきたすべてを、否定したという事になる。
死んでやり直せ、生まれ変わってやり直せというのは、最大級の罵声だ。存在の否定。それを屈辱と知るならば、いっそ死んだまま放っておいてくれと言うべきだろう。生まれ変わってやり直したいと願うのも、自分で自分を殺している事に大差ない。自殺を願っている。たった今を生き、常にやり直すのは“今”からであり、それは等しく許されている。それを、レイムラースには許さなかった。これが、ミラノなりの裁量だ。
レイムラースの動きを目で追いながら、ミラノが問う。
『人間を護る、で正しかったかしら?』
『ええ……“はじめの人”は……モルラシアとアーティアに分けた“境界”を、護れと……』
獣の大地“モルラシア”と人間の大地“アーティア”の境界を護るという事はすなわち、簡単に攻め入られる人間の側を護る事になる。
レイムラースのふわふわした銀色の髪が、アルティノルドの手にグリグリとなでつけられている。
『もう、人を傷つけないで、いてくれるわね?』
空気を一切読まないアルティノルドを無視して、レイムラースが応える。
『“あなた”が言っていた事を思い出した』
──だからそれは私じゃないと、ミラノは呟きたいところだったが、どうでもよくなりはじめている。もう“山下未来希”は死に、それが自ら選んだ道。自分で、捨てたのだし。
『人間は、獣に比べ脆い。人が強くなれるよう、その間、獣から護って欲しいと……』
このレイムラースが、人間は脆い、脆いと言って殺してまわっていたのはついさっきだ。──今頃……と、ミラノは心の中に浮かび上がりそうになる負の感情を閉じ込めた。そんなものを持ち出しても、何の解決にも繋がらない。既に、人として、“山下未来希”として何もかも諦めた今、その感情を封じ込める事は、それ程難しくなかった。レイムラースには今後、人間を護る存在であってくれれば、もうそれで良い。
『“はじめの人”は、人間の力を獣と同じにはしなかった。生まれるなり強い力を持つものとは、しなかった……。そこは、共感出来るわ。あなたの言う“罪”も、わからなくもないわ。“楽しい”“面白そう”と暴れまわって、好き勝手して、中途半端に去っていった“はじめの人”ならば、責めてもいい。“はじめの人”は、自分のやった事に責任を持つ必要が、あったのだから』
そう言って、ミラノは目線を落とした。
『──とんだ尻拭いだけど、私の望みも叶うのだから、今はもう、身代わりになるしか、やるしかないのだけど』
ミラノが周囲に目配せをすると、七大天使らが周囲に飛び去りながら、空に溶けるように消えた。
『レイムラース、あなたも力を貸して。覚えている? あなたの奪った命』
レイムラースは短い首を縦に降った。体が半透明になり、次第に消えていった。
『ではわたしも、大気に混じり“力”となりましょう』
『おねがい』
よくわからないけれど、という言葉は飲み込んだ。結局、今まで通り頭の中でイメージして実行するという事を、試すだけ。出来なければ大声でアルティノルドを呼べばいい。きっと、喜んで姿を見せるはずだ。
『よろしいですか。わたしに出来る事は、創造と再生。“霊”を喚び戻すのは、召喚士たる“あなた”の役目です』
ミラノは頷く。
アルティノルドはミラノからそっと離れながら、ふっと、王城──聖火台辺りをじっと見つめた。ミラノもそちらを向いたが、遠すぎてアルティノルドが何を見ているのかわからなかった。
アルティノルドはミラノを振り返ると、自然な笑みを、初めて見せた。
『──これでは、わたしの働き損だ。でも、その方が“あなた”の笑顔も、見られるのかもしれない──』
そう言って、アルティノルドも大気に消えた。
城下町の上空で一人になって、ミラノは息を吸い込んだ。こんな半透明の形で吸えていたのか、わからないが。
少しずつ晴れ間が生まれつつある曇り空の、あらぬ方を見た。
なんで、どこをどうして、こんな事になっているのか──わからなくても。
“今”自分で出来る事、やるべきだと感じる事を、するだけ。
イメージする。
──体が壊れ、命を失い、“霊界”へと飛ばされたであろう“霊”達を、この世界に召喚し、アルティノルドの再生する元の体へ、戻すのだ。
(2)
空を埋めていた暗雲は、“神の召喚獣”が居なくなった事からか、晴れ始めている。高い空では強い風が吹いているのだろう。
お腹は空いているのかどうか、わからない。喉も目元もひりひりする。血の臭いが風に流れている。春の風なのに、王都は燃え上がっているのに、冷たく感じられるのはどうしてだろう。
王城の、この屋上でただ一人生ある者として、パールフェリカは決意した。
体に入らない力を気力で振り絞り、闇の扉に近づきながら、パールフェリカは相手も無く呟く。体をずるりずるりと重たく引きずるように、一歩一歩進みながら。
「──強い、弱いじゃないってミラノは言ったけど、私はそうじゃないと思う。やっぱり、強い、弱いは、あるわ」
パールフェリカは闇の扉の中、動かないミラノを見る。そして、すぐ傍に倒れるネフィリムを見る。
唇が震えるが、歯で噛んで止めようとする。そうすると、さっき止まったはずの涙がまた溢れた。上着の袖でそれをごしごしと拭う。顔の端々に、袖に付いていた血が擦れて残った。
表情を歪めたまま、パールフェリカは闇の前にまっすぐ立ち上がる。
「弱いからよ。脆いからよ……ミラノ」
パールフェリカはまた少し移動して、屋上の中央で歯を食いしばって立つ。
「弱いから、強さを知るんだわ」
震えも、涙も、止まった。
「涙はね、弱さを教えてくれていたのよ。でも、それがわかったら、ちゃんと覚えられる。涙と引き換えにきっと、強さの端に手が届く。強い人はみんな、弱さを知っている人なのよ」
真っ直ぐ正面を見据えた。
「──弱さを受け入れなければ、強くなんてなれなかったのよ」
北へ5歩、南へ4歩と歩いて、足跡を残す。そこに十一芒星を描く。手順はほんの7日前に行った初召喚儀式と同じ。
「強くなりたかったら、弱さを認めるしかない。弱い時の自分を、否定しちゃいけないんだわ」
再びパールフェリカは中央に戻った。
城下町の中心。真上に、光が生まれ始めている。あそこには、ミラノが居るだろう。
「生まれた時から強い人なんていない、弱いって言ったわね。それは、強さを知る為に、弱いんだわ。はじめから力なんて持っていたら、きっと──本当の強さなんて、わからないんだわ」
パールフェリカはほんの少し俯いた。
じわりじわりと、描いた魔法陣に白い光が灯り始める。書き順に従って文字が描かれ、浮かび上がる。
「すぐには無理よ。急になんて出来ないわ。みんな、一歩一歩、少しずつ少しずつ、自分の弱さを思い知りながら、強さに焦がれて、目指して、努力するんだわ」
魔法陣が強く光を放ち、足元からパールフェリカを照らしあげる。
弱い事がどれだけ辛いか、それがもう“罪”とさえ感じられる程身に染みてようやっと、強さを欲しくなるなんて。欲しがりながら泣き伏してちゃ駄目だ。そこで泣いている自分に酔って足を止めてちゃいけない。
人間が、簡単に死んでしまう脆い存在と思い知って、同時に自分も同じ脆い人間だと思い知って初めて、強くならなければと思うなんて。大事な人達を目の前で失わなければ立ち上がれなかっただなんて──なんて、弱い。
簡単に身も竦むし、出来ないと思ったら逃げてしまう。現実の自分を思い知っては涙ばかり溢してしまう。そんな弱さはそれでも、掴まえて離してはいけない“自分”の一部。そこに足を乗せて、飛び上がる為に、目を逸らしちゃいけない。
今、ここに居るのは紛れも無く自分で、今、目の前に現実は時と共に過ぎ去って行く。掴まえておかなきゃいけない、自分を。
自分と現実とを見つめられるのは、ただ一人しかいない。
本当はただ一人で、弱さを持った自分で戦うんだ。そこに、強さはある。
「ミラノ、私、強くなるわ」
静かな声で言って、パールフェリカは両手を合わせ、呪文を唱える。
「我が名は、パールフェリカ!
我が魂に価値を見出すならば我が声に応えよ!」
──もう遅い、なんていう逃げの言葉ならいらない。今、戦う。
「きたれ!
遍く存在に愛されし者、リゼヌとセムに誘われし者よ!
汝、唯一神の神たる力授かりし者、猛き力と荒ぶる情念を持つ者よ!
穢れなき角で全てを浄化し癒す者よ!
世界を始めし至高なる存在、アルティノルドの庇護の下、
我と契約を結ばん」
足元の魔法陣がほんの少し浮かび上がり、急速に回転し始める。
パールフェリカは泣きそうに歪んでいた顔を、無理矢理ニヤッと笑ませて、空に居るであろうミラノを見た。
「──さよなら? 知らないわよ。さよならなんて、させてあげないの」
顔を上げ、心を奮い立たせる。
「パールフェリカ姫はね、可愛い顔して、笑って、腹の中で薄笑いをしていたりするのよ。わがままを言ってみせて操って、それを見て楽しむの。そんな女の子なのよ? 実態知ったらきっとみんなの嫌われ者よ。それで、結構だわ。わかる? いじわるなの」
それが“自分”だと、パールフェリカは宣言した。
「ミラノが自分を犠牲にするのなんて、許してやらない。死なせてなんか、やらないわ」
強い語調で言いながら、片眉が歪んだ。
ミラノを想えば想う程、よみがえる言葉の数々がある。抱きついた時にふわりと漂う柔らかい香りが鼻腔に蘇る。どれだけ無茶をしても軽くあしらって、後でそっと微笑ってくれる。
自分のミラノへの想いは何だったか、望んだものは、期待したものは──。
「ネフィにいさまも、シュナにいさまもきっと……」
ミラノの幸せ、自分の幸せ。
それは一緒に居る事でなし得るものとは、限らない。
パールフェリカは再び顔を上げて、城下町上空全域に光を広げるミラノの居る辺りを見る。
「ミラノは私のせいじゃないと言うけれど、そんなの関係ない。ミラノをよびよせた以上、巻き込んだ以上、ちゃんとかえす。私は、その責任をちゃんと果たすわ──」
魔法陣がパールフェリカより少し前方へ移動して、回転する。強烈な白い光が溢れ、辺りを染め上げる。
その中心から、大きな嘶きが響き渡り、空を貫く。
大人の腕一本の大きさはある、立派な角。
全身が薄ピンク色の馬の姿で、床を蹄でカッカッと弾いて、パールフェリカの前に堂々と立って見せた。
現れたのは、ユニコーンである。
前足を大きく振り上げたユニコーンの鬣は風に揺れ、足元の白い魔法陣に照らし出され、神秘的で美しい光を全身で照り返す。
その動作で巻き起こる風が、パールフェリカの結わえた髪の端から落ちた一房を、上下左右踊るように揺さぶる。それを軽く首を振って払い、パールフェリカはにっこりと微笑んだ。
「──それが、召喚士の嗜みってものでしょう?」
パールフェリカは勢いを付けてユニコーンに駆け、一気に飛び上がってその背に跨った。鬣をしっかりと掴み声を上げる。
「ミラノを、助けるわよっ!!」
パールフェリカの声を合図にユニコーンは前足を高く上げて嘶き、闇の扉の中へ飛び込んだ。
(3)
ミラノが“ここで失われたもの全ての再生”を願ってイメージする。
重要なのは“できっこない”という発想を持たない事。やれば出来ると思う事。
空一面に巨大な魔法陣が広がった。今まで作り上げてきた、いずれの魔法陣よりも大きい。
同時に、暗雲は魔法陣を避けるようにガミカ上空から流れ去り、消えていく。
昼と夕方の間、斜めから太陽の光が降り注ぐ。魔法陣の七色の光と、太陽の光が混じる。回転する魔法陣からは虹色の光の霧雨が、王都のみならず周囲の山々にまでさらさらと降り始める。
魔法陣の中央、少し上辺りにミラノ姿がある。
グレーのスーツ姿、いつものきりりとしたモデル立ちで崩壊した城下町を見下ろしていた。
今までと違うのは、体が透けている事。飛べる事。これが“霊”らしいが、その辺はもう、どうでもいい。
相変わらず森や城下町、その周囲の木々からはもくもくと煙が立ち上っている。
──人なんて、自分勝手だ。
好きだ嫌いだ、愛しいだ憎らしいだ、相手の感情を無視して声高に叫ぶ。だが、ほとんどの人がそうなのだから、結局お互い様だ。
そんな中でも、救いは、あって──。
脳裏にシュナヴィッツの照れた笑みが、ネフィリムの包み込むような瞳が浮かんできた。だが、ミラノは首を少し傾げるのみで、すぐ戻した。
頑なに拒んだ、けれど、その想いは、本当の“片想い”だった。
人を思う気持ち。見返りを求めない、純粋な気持ち。
片想いは、相手を思う自分に酔う事じゃ、ない。
自分の為に、相手を思い通りにしようとする事じゃない。
自分の為に、ただ傍に置こうとする事じゃない。
自分の幸せの為じゃない。
素直にただ相手の幸せを、思う事。祈る事。願う事。
そういう“片想い”であれば、ミラノも毎度毎度ひどい目にはあわなかっただろう。だが実際は、いつの間にか、“己の為”に相手を想う者が多い。
アルティノルドの長い長い想いはいつの間にか歪んで、ただ“はじめの人”という存在を求めた。ミラノという人格を、無視して。
元の世界に居た頃と同じ結末がここにあって、“はじめの人”だと言われたミラノはまた、その想いに応える。
アルティノルドの片想いは、本当に、好き、か。
好きだ好きだと言い寄られたところで、本当の片想いは少なく、多数に紛れて惑わした。
幸せを願われる事は無く、依存、自己愛、憧憬、自慢、利己的な慕情の末に、振り回されるばかりだった。相手の想いに付き合った結果はもう、嫌という程知っている。自分も相手も幸せになれないと、ミラノは知っている。
三兄弟もまた、自分の為に傍におきたいと言い始めて──。
それでも、ネフィリムはミラノがかえれる事を願ってくれた。シュナヴィッツは身さえ投じた。
ただ、ミラノの望むままを願い、幸せを祈ってくれた。
救いは、間近にあったのに──。
でも、だから、ミラノはアルティノルドに応える。
自分に、本当の“想い”を寄せてくれた者の為──。
召喚術の、源。
願う。祈る。
ミラノは“やる”と、決意する。
そのイメージが完成する。
プリズムの魔法陣の上、一人、風に揺らぎ、透ける体は既に“霊”のそれであっても。
前髪の一房、黒い髪がなびく。
ゆっくりと瞬いて地上を見下ろすミラノの背後には、地表を覆いつくさんばかりの白い光が、アルティノルドの力が溢れる。
それが、ミラノの“召喚術”。言うなれば、“召喚神”。
ミラノは“召喚神”に命じる。
人々に、この世界すべての存在へ、心を傾ける。
────幸、多からんことを。
一方的に願い、想う。片想い。
ミラノの、相変わらずの淡々とした──だが染み渡る温かい声は、“神様”の声として、光の中へと飲み込まれていく。
魔法陣の中から次々と現れる“霊”は、惑いながら、大気に溶けた天使らの導きによって本来の肉体へとかえっていく。その肉体は既に、アルティノルドによって“再生”をされて、既に鼓動が始っている。
濃い光が王都を包み込んでいる。
王都を埋めていた火炎も全て消え、崩れていた街並みさえ修復している。アルティノルドの再生の力が、器物にも及んでいた。
一人、また一人と、立ち上がる。
人々は降り注ぐ虹色の霧雨に手を伸ばす。空を見上げて、そこを埋めるように、視界から溢れる程巨大な、七色の魔法陣に溜め息をこぼす。
「奇跡……」
誰言うとなく呟かれる言葉は、連鎖のように広まり、薄らぐ光の中で彼らの視界も蘇る。周囲に次々と立ち上がる同胞の姿を見て、さらに同じ言葉を声高に叫ぶ。
王城3階の回廊で上半身を起こして、シュナヴィッツは周囲を見回した。自分の胸に手を当てて擦ってみた。鎧には傷もない。慌てて脱ぎ捨てて、やはり穴も無い服の上から触れるが、傷など無い。襟ぐりを押しやって直接肌を見て、どんな傷跡も無いのを確認して、息を飲んだ。
ようやっと、はらりはらりと降る光の粒に気付き、立ち上ると、空に回転する巨大な魔法陣を見上げた。
「──ミラノ」
聖火台のある屋上で、体を起こし片膝を引き寄せて、そこに肘を置いた。手を顎に当てて、思案する。
「ネフィリム様!」
後ろから聞こえた声に振り返れば、アルフォリスが元気一杯で駆けて来る。手も足も全部ちゃんと繋がっている。鎧さえも。
「あの──俺、生きてます?」
ネフィリムはぷっと吹くように笑った。
「生きているみたいだな、私も」
二人ほぼ同時に、王都上空の七色の魔法陣を見る。
「ミラノ様……ですかね」
「そうなのだろうな。──本当に、何者なのだか」
言ってネフィリムは呆れたように笑った。
王都のあちこちで首をひねりながら、エステリオが、スティラードが、リディクディが、レザードが立ち上がり、そしてやはり七色の光を降らせる魔法陣を見上げる。
王都を包む光が少しずつおさまっていくと、遠くまで見通せるようになる。禿げていた山々の木々さえ蘇り、破壊された城下町も今朝までの姿を取り戻している。燃えて倒れていた巨大な木々も、その上にあった街も皆、元の姿に戻っている。そこかしこで人々が手を叩き、または抱き合っている。
「奇跡だ! 生き返った!」
口々にそう言い、空に輝く魔法陣を仰いだ。
わけ隔てなく聞こえた声を、アルティノルドの声と騒ぎ、そしてまた“神に守護されし国・ガミカ!”と声を響かせた。
──音もなく、静か。
闇の扉に飛び込むと、そこは真っ暗で前も後ろも、上も下も右も左もわからない世界だった。ただ一点を除いて。
ミラノの姿のある場所までユニコーンを走らせた。そこがどこだとか考えず、パールフェリカは“今、やってやる”と、心の内でひたすら念じている。
闇の扉をくぐり、“霊界”を渡って辿り着いたのは、ミラノの居た世界。
日本某所の、郊外にあるアパートの一室。
狭すぎるのでユニコーンは前足と頭だけを突っ込んだ形で止まった。押しやられて、さらさらと薄青色の目隠しカーテンが揺れた。
パールフェリカはユニコーンに頭を下げさせ、闇に落ちないようその首に沿うようにして部屋の中へ降りる。ユニコーンはすぐに頭を上げて左右にぶるっと振った。
うつ伏せに倒れた、グレーのスーツを着た女性の姿を見下ろして、パールフェリカはごくりと唾を飲む。だがすぐにユニコーンを見る。
意思ある瞳に応え、ユニコーンは再び頭を垂れて、その角を倒れた女性に差し向ける。ぱっと角に光が灯ると部屋は白く輝き始める。
光の粒子が吸い込まれるようにグレーのスーツに張り付き、その下へ飲まれて消えていく。
パールフェリカはすぐ横に両膝をついて正座の形で座り、彼女の細い手を握る。今日、手を握ってもらった時よりも少し、冷たい。
腰を折り曲げ、彼女の手に自分の額をこすりつける。
──……おねがい!
その手が、じわじわと温かく、熱を持ち始めると、パールフェリカはぺたんとお尻をついて座り込んだ。
「……ミラノ──」
ほんの少しだけほっとして、彼女の名を呟いた。
横から、低く短いユニコーンの声があがり、ふと顔を上げると、ユニコーンの角が、消えた。当然その癒しの力も無くなり、部屋の中から白い光も消えた。
「──え?」
パールフェリカは手を離して慌てて立ち上がり、ユニコーンの鼻先に触れた。間近で見ても角が無い。
アルティノルドの力は、“霊界”を超える事が出来ない。ユニコーンの身の内にあった、パールフェリカがあちらの世界で集めたアルティノルドの力は、ミラノを癒して使った分、消えたのだ。この世界では、アルティノルドの力を集めようとしても当然集める事が出来ない。このままではユニコーンに力を供給出来ないのだ。
彼女の鼓動はとても緩やかに始ったが、すぐにでもまた止まってしまいそうだ。パールフェリカは彼女を仰向けに返し、片腕を自分の首の後ろに回して絡めた。肩でかつぐと、膝に力を込める。闇の扉から少し離れるように、引きずるように移動すると、ユニコーンがさらに体を突っ込んで来て、前足を曲げて屈んだ。
パールフェリカは彼女の体を、温もりを取り戻した“本体”を全身の力を振り絞って抱え、ユニコーンの背へうつ伏せに乗せた。すぐに自分も後ろに飛び乗り跨ると、ユニコーンが頭を左右に揺らしながら立ち上がる。
闇の世界へと後退すると、頭を翻し、元来た方向へと駆け出す。
パールフェリカは上下する馬上で、やはり同じように揺れるグレーのスーツ姿の彼女の体を見下ろす。
良かったと思うと、自然と笑みが浮かんだ。体を屈めて、抱きついた。
とくんとくんと、命の音が聞こえてくる。頬を寄せ、眠ったままだがその耳に届くように、小さな声で呟く。
「……ミラノ、笑おう? やる事やって、何の迷いも、心にひっかかるものも何もなく、底抜けに、笑おうよ、ミラノ。きっと、ありえないくらい、楽しいんだから!」
顔を上げると、王城屋上の闇の扉の向こう、こちらを覗き込んでいる兄の、ネフィリムの驚いた顔が目に入った。
「あはっ!」
パールフェリカは、声を上げて笑った。
ミラノが、目を覚ましたのは、パールフェリカの寝室だった。
薄暗いがわかる。見覚えがある。横っ面すぐに、白く光る何かをぼんやりと認めて、視線をあげ、小さく声を漏らした。横になったまま“それ”から離れ、慌てて上半身を起こした。
寝台の横に居たのは、大きな角から白い光が漏れる、薄ピンク色の馬。これも、見覚えがある。
「──ユニコーン?」
呟いたつもりがほとんど声にならない程掠れてしまって、ミラノは小さく2度咳き込んだ。
ふと気付いた。両手もあるし、髪も短くない。
半透明だった体も“元に”、と言うのが正しいのかわからないが、戻っている。
着ている服はどうやらこちらのもののようで、首の付け根ぎりぎりまである襟ぐりの、シンプルな寝間着のようだ。色は濃紺で肌触りがさらさらとシルクのように細かい。当然アクセサリの類も身につけてはいない。
「……どうして……?」
ユニコーンは頭を上げて姿勢を正す。その頭は寝台の天蓋に届きそうだ。通常の馬より大きいらしい。
ユニコーンが、ふいと扉の方を向いた。
次の瞬間、ばたんと大きな音を立てて扉は開かれ、光が差し込んでくる。ミラノは眩しさに目を細めた。
「ミラノォ!」
聞き慣れてしまったパールフェリカの大声と共に、その逆光のシルエットは勢い良く駆けて来た。
“うさぎのぬいぐるみ”の時はあまり気にしなかったが、タックルをかまされて起こしていた上半身は、そのまま押し倒された。案外痛い。
「パール、ミラノは病み上がりなんだから、ムチャをしてはいけないな」
「ミラノ、平気か?」
すぐに、扉の向こうから二つのシルエットが寝台脇にやって来る。
パールフェリカはミラノの腿辺りに跨ってた形で上半身を起こし、兄らを振り返った。
「ネフィにいさまも、シュナにいさまも、私は非道じゃないわよ。ねぇ? ミラノ」
パールフェリカはそう言い、頭突きをされて痛むのか、右肩をさするミラノを見下ろす。
「非道? ……そうね、非道ではないわね。それより、私、なぜここに居るんです?」
「私が連れてきたからよ!」
「……いえ……待って」
ミラノは両肘を後ろについて上半身を起こそうとする。パールフェリカが手を伸ばしてきて、手伝って起こしてくれた。パールフェリカ自身はミラノの横にぺたんと座った。ミラノはパールフェリカをゆっくりと見た。
「どういう意味?」
記憶が曖昧だ。アルティノルドと共に、王都再生の魔法陣を広げて、陽が沈んだ頃までの記憶はある。その後──。
問いながら自分の記憶を探るミラノに、ネフィリムが「とても驚いたのだが」と前置きしてから説明してくれた。
闇の扉の向こうから、ユニコーンに騎乗したパールフェリカがミラノの実体を連れて戻ったのだという。
パールフェリカは再びユニコーンに力を与え、その角に再び光が灯ると、ミラノの体を癒した。
ユニコーンは、この世界で唯一、癒しの力を……神アルティノルドに“再生”の力を分け与えられた種なのだ。
そうこうしている間にシュナヴィッツやエステリオ、リディクディらが次々と集まって来た。
最後に、“アルティノルド”と名乗る奇妙な男がやって来て、眠ったままのミラノの額にそっと触れると、何も言わず大気に溶けるように消えた。その後、王城にあったクーニッドの大岩もどこぞへと飛び去った。
「あれは兄上、本物の“アルティノルド”です」
「いや、“神”が降臨するだなんて聞いた事が無い。アルティノルド叙事詩にも、その姿を顕したらしい記述は無い」
それから5日経っていると、教えてくれた。
「──つまり、私は……召喚獣ではない?」
この肉体が、本当のものなのならば。
「そうよ、ミラノ」
パールフェリカの手がミラノの腕に触れ、2人は目を合わせる。
「“みーちゃん”になってもらえないのは残念だけど。召喚獣じゃない、本当の“人”のミラノの方が、ずっといいわ」
そう言ってパールフェリカはゆっくりと倒れ掛かるように、ミラノの胴辺りに抱きついた。
「これが本当のミラノなんだって思ったら、ずっと」
静かに目を閉じるパールフェリカを、ミラノは瞬いて見てから、そっとその頭を撫でた。
ネフィリムは腕を組み、シュナヴィッツと視線を交わして、2人で小さく笑った。
しばらくパールフェリカの頭を撫でていたミラノは、ふと呟く。
「ですが、そろそろかえらなくては。……私、既婚者ですし、しんぱ──」
「っえ!!??」
心配されてしまうという言葉を最後まで言う前に、ネフィリムとシュナヴィッツが同時に声を上げた。
「──?」
パールフェリカは驚きつつもミラノの目を見て、ニヤ~と笑った。
「…………」
ミラノはそんなパールフェリカに薄っすらとした微笑みをくれ、目を逸らすと、前のめりにして驚いている2人へ淡々とした視線を向けた。
すぐにパールフェリカがネフィリムとシュナヴィッツを振り返った。
「ちょっと……にいさまたち? どうしたの? ミラノがこんだけ魅力的なら、ありえるでしょ? 子供居てもおかしくないし、ねぇ!」
そう言ってパールフェリカはミラノのお腹をぺしぺしと叩く。そこまで話を膨らませるの? とミラノはパールフェリカを見るが、何も言わなかった。
「え、いや……聞いてな……」
「その……」
動揺を隠せない2人の方を向きなおして、ミラノはぷっと笑う。
「──言ってません。冗談ですから」
そして「ふふふっ」と声を出してミラノは笑った。目を丸くする王子二人を前に、ミラノは口角をきゅうっと上げて、片目を細め、悪戯っぽい魅惑的な笑みを浮かべている。
パールフェリカもニカーっと浮かべた笑顔をミラノと見交わして、声を出して笑い、さらに抱きついて頬をすり寄せた。
呆気に取られたままのネフィリムとシュナヴィッツは、首を左右に振った後、溜め息を吐き出して曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。今まで嘘や冗談なんて言った事の無いミラノだから、信じてしまった。
しばらくして笑いをおさめ、ミラノはほんの少し寂しそうな微笑を浮かべる。
「でも、かえらなくてはならないのは本当。体までここにあるのなら、もう死んでしまうという心配はいらないでしょうけれど、あちらで私は行方不明になっているでしょうし」
一人暮らしなので気付かれる事も無いだろうが。
「かえり方なんてわからないだろう」
むすっとしてシュナヴィッツは言った。が、ミラノは口角を少しだけ上げる。
「あれだけの事をしでかす私が、出来ないとは思わないわ。やれば、出来ると思うの」
「かえっちゃうの!?」
オクターブあがったパールフェリカの声だが、ミラノは淡々としている。
「ここでやらなきゃならなかった事は、きっと果たしたんだもの。もう、いいでしょう?」
アルティノルドも、何を考えたのかわからないが、“はじめの人”と呼んでいたにも関わらず自分を手放してくれたらしい。かえってもいいはずだ。
「よくなーーーい!! 私は、ミラノが好きよ! もっといっぱい色んなお話がしたいわ! 教えてほしい事もたっくさんあるわ! もっと、ずっと、一緒に居たいの!! いつかかえるのだとしても、そんなすぐにかえらなくても……」
大声にミラノが驚きつつ、体を後ろへ引いた。パールフェリカはミラノの両腕を掴んで、蒼い瞳で真っ直ぐ見てくる。
「…………」
反応の無いミラノに、パールフェリカははっきりした声で言う。
「大好きよ!!」
「……ま、まって……すぐにかえるとは言ってな──」
ミラノの言葉の途中でパールフェリカは勢い良くその首に抱きつき、また押し倒してしまう。ミラノの頭の横で枕が跳ねた。
まさかパールフェリカから告白が来るとは思っていなかったミラノは、顔を少し逸らした。その視線の先に、逸らしても逸らしても蒼い瞳はやって来る。男は何人も振ってきたが、女の子相手にどう対応したらいいのか、ミラノは戸惑った。
その様子を見て、ネフィリムがぷっと笑う。
「ライバルが増えてしまったな」
シュナヴィッツも困ったように笑う。
ミラノはきゅーっと目を細めた。
「……勘弁、してください」
──山下未来希の通帳の残高が無くなるまで、あと73日──
生活維持の為に戻らなくてはならない日まで、あと33日──
──未練が、無ければ……?
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