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本編 【5歳】

1.5歳の目覚め

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 ここは王都別邸内に完成したばかりの書斎である。
 クリスティーナがわがままを言って、それこそ床に寝そべり、手足をジタジタバタバタさせること3日──合間に三食+風呂+睡眠に連れ出されるも──ねだりにねだってゲットした書斎である。

(──諸君。私の名はクリスティーナ・ロザフォードという。賢明な乙女の皆様には女子向けのゲーム「虹のクローバー・グローリー」の第一王子ルートにおけるライバル悪役令嬢と同じ名前じゃん!! と気付いていただけたことと思う──そうです。すべては、そういうことなのです……)

 春の日差しが薄手のカーテン越しに差し込む書斎で、クリスティーナは心の中で誰にともなく話しかけている。
 彼女なりの冷静さを保つ方法だ。

 クリスティーナは現在5歳である。
 彼女に限って言えば、前世を単純に足して四十路である。
 彼女には前世、常々まき散らしていた執念に近い強い感情がある。
 曰わく『若い子が可愛い』──。

 クリスティーナの前世には毎日100回以上、タシタシタシタシあの子可愛い、今の店員さん可愛いとSNSに呟き続けるはた迷惑な性癖があった。
 居酒屋では友人と飲み交わしながら力こぶしをこさえて『若い男がたまらなく可愛い! 私は若く可愛い男の子達が大好きだ! 大っっ好きなのだ!!!』と力説していた。どん引かれるのに慣れる程度には長く患いすぎて、周囲の目など気付きもしなかった……。

(成長したあかつきたるイケメンに至っては癒やしである。神ですらあると私は認識している。イケメンは大正義なのだ!! そんな将来イケメンが約束された若い男の子達に嫌われるばかりの悪役令嬢役など、ごめんこうむりたい……おねがい……だれかウソだと言って……)

 クリスティーナは直面してしまった現実に戸惑いつつも冷静さを取り戻すべく、心の中でブツブツ呟き続ける。

 この性癖の通り、クリスティーナ──前世の彼女は自分で恋愛を楽しむというより、誰か(美男美女)が恋愛しているのを眺めるのが大好物なのだ。
 それなりの経験はあれど、いや、あるからこそ「自分でする恋愛はもういいや」と世捨て人を決め込み、他人の恋愛を覗き見る変態趣味を爆発させるお節介ババアになり果てていた。

 乙女ゲームも己を投影するというよりも、ヒロインがヒーロー達にチヤッホヤされて「あんた、そんな、もぅっ! す・て・き!!」とお婆本能むき出しで馬に蹴られるのもなんのそので覗きたいのだ。

(覗きたい……ああ、私は他人の恋愛を覗きたいのだよ!!)
 変態ではあるが彼女の中では至ってまっとうな趣味にすぎない。

 さて──。
 乙女ゲーム「虹のクローバー・グローリー」は冒険者や魔物もたくさんいる剣と魔法の異世界ファンタジー世界をベースにした育成シミュレーション要素の強い作品で、物語も日付で進行する。

 つまり、クリスティーナには今日の午後、あのイベントが発生するとわかっていたのである。

 第一王子との内々の婚約式──。

(はい、12年後に第一王子によって破棄されるという婚約の顔合わせです。私=乙女ゲーム「虹のクローバー・グローリー」の悪役令嬢への転生 確 定 です……!)
 今日の予定を侍女に聞かされた時、この5歳の少女はビシッと固まったものだ。

 ちなみに、第一王子による婚約破棄の理由は第二王子との『不貞』とされている。
 ──浮気。第二王子とイチャコラ大人な関係になりましたねアナタ! と断罪されるのだ。
 そもそもゲームのクリスティーナは特段、痴女ビッチなどということはない。第一王子の妻に相応しくあろうと真面目に王妃教育をこなしていた箱入り淑女だった。
 それなのに婚約者の弟と不貞を決めつけられた。

 ──これにはカラクリがある。

 第一王子ルートの場合、ヒロインを定番通りいじめぬいたライバル令嬢のクリスティーナへ、ヒロイン取り巻きたる他の攻略対象達からの復讐劇として罠が用意される。クリスティーナはハメられ、文字通りハメ……不貞行為に及ぶ──というゲーム展開だ。

 第一王子ルート以外だと、ノーマルイベント、第二王子による王位継承権簒奪計画の阻止としてクリスティーナは利用され、モブに近い扱いになる。
 ルート外の第一王子が気にかけるヒロインを邪険に扱うクリスティーナは、第二王子を失脚させる道具にされるのだ。
 第二王子にとっては、第一王子派勢力が王位継承権簒奪計画の証拠を掴めなかった為にはった罠──ということだった。

 第一王子ルートでも他ルートでも、前もって媚薬をたんまり飲まされたクリスティーナと第二王子は密室に閉じ込められ──ただでさえ盛って仕方ないお年頃(17歳)で──楽々不義不貞の成立──。
 クリスティーナの前世は毎度発生するこのゲームイベントを『可愛い男女が切な苦しい罠にハメられて……心では否定してても体の疼きが止まずに組んず解れつ──ああ……美味しい……はぁ……はぁ……』とスキップせずに楽しんだ。18禁ではなかったのでもちろんたった一枚の妖しげなスチルから妄想で補っていた。

 こうして、婚約中なので姦通罪が適用され、クリスティーナと第二王子はまとめて断罪──王位継承問題がさくっと解決される。
 断罪については、当日、クリスティーナと第二王子は二人並んで仲良く斬首刑に処される──と。とんだスピード解決である。
 どのルートでも、クリスティーナと第二王子は性交おせっせの後、即、首ちょんぱなのだ。
 このゲームのエンディングはサマーパーティーで中ボス──クリスティーナまたは第二王子──を仕留めて絆を深めたヒロインとヒーローが魔王をやっつけたところにある為、この辺はチャッチャと進むのである。


 避けられない第一王子との婚約──。
 クリスティーナは5歳児らしからぬため息を吐き出す。
(もう仕方がない)
 今、5歳のクリスティーナに出来ることは何もない。王都別邸に書斎を手に入れることで精一杯だった。
 私室は防犯上3階で脱走が難しかった。その為、引きこもったり、地下通路をこさえられる1階に書斎を求めたのだ。
(こうなってくると……第一王子との婚約、逆に利用するしかないわ。ピンチはチャンスに変えてこそ……ね)

 王宮へ王妃教育へ赴くたび、第二王子とコミュニケーションをとって王位継承権簒奪の野望を持たせないようにする──などなど。

 実際のところ、ゲーム内で第二王子がどこまでこの犯罪に乗り気だったのか、クリスティーナにはよくわからない。
 ゲームでは語られていなかったのだ。

(周りにそそのかされたり、第二王子自身もハメられている可能性が高いものね……第二王子の後ろ盾について彼を王にし、自らは宰相に取り立てさせる──そのために第二王子をハメてでも王位継承権を簒奪させようって貴族がいないとは言い切れない……)
 しばらくは調査や情報収集が不可欠だ。5歳児の限界を思うと元三十路は胃痛を覚えた。
「……はぁ」
 革張りの大きな椅子に沈み込み、クリスティーナは声に出して小さなため息をこぼす。

 ゲーム「虹のクローバー・グローリー」は確かにやりこんだが、ゲーム内で説明されなかったことや、手を加えていったなら、その先の展開はわからないのだ。
(いつ、どのタイミングでどう動いたものか……)

 ……いずれ第一王子はヒロインとラブラブになるか、ヒロインの逆ハー取り巻きメンバーになり、クリスティーナへの興味を無くしてしまう。
 むしろ第一王子はヒロインに誠意を疑われかねないと勝手に思い込み、婚約者のクリスティーナを疎ましく思うようになるのだ。さらに婚約者クリスティーナはヒロインいじめをするような悪役令嬢……。

(第一王子と仲良しになる意味はゼロね……かと言って第二王子と仲良くなりすぎてもいけない。罠にハメられる前に自分から姦通罪にハマりにいくとかアホでしかないし……)
 第二王子とは後で手を組める程度にお互いを知りあっておくに留めたい。


 ──王位継承権簒奪計画および、婚約破棄イベントが発生する12年後のサマーパーティーをXデーに据え、クリスティーナは全力で行動していかなくてはならない。
 最悪、国外逃亡をはかりたい。
 クリスティーナ一人でもいいが、味方を……呉越同舟──第二王子を協力者として巻き込んだ方がいい。


 まっさらな春の日差し柔らかなこの新品の書斎──。
 ここはすべての計画を練り、実行に移していくための秘密基地だ。業者には公爵令嬢クリスティーナのお小遣いを握らせ、外への秘密地下室や地下通路も増設中だ。

 書斎の椅子に座り、クリスティーナは机に両肘をつくと手を組んでそこに顎を乗せる。

 すべては、生き残るため──。

 ヒロインはいじめない。
 第二王子との性交おせっせ回避。
 逃げる為の肉体的能力向上。

「この三点を主軸に、ロマノーク公爵家令嬢クリスティーナ、今後12年、がんばります!」
 書斎で一人、クリスティーナは拳を突き上げ宣言した。
(冒険者に私はなる──!!)
 色々と考えた結果、クリスティーナは公爵令嬢の傍ら、冒険者を目指す決意を固める。

 戸籍を持たなかったり、ならず者、訳ありなどは冒険者として日々、魔物を狩ったり、危険な地で採集したりと金稼ぎをする。
 斬首刑から逃亡するにあたり、身体的能力はあるだけ欲しいし、その後の暮らしの為に前科者としては冒険者が似合いだ。
 現時点で決められることを決め、クリスティーナは拳を作る。
(ひとつひとつ、やるしかない)

 今日、第一王子には初めて面会するクリスティーナ。
(いくらなんでも元三十路が6歳や5歳の男児にときめいたりはしないわよ……)
 上手に、腹黒に、冷静に、婚約破棄時には逃亡、または婚約破棄(もしくは第二王子の王位継承権簒奪計画)の阻止を目指す。

 ……婚約破棄を阻止すると愛の無い結婚になることがわかっていたが、この世界では三年間子供が出来なければ王族も貴族も庶民もスムーズに離婚出来る。王位継承権簒奪計画関連が影響を及ぼさず、普通に婚約破棄を阻止出来て第一王子と結婚することになったら、クリスティーナは自然離婚そちらを期待することにした。

(……うん、二十歳くらいには全部解決してる……はず……!)
 17歳の夏に斬首刑が確定している割に楽天的なのは、前世のサブカルチャー悪役令嬢モノで本当に死んでしまった物語フィクションをあまり見たことがなかったせいだ。


 午後になり、王都別邸──といっても彼女の前世で言うなれば、国立博物館みたいな立派な建物──を四頭建ての馬車で出かける。
 クリスティーナは現宰相でもある父にエスコートしてもらうことになった。
 なお、父は現在30歳。
 馬車に揺られ、クリスティーナは隣に座る父を見上げる。
 ──くふっ……!
 思わず声を漏らしていた。
(だ、だめ、だめよ、クリスティーナ! ニヤけてはだめ!! 男盛りでイケメンなロマノーク公爵様──ああ、美しい……実の父親に萌え死にそうになるなんて……)
 父親が年下という恐ろしい転生者あるあるに身悶えるクリスティーナ。

 少しうねりのある金色の髪を後ろになでつけ、きりっとした貴族服に身を包んで前を見つめる父を上気したクリスティーナは見惚れる。

(はぅ……ああ、まだ20代の可憐なお母様とイチャついてくれんだろうか。 キャッキャウフフをウォッチするのが私のトキメキらぶきゅんスイッチをビウンビウン刺激すると思うの……!)
 またしても脳内を少しでも冷静にしようとクリスティーナはブツブツつぶやいている。

(はぁ、はぁ、はぁ……だめよ、クリスティーナ……血圧が上がってきてるわ。細身の5歳児が高血圧なんて言い訳出来ないったら……!)
 あわててキラキラな父から目を逸らし、窓の外を見る。太陽は中天、真昼だ。

 雲ひとつなく晴天の春──。
 王都のど真ん中、見えてくるのはルーブル美術館のごとき王城。

 いざ、悪役令嬢クリスティーナ、婚約者たる第一王子様とご対面──!
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