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転生悪役令嬢の本懐
続・転生悪役令嬢の本懐
しおりを挟む──転生ってそもそもなんなの……?
とある春、6歳のパトリシアは馴染みの侍女サニーを伴い、領地に向けた馬車に乗っている。
王都に次ぐ賑わいの領地へ向け、馬の蹄のパカポコ音と車輪のがらごろが混ざったリズミカルな音楽がパトリシアのお供だ。王国第2の都市を含め、一族が治める領地まであと半日。
当然、国内で最も整備された街道が王都と領地を結んでおり、馬車の揺れは最小限。
四頭立てで装飾も豊かな馬車はサスペンションが効いており、6歳のパトリシアにもたいした負担にならない。のんびりと春の陽気の中、街道から左右に続く田園を眺めていた。
「トリシアお嬢様、あと一時間もしたら昼食のお時間ですよ」
まだ十代ながら、侍女サニーはパトリシアの退屈を察したらしく、にこりと笑みを貼り付けて知らせた。
一息吐いて、パトリシアは「ありがとう」とお礼を告げる。
この一言二言の有無、立場が上でも感謝を言葉にするべしという鉄則については、前世の記憶、価値観を継承している。
前世の記憶によるところの悪役令嬢パトリシアはその辺の細やかさを欠き、味方を失っていた。
そう、半年あまり前、パトリシアは5歳の時に前世の記憶とやらを唐突に思い出した。
それはボールがパキッと音とたててひび割れ、隙間から光が溢れ出すがごとく──閉じた、自他の境も曖昧だった幼いパトリシアに他人の人生を見せつけてきたのだ。
正直なところは、いまだ混乱している。
他人の人生の記憶と、その中の物語の記憶──。
物語を受け入れる為に、成人した他人の人生経験を短い時間で覗き見る。
語彙力や理解力も、パトリシアはあくまで5歳のまま──混乱と混乱と混乱。
言葉の混乱、暮らす環境が全く異なる混乱、前世2歳頃から48歳までの変遷を記憶で疑似体感する混乱。
なにもかも根底から異なる。
ふいに、この現世は前世の読んでいる物語そのものなのではないか──と、つまり、本来の人生人格は過去世のもので、現世は物語の登場人物にすぎないのではないか、過去世のみる夢なのではないかとさえ思えた。
特に、じわじわと乗り物酔いしそうな状態では余計にわからない。
貴族としては最上位の公爵家の馬車である。比較して乗り心地は悪くないはずだが、自動車とは比べものにならない揺れなのだ。
サスペンションが効いているとはいえ車輪にゴムと空気は入っていない。ダイレクトに揺れが尻に届くし、たまに車輪が石を跳ねるとゴツリとした感触が骨に響く。
酔い止めもない。
パトリシアは「──ああ……」と思う。
侍女サニーは2歳の頃からの付き合いだ。
前世の記憶を思い出してしまう前までの、ただの子供のわがままに止まらない傍若無人な振る舞いのパトリシアを覚えているから、退屈が大嫌いだったことを覚えていてそれを気にかけたのだと思っていた。それでどこか心許ない様子なのだと思い込んでいた……。
対面で座る侍女サニーは横に置いた持ち手付きの大きなバスケットから手のひらサイズの小さめの皮袋水筒を取り出す。
「──失礼いたします」
そう言って水筒を額に当て、目をつむり何やら呟く。次の瞬間、水筒からシュワッと蒸気が散った。
「トリシアお嬢様、冷たいお水です、楽になりますよ」
蓋を取った水筒を差し出すサニーは、我が儘お嬢様に振り回される哀れな侍女──ではなく、幼い主人に優しく接してくれる温かな姉のような存在に違いなかった。
──勘違いを……。
「…………ありがとう」
そう言って受け取れば、サニーは心からにっこりと微笑んでくれたようだった。
一口飲んで、二口と口をつければあとはゴクゴクと飲み干した。
魔術でほどよく冷えた水は口内、のど、身体の内側をそっと冷まし、軽い乗り物酔いを飛ばしてくれる。
ここは、物語の世界ではあるのかもしれない。
前世が読んだという物語を、一体どこの誰が書いたのか思い出せはしないし、今ここで作者に問い詰める事もできない。
それでも、パトリシアには今が現実で、ここが現世だ。
「お顔の色が、少し良くなられました」
パトリシアから水筒を受け取るサニーのほっとした顔が嬉しい──心底、嬉しい。
──勘違いをしていた。
確かにこの世界は物語の中なのかもしれない。
しかし、主人公が物語の年齢になるまで、他の登場人物達にも同じだけ時間が流れているのだ。
パトリシアにも、そして侍女サニーにも。
時間が平等なのは、現世も前世も同じ。
そして、違う対応を続けていれば、目の前の人の顔は全く違うものになる。
前世の記憶によると、物語やゲームの世界には強制力とかいうものが働くらしい。本当かどうか、パトリシアにはわからない。
前世の記憶によって、自分は記憶の中の物語に『転生』しているらしいとわかるだけ。
──そもそも、転生ってなんなの。
少しだけ、パトリシアはイライラしてくる。
せっかくサニーの用意してくれた冷水を飲んで気持ちも上向きになっていたのに、無性に腹がたってきた。
──生まれ変わっても前の記憶が残っているなら、それは意味があるの?
窓から見える景色は相変わらず長閑な自然に包まれている。
しばらくしたら馬車を止め、ピクニックのように、持参した昼食をどこかで食べるのだろう。
端から見れば6歳の貴族令嬢一行二十名が、のんびりと旅程をこなしている平和な風景だ。
だが、パトリシアの心は落ち着かない。
何にでも意味を求めたいのではない。答えが見えなくて不安なわけでもない。
前世の記憶とやらを参考にしていても、今を生きて、その膨大な情報を取捨選択しているのも紛れもない『わたし』なのだ。
一方、物語では悪役令嬢パトリシアにサニーは振り回され、人質を取られた上に命令される。結果、サニーは犯罪に手を染め、首謀者のパトリシアからは罪をなすりつけられて不敬罪であっさりと殺されていた。
次に来る侍女も、その次も、その次も……。
いま、パトリシアは『未来の「過去の記憶」』を持ってしまった。
6歳の頭脳には少々重たいが、どうせ暇なのだ、パトリシアはゆっくりと深い思考に沈んでいく。
意味付けは無意味、それは間違いがない。
また、未来に起こりうることを過去世の記憶で知り得ており、現世のパトリシアは回避努力が可能だということ。
端的に言えば、現世の未来を知る過去世の記憶がある──。
パトリシアは外の景色を眺めながら、一人「ふむふむ」と頷く。
記憶の内側には、前世の人格や価値観が含まれるが、パトリシアがそれに引っ張られることはない。
過去世風に言うならば、パトリシアは前世を長い人生映画のように眺めたにすぎない。
過去世が現世に上書きしてくるようなことも、過去世の誰かが語りかけてくることもない。
だからこそ、その人生映画は6歳の頭では理解出来ないところが多かった。
やはり印象的なのは、自分が悪役令嬢として登場する物語。前世において、数年単位でハマっていたらしい。
前編では自らの意志で悪事を重ね、処刑されるも生き返り、後編ではさらに大きな災禍を撒き散らすキャラクター──それが悪役令嬢パトリシア。
そこにも、実は『転生』のカラクリがあることは察している。
だからパトリシアは腹が立つ。
──転生ってなんなのよ。
腹がたつ理由の大半が『私はそんなことしないし、したくない!』という断固とした拒絶。
物語は下町に住む主人公が貴族の落胤だったことが判明し、男爵令嬢として社交界デビューするところ辺りから始まる。
逆ハーレム的に数々の魅力的な男性登場人物を傅かせ、その中の一人である王子と恋仲になる。
その恋が結ばれる為の難関として悪役令嬢パトリシアが立ちはだかる。
──……『人の恋路を邪魔する奴は犬に食われて死ぬがいい』……私も同じ気持ちよ、前世の誰かさん。むしろ、魔獣に食い千切られてしまえばいいわ。
それが前世の影響なのかは知らないが、今のパトリシアには6歳としても、好きあっている二人のお邪魔虫など御免こうむりたいのだ。
──未来のことはわからない……けれど、誓って過去世の記憶の物語みたいにはならない。なら、転生して、さらに記憶を持ったままって、どうしたかったの。それも、誰が?
6歳のパトリシアははたと気付く。
──ちがう。それも勘違い。
この転生はパトリシア以外誰も知らないのだ。
記憶が閃いてから、未来の婚約者たる王子にも、宰相の息子である年子の弟にも会って、物語の登場人物とフルネームの一致をみた。
きっと物語の世界だ──それは5歳でもわかった。自分と同名人物の悲惨な結末にはショックを受けたが。
──勘違い。勘違い……。私は私。
ふっと、暖かな風に顔を上げた。景色は延々と広がる草原で、近くに小川のせせらぎが見えてきた。
ひとつはっきりとわかって、パトリシアは単純ながら、ふわりと微笑む。
──生まれ変わっても記憶があるのは誰がどうしたかった? じゃなかったわね……。
誰も知らない、パトリシアの頭の中にだけ浮かび上がった物語──未来に起こるかもしれない景色。
前世も転生も記憶も意味付けは無意味。どこを探しても理由もなにもみつからないのだから。そこはブレない。その上でパトリシアは心を決める。
──記憶を、転生を意味のあるものにするの! このパトリシアが!
答えがわからずもやもやとするより、誰かに求めるより、生き様で形作ってやれという理屈である。
過去世はどうにもウジウジとネガティブな人柄だったらしいが、パトリシアはむしろ前のめりで気に入らないことは首を突っ込んで叩き潰して回る性質だ。暴力的ポジティブな人間で間違っていない。
それが悪い方向に出たのが過去世の物語の悪役令嬢パトリシアだろう。
この現世、前世の記憶が『前提』にあるのではなく、パトリシアの決断が『現実』!
──いけないわね、パトリシア。そう、気付いてしまったわ。そもそも、転生なんてたいして意味もないの。確かに貴重な前情報、面白い価値観……ただそれだけ。決めるのは今のわたし。なにもかも、私こそが私の人生を決める。
窓から顔を逸らし、6歳児が腕を組んで馬車の中でふふふと笑う。
美幼女との呼び声高いパトリシアだが、片方の口の端を持ち上げて笑うものだから、悪役然としている。
「──お、お嬢様? トリシアお嬢様?」
侍女サニーが慌てているが、ここは大目に見てもらおうと決める。発狂しているわけではない等の弁明すらしない。いま、パトリシアは最高に気分がいいのだから。
──あなたの人生も私の人生も、すべて、虹色にしてみせるわ!
「あ、馬車が止まりましたね。トリシアお嬢様、お昼ですよ、お腹がすいてらっしゃるんでしょう? すぐ準備しますねっ!」
6歳の旅立ちは実に幸先良く始まった。
いつかの悪役令嬢の高笑いは、平和な青空の下、響いていく。
応援ありがとうございます!
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