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黎明編(~8歳)

剣の練習相手

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「──そらっ! 足!」

 城の広い中庭でのこと──。
 ガツッと音がして、弾かれた左足が右足に絡んでパトリシアは派手に転んだ。

「──痛ったぁ……」
 ノロノロと起き上がるパトリシア。今は令嬢のノーマルドレスではなく、パンツスタイルの稽古着だ。

「思いっきり打ちましたわね!?」
 顔をあげて相手を睨みつけるパトリシアだが、快活な笑い声が返ってきただけだった。

「トリシアはすぐ剣に気が回って足元がお留守になるんだ、今日、転んだの何回目だ? はははっ」

 パトリシアの剣の稽古の相手をしてくれていたのは2歳年上の従兄弟クリフだ。
 稽古用の木剣を肩にかけ、クリフはパトリシアに手を差し伸べる。

 パトリシアは頬をぷぅっと膨らませた後、一つくくりにしていた長い髪を払いのけると「ふんっ!」と言って一人で立ち上がった。

「おーおー、相変わらず負けず嫌いだな」
 透けるような金髪と青い瞳のクリフは差し出した左手を引っ込めつつ、そのまま落ちていたパトリシアの木剣を足で引っ掛け蹴り上げ、キャッチした。

「ほらよ。まだやるんだろ? 妖精姫?」
 慣れたおもちゃを扱うように木剣をくるっと回し、柄側をパトリシアの方にすると差し出す。

「……もちろん、まだまだ!」
 パトリシアは木剣を奪うように受け取るとそのまま引き、一気に突きを繰り出す。

「だから、甘いっ!」
 半身をスライドさせて剣先をかわしたクリフは沈み込み、パトリシアの踏み込んだ右足のかかとを掴んでグンと持ち上げる。

「──ぁっ」
 小さな声をあげ、パトリシアはまた見事にひっくり返るのだった……。

 いよいようつぶせに転がったまま泣きそうなパトリシアの横にクリフはしゃがみこむ。

「なぁ、お前、そろそろ剣やめたら? あちこちあざに擦り傷だらけじゃん。伯父上は納得済みなんだろうが、また伯母上が気絶しちゃうぞ?」
 クリフの言う伯父伯母はパトリシアの父母のことだ。クリフは父の弟夫婦の子にあたる。

 パトリシアは転がったままぷいと顔を背ける。
「……クリフにはわかりませんわ。私、魔力がありませんのよ?」

「魔力が無いから剣ってのは飛躍しすぎだろ、どう考えても。女なら刺繍とか楽器とかやるんじゃねぇの? セーラ様は王家の方々に献上するほどの腕前だって噂だ」

 セーラとは叔母で、父の末の妹にあたり、社交界の華、麗しき美貌に縁談の相手はよりどりみどりの二十歳、いま最も恋多き噂の女性だ。

「だから、クリフにわかって欲しいなんて思っていませんもの。クリフはただ、私の練習相手をしてくれればいいんですわっ!」
 言いながらガバッと立ち上がり、落としていた木剣に手を伸ばすパトリシア。

 しかし、クリフはまたしてもお留守だったパトリシアの左足をひょいと持ち上げてしまう。

「──あっ、ィヤッ」
「っと!」

 前傾姿勢だった為、顔面から地面に激突しそうだったパトリシア。瞬時にクリフがパトリシアと地面の間に体を滑り込ませた。
 ドッとクリフの胸で鼻を打ち、抱き止められてしまったパトリシアはもう、泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったりだ。

 あんまりにもあんまりな実力差。
 クリフは2歳の頃から本当に木剣がおもちゃで、3歳から本格的に習い始めて5年以上、剣の修行に取り組んでいる。

 5歳まで甘やかされ、まともに体を動かし始めたのは6歳。やっと一年たって手の豆が潰れなくなった程度のパトリシアでは手も足も出ない。
「……ぅー……うー……」
 低く唸るパトリシア。

 パトリシアを抱えたまま、クリフは地面に座り込む。服を掴まれ、グリグリと胸に顔を押し付けられているので身動きの取りようがないのだ。
 息を吐いてから、パトリシアのさらさらの金髪を撫でる。しばらく撫でていると呻き声は押し殺した泣き声に変わった。

「……わかんねぇけど、練習相手やればいいんだろ……」
 呆れるクリフにパトリシアはますます抱きついて頷き、しばらくそのまま泣いたのだった。
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