頭ファンタジー探偵

てこ/ひかり

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第一幕

VS透明人間

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 妻と同じベッドで眠らなくなって、どれくらい経つだろうか。

 吉村は寝室の扉を開けながら、小さくため息をついた。
 それから後ろ手で扉に鍵をかけ、真っ暗になっている部屋全体を見渡す。暗闇に目が慣れてくると、いつものように部屋の隅で盛り上がっている布団が見えた。数年前に結婚したばかりの妻は、今日もまた「おやすみ」の一言もなく先に就寝してしまっている。

 妻を起こさないように、吉村は息を殺しつつ少し間の空いた別のベッドへと潜り込んだ。
 吉村の妻にとって、良質な睡眠こそ彼女の人生における最重要事項だった。万が一熟睡中の妻を起こしてしまえば、またいつぞやのように家中を食器が飛び交う大喧嘩に発展してしまうかもしれない。触らぬ神に祟りなし。それでなくとも倦怠期に差し掛かった妻と、無駄に事を構えるほど彼も浅薄ではなかった。

 全く、自分の寝室だってのに何でこんなに気を使わなくちゃいけないんだ。

 暗闇の中で目を閉じ、吉村は再び深いため息をついていた。
 最近、妻はずっとこんな感じだ。些細な事にいつもピリピリしているし、少し話しかけただけでまるで怯えた子犬のような目でこちらから遠ざかっていく。何か悩み事でも抱えているのかと問いただしても、一向に答えてはくれない。

 確かに新婚生活にも、正直飽きが来た頃ではあった。夢だったペンションの経営も、存外うまくいっているとは言えない。渋る妻を説得し、長年勤めていた会社を脱サラしてまで越してきた山の中。最初の方は薪割りを手伝ってくれたり、楽しそうにしていた妻も、今ではいつも退屈そうにスマホをいじっているだけだった。夫婦の倦怠期なんて、こんなものなのだろうか。
 それとも……まさか旦那には打ち明けられないような、とんでもない秘密を抱えているとか……。

 今夜も尽きないストレスに頭を抱えながら、吉村は浅い眠りの中へと落ちていった。

□□□

「王様だーれだ?」
「あ……『僕』だ!」
「『僕』かあ~!」
「や、やめてよ! 絶対変なヤツやめてよ、『僕』!」
「わかってるって! じゃあ、一番の『僕』とぉ、四番の『僕』がぁ……」
「……ウルせえな! 黙ってられねえのかテメーは!!」

 暗闇の中、ベッドの上で珍妙な動きを繰り返していた探偵に向かって、隣で寝ていた櫻子から怒号と枕が飛んできた。
「一人で何やってんだテメーは! 今何時だと思ってんだ!!」
 怒髪天を衝いた櫻子が、爆弾のような勢いで飛び起き部屋の電気を灯す。時計の針は既に二十三時を回っていた。明るくなった蛍光灯の下で、若い男が驚いた様子で体を縮こまらせていた。お母さんに悪事が見つかった子供みたいに、すっかり怯えきってしまった探偵が、鬼の形相の女子高生を見上げて慄いた。

「だ……だって……。櫻子君が、王様ゲームに参加してくれないから……」
「『だって』じゃねー!! 何で私が今ここでテメーなんかと王様ゲームなんてやらなきゃいけないんだよ!!」
「温泉旅行と言えば、王様ゲームじゃないか……うエッブ!!」
「黙れ!!」
「ぎゃあああああああ!!」
 なおも駄々を捏ねようとする坂本探偵の鼻っ柱に、淡い水色の浴衣姿の櫻子の、可愛らしい小さな拳がクリーンヒットした。人里離れたペンションの一室に、男の断末魔の叫びが響き渡る。

「ど……どうしました!?」
 騒ぎを聞きつけて、二人の隣に泊まっていた宿泊客が駆けつけてきた。彼は、ベッドの上で顔を抑え身悶える坂本と、なおも渾身の右ストレートを追撃しようとする金髪の美少女を見比べて目を丸くした。
「この騒ぎは……?」
「あ……すいません田中さん。起こしちゃいましたか……」
 櫻子は駆けつけた男に慌てて頭を下げながら、坂本にはきっちりと右ストレートを与えた。

「あああああ!!」
「一体何をしているんです……?」
 扉の前で立ち尽くし、田中と呼ばれた男はベッドの上でもみくちゃになる二人を呆れたように眺めた。

 まるで子供の喧嘩だった。残念ながらどちらが優勢かは、端から見ても明らかだったが。とうとうベッドから転がり落ちた坂本は、両目に涙を浮かべながらやって来た男に助けを求めた。

「助けて! 僕が……僕が『一人王様ゲーム』をやっていたら、いきなりこの子が!!」
「一人王様ゲーム?」
「田中さん、気にしないでください。こいつはいつもこんな感じなんで」
「ヒィィ……!」

 坂本の首根っこを片手で捻りあげて、櫻子は床に這いつくばっていた彼の上半身を無理やり起こした。
「な……!?」
 田中はもう一段階目を丸くした。思った以上の怪力だった。細身とは言え、大の大人を軽々持ち上げるとは。一体この小柄な少女の、どこにこんな力が隠されているのだろう。
「助けて! 殺される!!」
「バーカ……」
「何やってるんですか坂本先生……。びっくりしましたよ、突然悲鳴が上がったから……」

 ようやく事態を飲み込んだ田中は、扉の前で苦笑いを浮かべた。年端もいかない若い少女に、為す術もなくやられる若い男。この男が東京から来た有名な探偵だと知らなければ、きっと何事かと軽蔑していたことだろう。坂本が浴衣を肌蹴させ、潤んだ目で田中を見上げて声を震わせた。

「そうだ! せっかくなら田中さんも、一緒に王様ゲームやって行かれませんか!?」
「え?」
「は!?」

 どうやら坂本探偵は、このまま二人きりでは色々とマズイと思ったのだろう。自分の部屋に戻ろうとする田中を、坂本が必死に呼び止めた。田中は困惑したように二人の顔を見比べた。

「わ……私ですか?」
「お願いです……せめてあと二人。そうしたら僕は今までにない、多人数の王様ゲームを楽しめる気がする……!」
「未体験って……。今までまともな王様ゲームやったことなかったのかよ……私は絶対参加しねーぞ」
「頼むよ櫻子君! 君がずっと王様でもいいから。『君がずっと僕の王様ゲーム』」
「黙れ!!」

 床に膝をつき懇願する坂本に、何やらほんのりと顔を赤らめた櫻子が再び右ストレートを打ち込んだ。田中は腕時計をチラと眺めた。二十三時十七分だった。
「二人とも落ち着いて! いいですよ。王様ゲームじゃなくて、トランプくらいならお付き合いしますから!」
「え……えぇ!?」
「田中さん!」

 ペンションの夜が騒がしく更けていく。遠くの方で、フクロウの鳴く声が聞こえて来た。なおもぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる二人に苦笑しつつ、田中は探偵御一行の泊まる部屋の中へと足を踏み入れた。
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