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第二幕
VS化け猫
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「いやあ、美味しいですねえ! この納豆ご飯!!」
「ウッセーなァ。黙って食えよ」
坂本が感嘆の声を上げ、熱々の飯盒からお代わりのご飯をよそう。櫻子は山の裾野から顔を出す朝日に目を細め、頰を一杯に膨らませご飯粒を飛ばした。
二人は今、とある事件の捜査の帰りに、山の中のキャンプ地を訪れていた。
そのとある事件は、スピード解決した。と言っても、探偵のおかげではない。死体消失トリックを使った実に大掛かりなものであったが、相変わらず坂本が的外れな事ばっかり言うので、業を煮やした犯人が自らの編み出した高尚なトリックをホワイトボードを使って解説し出したのだ。
その事件を解決したお礼にと、関係者の一人であり、泥土山で『泥土山キャンプ場』を経営していた山之上吉継さんに二人は招待されたのだった。昨日は夜中まで五人でキャンプファイヤーを楽しみ、それから二人はそれぞれ青と赤の寝袋に包まって眠りについた。二人が朝目を覚ますと、吉継さんと、その兄妹である恒雄さんと彼方さんが焚き火を囲んで朝ごはんを作っていた。三人とも太い眉毛が特徴的で、顔がそっくりだった。
櫻子は熱々の味噌汁を啜りながら、頬をピンクに染め白い息を吐き出した。標高一三九二メートル。夏とは言え、早朝七時の山の中である。赤い半袖一枚の櫻子は少し肌寒さすら感じていたので、できたての朝ごはんが非常にありがたかった。
櫻子は湯気の沸き立つ味噌汁に窄めた口をつけながら、ぐるりと山の景色を堪能した。キャンプ場から見える、高く聳え立った泥土山の頂には所々雲がかかっていて、その周りにはこれでもかと言うくらい真っ青な空が広がっている。サッカーグラウンド六ツ分ほどの大きさのこの泥土山キャンプ場を覆うように、辺りには麓までブナ林が広がっていた。
二人が泊まったコテージのベランダには、朝から包丁やまな板、コンロなど調理用具が用意されていて、山之上兄妹が客を持て成すため腕を振るっていた。テーブルに乗せらせたメザシの串焼きやベーコンエッグの香りが、先ほどからずっと二人の食欲を刺激し続けていた。
「いいんですよ。お代わりはいくらでもありますから」
「事件を解決してくれたお礼ですよ、ハッハッハ!」
テーブルの向こうから、妹の彼方さんと吉継さんの笑い声が聞こえてきた。
「だってさ」
「お前は犯人の自白聞いてただけじゃねぇか」
さらに三杯目のお代わりをしようとする坂本を横目に見つつも、櫻子もまた、悪態を吐きながらも味噌汁の鍋に手を伸ばすのだった。
「ご飯は合計八合炊いてますからね。”でいどろ”じゃあるまいし、全部は食べられないわ」
「”でいどろ”?」
聞きなれない言葉に、坂本がなんとも腑の抜けた声を出した。その瞬間、山之上三兄妹の間に、零コンマ一秒だけ、ピリッとした緊張が走ったのを櫻子は見逃さなかった。
風が強くなって来た。コテージからやや離れた切り株に腰掛けていた次男坊の恒雄さんが、なぜか緊張した面持ちで彼方さんを睨む。まるで言ってはいけないことを、つい口走ってしまった子供を咎めるような目だった。彼方さんもまた、恒雄さんを睨み返した。どうやら昨日から薄々感じていたが、この二人はあまり仲が良くない様子だった。
「ああ」
しばらく二人の間に、気まずい沈黙が流れた。朝の山の食卓に広がる、清々しいまでの微妙な空気を読んで、長男の吉継さんが助け舟を出した。
「別に、大した話じゃないよ。この辺に伝わる怪談、与太話さ。”泥土”町に出る妖怪だから”でいどろ”……単純だろ?」
「妖怪?」
次に反応したのは櫻子の方だった。彼方さんが気を取り直したように、その顔に柔らかな笑みを再び宿した。
「でいどろはね、何百年も前からこの山にいる、伝説の妖怪なの。その姿を見た者は誰もいない……なぜならでいどろは、誰にも見破れない”変身能力”を持っているから」
「変身能力……」
「ええ。でいどろは人間に化け、油断させたところで相手を襲い喰い殺すと言われているの。最も私もその話は、おじいちゃんから聞かされただけなんだけど……」
「朝っぱらから話すようなことじゃないだろう」
先ほどからじっとだんまりを決め込んでいた恒雄さんが、不意に不機嫌そうに声を荒げた。櫻子がそちらに顔を向けると、怖い話には滅法弱い坂本が急いで両耳を塞いでいた。坂本は「これはしまった」と言う顔で、向こうで野菜を切り始めた吉継さんの方へ退散して行った。櫻子はため息を付き、坂本の背中を目で追いながらしばらく彼方さんの話を反芻した。
”でいどろ”。
この地域……いや、もしかしたらこの山にだけ伝わる物の怪の類かもしれない。なるほど、山でキャンプ地を営んでいる側としては、あまり余所者に広めたい話ではないのだろう。誰にも見分けがつかない、変身能力を持つと言う物の怪……。
「…………」
どっちにしろ、相手を喰い殺すために獲物を油断させなきゃいけないような輩なので、大した妖怪ではない。櫻子は小さく肩を竦め、景色を拝みながら二杯目の味噌汁を啜った。テーブルの向こうでは、彼方さんと恒雄さんが柱の影に隠れて何やら小声で言い争っていた。
「全く……馬鹿馬鹿しいにも程がある。何が妖怪だよ。そんなモノ、いるわけないだろ」
「いいじゃない。でいどろは、私たちの味方よ。良い化け猫なんだから」
「バカな。いない奴に良いも悪いもあるか」
「もっと言うと、この泥土山の味方。悪い方”じゃない”方の、味方……」
そう呟きながら、彼方さんの視線が刺すように鋭くなった。恒雄さんの顔が青ざめるのを、櫻子はお椀で顔を半分隠しながら見ていた。
「もしかしたら昨日のうちに、私たちの中に紛れ込んでいるかもね……悪い方を、成敗するために」
「…………」
恒雄さんが固まった。食卓の残り香を攫って、強い風がブナ林の方から通り過ぎて行った。
”ワカルワケガナイ”
ふと、突風に乗ってそんな声が聞こえた気がして、櫻子は緑生い茂る森林を振り返った。山の麓まで広がる巨大なブナの集団は、まるで泥土山を訪れた探偵御一行を歓迎するように、その枝葉をざわざわと風に揺らめかせた。
「ウッセーなァ。黙って食えよ」
坂本が感嘆の声を上げ、熱々の飯盒からお代わりのご飯をよそう。櫻子は山の裾野から顔を出す朝日に目を細め、頰を一杯に膨らませご飯粒を飛ばした。
二人は今、とある事件の捜査の帰りに、山の中のキャンプ地を訪れていた。
そのとある事件は、スピード解決した。と言っても、探偵のおかげではない。死体消失トリックを使った実に大掛かりなものであったが、相変わらず坂本が的外れな事ばっかり言うので、業を煮やした犯人が自らの編み出した高尚なトリックをホワイトボードを使って解説し出したのだ。
その事件を解決したお礼にと、関係者の一人であり、泥土山で『泥土山キャンプ場』を経営していた山之上吉継さんに二人は招待されたのだった。昨日は夜中まで五人でキャンプファイヤーを楽しみ、それから二人はそれぞれ青と赤の寝袋に包まって眠りについた。二人が朝目を覚ますと、吉継さんと、その兄妹である恒雄さんと彼方さんが焚き火を囲んで朝ごはんを作っていた。三人とも太い眉毛が特徴的で、顔がそっくりだった。
櫻子は熱々の味噌汁を啜りながら、頬をピンクに染め白い息を吐き出した。標高一三九二メートル。夏とは言え、早朝七時の山の中である。赤い半袖一枚の櫻子は少し肌寒さすら感じていたので、できたての朝ごはんが非常にありがたかった。
櫻子は湯気の沸き立つ味噌汁に窄めた口をつけながら、ぐるりと山の景色を堪能した。キャンプ場から見える、高く聳え立った泥土山の頂には所々雲がかかっていて、その周りにはこれでもかと言うくらい真っ青な空が広がっている。サッカーグラウンド六ツ分ほどの大きさのこの泥土山キャンプ場を覆うように、辺りには麓までブナ林が広がっていた。
二人が泊まったコテージのベランダには、朝から包丁やまな板、コンロなど調理用具が用意されていて、山之上兄妹が客を持て成すため腕を振るっていた。テーブルに乗せらせたメザシの串焼きやベーコンエッグの香りが、先ほどからずっと二人の食欲を刺激し続けていた。
「いいんですよ。お代わりはいくらでもありますから」
「事件を解決してくれたお礼ですよ、ハッハッハ!」
テーブルの向こうから、妹の彼方さんと吉継さんの笑い声が聞こえてきた。
「だってさ」
「お前は犯人の自白聞いてただけじゃねぇか」
さらに三杯目のお代わりをしようとする坂本を横目に見つつも、櫻子もまた、悪態を吐きながらも味噌汁の鍋に手を伸ばすのだった。
「ご飯は合計八合炊いてますからね。”でいどろ”じゃあるまいし、全部は食べられないわ」
「”でいどろ”?」
聞きなれない言葉に、坂本がなんとも腑の抜けた声を出した。その瞬間、山之上三兄妹の間に、零コンマ一秒だけ、ピリッとした緊張が走ったのを櫻子は見逃さなかった。
風が強くなって来た。コテージからやや離れた切り株に腰掛けていた次男坊の恒雄さんが、なぜか緊張した面持ちで彼方さんを睨む。まるで言ってはいけないことを、つい口走ってしまった子供を咎めるような目だった。彼方さんもまた、恒雄さんを睨み返した。どうやら昨日から薄々感じていたが、この二人はあまり仲が良くない様子だった。
「ああ」
しばらく二人の間に、気まずい沈黙が流れた。朝の山の食卓に広がる、清々しいまでの微妙な空気を読んで、長男の吉継さんが助け舟を出した。
「別に、大した話じゃないよ。この辺に伝わる怪談、与太話さ。”泥土”町に出る妖怪だから”でいどろ”……単純だろ?」
「妖怪?」
次に反応したのは櫻子の方だった。彼方さんが気を取り直したように、その顔に柔らかな笑みを再び宿した。
「でいどろはね、何百年も前からこの山にいる、伝説の妖怪なの。その姿を見た者は誰もいない……なぜならでいどろは、誰にも見破れない”変身能力”を持っているから」
「変身能力……」
「ええ。でいどろは人間に化け、油断させたところで相手を襲い喰い殺すと言われているの。最も私もその話は、おじいちゃんから聞かされただけなんだけど……」
「朝っぱらから話すようなことじゃないだろう」
先ほどからじっとだんまりを決め込んでいた恒雄さんが、不意に不機嫌そうに声を荒げた。櫻子がそちらに顔を向けると、怖い話には滅法弱い坂本が急いで両耳を塞いでいた。坂本は「これはしまった」と言う顔で、向こうで野菜を切り始めた吉継さんの方へ退散して行った。櫻子はため息を付き、坂本の背中を目で追いながらしばらく彼方さんの話を反芻した。
”でいどろ”。
この地域……いや、もしかしたらこの山にだけ伝わる物の怪の類かもしれない。なるほど、山でキャンプ地を営んでいる側としては、あまり余所者に広めたい話ではないのだろう。誰にも見分けがつかない、変身能力を持つと言う物の怪……。
「…………」
どっちにしろ、相手を喰い殺すために獲物を油断させなきゃいけないような輩なので、大した妖怪ではない。櫻子は小さく肩を竦め、景色を拝みながら二杯目の味噌汁を啜った。テーブルの向こうでは、彼方さんと恒雄さんが柱の影に隠れて何やら小声で言い争っていた。
「全く……馬鹿馬鹿しいにも程がある。何が妖怪だよ。そんなモノ、いるわけないだろ」
「いいじゃない。でいどろは、私たちの味方よ。良い化け猫なんだから」
「バカな。いない奴に良いも悪いもあるか」
「もっと言うと、この泥土山の味方。悪い方”じゃない”方の、味方……」
そう呟きながら、彼方さんの視線が刺すように鋭くなった。恒雄さんの顔が青ざめるのを、櫻子はお椀で顔を半分隠しながら見ていた。
「もしかしたら昨日のうちに、私たちの中に紛れ込んでいるかもね……悪い方を、成敗するために」
「…………」
恒雄さんが固まった。食卓の残り香を攫って、強い風がブナ林の方から通り過ぎて行った。
”ワカルワケガナイ”
ふと、突風に乗ってそんな声が聞こえた気がして、櫻子は緑生い茂る森林を振り返った。山の麓まで広がる巨大なブナの集団は、まるで泥土山を訪れた探偵御一行を歓迎するように、その枝葉をざわざわと風に揺らめかせた。
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