声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第一章

三話 怖いもの

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 目が覚めたのは次の日の朝――と思いきや、三日後の昼だった。
 どうやらかなり眠っていたらしく、目が覚めた瞬間に律樹さんの泣きそうな顔が視界いっぱいに広がって驚いた。

 担当の竹中医師の話によれば、薬のせいもあるだろうがそもそも心身共に疲れ切っていたのだろうとのことだ。
 確かにそうなのかもしれない。
 だって寝る前と起きた後では頭のすっきり具合がまるで違っていたから。
 
 相変わらず声は出ないが、医師や看護師の方達の質問に対しても前回よりも詳細に伝えられるようになっている。
 俺がノートに書き込んでいく度に律樹さん以外の人達は皆頷いたり、さらに質問を重ねたりしていった。

 そしてこの時、俺は初めて自分が十八歳になっていることを知った。それはつまり、Subとわかってから二年以上が経過していたということだった。
 
 俺はその事実に愕然とした。
 一年も経っていないと思っていたことが実際には二年も経っていたのだから当たり前なのかもしれない。しかしその辺りの記憶が曖昧なせいでいまいち実感がないのもまた事実だった。
 
 そして驚いたことがもう一つ。
 どうやら俺が通うはずだった高校は両親と兄によっていつの間にか退学処理されていたらしい。
 家族が何かしらしているだろうとは思っていたが、まさか退学になっているとは思わなかったのでこれには少し堪えた。

「ここに来るまでの経緯はわかるかな?」

 俺は首を横に振った。すると竹中先生は俺の右隣、つまり竹中先生とは反対側のベッド脇の椅子に座っている律樹さんを見て微笑んだ。

「彼が君を助けてくれたんだよ」

 律樹さんが俺を……助けてくれた?
 思わず律樹さんの方を見ると、困ったように笑う彼と目があった。

 話によれば、あの日律樹さんは偶々家に来ていたのだという。
 その時物音に気がつき、兄の部屋に向かったところ、兄が薬で昏倒する俺に対して乱暴しようとしていたところだったらしい。どうにかこうにか兄から俺を助け出したあと、この病院まで運んでくれたのだという。
 ありがとうございますと会釈すれば、苦笑を浮かべながら静かに頭を振られてしまった。
 
 俺が飲まされていた薬についても既に調査済みだそうだ。
 簡単に言えば、かなり強い睡眠薬と催淫剤だったらしい。
 睡眠薬はわかるけれども催淫剤に関しては正直よくわからなかった。催淫剤って媚薬のことだっけと首を傾げていると、ここはあまり深く考えないほうがいいと止められた。

「この病院に運ばれた時の君の状態はとても危険な状態だったんだ。――君はSubだね? あ、言いにくいのなら別に答えなくても大丈夫だよ。もし君がSubそうだったとしても、ここには君に無理やり命令するような人はいないから。安心して」

 Subと言われた瞬間、心臓が嫌な音を立てた。
 息が詰まるような苦しいような感覚が襲い、咄嗟に胸の辺りの服を鷲掴む。力を入れ過ぎて白くなった右手にそっと手を添えた竹中先生の手は少し冷たかった。

「何度もサブドロップを繰り返していたのか、かなり酷い状態でね……一時は命の危険もあったんだ。だからこれからはケアを取り入れた治療をしていく必要がある。でもそれはDomにしか出来ないことだから君の意思を確認したいんだ。……君はDomが怖いかい?」

 Domが怖いかと聞かれたら、正直怖い。
 また高圧的に命令されるかもしれない、コマンドで好き勝手にされるかもしれないという底知れぬ恐怖。
 だからたとえ治療だとしてもDomとは嫌だと筆談で伝えると、竹中先生はまるで初めから俺の答えがわかっていたかのように眉尻を下げながら笑った。
 
 話し合いの結果、心に関しては身体の治療が終わってからもう一度一緒に考えるということになった。それに俺はほっと息を吐き出す。

「本来なら信頼できるはずの一番身近なDom――それも家族にあんなことをされていた君に言うのも酷な話だが……酷いDomばかりでないことだけは覚えておいてね」

 そう言って、ベッドテーブルの上に白い錠剤が入ったシートを一枚置いた。これはSub専用の抑制剤らしい。この抑制剤はSubの欲求を抑制して安定的な生活を送るための薬だが、人によっては副作用が強く出ることもあるそうだ。
 例えば頭痛だったり、吐き気だったり、発熱だったりと人や薬種によって症状は様々だが、もし副作用が強く出た場合は薬を変えてくれるらしい。
 
 用法容量は必ず守ってねと言われ、こくんと頷く。
 今まで抑制剤の存在すらも知らなかったので、正直どのくらい効くのかも副作用がどれほどのものなのかも全くわからなかったが、多分今の俺には必要な物なんだろうなくらいはわかった。

「あ、そうだ。言い忘れてたんだけど、ケアを取り入れた上で適切に治療をすれば、もしかすると声が出るようになるかもしれないよ。色々と調べたけれど身体に異常は見られなかったから、恐らくは心の問題だろうね。いつになるかはわからないけれども、きっと話せるようになるよ」

 去り際に竹中医師がとんでもない爆弾を落としていった。
 多分心的要因なんだろうなとは薄々感じてはいたが、こうもあっさり告げられるとぽかんとする他ない。
 隣に座る律樹さんも同じなのだろう、呆然と彼が出ていった扉を見続けていた。
 
 でも……なんだろう、この感覚。
 多少の不便はあるけれど、別に声が出せなくても良いかと思い始めていた。だって喋れなくても筆談やジェスチャーがあるし、元々人と話すことが得意でなかったこともあって慣れれば別に気にすることでもないだろうなって。
 だからこのままでも良いかななんて思ってたんだ。
 でも話せるようになるかもしれないとわかった瞬間、嬉しい気持ちが込み上げてきた。同時に、それを上回るくらいの不安も湧き上がってきたわけなんだけど。
 
 さっき教えてもらった通りなら、俺は恐らく二年程声を出していないことになる。
 もし話せるようになったとして、果たして以前のように話すことができるのだろうか。
 そもそも声の出し方を忘れていたらどうしよう。
 人間ってある程度の期間しなかったことって途端に忘れるっていうから。
 
 そんなことを考えていると、ようやく我に返ったらしい律樹さんが乾いた笑いを漏らしながら俺の頭を優しく撫でた。まるで良かったねとでも言うような撫で方だ。

 そう……そうだ、よかったんだ。
 喋れるようになるかもしれないのだから素直に喜べば良いのに、どうして俺はこんな気持ちになっているんだろう。

「……今はあんまり難しいことは考えなくてもいいんじゃないかな」

 ケアのことだって必ずしなければならないわけではないと律樹さんは言う。Subにとっては必要なことかもしれないけれど、今の俺には休息の方が必要だって。

 その後、律樹さんは仕事があるからと病室を出て行った。
 そう言えば俺が通うはずだった高校で教師をしているとか言っていたっけ。律樹さんの教師姿を想像して――やめた。

(……俺も……高校、行きたかったなあ)

 勉強、部活、友達――高校で青春を謳歌するというもう叶うことのない毎日が脳裏に浮かんで、ほんのちょっとだけ胸がちくりと痛んだ。
 痛みを誤魔化すように目を閉じる。
 するといつの間にか眠ってしまっていたらしく、次に目を開けた時にはもう夕方だった。

 ベッド脇のキャビネットの上に置かれたデジタル表記の電波時計を確認して、ほっと息を吐き出した。
 よかった。今度は日付が変わっていない。

(もう少しで夕飯か……またお粥かな?)

 この三日間は昏睡状態だった為点滴で凌いでいた。
 だから胃の中は空っぽの筈なのに、不思議と空腹は感じられない。

 そういえば律樹さんは帰ってきたのかな。
 夕方にはここに戻ってくると言っていたけれど、リモコンを操作してベッドを起こして部屋を見回して見てもそこに彼の姿はなかった。
 
 仕事が長引いているのかもしれない。
 俺自身働いたことがないからわからないけれど、世の中には残業という言葉があるくらいだし。
 そう思いつつも少しの心細さを感じていると、不意に病室の扉がノックされた。律樹さんだろうかと思ってじっと扉を見つめていると再度ノックをされる。

 ……何かが違う。これは律樹さんじゃない。
 律樹さんだったら一度ノックした後、静かにそっと扉を開けて、その隙間から申し訳なさそうな表情を浮かべながらその端正な顔を覗かせるのだ。だから二回目をノックするのは律樹さんではないと断言できる。
 では医師か看護師かのどちらかかとも思ったが、いくら思い返してみても彼らがこの時間に来ることはほとんどなかったはずだ。
 
 ――なら今、扉をノックしたのは……?
 
 そう思った時には震える右手で必死にナースコールを手繰り寄せて押していた。
 
 嫌な予感がする。
 早く来て、早く、早くと焦っていると、扉の向こうでパタパタと走る足音が幾つも聞こえた後、言い争うような声が聞こえてきた。
 扉の向こう側が騒がしい。そんな中小さいながらも俺の耳に届いた声に、俺の身体は動かなくなった。

 
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