声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第一章

六話 新しい家 後編

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 湯上がりに濡れた体を拭いて服を着た後は、ドライヤーで髪を乾かした。勿論自分でしようとしたのだが、なぜかご機嫌な律樹さんが俺の手からドライヤーを奪い取り、髪を乾かしてくれた。指で梳くように撫でながら優しく乾かされ、俺は何だかむず痒い気分になる。
 
 俺の髪が乾くと、今度は自身の髪を乾かし始めた。ドライヤーの温風に靡く律樹さんの栗色の髪は、洗面台の電球の光を浴びてキラキラと輝いている。俺の視線に気付いたのか、こちらを見て笑いながら首を傾げる姿に心臓がとくんと高鳴った。
 
 ……ん?高鳴った?
 いやいや、相手は男で従兄弟だぞ?
 男で従兄弟の俺がこんな反応をしたと知ったら、きっと律樹さんは気持ち悪いと思うに違いない。……それは嫌だな、とぼんやりと思った。


 
 お風呂の後は二人で夕ご飯を食べた。
 律樹さんの作ったご飯はどれも美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまう。まだ胃が小さいのか、人の半分くらいしか食べられないということもあるだろうが、それにしても俺にしてはよく食べた方だ。
 
 満腹で動けない、とソファに寝転びながら教えてもらったばかりのスマホを弄っていると、ふと頭にある疑問が浮かんだ。
 
 料理も家事も出来て、その上優しいとくれば世の女の人がほっとかないはずだ。当然女性からモテるだろうし、いやむしろ既に彼女がいるのでは?と思ったのである。
 もし彼女がいるのであれば、彼氏の家に従兄弟とはいえ得体の知れない男が居候しているなんて嫌だろう――そう心配になった俺は、スマホのメッセージチャットアプリで『そういえば彼女っているんですか?』と勢いのままに送った。
 
 今はキッチンにいる律樹さんがスマホを見ているかどうかはわからないが、メッセージが残っていれば後々返してくれるだろう。のんびり待とうと思ってスマホをテーブルの上に置こうとした瞬間、ピロンという音が鳴った。
 想像していたよりも遙かに速い返信速度に驚きつつも、スマホを持ち直してメッセージを開いた。

『いないよ。急にどうしたの?』

 どうやら彼女はいないらしい。
 その返答にどこか安堵している自分がいた。

『もし彼女がいたら、この家に居させてもらうのは彼女さんにも悪いなと思いまして』
「……いきなりあんなこと送ってくるからびっくりしたよ」

 さっき考えていたことを素直に伝えると、片付けが終わったらしい律樹さんがキッチンから出てきてそう言った。黒の飾り気のないシンプルなエプロンを外しながら、俺が横になっているソファーまでやって来て、ぽすんと腰を下ろした。そして徐に俺の頭を自分の膝の上に乗せて撫で始めた。

「今はいないし、これからも彼女を作る気はないよ」

 苦笑まじりに告げられた言葉に俺は、どうして?と首を傾げる。

「んー……秘密」

 ……秘密、か。
 その言葉に胸に小さなものが刺さったような気がしたが、きっと気のせいだ。まだ治りきっていない傷が痛んだだけだと納得しながら、こくりと頷いた。

「他に聞きたいことは?」

 その言葉に少し考える。そしてずっと聞きたかった質問を聞いてみることにした俺は、不慣れな指遣いでゆっくりとスマホに文字を入力していき、送った。送信した瞬間に隣でピロンと受信音が鳴り、律樹さんがスマホをみる。
 
『どうしてあの日、うちにいたんですか?』

 それは俺が今まで疑問に思っていたことだった。
 
 あの家は閉鎖的で、両親も兄も誰彼構わず家の中に入れるような人達ではなかった。
 だからずっと疑問だったのだ。
 いくら律樹さんが従兄弟といえど、彼らが入れるわけがない。俺という不都合が存在する限り、あの家は決して誰も迎え入れないのだと彼らは言っていた。それに俺自身、親戚にもほとんど会ったことがなかったから、従兄弟がいたのだと知った時本当に驚いた。

 どうしてあの日、律樹さんは家に来たのだろうか。
 何故、両親は律樹さんを家に入れたのだろうか。

 疑問は尽きない。だってあの家には誰も来ない、来ても入れない。だから誰かの助けなんてとっくの昔に諦めていた、それなのに。

 すると律樹さんは何かを考えるように少し俯き、ぽつりとこう言った。

「……ずっと、弓月に会いたかったから」

 ――俺に、会いたかったから?
 どう言うことかわからずに首を傾げると、律樹さんは困ったような表情で笑った。

「……ごめんね。今は言えないんだ」

 はは、と力なく眉尻を下げて笑う律樹さんに胸が少し痛んだ。もしかすると俺はかなり不躾なことを聞いてしまったのかもしれない。

(……あ、これもしかして聞いちゃダメだった……?)

 全身の血の気が引いていく。人間誰しも聞かれたくないことがあることは俺が一番知っていたのに、俺は自分が気になるからと不躾に聞いてしまったことを後悔した。
 聞かれたくないことを聞いてごめんなさい、そんな顔をさせてしまって申し訳ないと謝りたいのに、肝心の声は出ない上に、動揺でスマホが思うように打てない。

 律樹さんはそんな俺の様子に気がついたのか、俺の震える手にそっと手を重ねる。そして指先まで冷え切った手を温めるように優しくするりと撫でた。

「大丈夫、怒ってないよ」
「……っ」

 ゆっくりと身体を起こし、律樹さんを見る。本当はばっと勢いよく身体を起こしたかったんだけど、言うことを聞いてくれない身体ではゆっくりと起こすことしかできなかった。ソファーの座面に手をついてじっと彼を見つめる。
 すると律樹さんはふっと笑みを浮かべ、俺に手を伸ばした。俺よりも大きくてゴツゴツとした手が二の腕を掴み、そっと腕を引かれる。突然のことにバランスを崩した俺は、倒れるようにぽすんと律樹さんの腕の中に収まった。

「そんな……泣きそうにならなくても大丈夫だよ。ほら、落ち着いて」

 まるで小さな子どもを慰めるように、背中に添えられた手がとん、とんと一定のリズムを刻む。耳から聞こえる律樹さん心臓の音も相まって、少し落ち着きを取り戻した俺は詰めていた息を細く長く吐き出した。

 震えの落ち着いた指を画面に滑らせ、文章を打っていく。まだ慣れていないため文字の入力はかなりゆっくりだったが、律樹さんは何も言わずただじっと待ってくれていた。

『ごめんなさい』
『きいてごめんなさい』

 そう送り、律樹さんが確認した瞬間、強く抱きしめられた。ごめん、そうじゃないんだと俺の肩に顔を埋めた律樹さんの小さくて弱々しい呟きが耳に入り、俺は僅かに首を傾げる。

「……本当の俺を知ったら、きっと弓月は引くと思う」
「……?」
「もし……もし弓月が俺のことを知っても離れなかったら、その時はもう一度、どうして会いたかったかって聞いてくれる?」

 正直何のことか、どういうことなのか全くわからなかったが、これ以上律樹さんの気分を沈めたくなくて俺はこくこくと頷いた。そしていつも律樹さんが俺にしてくれているように、彼の頭を抱えるように抱きしめながら栗色の手触りのいい髪を優しく梳くように撫でた。

 髪を撫でる度にふわりと香る爽やかな香り。シャンプーの香りとはまた違う香りだったが、とても好きな匂いだった。もっと嗅ぎたくて、髪に鼻を寄せてすんすんと香りを嗅いでいると、律樹さんが擽ったそうに身を捩りながら顔を上げる。

「も、弓月……擽ったいって」

 さっきまでの彼の表情とは違い、困ったような笑みだ。俺は嬉しくなって思わず頬を緩めると、律樹さんは一瞬瞠目した後、甘く蕩けるような眼差しで俺を見つめてきた。

「弓月、これからよろしくね」

 ふわりと笑んだ律樹さんに俺はこくりと頷いた。

 
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