声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第三章

五十話 なんで

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「……っ」
 
 壱弦のクラスの出し物であるたこ焼きの屋台の前に来た時、どこからか強い視線を感じて身体がぶるりと震えた。俺に向けられているものではないのかもしれないが、本能的に恐怖を感じるその圧にほんの少し手が震えている。
 外界からの視線や刺激を極力遮るように、俺は被っていたフードの端を少し引っ張った。

 お金と引き換えに手渡して貰ったたこ焼きを手に持ち、足早に人混みから抜け出す。少し離れたところで振り返ると、暗い髪色ばかりの中に目を引く明るい髪色が見えた。クラスメイトだろう生徒たちに囲まれた壱弦は楽しそうに談笑している。
 それは俺が絶対に手に入れることができない光景だった。胸が軋む。羨ましいと思うよりもまず、痛かった。
 
 俺はよろよろと歩いて行き、グラウンドの端の方に置かれている背もたれのない青いベンチに腰を下ろした。ギィッと音が鳴る。俺は手に持っていた熱々のたこ焼きの入ったプラスチック容器をベンチの上に置くと、ふぅと長い息を吐き出した。
 顔を上げて壱弦がいるだろう場所を見ると、目立つ明るい髪がひょこひょこと動いていた。どうやら俺が離れたことに気づいていないらしく、こっちに来る様子はない。
 俺はスマホを手に、壱弦へのメッセージを送った。

『グラウンドの端にある青いベンチに座って休んでます』
 
 多分これで迷惑をかけることもないだろう。俺がいないことに気づいたとしてもスマホに届いたメッセージを見れば、俺が自分から離れたことも、近くのベンチで休憩していることもわかるだろうから。
 
 文化祭の一般公開とはこんなにも人が来るものなんだなとぼんやりと思う。チケットをもらった人だけの招待制とはいえ、これだけの人が来ているとは思っていなかった。
 一般公開は今日と明日の二日間、今日はまだ平日なのでましだと言っていたが、これでましだというのなら明日はどれほどすごいのだろうか。行き交う人を眺めていると、どうやら生徒たちの保護者と近くの中学生たちが多いようだ。きっとこの高校に入りたいと思っているのだろう、中学生たちは皆一様にパンフレットを手に目をキラキラとさせていた。

 こうしてベンチに座ってぼんやりと周囲を眺めていると、さっきの恐怖が嘘のようだった。視線も圧も恐怖も、今は全く感じない。
 これだけの人数が集まっているのだから、当然俺のような第二性持ちも少なからずいるだろう。人口の約二割が第二性を持っていると言われているこの世の中なのだから、少なくとも俺以外にもあと数人はいると思う。それがわかっているからこそ無意識に気を張っていて、ありもしないものに恐怖を抱いていた可能性はある。
 俺がいる方向に誰かがいて、その人に向けた視線を偶々俺が感じ取ってしまっただとか、圧に関しても俺が感じただけで実際にはなかっただとか。そう思えば思うほど、さっき感じたもの全てが勘違いだったのかもと思えてきた。
 
「――でさぁ……」
「――ははっ!なんだよ、それ!」

 楽しそうな声が耳に届く。
 こうして眺めているだけでは誰がどんな第二性を持っているのかなんてわからない。DomもSubもSwitchもNormalも、みんなそうだ。それなのにこの時折感じる恐怖が否応なしに近くにDomがいることを伝えてくる。楽しげな様子を見れば見るほど、Domという第二性に恐怖を抱く自分自身に嫌悪した。
 世の中には兄のようなDomではなく、律樹さんみたいな優しいDomもいる。そんなことはもうわかっているのに、恐怖を植え付けられたこの体は俺の意思とは関係なく無意識に反応してしまうのが嫌だった。

「……っ」

 Subだとバレたらどうしようという恐怖が今更襲ってくる。幾ら平等を謳っていたとしても、社会全体から見ればSubという性の立場はまだまだ低い。
 何故なら例え知らないDomであっても、もしコマンドを使われてしまえばSubはそれに従うしかないからだ。そこに自分の意思なんてものはない。あるのはただ支配されたいという本能的欲求だけで、それが社会的に嫌悪される原因なのかもしれない。
 
 俺は俺しかSubを知らない。だからランクの高低によってどう変わってくるかなんてわからない。俺は高いランクのSubらしいが、もしランクが低かったらこんなにビクビクしなくても済んだのだろうか。
 そんなことを考えていると、不意に影が落ちた。ぱっと顔を上げるが、フードを目深に被っているせいでその人の顔までは見えない。

「――大丈夫ですか?」
「……っ!」

 どうしようどうしようと慌てる俺の耳に届いたのは聞き慣れた声だった。
 
 顔を見なくてもわかる。
 胸が高鳴り、腹の奥がずくんと疼いた。

「もし体調が悪いなら保健室に――」

 目の前が滲んでいく。
 緊張の糸が途切れたのか、一気に全身から力が抜けた。

「――弓月……?」
「……っ」

 目の前に立っていた律樹さんがその場にしゃがみ込む。フードの下から覗き込む彼の瞳と目が合った。途端に足元から湧き上がる感覚に思わず胸を抑える。

「えっ……なんで、弓月が……?え……?」
「……っ!」

 困惑する律樹さんの姿に、俺はハッとする。
 そうだ、俺がここに来るのは内緒だったんだと思い出してももう遅い。

 俺はフードに手をかけ、顔が見えるように少しずらした。そして誤魔化すようにへらりと笑う。
 そんな俺に律樹さんは少しの間動きを止めていたが、やがて何かを察したように深く長い溜息を吐き出した。


 
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