声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第三章

六十六話 騒動の理由

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 沈んでいた意識が浮上する感覚に小さく眉を寄せた。重い瞼をゆっくりと開けると、ぼんやりとした視界に見覚えのあるような白が入る。緩慢な動きで何度か瞬きを繰り返せば、ぼやけていた視界がやがてはっきりしたものへと変化していった。

(……前もこんなことがあったな)

 この白い天井にも、微かに香るこの消毒液の匂いにも覚えがある。ここは学校だ、学校の保健室。霞が掛かっていた頭の中が徐々に晴れていき、漸く自分が目を覚ます前のことを思い出した。
 確か人魚姫の劇が終わって、体育館の外に出て話していたら急にどこかのDomの威圧グレアを感じたんだっけ。すごく怖くて寒かったような気がするけれど、今は全くそんなことはない。
 そういえば一緒にいた壱弦と六花さんは何処だろうと辺りを見回してみると、見慣れた琥珀色と目があった。開けた窓から入ってくる風が彼の栗色の髪をさらさらと靡かせる。確かに気を失う前に律樹さんの声を聞いた気がするけれど、もしかしてあれは夢じゃなかったのか。

「弓月、調子はどう?」

 そう聞かれ、俺は頭を緩く横に振った。目の前まで上げた手を握ったり開いたりを繰り返してみるが、体が動きづらいといったこともない。寧ろ眠ったお陰か頭はすっきりとしていた。

「ならよかった」

 律樹さんの目が細まり、口元が緩んだ。そんなふっとした優しい笑みに胸が高鳴る。
 彼の手が俺の方へと伸び、枕につけたままの俺の頭をそっと撫でた。優しい手つきにさらに鼓動が速くなる。堪らずきゅっと目を閉じれば、律樹さんがくすくすと笑った。
 
 話をしたいということで、俺は上体を起こして壁に背中を預けるような形で座った。勿論そのまま固い壁に背中を預ければ痛くなるのは分かっていたので、二人の勧めで壁と背中の間には白い枕が挟まれている。お陰で座るのも楽になった。ベッド脇の椅子に座った律樹さんと保科さんを見ると、二人は真剣な表情で俺を見ていた。
 律樹さんと保科さんが言うには、どうやらグレアを放ったDomは二人いたそうだ。あの時男女三人が言い争っている様子が見えたが、やはりそのうちの二人がDomでグレアを放っていたらしい。

「まあ、よくある痴情の縺れというやつらしい」

 保科さんが呆れたような口調でそう言った。まあ気持ちはわからないでもない。何ならあの場にいた全員、時と場合、それから場所を考えてしてくれよと思っていたことだろう。何も文化祭中にすることではない、と。

「幸い怪我人もなく、それほど被害もなかったということで厳重注意と謹慎処分だけで終わったそうだ。一般参加者ならこうはいかなかっただろうが、うちの生徒だからな……被害に遭われた方々には後日お詫びに行くって話だ」
「……学校側としてはあまり騒ぎを大きくしたくないんだろう」

 律樹さんの低い声が耳を打つ。今まで聞いたことがないくらいの低音にぴくっと肩が跳ねた。グレアこそ放ってはいないが威圧感がすごい。律樹さんの隣に座っている保科さんも俺と同じものを感じ取っているのか、顔を引き攣らせていた。
 おろおろとしながら律樹さんに伸ばした指先が軽く彼の手に触れる。指先から伝わるそれは想像以上に冷たかった。

 多分、律樹さんは怒っている。
 何人もの人が体調を崩したというのにこの処分は甘いと言いたいのだろう。それが俺に対してのものではなく、調子を崩してしまった人達に対する優しさだとしても、俺は嬉しいと思ってしまった。
 ここにはもう俺しかいないけれど、今回グレアに当てられてしまったSubの一人としては、ここまで俺たちのことを考えてくれている人がいることが何よりも嬉しかった。

 俺は律樹さんの手を指先でつぅっと撫でた。固く握られた手から徐々に力が抜けていき、やがて完全に解けたかと思えば次の瞬間には俺の手を包み込んでいた。
 冷たい手のひらが俺の手と触れ合うことで熱を取り戻していく。じわじわと同じ温かさになっていくその過程に、俺の頬は自然と緩んでいた。

「本当に……無事で良かった」

 律樹さんが包んだ俺の手に額を押し当てながら吐息混じりにそう呟いた。本当に小さな小さな声だったけれど、俺の耳にはちゃんと届いていた。
 律樹さんの隣で保科さんも相好を崩している様子が伺え、俺は何だか胸の辺りが温かくなるのを感じた。

「そういえばそろそろ時間じゃないのか?」

 室内の壁掛け時計を確認した保科さんが何かを思い出したように言った。その声を聞き、俺の手に額を押し当てていた律樹さんがゆっくりと顔を上げる。少し気まずそうに俺から目を逸らしながら深く溜息をこぼす彼の様子に、俺は首を傾げた。

「……弓月、また後で来るから。もし何かあったらすぐに連絡してね」

 先程とは打って変わり、何故か一気に疲れたような表情になった律樹さんに内心首を傾げつつ、言われた言葉に首を縦に振った。俺の手を包んでいた温もりが離れていく。椅子から立ち上がり、俺の頭をぽんぽんと優しく撫でた彼は、後ろ髪を引かれているのか何度も俺の方を見ながら名残惜しそうに保健室を出ていった。

 目が覚めてから今まで、とんでもないスピードで物事が進んでいるような気がする。律樹さんの出ていった出入り口の扉をぽかんとしながら眺めていると、さっきまで律樹さんがいた場所に立った保科さんが俺の肩にぽんと手を乗せた。目を瞬かせながら顔を上げると、まるで悪戯っ子のような笑みを浮かべた保科さんがいて俺はまた首を傾げる。

「もし体調が良いのなら、今から少し外に出ないか?」
「……?」
「律樹には止められていないし、まあいいだろう。刈谷と六花さんにも会えるだろうが……どうする?」
「……!」

 俺はその言葉に目を輝かせた。
 あれから壱弦と六花さんがどうしているのか気にならなかったわけではない。けれど保科さんは今から行く場所に二人がいると言う。律樹さんは外に出るなとも言っていなかったし、保科さんも一緒なら大丈夫だろうと俺は首を縦に動かした。

 
 
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