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第三章
六十七話 距離
しおりを挟む保科さんに連れられてやって来たのはグラウンドに建てられたステージだった。渡されたプログラム表に目を通すと、どうやら今からここでコンテストが開かれるらしい。ステージの周りには既に人だかりが出来ており、俺たちはそこから少し離れたところで突っ立っていた。
あんな騒動があったというのに文化祭の賑やかさはなくなるどころか、さらなる盛り上がりを見せている。それもこれも、被害にあったのが全員Subだったからなのだろう。そう思うとほんの少し複雑な気分だった。
これがどうしたのかと俺よりも高い位置にある保科さんの顔を見上げれば、彼は俺の頭にぽんと手を置いてくしゃりと撫でた。人混みから少し離れた場所だからかステージの様子は見辛いが落ち着く。多分保科さんが俺を気遣ってこの場所にしてくれたのだろう。……本当、優しい人だ。
「あっ、弓月!……と、保科先生」
「……俺はおまけか?」
「冗談ですって」
グラウンドの入り口から大きく手を振ってやって来たのは壱弦と六花さんだった。二人とも俺を見てほっとしたような安堵の表情を浮かべている。きっと心配させたんだろうなと思って小さく頭を下げると、二人は良かったと言って笑った。
「刈谷くんはミスコンに出ないの?こんなに格好良いのに」
「えっ?!あ、いや……俺は……」
壱弦の表情がほんの少し陰る。それが気になって壱弦の服の裾をくいっと引っ張り、大丈夫かと首を傾げた。俺はただ心配をしていただけなのだが、なぜか壱弦の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
……ああ、もしかして暑いのか。いくら人だかりから距離があるとはいえここは外であり、そして距離をものともしないほどの熱気に包まれているため暑いといえば暑いかもしれない。俺は手のひらをぱたぱたとさせながら、確かに暑いよなと口を動かしながら苦笑した。
「そういえばミスコンって確か殆どが他薦だったわよね?保科くんは選ばれなかったの?」
「あー……いや……」
『生徒だけじゃないんですか?』
聞こえて来た会話に、俺は二人の方を振り向いた。持っていたスマホに素早く文字を入力して画面を向けると、内容を読み終えた六花さんが大きく頷いた。
「確か教師枠がミス、ミスターそれぞれ三枠ずつあったはずよ。教師枠は全部他薦で、それも全員生徒からの投票で決まるから……ある意味人気投票よね」
「まあその意味合いの方が強いんじゃないすかね……誰が選ばれたのかはコンテストで発表されるから、今は俺たちにもわからないんだよな」
六花さんの説明に、壱弦が言葉を付け足す。
先生っていうのは色んなことをしないといけないんだなぁ、なんて感心しながら聞いていると、保科先生が急に咽せた。それを見た六花さんも顔に満面の笑みを浮かべている。
俺はそんな二人の様子に疑問符が浮かぶばかりだ。隣にいる壱弦を見れば、何かに気がついたような顔で舞台と二人を交互に見比べている。そして左手で顔を覆いながら大きく溜息を吐き出した。
「あー……うん、なるほど」
「そうそう、さっき人魚姫役だった子も人魚姫の格好で出るらしいわよ?女装でも男装でも、お店の宣伝になればそれで良いって言う人も多いみたい」
『それはどっちで出るんですか?』
「女の子の格好だからミスなのだそうよ」
「昨今はジェンダー問題とか色々あるからな……生物学上の性別ではなく、どんな格好をしているのかや本人の希望によって出る方が決まるらしい」
色々と考えられているらしい。一つのイベントを行うにあたり、様々なことを考えたり配慮しなければならないというのは大変だったろうなとぼんやりと思いながら、手の中にあるプログラム表に視線を落とした。
ふと、なんで俺がここに誘われたんだろうと疑問が湧いた。律樹さんは特に何も言っていなかったし、保科さんがここに俺を連れて来た理由がわからない。……ただ楽しそうだから?果たしてそれだけの理由で保科さんが俺を連れ出すだろうか。
不意にある考えが思い浮かんだ。もしかして律樹さんがこれに関わっているのでは、と。それならば保科さんが俺を連れて来た理由に納得がいく。俺は手元のスマホに打ち込んだ後、保科さんの白衣をくいっと引っ張った。
「……ん?」
『もしかしてこれってりつきさんが関わってるんですか?』
画面に表示された文を見た保科さんがふっと笑う。俺の頭に乗せた手をぽんぽんと軽く動かし、さあなと舞台の方を見た。つられて視線を舞台に向けると、司会なのだろうか、制服を着た男性と女性が舞台の真ん中に立った。それと同時に湧き起こる歓声と拍手。突然の大きな声と音にびくりと肩が跳ねた。
「最初はミスターだったかしら」
「……ああ」
「弓月、大丈夫か?」
俺が驚いたことに気がついたらしい壱弦が俺の肩を摩った。そのままぐいっと抱き寄せられ、壱弦の半身と俺の半身がぴったりとくっつく。俺は友達が壱弦しかいないからわからないけれど、友達ってこんなに距離が近いものなんだろうか。
律樹さんとは恋人になってからくっついたりすることも多くなったが、それさえも未だに慣れずに緊張してしまうというのに、友達とは言えこの距離感は些かハードルが高い気がする。だがそれを壱弦に言ってもいいのかがわからない。おろおろとする俺に、舞台に視線を向けている三人は全く気付いていないようだった。そんな様子に、もしかして気にしている俺がおかしいのではとさえ思えてくる。
(あ、でも保科さんと律樹さんの距離も近かったし、壱弦も壱弦の友達といる時はスキンシップが多いようだったから……友達としては普通、なのかな……?)
それでもやっぱり意識してしまう自分は普通ではないのかもしれない。そのことに少し落ち込みながら顔を上げると、既に舞台上には十人程が横一列に並んでいた。距離があるため顔ははっきりとわからないけれど、それでも周りの歓声具合からきっと格好良いんだろうなと思う。
「――では、教師枠最後はこの方!瀬名律樹先生です!」
司会の声が耳に届くと同時に、これまで以上の歓声が沸き起こった。舞台袖から現れたのは見慣れたスーツ姿。
「弓月くん、びっくりしたでしょ。あいつ、弓月くんに見られるのが恥ずかしくて言えなかったみたいよ?恥ずかしいから言うなって連絡が来てたわ。……ね?保科くん」
「ええ、なんならついさっきまでごねてましたよ、あいつ」
その時の様子を思い出したのか、二人は口許に手を当てながら肩を振るわせている。必死で笑いを堪えようとしているのだろうが、全く堪えられていなかった。
……そっか、律樹さんはここの生徒に人気なのか。
嬉しいけれどなんだか複雑な気分になった。さっきまで近かったのに、今は遠い。物理的な距離だけじゃなくて、感覚的な距離が遠いように感じられて少し寂しくなった。
でもまあ、あれだけ格好良い人のだから仕方ないよなぁ、なんてぼんやりと舞台上に立つ律樹さんを見つめていると、不意に視線がぱちりとあったような気がした。こんなに遠い距離にいるのだ、向こうからは俺が見ているなんてわからないだろう。なのに、どうしてかそこから視線が動かせなかった。
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