声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第五章

百七話 自己嫌悪と葛藤

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 夢の中で俺はいつも苦しくて痛い思いをしていた。
 殴られ、蹴られ、首を絞められ――加減を少しでも誤ればすぐにでも死んでしまいそうな暴力と苦痛。嫌だと言って逃げ出したくても出来ない。誰もSubの話なんか聞いてなんかくれない。助けてと言ったところでなんの効果もない。俺なんかでも――Subの俺なんかでも普通に生きていけたらいいのにと思うと同時に、いつかこの苦痛の中で死ねたらと思っていた。

 苦痛の中に快楽を見出し始めたのはいつだっただろう。もしかすると俺が知らなかっただけで、本当は初めからだったのかもしれない。
 ひどい苦痛の中で初めて自分の顔を鏡越しに見た時は、正直困惑した。だって実の兄から首を絞められた状態で笑みを浮かべていたのだから、これが戸惑わずにいられるだろうか。口の端からみっともなく涎を垂らし、虚な目をしながらも俺の口は確かに上がっていた。嬉しそうな、満たされて恍惚とした表情で小さく口を「もっと」と動かしていたんだ。

 本当の俺を知れば、俺に対して優しすぎる律樹さんでも流石に引くだろうし、幻滅して嫌いになるだろう。プロポーズなんて無かったことにして、それで恋人でもなくなって、きっとそばに居られなくなる。だから……好きだからこそ知られたくないと思う。

「……っ」

 例え暴力を振るわれても、四肢を割かれても、本当に死んでしまうような状況だったとしても、Subである俺はきっと喜ぶに違いない。何度もサブドロップをして辛くて苦しい思いをしたけれど、それすらも俺自身が気づかないうちに喜んでいたらと考えると、正直耐えられそうになかった。

(ああ、でも……そばに居られなくなることが、一番耐えられない……かも……)

 この後に及んでそんなことが思い浮かぶ。
 律樹さんはきっと俺に対して痛いことや苦しいことはしないだろう。記憶がないと言っても過言じゃないほどに曖昧だった時もそうだった。俺に触れる律樹さんの手はいつも優しくて、甘くて、温かい。俺は大事にされているんだろうなぁ、って自己肯定感の低い俺にでもすぐにわかるくらいだ。

 けれど今の俺は、それを物足りないと思ってしまっている。痛くて苦しくてもいいから酷くしてほしい、なんてふと思ってしまう自分がいるんだ。……笑うよな、本当。色々と酷くされている時は俺のことを見て、優しくして、愛してなんて思っていたのに、いざ大事にしてくれる人が現れた途端に酷くしてだなんて。

(……矛盾、してるよなぁ)

 律樹さんから初めてもらったこのスマホで色んなことを調べた。まずSubにも色々いるということ。そりゃあ人間なんだから色んな性格やタイプの奴がいて当たり前なんだけど、欲求にもいくつかの種類があるらしい。
 その中でも高校の頃の記憶を思い出す前の俺は、日常生活の中やその延長のようなプレイを好み、満足出来るタイプだったらしい。そして記憶を思い出した今の俺は、肉体的や精神的に苦痛を与えられることでようやく満足出来るタイプのようだ。

 性的……はどうなんだろう。思い出す前の俺は何度か性的――とはいってもただの触り合いっこだったり擦り合いだったりなんだけど――なことで満足する時もあった。今は……うん、律樹さんに手酷く抱かれたいと、思うことがある。

(こんなことを言われたらきっと……律樹さんは……)

 俺は頭と膝を抱えながら溜息を吐いた。熱い息が膝頭にかかる。目を閉じ、そっと首元に手を添えると冷たくて固い感触が指に触れた。
 ……この動作はもう癖だと思う。心が不安定な時ほど俺は無意識に首輪に触れてしまうんだ。

「……もしかしてずっとここにいたの?」

 目を閉じて蹲っていると、目の前の扉が唐突に音を立てた。その扉から出てきてすぐに律樹さんが発した言葉に、俺は膝に顔を埋めたままこくりと小さく頷く。すると頭上から大きく息を吐き出す音が聞こえてきて、俺は反射的にぴくりと身体を揺らした。

「今日は寒いんだから……こんなところで座ってたら風邪引くよ?」
「……」
「弓月」

 衣擦れの音がすぐ近くで聞こえる。きっと律樹さんが俺に合わせてしゃがみ込んだんだ。本当は頭を上げて律樹さんの顔を見たいけれど、どんな表情をすればいいのかわからなくてぐりぐりと膝頭に額を擦り付けて抵抗をする。なんだか小さな子どものようだと思った。

 律樹さんが黙ってしまうと、俺たちの間には沈黙が流れた。いつもなら心地良いとすら感じるその静けさが、今は少し居心地が悪い。膝を抱える手に力を入れると、ほんの少しだけ落ち着くような気がした。

「ねえ、ゆづ――」
「……?」

 彼の手が俺の肩に触れた瞬間、律樹さんの声が中途半端に止まった。あまりに唐突に途切れたものだから気になって顔を上げると、すぐ近くに眉を顰めてどこか険しい表情をした律樹さんの顔があって何も言えなくなる。……いやまあ、何も言えないというか、そもそも何も言えないんだけど。
 なに、どうしたのと目を瞬かせながら律樹さんの顔を見ていると、彼は険しい顔のまま俺の顔を挟むように両手で頬を挟み込んだ。

「……来て」

 そんな絞り出すような声に、俺は一度瞬きをする。え、なにどういうことと頭を混乱させている俺に構わず、律樹さんは俺の背中と膝裏に手を回して問答無用に抱き上げた。一瞬、ふわっとした浮遊感に襲われ、俺は咄嗟に律樹さんにしがみつく。えっ、えっと未だ戸惑う俺になにも言わず、律樹さんは出てきたばかりの扉をもう一度潜り、俺を床に下ろして服を脱がせ始めた。

(ちょっ……ちょっと、待って……!)

 口でそう形作りながら必死で律樹さんの腕を止めようとするが逆に手首を捉えられてしまい、あれよあれよという間に服を全て剥かれてしまった。呆然とする俺を尻目に、律樹さんは服のまま俺を抱えて風呂場へと入っていく。濡れた椅子に下ろされた俺は正面の鏡に映った律樹さんの顔に、ごくりと喉を鳴らした。


 
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