声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第五章

百三十四話 家族

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「……弓月くん、今いいかい?渡したいものがあるんだ」
「……?」

 突然顔色の変わった律樹さんと六花さんに戸惑っていると、不意に後ろからそう声を掛けられた。声の主は律樹さん達のお父さんである柊一さん。穏やかで柔らかな笑みを浮かべた彼はこっちにおいでと右手ちょいちょいと動かして手招きをした。
 俺は動きを止めたままの二人の顔を横目でちらりと見る。相変わらず二人の顔色は悪い。何に対して怖がっているのか理由はわからなかったが、さっきの写真が原因だってことだけは鈍いと言われる俺にもわかった。

 ゆっくりと律樹さんの服を掴んでいた手を離し、そっとソファーから降りる。しかし律樹さんは苦虫を噛み潰したような表情で写真を睨みつけているため、俺が離れたことに気づいていないようだ。そのことになんとなく気分を落ち込ませながら、俺は律樹さんのそばから離れて柊一さんのところへと向かった。
 僅かに暗い雰囲気を漂わせながら俯いていたにも関わらず、柊一さんは優しく俺の頭を撫でてくれた。律樹さんと同じくらい大きくてゴツゴツとした手は律樹さんよりも少し冷たい。けれど見上げた先にある顔はやっぱり律樹さんと似ているような気がした。

「律子さん」
「ええ、わかっているわ。……さあ弓月、ここに座って」

 柊一さんの低く穏やかな声が律子さんを呼ぶ。待ってましたと言わんばかりの速さでこちらにやってきた彼女は、俺の両肩にそれぞれ手を乗せながら俺をダイニングにある椅子に座らせた。先程まで座っていたソファーの方をちらりと窺い見るが、やはり俺が離れたことに気づいていないらしい。

「弓月、目を瞑って」

 落ち着いた律子さんの声に従い、俺はソファーから戻した目を閉じた。ダイニングが明るいからか目を閉じていても真っ暗にはならず、瞼に通う血管の色が微かに見えている。
 とっ、とっという軽い足音が聞こえた後、カサカサとビニールが動く音や紙の音が耳に届いた。柊一さんは俺に渡したいものがあると言っていたが、もしかしてこれがそうなのだろうか。

「――はい、もう開けていいわよ」
「……!」

 再び律子さんの声に従ってゆっくりと瞼を押し上げていく。明るい光に一瞬目を眇めるが、それもすぐに慣れた。
 俺は無意識に俯き加減になっていた頭を上げ、まっすぐに前を見上げながら目を見開いた。

「私たちからのお祝いよ」
「気に入ってもらえるといいんだけど……」

 ダイニングテーブルに置かれていたのは透明のビニールと金色のリボンで簡易的に包装された小さな箱が一つ、その横に大きめの箱が一つ、そして一枚の紙切れの上に置かれた一本の鍵だった。驚きに目を瞬かせる俺の肩を律子さんが促すように軽くトントンと叩く。俺は律子さんと柊一さんの顔を見比べたあと、大きな箱の蓋に手を添えた。

 箱を開けた先、そこにあったものは一着のスーツだった。スーツ?と目を瞬かせる俺に、柊一さんがくすりと笑う。

「弓月くんは今年十八歳になっただろう?実は遅くなったけれど誕生日のお祝いも兼ねているんだ。まあ、君たちが住んでいる地域では十八歳ではなくて二十歳に成人式を行うらしいんだけど、これから色々と入り用になることもあるだろうから一着あってもいいんじゃないかって律子さんと話していたんだ」
「デザインやサイズに関しては律樹と相談して決めたの。……悔しいけれど、弓月のことに関しては律樹の方が私たちよりもずっと詳しいからね」

 俺は服のことには詳しくない。けれどそっと指先でスーツに触れただけで、全く詳しくない俺にも良いものなんだろうなってことはわかる。……ううん、たとえ良いものでなくたっていい。俺のことを考えて、俺のためだけに用意してくれたこのスーツは、俺にとっては世界で唯一のかけがえのない宝物だ。

 ジャケットだけでも羽織ってみるかと聞かれ、俺は緩み掛けた涙腺をぐっと抑えながら小さく頷いた。着ていた上着を脱いでスーツのジャケットを羽織る。袖を通すとほんの少し大きかったが、もう少し肉つきが良くなればぴったりになるだろう。
 俺は僅かに笑みを浮かべながら、どうかな?と律子さんと柊一さんを見た。すると目があった彼女は俺を見ながら目を潤ませ、そして口元に手を当てた。

「……っ」
「……律子さんも、勿論僕たちも、大人になった弓月くんと会えて本当に嬉しいんだ。もう会えないだろうって思っていたから……十八歳、そして試験の合格おめでとう」
「……!」

 震える手で口元を覆いながら涙を流す律子さんの肩を抱いた柊一さんがそう言った。
 
 俺も、あの家のあの部屋で虐げられながら一生を終えるものだと思っていた。誰も助けになんてこない、誰も俺のことなんて想ってもいないあの空間で一人痛みに耐えながら孤独に死んでいくんだと思っていたんだ。
 でも律樹さんが助けてくれた。あの空間から出してくれた。手を差し伸べてくれ、想いや愛をくれ、そして家族をくれた。あの頃は俺のために泣いてくれる人がいるなんて知らなかったけれど、今は知っている。それは六花さんや律子さん、そしてなにより律樹さんが教えてくれた。
 
 鼻の奥がつんと痛み、視界が滲む。目頭が痛くなり、瞼を閉じながら下を向けば、ぽとりと床が濡れた。これ以上床を濡らしてはいけないとわかっているのに、目から溢れ出る雫はぽとり、またぽとりと止まることを知らないかのように次々とこぼれていく。

「その鍵はこの家の合鍵だよ。使っても良いし、使わなくても良い。……もし弓月くんが良ければ、家族の証として持っていてくれると嬉しい。この家は君の――弓月くんの家でもあるんだから。いつでも帰っておいで」
「……っ」

 俺は涙に濡れた目で机に置かれた一本の鍵を見つめながら、こくりと頷いた。

 
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