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第六章
百三十八話 待ち合わせ
最後にプレイをした日を思い出せぬまま数日が過ぎた。残念ながらこの数日も律樹さんとのプレイはないままである。体調は悪化の一途を辿ってはいたが、ずっと思い詰めたような表情をしている彼にプレイがしたいだなんて言い出せずにいた。そんなこと気にせずに言えばいいじゃんって思うかもしれないけれど、小心者の俺にはいつもとは違う彼の雰囲気に口を閉ざすしか出来なかったんだ。
そうしてなんとか体調不良を隠しながら日常を過ごした結果、ようやく約束の土曜日を迎えることができた。
あの後、壱弦から返事が来た。壱弦は「家まで迎えに行くよ」と言ってくれたが流石にそこまでしてもらうのは申し訳なくて、どこかで待ち合わせをしようと連絡を入れた。最初は渋っていた壱弦だったけれど、俺が実は待ち合わせをしたことがないと知るや否やすぐに了承してくれたため、俺は今待ち合わせのために駅のホームにいる。
待ち合わせの場所はこの駅、正確に言えば電車の中である。ここは律樹さんの家から一番近い駅だ。家のすぐ近くにあるバス停からバスに乗り、そこから十分ほど揺られたところにそれは存在する。実は俺もここに来るのは初めてだったので正直迷わずに着けるか不安だったけれど、なんとか迷うことなく辿り着くことができたのでほっとした。それなりに人は多いが、そんなに大きな駅ではないというのも大きいかもしれない。以前律樹さんから聞いた話によると、通勤通学の人々の足として地元民からは重宝されているのだとか。
この駅が律樹さんの家から近いというのも待ち合わせの場所に選んだ理由ではあるが、それ以上に効率的だというのが大きい。この駅と壱弦の家から一番近い最寄駅とは二駅ほど離れているため、壱弦の乗っている電車に俺が乗り込むことで待ち合わせをしつつ、そのまま目的地に行くことが出来るのである。
「ふう……」
俺は駅のホームに設置されているベンチに腰掛けながらぼんやりと行き交う人達を眺めていた。土曜日だというのにちらほらとスーツや制服を着ている人がいる。そういえば律樹さんも今日は仕事だって言ってたっけ、なんて思いながらさっき買ったばかりの冷たい水をこくりと飲んだ。
『まもなく一番のりばを電車が通過します。危険ですので――……』
軽快な音楽とアナウンスの後、大きな音を立てながら電車が通り過ぎていく。ぶわりと強い風が横から吹いてきて、俺は咄嗟に髪手で押さえた。すると体勢が僅かに変わったのか、膝に乗せていたペットボトルが地面に落ちてころころと転がっていく。
「あっ……」
思わずそんな声が出た。慌ててベンチから降り、落ちてしまったペットボトルへと手を伸ばす。しかしころころと転がっていくそれは俺の手をすり抜けてどんどんと転がっていく。しかし追いかけようにも急に立ち上がったせいで立ちくらみを起こし、俺は真っ暗になった目の当たりを手で覆いながらベンチの座面に手を置いた。
「あの、大丈夫ですか?」
「……!」
雑踏の中、そんな声がすぐ近くで聞こえた。目を覆っていた片手を外して声の聞こえた方へと顔を向ける。しかしまだ暗く、砂嵐のようにざらついた視界ではその姿をはっきりと捉えることができない。それでも俺はなんとか大丈夫だと答えようと必死に「大丈夫です!」と口を動かした。
「そう、ですか……よかったです。……あの、これ」
キーンという小さな耳鳴りが消え、ようやくクリアに聞こえるようになった耳が捉えたのは少し戸惑っているような声色だった。まだ暗くざらついてはいるがつい数十秒前と比べればマシになった視界に映ったのは、先程俺の手からすり抜けて転がって行ったはずのペットボトル。拾ってくれたのだろう、彼の手にはそれが握られていた。
俺がありがとうと口を動かしながら顔を上げようとした時、拾ってくれた心優しい人は「じゃあ俺はこれで」と足早に去ってしまった。ろくにお礼も言えないままに立ち去ってしまったその後ろ姿をぽかんと見つめていると、再び電車の到着を知らせるアナウンスと軽快な音楽がホーム内に響き渡った。
俺は拾ってもらったペットボトルを手に慌てて立ち上がる。上着のポケットに入れていたスマホを取り出して時間を確認してみると丁度九時になったところだった。確か壱弦との待ち合わせはこの駅に九時に到着する電車だったはずだ。俺はいつもよりも少しだけ早く足を動かしながら、今到着したばかりの電車へと向かっていった。
「おはよ、弓月」
「……!」
開いたドアから電車に乗り込むと、すぐ目の前に壱弦が立っていた。なんで目の前に、と驚きに目を瞬かせている俺を見た壱弦が少し嬉しそうに笑う。
「早く会いたかったから……予想が当たってよかった」
眉尻や目尻が下がり、気恥ずかしそうにはにかむ壱弦の顔はほんの僅かに赤く色づいていた。そんな表情をされるとは思わなくて、つられて俺の顔も少しだけ熱くなる。
「外寒かっただろ、もう少し中に行こうか」
「……ん」
自然と腕を引かれ、電車の中の方まで進んでいく。あれだけ人がいたホームとは違い、電車の中はそこそこ空いているようだ。壱弦は空いていた座席に俺を座らせると、その横にゆっくりと腰を下ろした。
ガタンゴトンと僅かな揺れと音が車内に響く。俺は体の左側に触れる温もりを感じながら、向かい側の窓の外――流れていく風景をぼんやりと眺めていた。
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